2010年1月31日日曜日

スーザン・ボイル

私のブログに2回「登場」したスーザン・ボイルさん。(2009年4月21日スター誕生・12月30日今年の10人

誕生日プレゼントに彼女のデビューCDをいただきました。去年の4月、ユーチューブの画像で初めて彼女の歌声を耳にして以来、何度も聞いた、ミュージカル、レミゼラブルの「I dreamed a dream」も、もちろんこのCDに入っています。

初めて大きな舞台に立ってコチコチだったスーザン。その歌声は審査員や会場の人たちの期待を「見事に」裏切ったものでした。「田舎から出てきたおばさん風」のスーザンの歌声が一瞬にしてインターネットを通して全世界に広がりました。

CDのI dreamed a dreamを歌う彼女の声はとても落ち着いていて、のびやかでした。

急 に有名人になって生活が一変し、一時はBritain's Got Talentの準決勝には出られないのではといわれるほど精神的に追いつめられたスーザン。その時期を通り抜け、改めて歌える素晴らしさ、楽しさを自分で 取り戻した、そんな彼女の気持ちが伝わってくる歌声です。

音域はそれほど高くないのに(私が一緒に歌っても平気・・・?!)、天に届くような澄み切った彼女の声は、神さまに向かって歌うために与えられたのかもしれませんね。

2010年1月30日土曜日

英語勉強中




えーーと、その単語はね・・・

ちょっとまってね、調べてるからね。

Chuck

2010年1月29日金曜日

パピーウォーカー、その後

2009年5月3日のブログパピーウォーカーで紹介した受刑者のパピーウォーカーの仕事が終了したという新聞記事を見つけました。

生 後3ヶ月、体重約5キロだったレトリーバーの赤ちゃん犬を、23~30キロの成犬に育て上げ、盲導犬としての訓練に送り出す「終了式」の写真は、犬を抱き 寄せる受刑者の横顔がちょっぴり見えるものでした。その受刑者に甘えきった表情の犬がキスをしています。10ヶ月、独房内でのケージで寝食を共にした犬と の最後の別れを惜しむ気持ちがあふれる写真でした。

4人一組で一匹を育てた今回の試み。この春からは新しい5頭の子犬がやってきて、30人の受刑者が養育係になるそうです。

この記事のタイトルは「慈(いつくし)しむ心 君が教えてくれた」。犬が運んでくれたやさしいこころ。受刑者の人たちにとって、何よりの宝物ですね。

ウェブには動画がありました。
asahi.com(朝日新聞社):育てた盲導犬に「ありがとう」 受刑者たち涙の別れ - 動画

2010年1月28日木曜日

「あのね」特集から

月を見ていると、乗っていた車が赤信号で止まった。
  「すごい、月が赤信号で止まった!」
      (3歳 男)

ばんそうこうの箱に「あけ口」と書いてあったので、困ってしまった。
 「『あけろ』ってえらそうに書いてある」
      (4歳 女)

生まれる前は、お母さんのおなかの中にいたと聞いた。
 「お母さん、ぼくのこと食べちゃったの?」
      (4歳 男)

伸びていた髪を切ったら、なぜかみんなに「髪切ったね」と言われた。
 「教えてないのに、切ったの何で分かったのかな」
      (6歳 女)

イワシのかば焼きをぱくぱく食べていたら、ママに「ほんまに魚が好きやな」と言われた。
 「ええっ、かばって魚やったん?」
      (8歳 男)

ママから「油揚げがはいっているのはきつねうどん、あげ玉がはいっているのはたぬきうどん」と教わった。
 「じゃあ、犬が入っているのはワンこそば?」
      (5歳 女)

   京都のたぬきうどんはきつねうどんのあんかけ。私の大好物・・・念のため

2010年1月27日水曜日

誕生日です


青いキャンバスに雲がゆったり動いていました
穏やかないい日より
私の誕生日

友達からのお花が届きました
思いがけないバースデーケーキ
メール・カード・電話・プレゼントも・・・

娘のブログ、ばいりんぶろぐにも
「ハッピーバースデー」

みなさん、ありがとうございます!!!

2010年1月26日火曜日

道が白い!


火曜日はゴミを出さなきゃ・・・と外に出たら、道が白い!

雪でもないのに・・・
昨日の雨が見事に凍っていました

雪より滑るのですよ
ツルツルの道を出勤しました

京都の「北国」の朝でした

2010年1月25日月曜日

安全の層

会社更生法を適用された日本航空。2005年以降、日本航空から委託された、安全問題の専門家5人による「安全アドバイザリーグループ」(安全AG)の座長を務めた柳田邦男氏の「「安全文化」を壊すな」という投書記事を読みました。

5年間、現場に足を運び、経営陣とも議論を重ねてきたグループの活動を通しての提言です。この中で「安全の層」ということばを初めて目にしました。

「たとえミスや故障や欠陥が生じても、二重三重の防護策によって事故になるのを防ぐ取り組みを安全AGは「安全の層」を厚くするという表現でとらえる。」

「「安全の層」を厚くする基盤となるのは、現場の人々の仕事への意欲や情熱やひたむきな努力であり、そういう個人個人の姿勢を大事にする組織のあり方だ。そこに築かれるのが「安全文化」だ。」

社内の努力によって、現在の日本航空は、「現場のミスを責めるのでなく、教訓を共有化するという取り組みが業界で先駆的になった」と柳田氏は言います。航空会社としての今後の再建に向けて、種々の提言がなされているこの文章は最後にこう結ばれています。

「風通しの良い、なんでも言える社風が、現場の人々の意欲と情熱を生みだし、「安全の層」を厚くする基盤なのだという認識が求められているのだ。」

介護の現場も全く同じです。「安全の層」がしっかりできていること、それが一番であり、それを作り出す雰囲気が必要です。日々の仕事の中で、それを痛感しつつ、もどかしさを感じる私です。

2010年1月24日日曜日

西本智実


「ブラボー!!」

思わず叫んでいました。チャイコフスキー交響曲第4番の最後の音の余韻が漂う中、生まれて初めてのブラボーでした。

昨日の土曜日の午後、京都コンサートホールに出かけました。指揮者西本智実 (にしもとともみ)さん率(ひき)いるラトビア国立交響楽団のコンサートです。

インターネットで手に入れたチケットは「2階R3列8番」。フルオーケストラを違った角度から眺められる席でした。そしてこの選択は大当たり!

西本智実さんの指揮ぶりから、耳に届く音楽がどんな風に作られていくのか、それを目で理解することができました。指の先の小さな動きから、繊細な 音が生まれ、幼い頃、バレエを習っていたという彼女の全身を使った大きな動きからは、雄大な風景が浮かび上がってくるような音が作られていくのです。

宝塚の「男装の麗人」(だんそうのれいじん)にたとえられる西本智実さん。女性用の燕尾服(えんびふく)に身を包んだ167センチの長身は、何ともすてきでした。彼女の指揮ぶりを背中からだけ見るなんて、もったいない!

コンサートは生の音楽を聞くだけでなく、こんな楽しみかたがあったことを実感。総勢60名にもなるフルオーケストラを一つにするその姿に魅了され、ブラボーと叫びたくなるほど感激した私でした。

誕生日を前にして、自分へのプレゼントとして選んだコンサート。こころから満足した午後でした。



PS:京都コンサートホール 座席を見つけました。座席をクリックすると、舞台がどんな風に見えるのか(ステージビュー)が出てきます。大ホール1833席、全てからの写真を見ることができます。

PS2:せっかくの土曜日のコンサートなのに、7割ほどの入りでした。京都ではなかなか一杯にならないのでしょうか。もったいないな・・・

PS3:智さんの小部屋:西本智実さんのブログです。

2010年1月23日土曜日

ブルキナファソ

今日のタイトルを見て、「ああ、あのアフリカの国ね」と分かった方はいらっしゃいますか?首都の名前はいかがですか?ワガドゥグが正解です。どちらも一度では覚えられません。場所はウィキペディアで確認してください。ブルキナファソ

私の母は国連協会京都本部の仕事を長年続けていました。国連の活動を広報する民間団体で、現在のNPO的な仕事でした。祖父(父の父)が本部長、元気だった頃の父が事務局長、そして、実務は母、と文字通りの「ファミリービジネス」でした。

1960年代後半ににアフリカ諸国が次々に独立し、国連に加盟しました。加盟国の国旗を集めたポスターがある時期からとても「難しく」なったことを覚えています。知らない名前の国名が並びだしたからです。

新しい国の名前や場所を全て覚えていた母でした。とても楽しそうに覚えていました。自分の知っている世界が広がっていく感覚だったのでしょうね、きっと。

ブルキナファソ・・・覚えられましたか?

2010年1月22日金曜日

小さな仲間 

あわてて咲き出してちょっと震えているプリムラも
仲間に遅れて咲いた小さな菊も
水仙やクリスマスローズのつぼみも
みんな冬の庭の小さな仲間たち




2010年1月21日木曜日

車いすを見つけたら

街で車いすの人を見つけたら、みなさんはその人をじっと見ますか?目をそらしますか?それとも見ないふりをして見ますか?

1998年、車いすフェンシングの初めてのヨーロッパ遠征はドイツでした。ボン近郊での世界選手権に参加しました。全て競技が終わってから、フランクフルトに移動して、ゆっくり観光する予定を立てました。車いすフェンサーが4人、スタッフが4人の日本チームでした。

フランクフルトの街を一団となって移動していても、周りからジロジロ見られることはありませんでした。行き交(か)う人の流れの中にも、車いすの人を見かけました。街の風景に自然にとけ込んでいるような、そんな感じでした。

車いすで外出するとジロジロ見られる・・・のが今も日本の現状ではないでしょうか。それを逆手(さかて)に取って、仕事を始めたグループがあるそうです。

大分県別府市のNPO「自立支援センターおおいた」が始めた広告事業は、そろいの上着やプロレスの覆面(ふくめん)、のぼりやポスターを掲げる派手な出で立ちの車いす集団が街を練り歩く宣伝事業なのだそうです。昔のちんどんやさんの雰囲気でしょうか。

この事業は障害者が自らが起業の計画や構想を競い合う「ユニバーサルベンチャー・ビジネスプランコンテスト」で第一回のグランプリを獲得しました。

「障害者の個性は世の中に役立つ資源」、「起業は社会との新しい関係をつくることだ」。コンテストの参加者たちは、みんなこのような強い思いを抱いていたのだそうです。個性やアイディアが豊かな人たちは、「何か」を生みだしていけるのですね。

足が不自由だから車いすを使っているだけ。近眼だからメガネをかけているだけ。障害を持っている人も持たない人も、みんな同じ。

PS: 朝日新聞の「窓」では「障がい者」でした。「障碍者」の「碍」が常用漢字に追加されたという記事も同じ日の新聞にありました。「障害者」ではなくなるようですね。私のコンピューターで「しょうがいしゃ」と打ち込むと、第一の転換はまだ「障害者」ですが・・・

2010年1月20日水曜日

ひもなし散歩 #2

ひもなし散歩も板に付いたChuckです
一人(一匹)でも平気でトコトコ

でも時々後を振り返ります
「ついてきてる?」って・・・





2009.12.21
ひもなし散歩

2010年1月19日火曜日

新型インフルエンザ: 情報操作

昨日、18日から京都府では全ての年代の人に新型インフルエンザワクチン接種が可能になりました。去年は、医療関係者だけ、特定の疾患のある人だけ、と接種できる人の制限枠がとても厳しく、それも全ての接種内容の報告義務が課せられていました。

このところは患者数も劇的に増加することもなく、冬のインフルエンザとそれほど差のない感じになっています。マスクがない、ワクチンが手に入らないといった去年のあのパニックは一体なんだったのでしょうか?

6月には、「2つ以上の地域の国々で大規模な感染」を意味する「パンデミック(世界的感染症)」(6段階の危険度の最高位の「6」)がWHOから発表され、世界中でインフルエンザでの死者が猛烈に増えるはず・・・とみんなが思ったものでした。

2009年4月19日に紹介した田中宇さんの国際ニュース解説です。(日付は2010年1月12日)インフルエンザ騒動の誇張疑惑

製薬会社の情報操作によって、WHOが誇張した発表をしてしまったという内容です。

「昨 年末112月31日、欧州議会(EUの議会)の保健衛生委員会(Health Committee)は、昨年夏から豚インフルエンザが流行した際、欧米の 製薬会社が、ワクチンや関連医薬品の売り上げを伸ばすため、国連のWHO(世界保健機構)や国際医学界などに影響力を行使し、インフルエンザに対する危機 感を世界的に扇動した疑いがあるとして、調査を開始することを全会一致で決議した。」

今回の新型インフルエンザだけでなく、情報操作が行われる現代社会をするどく指摘する解説は、いつもながら、独自の視点からズバリと本題に切り込んでいます。

毎週1,2回メールで届く田中さんのニュース解説は、内容が多岐(たき)に渡り、しっかり読み込むのが大変なほどです。時間がなくてとばし読みをすると、わからないことも度々(たびたび)です。それだけ内容の濃い解説なのです。

新聞・テレビ・ラジオ・インターネット。情報が飛び交う時代に、ある情報を鵜呑み(うのみ)にするのではなく、色々な視点を学ぶことがいかに大切か、改めて感じました。

2010年1月18日月曜日

福袋

お正月のデパートでの買い物は福袋。それも朝早くから、もしくは前日から並んで、競争で買い物をする・・・そんな人たちが一杯。

天野勇吉さんのコラムによると、10年ぐらい前から、百貨店の花形商品になったのが福袋だそうです。

「昔はほしいものがあった。たくさんあった。が、いまはそれがない。それでも、みんななにかはほしい。その何かが、あの袋の中に隠れているのかもしれない。そんな思いが、人を福袋に向かわせる」

「だから、福袋を買うのは、モノを買っているようで、実はモノを買っているのではない。福袋を買うというコトをかっているのであって、中に入っているモノは二の次なのだ。」

デパートのあちこちを走り回って福袋を買う家族。
数十万の出費にもなるとか。
お正月の恒例行事なのでしょうね、きっと。

袋の中のもの、サイズが合わなかったりするのでは?
買うことを楽しんだのだから満足ですか?

2010年1月17日日曜日

携帯ラジオ

ラジオ党の私が現在使っているラジオは、11cm×10cm×3cmの大きさ。小さなライトがついていて、単三2本か単二1本の乾電池で使えます。予備のリチウム電池も入っているので、急に音が出なくなることはまずありません。

こ のソニーのラジオ、阪神大震災後に開発されたものです。ラジオからの情報が大いに役立ったあの大震災直後。ただ、電池がなくなって聞けなくなっ たラジオも多かったようです。そこでこのラジオが登場したのです。最初に買ったものは、今のラジオより一回り大きかったのですが、連日使っていて、5,6 年前にダメになってしまい、二代目にも同じものを買いました。

1月17日となりました。地震直後、京都で聞くラジオにも援助物資、死者やけが人の情報が流れていました。非常時用にと使っているつもりはありませんが、そして、非常時に使わなくていいように、と思いますが、これからも私のそばには、この携帯ラジオがずっとあるはずです。

日本時間13日の朝に起こったハイチの大地震。ラジオの情報すらない大混乱の様相です。「西半球の最貧国」と言われるハイチでの大惨事。今、私に何が出来るのか、それを改めて1月17日に考えます。

2010年1月16日土曜日

準備完了

ちょっぴり雪が積もった朝

全国女子駅伝 第5中継所の国際会館前
放送準備も完了
明日のお天気はいかに・・・

2010年1月15日金曜日

霜柱

お休みの金曜日
新聞を取りに庭に出たら
足元で「ジャリッ」
霜柱でした
Chuckが走っても音はナシでしたが・・・


2010年1月14日木曜日

アンネの日記

アンネと同じ年頃に何度も読んだ「アンネの日記」。それから数十年後、オランダのアムステルダムに行った時、現実にアンネが住んでいたその建物の前に立って、「ここを知っている」というような不思議な感覚を抱いたものでした。

アンネの日記が本になったのは、1947年。父親のオットーフランクが強制収容所からただ一人生きて戻れた後のこと。

1942年6月から1944年8月まで、隠れ家での生活を書きつづったアンネの日記。1944年8月4日、その隠れ家に保安警察が踏み込んできた時、逮捕されなかったミープ・ヒースとエリザベート・フォスキュイルの二人によって持ち出されていました。

CNNのウェブを読むと、アンネの日記の原稿は床に散乱し、二人の女性はその混乱の中、ただただ必死に紙を集めたようです。二人は、その原稿を読むことはなかったと言います。「もし読んでいたら、きっと燃やしていたと思います。危険な情報も書かれていたのですから・・・」

Miep Gies, Anne Frank protector, dies at 100 - CNN.com

二年に渡る隠れ家での生活で、14歳の女の子はその「日常」をありのままに書き記し、それを世界中の人が読むことになりました。そのきっかけを作った、つまり日記を隠れ家から持ち出したミープ・ヒースさんが100歳で亡くなったという新聞記事を目にして、60年以上も前に亡くなったアンネのことを、改めて身近に感じた私でした。

アンネの日記 - Wikipedia

2010年1月13日水曜日

駅伝観戦法

全国高校駅伝と、この次の日曜日、17日に開催される全国女子駅伝は京都の12月と1月の恒例行事。わが家は折り返し点の京都国際会館の近くにありますから、以前はよく沿道で応援したものです。

マラソンの42.195キロを「たすき」をつないで走りきる駅伝。日本が発祥の地。EKIDENという単語が英語でも使われています。

京都新聞に駅伝のおもしろい楽しみ方の記事がありました。昨年12月20日の全国高校駅伝の場合:

午後0時半:西京極陸上競技場でスタートを見届けた人が、阪急西京極駅へダッシュ。「はじご観戦」のスタート

午後0時39分:河原町行きの電車は満員に

午後0時50分:烏丸駅では全員ダッシュで地下鉄四条駅へ

午後0時58分:地下鉄丸太町駅下車。上位チームを見て、即、駅に戻って、再度「北」に向けて移動。1時25分、国際会館駅到着

午後1時28分:折り返し点の国際会館前で先頭の走者と遭遇。しばらく観戦して、再度駅へ

午後1時51分:地下鉄烏丸御池駅で東西線に乗り換え、西大路御池駅へ 「アンカーをゆっくり観戦」


・・・というような観戦方法があるそうです。地上ではランナーが、そして地下では、観戦する人たちが、必死で走る。そんな駅伝鑑賞法だそうです。一度お試しあれ!

2010年1月12日火曜日

日本の歌百選

まずこのウェブをご覧ください。日本の歌百選

親子で歌い継(つ)ぎたい日本の歌百選のリストです。最終的に、絞りきれなかったとかで101曲が選ばれています。

懐かしい童謡や、「上を向いてあるこう」「世界に一つだけの花」も入っています。

私の母の世代も歌った「早春賦」も、私が子ども達と一緒に歌った「ぞうさん」も。

それぞれの歌に、それぞれの人の思い出がきっとあるはずです。

これからも歌い継いでいきたいものですね。

2010年1月11日月曜日

冬の赤



冬枯れの庭の「赤」あれこれ
サザンカ以外はみんなとりさんからのプレゼント
年々増えているのですよ


2010年1月10日日曜日

お減らし

「お減らし」っておわかりですか?先日の新聞の投書欄で初めて目にしました。

学校給食は小学校生活の楽しい思い出の一つ。娘がシカゴから 戻って小学校5年生の2学期から地域の小学校に通い出した頃、こんなことを言いました。「お母さん、今日のごはんは、給食みたいにおいしいよ」。私として は、単純に喜んでいいのかどうか、ちょっぴり不思議な気分でしたが・・・

私が幼かった頃の給食とは違って、おいしい給食になっていた娘の小学校時代。それももう20年近く前のこと。最近の学校給食は単に栄養のバランスを考えるだけでなく、メニューにも工夫がこらされていると聞いたことがあります。

そんな給食でも「苦手」と感じる子供達がいるのも事実です。特に、好き嫌いの多い子、小食でみんなと同じ量が食べられない子。色んな理由があるはずです。

そ こで「お減らし」が登場なのです。小食の子どもが、前もって自分の食べきれる量に給食を調整することなのだそうです。「お減らし」したのを食べ切れた時に は「おかわり」をして食べることも可能とか。全部食べられたという満足感が得られるので、この投稿者のお子さんは、「給食大好き」なのだそうです。

食 欲は人によってそれぞれ。日によっても違うはずです。ましてや「苦手な」メニューの場合、子ども達にとって、給食を食べ切らなきゃというプレッシャーはさ ぞかし大きいことでしょう。給食の時間が終わっても食べきることができず、「のこされていた」この投稿者自身が味わったような「辛い給食」は過去のもので ありますように。

2010年1月9日土曜日

書きにくい!

2001年から2010年までの10年日記
ページの一番下が今年
とっても書きにくい!

2010年1月8日金曜日

Trust me.

1. Trust me.

2. Believe me.

3. I will do my best.

4. You can count on me.

5. Leave it to me.

           1 & 2: 私を信じてください

           3:  最善を尽くします

           4 & 5: お任せください


鳩山首相がオバマ大統領に2度使った表現がTrust me. 「必ず約束は果たします」と言い切ったのです。さてさて、約束が実行できない時、一体どうなるのでしょうか。普天間基地移転に関しても、アメリカは鳩山首相を「trust」していいのでしょうか。

普段使うことばでも、外交の場面では使われると、その重みはとてつもなく大きくなります。外交交渉ではどんなにことばに堪能でも、普通は通訳をつけます。万が一ことばの解釈でややこしくなった場合、「それは通訳がそう訳したからです・・・」という言い訳が成立するからです。

ご自分で英語を話す鳩山首相。ご自分の発したことばの重みを感じていらっしゃるのでしょうか。

2010年1月7日木曜日

音の風景

NHKラジオに「音の風景」という番組があります。たった5分間ですが、音だけでその風景が浮かび上がってくるような、そんな番組です。音だけから、あれこれ想像して聞いています。

ざわざわした人混みや、自然の中の鳥の声。風の音もとっても表情豊かです。ラジオならではの楽しみを味わっています。

ウェブで音の風景を見つけたのですが、音声は紹介されていません。収録した場所の画像が掲載されていますが、このラジオ番組のイメージとはちょっと違うな・・・

ぜひラジオで聞いてみてください。AMのNHKラジオ第一放送です。

2010年1月6日水曜日

いわせてもらお

朝日新聞のおとなの「あのね」が「いわせてもらお」。くすっと笑える紙面上の楽しいコラム。

「尊敬」
孫娘は長男(2)を保育園に通わせている。だが、迎えのバスに乗るたびに泣きべそをかいて、てこずらせているらしい。先日、親子で遊びに来て、私がデイサービスに向かうのを見送ってくれた。バスに乗る私を見て、「ひいばあちゃんは泣かなかったね」。
(山形市・えらいでしょう?96歳)


母もしばらくデイサービスのバスの送迎を利用していました。もちろん泣きませんでしたよ。家の前まで戻ってきても、もっと乗っていたいという顔をしていました。

バスの送迎、連絡帳。保育園や幼稚園とデイサービスはそっくり。バスに乗る人の年齢が違うだけ・・・

2010年1月5日火曜日

時間感覚

もう20年も前のことです。久しぶりに日本に戻ってきた頃です。新幹線で東京に出かけた時のことです。

もうすぐ東京駅に到着というアナウンスがありました。「お急ぎのところ、予定到着時刻より1分遅れましたことをおわびいたします・・・」

一瞬自分が何を聞いたのか、理解できませんでした。「到着が1分遅れた。それが申し訳ない・・・」

アメリカ生活では、電車や汽車に乗ることはほとんどなかったのですが、時刻表通りに運行されること自体が珍しいのですから、少々の遅れなど何とも感じなかったのです。それが日本では1分の遅れをあやまるアナウンスがあるとは。

先日読んだ天声人語にこんなことが書いてありました。

「幕末から明治の始め、欧米から“お雇(やと)い外国人”がやってきて先進技術を伝えた。彼らを悩ませたのは、時間にかまわぬ日本人の習慣だったという。“日本人の悠長(ゆうちょう)さといったら呆(あき)れるぐらいだ”とあるオランダ人は書き残している。」

ゆったりした日本人の姿が浮かんできます。それが時間管理を徹底する日本に変わってくるのに、それほど長い時間はかからなかったようです。遅刻厳禁。時間厳守。確かにそれは大切ですけれどね・・・

「アジア時間」ということばもあります。一般的にアジア人の時間感覚はゆったりしています。会合の集合時間には遅れてくれる人がいても当たり前。待つ方も待たせる方もイライラしないのがアジア流。

アジアの一員であるはずの日本人。本来の日本人がゆったりした人たちだったとしたら、今の日本人のセカセカは、私たち日本人のDNAには反することなのかもしれませんね。

もっとゆったり過ごしたいな、そう思うのは忙しすぎる日々だからでしょうか・・・

2010年1月4日月曜日

ひも遊び

これって「ひも」っていうんだって




ひっぱってるとね、くるくるするの
目が回るよ
でもおもちろい
Chuck

2010年1月3日日曜日

不自由だから・・・

現政府が設置した「障がい車制度改革推進会議」の担当室長に就任した東俊裕(ひがしとしひろ)さんは小児マヒのため、車いすで生活する弁護士さん。障害者の権利を守るための活動を今後は公的な立場で展開していく方です。

16年前、車いすを使う妻と幼児だった娘と三人で飛行機に乗ろうとした時、「万一の場合、親が子を守れない」と拒まれた経験があるそうです。

このエピソードを読んで、私たち車いすフェンシングチームの海外遠征を思い出しました。日本やアメリカ、そして特にドイツの航空会社はフライトに搭乗できる介助を必要とする障害者の数を厳しく制限しています。

9/11 以降、ヨーロッパ便の搭乗者が減り、以前はジャンボ機が飛んでいた関空ーフランクフルトのフライトの機体が小さくなりました。当然乗務員数が減ります。で すから、搭乗できる障害者の数が減るのです。介助が必要なメンバーが5人だったその年の遠征は、健常者のスタッフが二人いるので、乗せて欲しいと交渉しま したが、結果はノーで、ルート変更せざるをえませんでした。

安全上必要な規定なのですが、厳しい制約によって、希望の飛行機に乗れなくなる人が出て来る可能性があるのです。

別 のヨーロッパ遠征の折、スペインのローカルフライトは、車いすフェンシングワールドカップ出場選手が、60席ほどの機内の三分の一を占めていました。目的 地の田舎の空港には乗り降りのための「じゃばら」はもちろんありません。車いすの人を一人一人、担(かつ)ぎ降ろします。延々と続くその作業を見ながら、 マドリードからのその接続便に乗れたからこそ、各国の選手が予定通りに集(つど)うことができるのだと感謝の気持ちで一杯になりました。

上記の東さんのコメントです。「体が不自由なためにできないことより、体の不自由な人に配慮がないためにできないことが、相対的に大きくなった。」

安全策は大切です。だだ、それを運用する人の「こころの柔らかさ」、それがあってこその規則ではないかな、そんなことを思います。

PS:この新聞記事には「障がい者」となっていました。私はあまり深く考えないで「障害者」と使うのですが・・・

   2009年1月24日 「障がい」とする意味は?

2010年1月2日土曜日

渋滞

ふるさとからのUターンラッシュが始まった、と夕方のニュース。あちこちの高速道路が渋滞しているようです。

お昼のテレビで渋滞の場面を目撃。これは箱根駅伝の5区、箱根の山登りの「対向車」の渋滞でした。車の窓から旗を振って応援している人も一杯。わざわざ渋滞の中に入って、間近に駅伝を見ようとしているのでは・・・そんな感じでした。

お正月の恒例イベント、箱根駅伝。「やっと」休みにたどりついてホッとした一日。今年も横目でチラチラ眺めながら、やるべきことがほとんど片付かなかった1月2日でした。

2010年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます


元旦の早朝6時半、ちょっぴりの雪で遊ぶChuck
先代クッキーは雪が大嫌い
Chuckは平気
あちこちウロウロ、ぬれちゃいました

27日からの連続勤務が終了
さすがに・・・・

二日間だけのお正月、ゆっくりします

今年もよろしくおねがいします

K & Chuck