2010年11月30日火曜日

「自由落下法」

普通のことばで言うと簡単なのに、それを難しく言うと・・・という例です。「自由落下法」が何であるかおわかりでしょうか。今朝の新聞で見つけました。

つまり物をひっくり返して叩いて、それに付着しているものを落とす、そういうことなのだそうです。

小惑星「イトカワ」への7年越しの飛行を終えて帰還した「はやぶさ」。イトカワの微粒子を持ち帰ったとその業績が大きく評価されています。検査が終了して「念のため」はやぶさのカプセルをひっくり返して叩いてみたら・・・数百個の微粒子が落ちてきた。「棚からぼた餅」の収穫があったという記事。「最初からやる予定だったけれど、目視(もくし)で何もなかったから、やらなかった」そうです。

細心の注意を払って、顕微鏡を見ながらの作業で微粒子を探していたのに、「原始的」に叩いたら、いっぱい落ちてきた。カプセルを叩いた研究者の方、さぞかしびっくりなさったことでしょうね。その驚いた顔を想像して、何だか朝から楽しくなりました。

それにしても「目視」なんて言わずに、「目で見た時に」って言えばいいのに。字数に制限のある新聞記事を読みこなすは国語力が必要ということ。勉強になります・・・

2010年11月29日月曜日

国際共通語

日本の学校での英語教育をいかにすべきか:文法重視で訳読をしっかり教えるべきか、それともすぐに使える会話に重点をおくべきか。「英語教育は実用主義か教養主義か」という論争がされていたのが70年代半ばのことと言いますから、方向性が定まらないままに日本の英語教育が進んできたことがわかります。

朝日新聞のオピニオンの紙面に鳥飼玖美子(とりかいくみこ)さんの意見が掲載されていました。女性同時通訳者の先駆けであり、英語教育、言語コミュニケーションのプロとして英語に関わり続けている鳥飼さんの、「英米モデルを離れて英語を共通語化する試みがある」という文面に興味を持ちました。

コミュニケーション能力も大事、文法・訳読も必要、でも今のこどもたちはどちらもできなくなっている、と鳥飼さんは指摘します。「もう論争は辞めて、両方できるような、しかも日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか」と提案します。

そして、「ある程度の基礎力を身につけたら、学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です」・・・ごもっとも。

英米人など、英語を母語としている人口が約4億。英語を公用語、もしくは外国語として使う人口を合わせると10数億に達する現在の世の中。現在は「英語を英米人の基準に合わせる必要はない時代」だと言う鳥飼さんの主張は明確です。

英語の、発音、文法、それぞれに「どこを守ったら英語といえるのか、そのコア(核)を探す研究がヨーロッパ中心に取り組まれている」ようになっているのだそうです。そこをしっかり学校教育で教える必要があり、むやみに英米人の発音をまねしたり、独特の表現を覚え込むことはない、という主張です。

「わかるかわからないか」それが大切。共通語として機能するための基本を教え、使う時には細かいことを気にせずに使えばいい」

「国際共通語としての英語に、大事なもう一つの要素は、自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということ。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら、『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』と言えばいい」

さてさて、そこまで自己主張した英語を日本人が話せるようになるでしょうか?発音第一で英語を教えている私には、「英語の核」の中に、正しい発音を入れてほしい気がします。まず耳を慣らして、正しい発音訓練をする。英語という言語の持つリズムを身につけて、そこから「自分らしい英語の音」で自由に話してほしい。そう考える私です。


国際共通語としての英語について書いた以前のブログです09.7.21下手な英語

2010年11月28日日曜日

秋の色

「さくら」と「かしわばあじさい」


「もみじばふう」

300色のクレヨンでもたりない秋の色
日に日に変わる天然色
京都のもみじはこの週末がピークです




2010年11月27日土曜日

子守り中

今朝から赤ちゃんを預かっています。元留学生の8ヶ月の坊やです。両親が二人とも仕事になってしまった土曜日。「お助け部隊」出動となりました。

もちろん私一人ではできません。「お助け部隊」は色んな「助っ人」で構成されています。

母との年齢差95歳の坊や、今はネンネです。Chuckはケージの中ですねてますけれど・・・

2010年11月26日金曜日

パレスチナ

もし家を出て仕事場に行く時、身分証明書を提示する「検問所」があったとしたら・・・
そこを毎日通らなければならないとしたら・・・
仕事だけでなく、学校も、病院に行くときでさえ、その検問所を通るとしたら・・・
それが、普段、生活している場所にある検問所だったとしたら・・・

先日京都大学であった「パレスチナにおける平和と人権」という講演会で初めてパレスチナの現実を知りました。講師はユダヤ系アメリカ人のアンナ・バルツァーさん。20代の女性です。(彼女のプロフィールを下記に転載)

スライドで、パレスチナの西岸地域の現実を説明してくれました。
 ・イスラエル政府がお金を支給して、ユダヤ人に入植をあっせんしている。
 ・ユダヤ人用の整備された道路の横に、でこぼこで、所々に土が盛り上げられ、
   車が走れなくなっているパレスチナ人用の道路がある。
 ・ベルリンの壁の二倍、7メートルの高さの壁が作られて、パレスチナ人の
   居住地域が分断されている。
 ・1047年の国連によるパレスチナ分割で、イスラエルが建国されてから、
   パレスチナ人達の土地は、中東戦争などを経て年々小さくなっている。
   (パレスチナ人が土地を追われた)
 ・505もある検問所はパレスチナ人の自由な移動を制限し、
   夜間は閉鎖されるから、急病でも病院に行けず、死亡することもある。
 ・パレスチナ人にはイスラム教とキリスト教の信者がいて、それぞれ
   ユダヤ教でないという理由でイスラエルからの差別を受けている。

まだまだ厳しい現実の説明は続きます・・・

私にとって「知らない」ことがあまりにも多かったのがショックでした。そして、アンナさんの次のことばがとてもこころに残りました。

「パレスチナ人と言えば、みんなテロリストのように思ってしまうでしょう。でも彼らの多くは、現在の厳しい生活の中で、平和を願い、自分たちの生活を守り、将来に向けての努力をしています。静かなデモを行い、世界の人々に訴えています。イスラエル人の中にも、国としてのイスラエルの在り方に疑問を持ち、パレスチナ人と同じ行動を取る人がいます。

アメリカからイスラエルに多額の資金援助がなされている現実。ユダヤ系アメリカ人としてパレスチナの現状を一人でも多くの人に知っていただきたいと思って活動しています。

みなさんも、どうぞパレスチナの現状を変えるために、行動を起こしてください。南アフリカのアパルトヘイトも、世界の国々からの声が大きくなり、経済封鎖などの影響から、変革せざるをえなくなったのです。パレスチナにも同じことが起こるように、みなさん一人一人が行動してください。」

「知る」ことから「行動」が生まれてくるのだと思います。今まで、私はパレスチナのことに関して全く何も知らなかったのだ、と実感した夜でした。

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アンナ・バルツァーさんプロフィール>

ユダヤ系アメリカ人の人権活動家。祖父母をはじめとする親族がナチスのホロコーストの犠牲となったホロコースト3世。コロンビア大学卒。2003年、フルブライト奨学生としてトルコのアンカラで英語を教えていた時、イスラエル占領下のパレスチナを訪れ、占領の現実に直面する。

以後、2007年までのべ8カ月間を西岸で過ごし、占領の実態をつぶさに体験する。2007年、写真入りルポルタージュ「パレスチナの目撃者」(Witness of Palestine)を上梓、ノーム・チョムスキーらに絶賛される。

イスラエルの政策とイスラエルを支援するアメリカの政策を批判し、全米各地ならびに海外で、占領の現実を訴える講演活動を精力的に伝えている。

アンナ・バルツァーHP 
http://www.annainthemiddleeast.com/

2010年11月25日木曜日

冬の花火

11月23日、毎年長野市で開催される「えびす講花火」。犀川(さいかわ)の広い河原が会場です。歴史は古く、105年も続いている花火大会。今年は一万発が打ち上げられました。

日本独特の複雑な色や形で開く大玉がふんだんに打ち上げられ、10号玉の新作コンテストがあり、同時打ちあげのスターマイン、音楽とシンクロしたプログラムなど、次々に初冬の夜空に花火が上がりました。

シーズンオフに開催されるこの花火大会には、全国からプロの花火師が集まるとのこと。低気圧が通り過ぎ、適当に風が吹いて煙を散らしたこともあり、「今年の花火はすごい」と絶賛された打ちあげとなりました。

三脚を使わず、テーブルにヒジをついて写した写真は、やはりぶれています。でもその動きがかえっておもしろいのでは・・・と勝手に考えてアップします。ちびのデジカメのビデオ撮影も見事に花火と音楽を映し出しました。凍えるような寒さの中の約2時間。すてきな冬の花火観賞でした。

ヘルパーさんに時間ごとに出たり入ったりしていただいた、二日間。おかげで、何年かぶりに信州の山の景色を堪能してきました。




2010年11月24日水曜日

わが家のもみじ

朝陽を浴びたわが家のもみじ
今年はあまり赤くならず黄金色(こがねいろ)

一枝だけ赤いはっぱがありました。

2010年11月23日火曜日

エアーマットレス


10 日ほど前から、ベッドの上で寝返りがうてなくなった母。先週の木曜日、訪問看護師さんが仙骨のあたりが「褥瘡」(じょくそう・床ずれ)らしき状態になって いるのを発見。さっそくケアマネージャーさんに連絡して、マットレスをエアーマットに変更してもらうお願いをしました。

そして、その日の夕方、さっそくいつもの介護用品業者さんが新しいマットを届けてくれました。

まず、母を寝たままの状態で、マットレスごと床に降ろし、ベッドの上で、エアーマットのセッティング。それが終わると、4人がかりで、シーツごと母をベッドの上にのせました。

小さな山が並んでいるようなエアーマット。ベッドの足元に取り付けたコントローラー(写真)が必要硬さを調節してくれます。山のあちこちが動くので、からだの同じところに力がかからなくなるのです。使い始めて2,3日で、褥瘡部分の黒みが減ってきたのには驚きです。

介護保険が使えるからこそ、体調に合わせたマットレスを気軽に交換して使うことができます。これを購入しようとすると、軽く10万円を越えます。

介護保険の利用料が払えなくて介護が利用できない世帯が多くある、と先日のニュースで言っていました。2年後の介護保険見直しで、保険料が上がることもありそうです。でも、それが介護現場で働く人たちのお給料上昇に直結するのかはあやしいもの。

色んな問題を抱える介護保険。ですが、現在の母の場合は、今必要なものを全て利用できるのですから、何ともありがたい状況です。

自動で高さや角度が変更できるベッド、多量の尿をもらさないおしめなど、今は当たり前のように使っていますが、このような便利なものがなかった時代、寝たきりの人の介護の大変さはいかばかりか、と思います。





2010年11月22日月曜日

「ストーリー」大募集

いつもの散歩道で先日みかけた「しらさぎ」と「ごいさぎ」
三枚目は数日後、同じ川で

みなさん、
この三枚から「ストーリー」を作ってみませんか?
写真使用は順不同です

2010年11月21日日曜日

天声人語 #2

天声人語 2010年11月16日(火)

連勝を続けていた白鵬(はくほう)が九州場所二日目、15日の取り組みで稀勢の里(きせのさと)に破れて、双葉山(ふたばやま)の69連勝に並ぶ夢がついえた「大事件」。翌日16日の朝日新聞の「天声人語」、まずは読んでみてください。

この天声人語、文章の書き方のお手本として、いつも読んでいます。限られた字数の中での、起承転結(きしょうてんけつ)の見事さもあって、どんなにバタバタした朝でも、これだけは読んでいます。

この16日の白鵬の連勝がストップした翌日の文章は、15日の夜にまとめられたはずです。「その時」がいつかくるかもしれないとして、資料を準備していたのでしょうが、著者は朝刊の締め切りに間に合うように書き上げたはずです。

双葉山の負けた日のエピソードに始まって、三年かけて成し遂げた69連勝と、一年でその記録に並ぼうとする連勝中の白鵬の気持ちを書き、負けた後の白鵬へのエールで文章が締めくくられています。「うまい!」と思って、再度音読してしまった私です。

「失意泰然(しついたいぜん)の白星を重ねるなら、ある意味、雲の上の先人を越えることになろう。振り出しに立つ横綱の、きょうの一番に注目する」と結ばれた文章。白鵬はその期待通り、再度白星を並べています。

日本人以上に日本人のこころを理解した横綱と言われるモンゴル出身の白鵬。彼の魅力を改めて教えてくれた天声人語でした。


ちょうど一年前に書いた天声人語のブログです
けやき便り: 天声人語

2010年11月20日土曜日

11月のバラ

もうすぐ霜がやってきます
11月のバラがちょっとこごえながら咲いています





春にいただいた「アンネのバラ」も一つだけ咲いていました
けやき便り: アンネのバラ

2010年11月19日金曜日

Over the Rainbow

雨の気配もないのに、北の空に虹を発見
追いかけていったら、アーチができていました
あの向こうには何があるののでしょうか
天国への入り口でしょうか・・・

2010年11月18日木曜日

多田富雄氏 #2

「寡黙なる巨人」(寡黙:かもく・・口数が少ない)

脳梗塞(のうこうそく)発症後、多田富雄氏が不自由な中でコンピューターを使って書き続けた著作です。突然の脳梗塞、臨死体験、その後のからだのこと、こころのこと、一文字一文字に想いを込めて綴っていかれたものです。

「元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺(ぼうさつ)され、そんなことは忘れていただけだ。発作はその延長線上にあった。

それが死線を越えた今では、生きることに精一杯だ。もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心がある。体は回復しないが、生命は回復しているという思いが私にはある。いや、体だって、生死を彷徨(さまよ)っていたころに比べれば少しはよくなっている。」

歩けない、声が出せない、飲み込めない・・・できないことだらけで死ぬことばかりを考えていた時期があり、それを通り過ぎると・・・

「でもこうして生きながらえると、もう死のことなど思わない。苦しみがすでに日常のものとなっているから、黙ってつき合わざると得ないのだ。時には『ああ、難儀なことよ』と落ち込むことがあるが、そんなことでくよくよしても何の役にもたたないことくらいわかっている。」

冴 (さ)えわたる頭が残り、冷静に自分の今を書きつづった本の前半。後半には折々のエッセイが掲載されています。そこには、頭で考えるだけでなく、感じるこ との大切さ、特に「美」に対する感性の豊かさが記されています。著名な免疫学者としてではなく、能の作者でもあり、美術・音楽全てを人生の友としてきた多 田氏の美意識があふれています。

小さな文庫本の中にこめられた、偉大な人生の先達(せんだつ)のことば。寝る前にゆっくりゆっくり読み進んだ本でした。

2010年4月22日けやき便り: 多田富雄氏

2010年11月17日水曜日

かばんが一杯!


ずらっと並んだサッカーチームのかばん
Chuckの歩く道がなくなった
ジャンプもできない
今日だけだから、いいか・・・・
練習、がんばってね!

2010年11月16日火曜日

プーさん、みっけ

二階の廊下の押入。小さなクリスマスプレゼントを集めて入れている紙袋。そこからプーさんが顔を出しているのを発見。プーさんを引っ張ると・・・はい、雲隠れした携帯が登場でした。

携帯を探し回った前日の夕方、雨の中、街まで買い物に出かけた私です。確かにその時、ズボンのポケットに携帯はありました。来年のデスクカレンダーなど、ア メリカの子ども達にクリスマスに届ける小物を買いました。家に戻って、買ったものをいつもの「紙袋」に入れました。携帯を一緒に入れたことには気がつかず に・・・

その日はBSハイビジョンでショパン生誕200年特集の4時間生番組がありました。普段はテレビを見ない私が母のテレビをリビン グに持ってきて、ピアノの生演奏をずぅぅぅぅっと最後まで見ていました。11時近くになってやっと終了(いつもの就寝時間をとっくに回っていて)、そのま まベッドにバタンキュー。携帯で目覚ましをセットするのを忘れたままに寝てしまいました。

翌日も午前中は携帯を使うことなく、午後になって大騒ぎした次第。押入の中に入った携帯はコードレスで呼び出していた時にも「密(ひそ)やかに」返答していただけで、私には聞こえず。

・・・ということで「けやき便り: 携帯顛末」のブログの通りに新しい携帯が手元に届くことに。

雨の中に落ちているプーさんを想像していました。
電話帳にある番号に迷惑電話がかかったら、とも想像していました。

無事に再登場してくれた携帯、ドコモショップで電話帳のコピーのあと、データを全て消してもらいました。 返却用の封筒に携帯を入れながら、「手元に戻ってきてくれてありがとう」とお礼を言いました。

これからはしっかり確認しながら携帯電話を携帯します。はい、約束します!

2010年11月15日月曜日

チビになりました




20年前、その頃はあちこちにあった空き地はセイタカアワダチソウの天下でした。人間の背丈を超えるような、文字通り「セイタカ」なアワダチソウが群生していました。

今年、目にしたセイタカアワダチソウは、ちっとも「セイタカ」ではありません。私の腰のあたりにも届きません。

20年の時間が流れると、北米原産のこの帰化植物の盛衰(せいすい)がはっきりしてくるのですね。空き地一面にがんばる姿はなく、他の植物と一緒に「それなりに」仲良くやっているようです。

この20年、日本人は「セイタカ」に、そしてセイタカアワダチソウは「チビ」になったようで。

2010年11月14日日曜日

スーチーさん

昨日の夜、ミャンマーのスーチーさんの自宅軟禁の解除の速報がテレビのテロップやCNNのウェブにありました。今朝の朝刊一面には、7年半ぶりに民衆の前に姿を現したスーチーさんの写真。髪には花がかざってありました。

みんなの前に出るまでに、誰かがお花を届けたのかしら、と思っていたのですが、朝日新聞の記事によると、支持者の一人から渡された花束から自分で花を取って後ろ髪にさした、とありました。若い頃の写真に比べ、ほおがこけ、より細くなったスーチーさん。花を髪に飾ったその姿は女性としての華やかさがありました。

ミャンマーの民主化を目指しているスーチーさんにとって、軍事政権との攻防はこれからも激しく続いていくことでしょう。どんな時にも、お花を髪にさす優雅さとともに、彼女は強い信念を持って進んでいくのだと思います。一人の人間として、一人の女性として、目が離せない存在です。

2010年11月13日土曜日

赤と青



雨の夜
信号の赤と青
フロントガラス越しの
街の色が変わります

2010年11月12日金曜日

京都賞



稲盛財団INAMORI FOUNDATIONに よる京都賞。昨日の午後、記念講演会に行ってきました。当初1700名定員で募集した聴講希望者が何と3300人にもなったとか。今回受賞のiPS細胞研 究の山中伸弥(やまなかしんや)京大教授の「人気」だったようです。私に届いた聴講のはがきも「モニター会場」のものでした。

午後1時からの講演会の10分前に山中教授がモニター会場に登場。「今日はご来場ありがとうございます。講演会場に入っていただけなくて申し訳ありません」という挨拶がありました。



超特大のモニター画面での山中教授の講演はiPS細胞の研究に至るまでのお話しでした。今まで何回も講演をしてきたけれど、難しい内容を一般の人が理解できるように話すのが難しい・・・とのこと。京都の写真集を手にして、わかりやすく例をひきながらの講演でした。

1999 年、奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持った時、研究室に入ってくれた2人の大学院生と1人の技術者の大きな顔写真をスクリーンに映し出 した山中教授。「彼らの存在なしでは、現在の研究成果はあり得ませんでした。二人の娘同様、私にとってなくてはならない人たちです。私には妻がおります が、もちろん妻はそのみんなに勝る存在です」などとユーモアを交えたお話しにはグングン引き込まれました。

新設された京都大学のiPS研究所の若いスタッフの写真も、すてきな笑顔が並んでいました。若い人を大事にする山中教授の人柄がうかがえました。


同時受賞の南アフリカ出身のウィリアム・ケントリッジ氏。高いお鼻にはこんな老眼がひっかかるのですね。

京都賞3氏 万雷の拍手(授賞式の新聞記事です)

2010年11月11日木曜日

またいたよ・・・

ねえ、またこんなのがここにいるよ


あのさ・・・あそぶ??


この子、何にも言わないよ!

2010年11月10日水曜日

秋明菊

真っ白な秋明菊(しゅうめいぎく)




大きなけやきと元気なあじさいの陰で、あんまり大きくなれないわが家の秋明菊。今年は早めにけやきとあじさいの葉っぱがなくなったので光を一杯浴びて咲いています。たった数輪ですが、秋の庭の主人公です。

2010年11月9日火曜日

留学生のシューカツ

黒いスーツの「就活ルック」。いつ見ても、何だか妙だなと思う私ですが、横並びが大事な日本社会では、目立ってはいけないのでしょうね。

日本の大学で学ぶ留学生向けの就職セミナーでも、全員がこの「就活ルック」だったので驚いた、と朝日新聞のコラム「窓」にありました。

海外展開のために、優秀な留学生を雇用したい日本の企業は増えています。母国語プラス日本語、そして多くの場合は英語にも堪能な留学生達は、今後の日本企業にとってなくてはならない人材となるはずです。

その留学生達に「どんなに実力があっても、日本企業で働きたければ、日本のビジネスマナーへの理解と共感が不可欠だ」とセミナーの講師が力説したとか。仕事 でトラブルが起きた時は、まず「申し訳ございません」とあやまること、そして、企業面接での討論でも、相手の意見に対してストレートに反対しないこと、な どなど、いかに「日本的」な態度で就活をするか、それを教えていたのだそうです。

それぞれの出身国の文化を持つ留学生は、日本での学びの期間に、ことばだけでなく、日本風な考え方も吸収しています。ですが単に彼らの言語能力や「同化度」を買うのではなく、それぞれの持ち味を生かしてこそ、留学生を採用する意味があるはずです。

「郷に入っては郷に従え」ということわざ。英語でもWhen in Rome, do as the Romans do.と同じ表現があるのですが、せっかくの特色を殺してしまったのでは、留学生自身だけでなく、採用した企業にとってもマイナスなはずです。

「少し態度が違えば“変わり者”として遠ざけてしまう企業文化に日本人が無自覚なままでは、13万余人の留学生を失望させるだけだろう。力量を試されているのは、むしろ日本企業の方ではないか」 コラムストはこう締めくくっています。


「日本語が上手ね」
「いえ、それほどでもありません」

留学生たちは口を揃えてこう答えます。十分「日本的」になっている彼らが、彼らの特徴を生かしながらこれからの仕事で大きく羽ばたいてほしいものです。

2010年11月8日月曜日

みずたまあれこれ

みずたまが大好きです
朝日に輝くみずたまっていいですよ・・・




公園の看板にも
みずたまの中に景色が・・・
(クリックしてみてください)
わが家のポストの上で見つけた「傑作」
けっさくな顔でしょ?


PS: 夕べ、早々にベッドに潜り込んでいたのですが、ふと気がついてラジオのスイッチを入れると、日本シリーズ第七戦、延長12回の裏、まさに勝負がつくところでした。

今回の日本シリーズ、NHKラジオがずっと放送していたこともあって、結構本気で追っかけていました。レギュラーシーズンではやったことないほどに・・・

短期決戦の高揚感、高校野球に通じるものを感じてとっても楽しかったです。ロッテの「和」の勝利。こころが一つになると不可能も可能になるのですね。すごい!

2010年11月7日日曜日

携帯顛末

「携帯端末」(たんまつ)ではなくて「携帯顛末」(てんまつ)
「雲隠れ携帯」のその後です。

昨日、新しい携帯電話が届きました。2008年8月から使っていた携帯と「同機種」との交換が条件の保険です。でも2年前の機種はもう残っていなかったようで、その次のモデルになりました。色も指定通り。

手元にあった長いストラップをつけました。これだけ長いと相当「邪魔」ですから、なくすのが難しいのでは・・・・

Docomoに連絡して「電波中止」としてもらってからも、あちこち心当たりを探していたのですが、現れませんでした。交換するためには、警察に「遺失物」として届けて、「受理番号」が必要でした。

近くの交番に出かけたのが、4日の木曜日。京都国際会館でのAPEC蔵相会議の開催前日でしたから、交番はからっぽ。「パトロールに出ています。ご用の方は、この電話からご連絡ください」とあり、無人の交番から電話すると管轄(かんかつ)の下鴨署につながりました。

結局、電話で用件が終了。帰ろうとしたら、パトカーが交番に戻ってきました。お巡りさんが三人も降りてきて、「どうなさいましたか?」と大声で聞かれ、ちょっとびっくり。

「遺失物の届けに来たのですが、下鴨署に受理していただきました」と返事。
「はい、結構でした」・・・で会話終了。

操作が全く同じですから、携帯が新しくなったとはいっても、あまり戸惑うこともなし。ただ、アドレス帳のバックアップがないから、それがね・・・

ぼちぼち「電話番号」を集めていこうと思います。久しぶりに懐かしい顔を思い出して、「携帯電話の番号教えてください。もしよろしければ一度お電話ください」ってメールを出すのも悪くないかな。そう思っています。

それにしても、どこに雲隠れしたのでしょうね。プーさんのストラップがついた携帯は・・・

2010年11月6日土曜日

兄と弟

庭にあるお兄ちゃんのけやき
玄関先の弟のけやき
今年も剪定(せんてい)終わり

「差別だ!」って弟が怒るかな・・・
でも葉っぱがご近所に飛ぶといけないからね




植木屋さんの請求書にも「兄」と「弟」とありました

2010年11月5日金曜日

秋の葉っぱ


散歩で見つけた桜の葉っぱ

しゃがんで写真を撮ろうとしていたら
ずっと先を歩いていたChuckが気がついて猛ダッシュ
急ブレーキをかけたChuck
葉っぱが裏返しに・・・

撮影の邪魔だってば!!

2010年11月4日木曜日

雲隠れ中

雲隠(くもがくれ)れとは、太陽や月が雲の中に隠れること、姿を消して見えなくなること、行方(ゆくえ)をくらますこと・・・という意味。

私の携帯が雲隠れ中なのです。

月曜日の午後、外出しようとして気がつきました。「アレッ、携帯どこ?」 コードレス電話で携帯を呼び出しながら、家の中をウロウロしたのですが、どこからも受信音が聞こえません。リビング・二階・洗濯機のあたり・母の部屋・ガレージなどなど、一回ならず、何度もウロウロ。でも・・・

夕方、Docomoに連絡して、携帯の利用中断をしてもらいました。「お客様の都合で電波を止めています」というメッセージになるそうです。

受信音で探せなくなったあとも、わが家のあちこちを探したり、日曜日や月曜日の行動を考えて、立ち寄ったところに電話をしたり・・・でも・・・まだ・・・もう・・・

幸い、紛失時の「保険」のような契約をしているので、同機種への乗り換えはできるのですが(もちろん有料ですが)、何ともすっきりしないここ数日です。

ボーッとしていたのかな。気持ちがフラフラしていたのかな。自分でも何をしたのかわかっていないってことは、とても嫌なものですね。

これからは「車掌さん」の真似をしましょう。外出時には、「電気よし。ガスよし。携帯持った。鍵持った。戸締まりした。」などなど声に出してチェックしましょう。これからはもっと「ぼーっと」してしまうことが増えるでしょうから、予防策はしっかりとしかなきゃ!

2010年11月3日水曜日

朝の光に

朝の光を浴びたほととぎすの実
フィルター撮影ではないのに
バックの石がこんなに青くなりました

光の一瞬の変化がなせるわざ
カメラマンの腕にはあらず・・・


PS: “見て、見て!”ブログにももう一枚掲載

2010年11月2日火曜日

公園のふくろう

いつもの公園
以前は大きな木がたくさん生えていた場所
あちこちにでっかい切り株がありますが、
ふくろうがいたとは・・・