2008年7月31日木曜日

盛夏のたんぼ














久しぶりに見た「がんばれ・がんばれ」のたんぼ
もうしっかり稲穂が出ていました

隣の田んぼはまだ出てない・・・
     ほら、また比べてる・・・

2008年7月30日水曜日

イチロー

朝、母のトイレ介助をしているとき、テレビにイチローの3000本安打のテロップが出ました。衛星放送にチャネルを変えると直後のイチローの姿が現れました。

トップバッター、第一打席の第一球の3000本安打です。三塁まで進んだイチローでしたが、ダブルプレーで得点にならず・・・敵地テキサス・レンジャーズの球場はガラガラで、3000本安打を祝うものも何もなく、淡々とゲームは進みました。でもイチローのえも言われない柔らかい顔が印象的でした。

昨日の試合で、彼は安打を一本「損」しているようです。第二打席のゴロが一塁でアウトと判定されているのです。朝日新聞の夕刊記事はこのように続きます・・・

「えっ」という顔をしてみせたイチローは、それでも抗議をせずにベンチへ下がった。だが、腹の中は煮えくりかえっていたようだ。「微妙じゃないでしょ、あれは。セーフやん」。一塁の塁審にはかつて、何度も微妙なタイミングを「アウト」と判定され、顔を覚えていたという。抗議しなかった理由について「こいつだったんか、と思ったので」。きつい言い方で本音をもらした。

人が審判する競技には「きわどい判定」はつきものです。車いすフェンシングの試合の中でも、どれだけ「そりゃないよ!」と大声を上げたことか。でも判定は判定、審判は一旦下した判定をくつがえすことはありません。

イチローもそれを知っているから、抗議をするという無駄なエネルギーを使わなかったのでしょう。そして今日の第一打席の第一球をねらっていたのでしょう、きっと。

イチローのような人でも「熱く」なって自分の心をさらけ出すこともあると知って、ちょっと安心しました。でも同時に、彼の持つ冷静さを改めて感じます。一旦判定されたことは、Is that so?(あっ、そうなの)として、次に進む。下された判定にとらわれることなく、自分のやるべきことをしっかりやる。

やっぱりすごいですね、イチローって。

2008年7月29日火曜日

立ち位置

20年以上前のことです。ボランティア協会の講習で「老人ホーム」の実習がありました。お風呂の介助でした。実習仲間は全員半ズボンにティーシャツ姿になって、お年寄りの入浴を手伝いました。

仲間の一人に、仕事を息子さんに譲って悠々自適の男性がいました。仕事から離れてしばらくたっているとおっしゃっていましたが、ゆったりした旦那さんの雰囲気のある方でした。

次から次にお年寄りが浴室に入ってきます。一人ずつ背中を流し、身体を洗って、湯船に入ってもらいます。足元のおぼつかない人、何を言ってもまともに動いてくれない人、湯船から出てくれない人。大浴場は混雑の極みでした。

その中で、「旦那さん」は一人のお年寄りの背中を一生懸命洗っていました。他の人よりずっと時間をかけて洗っていました。

実習終了後の反省会で、「旦那さん」が言いました。「今日、私の人生が変わりました。知らないお年寄りの背中を流していて、涙が止まりませんでした。親父のことを思い出していたのです。こんな風に背中を洗ってやりたかった・・・そう思うと辛くて辛くて・・・これからは元気でいる限り、お年寄りたちのお役にたつことをやっていきます。」

気楽なご隠居さんでいられたはずの方が、ボランティアの講習会を受けようと思いたち、その中で自分がやるべきことを見つけたとおっしゃたのです。自分の立っている場所、「立ち位置」が変わったのです。

あの講習以降、「旦那さん」にはお目にかかっていません。あれからも「お父さんの背中」を見つけて励んでいらっしゃったんだろうな、そう思います。

2008年7月28日月曜日

雑草 その3

「雑草はどうしてドンドン増えるのですか?」

NHKラジオの「夏休み こども科学電話相談」に届いた質問でした。

雑草はとても種類が多く、それぞれに繁殖力が強い。三ヶ月で花を咲かせて種を飛ばす西洋タンポポは半年で100万倍に増えることが可能。これは100円が1億円になるようなもの・・・・という説明がおもしろく、しばらく耳をそばだてていました。

雑草の種は土の中でじっとしているものも多く、光があれば発芽できるのだそうです。地面をきれいにならしたあと、しばらくすると雑草が出て来るのは、そんな種が発芽するからとのこと。

その道の専門家の回答者が、こどもが理解できる言葉を探しながら説明に四苦八苦しているのがわかります。「わかる?」と回答者が尋ねると、ほとんどのこどもたちが「うん」とか「はい」と答えています。

本当にわかってる???

2008年7月27日日曜日

フェンシングスタジオ


6畳の広さがあれば練習できる車いすフェンシング

車いすを「ピスト」に固定して競技します

京都の合宿会場は小松監督のフォトスタジオ

今しばらく「小松フェンシングスタジオ」に変身中

2008年7月25日金曜日

思い違い

小さい時に歌った「しゃぼん玉」の歌。
もう一度よく歌詞を見てください。
シャボン玉がふわふわと屋根に飛んでいきますよね。

「しゃぼん玉、屋根まで飛んで歌う孫」という川柳を聞いて、最初は????
つまり、屋根が「ぶっとんで」しまったと歌っているのだそうです。
爆破事件が多い最近の世相の反映でしょうか?


「赤とんぼ」の中のフレーズ「おわれてみたのは・・・」

「負われて」が正解ですが、「追われて」だとずっと思っている人も・・・
あなたはどちらでしたか?

2008年7月23日水曜日

父の言葉

私の父は1985年、73歳で亡くなりました。若い頃から病弱で、生涯病気とともに生きた人でした。結核の療養生活を含めて、病院とのご縁は一生切れることはありませんでした。

私が生まれた時も、結核の療養所にいて、私を初めて見たのも、私が1歳を過ぎてからだったと聞いています。そのせいか、父は私を小さい時から「おとな扱い」して会話するのでした。「父親ってこんな話を娘にするのかしら・・・」と幼心にも感じていた私でした。

そんな父が、私が最初の妊娠をした時、とてもおもしろい話をしてくれました。

「僕は男だから赤ん坊を産むということに関しては本当はわからないけれどね・・・もし出産がとんでもなく大変なことだったら、人類はずっと昔に滅亡していたと思うよ。」

何とも不思議なコメントです。でも何となく不安になっていた私の心がとてもほっこりしたことを覚えています。「そうなんだ。今まで女性が普通に通り過ぎてきたことだから、私も大丈夫なんだ」 そんな気持ちになりました。

この言葉のおかげか、私は二度の妊娠出産を全く「普通」に・・・と言うより、軽々と(?)通り過ぎました。元気過ぎて、検診の時にしかられたほどです。

人は自分の大変だった体験をことさら誇張して話すことがあります。「産みの苦しみは障子の桟(さん)が見えなくなる」と昔の日本では言われていたようです。現在はほとんどが病院での出産で、かつ障子のある家も減っていますから、この言葉はもう死語になっているのですが、とにかく「痛い・しんどい・大変」を強調した言い伝えのような気がします。

「大丈夫なんだよ。心配しすぎなくていいんだよ」 私はいつも「後輩」たちにそう言っています。「気をつけて、でも大丈夫だからね」

心配の「種」は蒔かないように。励ましの言葉は一杯振りまいて・・・これは父から教えてもらったことのようです。

2008年7月22日火曜日

暑気払い













暑気払い:夏の暑さを払いのけること。暑さよけのための方法を講じること。

連日気温が35度(95度F)を越す京都です。暑い暑いと言っても涼しくなるわけじゃなし。母がデイサービスに出かける合間を使って、鞍馬山に登ってきました!

エスコートはFung Ying Kiさん。彼は障害者スポーツの元選手ですが、ビールスによる下半身マヒが、奇跡的に回復し、今は全くの健常者です。山登りも問題ありません。鞍馬寺までのケーブルカーにも乗らず、奥の院から貴船への道を歩きました。

とにかく暑かったです。本来なら冷気(霊気)を感じるはずの鞍馬山が、全く涼しくありませんでした。夏休みで、静かなはずのお山の中も
結構人がウロウロ。

これでもかこれでもか・・・と汗が出ました。これも暑気払いの一つですね。足のだるさは残りましたが・・・

2008年7月21日月曜日

認認介護

認知症の人が認知症の人を介護すること、それが「認認介護」。程度の差はあれ、高齢の夫婦がそれぞれに認知症を発症した状態で二人だけで生活していると、確かに認認介護となります。老人が老人を介護する「老老介護」という言葉がありましたが、これからはこの「認認介護」がより増えると予想されているとのこと。

2005年の全国の認知症高齢者の人数は約205万人。それが2035年には2,2倍にあたる、約445万人を越えるという推計を目にしました。認知症に関する診断技術が向上したこともあって、認知症と数えられる人がドンドン増えていくという数字です。

認知症にならないためのトレーニングや食生活など、このところ、そんな文章をよく見かけます。それだけ認知症への関心が高まっている、つまり問題化しているということなのでしょうね。

人の一生はちゃんと意味あってのものですから、認知症を発症することも意味があるのだ、そう思います。ですが、日々認知症の母を見ていると、いかに心静かに・・・・と思っていても、心の中に大風が吹くことがあります。ただ、母を通して、色々なことを考えるようになったのも事実です。

やみくもに「認知症になったらどうしよう」と恐れることはなく、自分らしく年を取る上手な方法を考えていきたいと思います。人様のお役に立つおばあちゃん、そんな存在になれればいいな・・・

2008年7月20日日曜日

けやきの散髪



ぼさぼさ頭になったけやきの散髪

涼しげになりました

空はすっかり夏本番

夕立が恋しい今日この頃

2008年7月19日土曜日

民族の食

昔の日本人が食べていたものはもちろん日本食。地産地消型と言われ、私の小さい頃、近所の農家の方が新鮮な野菜を売りに来ていた記憶があります。

「民族の食」という言葉について、こんな記事がありました。

「民族の食」を考える時、長い間食べ続けてきたものを急速に変えると、それまでに日本人に伝わってきた遺伝子まで影響を受け、身体の対応が難しくなるといわれる。小さい時から、無理のない日本食を習慣づけることが今こそ大切だ。

アレルギー、花粉症などなど現代の日本人が抱えるトラブルの多くが、食生活の変化に原因があるようです。メタボなんて現象が日本人に出てきたのも、根っこは同じなのでしょうね。

日本を離れると日本食の良さが実感できます。海外から帰った日は必ず白いごはんとおみそ汁。これは私の定番です。アメリカに住んでいる我が家の子ども達も、日本に帰ってくると、日本食を食べあさります。海外生活がどれだけ長くなっても、彼らの胃袋にやさしいのは、やはり日本食。

胃袋といえば、彼らの胃腸薬も「絶対」日本のもの。クリスマスプレゼントの中に毎年入れて送っています。息子のお嫁さんはアメリカ人ですが、彼女のプレゼントにもお気に入りの日本の胃腸薬を加えます。アメリカ人の胃腸にも日本の薬はやさしいのでしょうか。

身体にいいことしてますか・・・というコピーがありました。身体が喜ぶ食生活を心がけたいものですね。

2008年7月18日金曜日

ふしぐろせんのう













                        
 「節黒仙翁」
私の大好きな花
私の大好きな花の一つ
One of my favorite flowers

20年以上前、初めて蓼科(たてしな)で見たとき
深い緑の森にオレンジの光が射していました

我が家の庭に植えてもう数年
今年は一杯咲きました

PS:7月31日の「今日の花」がふしぐろせんのうでした
花言葉は「転機」とのこと
朝の5時前にラジオで聞いた情報です

2008年7月17日木曜日

芥川賞

1998年6月の天安門事件の時、「ファックス使わせてください」と中国人留学生が我が家に飛び込んできました。「安心して情報が受けられる場所」として彼は我が家のファックス番号を中国の知人に知らせたようです。

中国の民主化運動が何であるのか、ほとんど知識のなかった私ですが、いつもの笑顔がないその留学生の表情から、事態の深刻さを感じていました。数日間「銭湯に行く時間もなかった」汗くさい彼は、我が家でシャワーを浴びてから、また飛び出して行きました。

この天安門事件を題材にした小説「時が滲(にじ)む朝」が芥川賞を受賞。作者が日本語を母語としない中国出身の人であることが話題になっています。22歳で日本に来た楊逸(ヤンイー)さんはそれから日本語を学び、44歳で芥川賞を受賞。「たった」22年間しか日本語を使っていない人が最高の文学賞を受賞したわけです。

幼い時から触れているからこそわかる言語のニュアンス。おとなになってから外国語を学んだ人には、その部分は欠けているかもしれません。ですが、だからこそ、自分の母語による言語経験がその外国語を新しい形で生かしていけるのかもしれません。

「日本語に新たな息吹(いぶき)」と新聞にありました。どんな文章がつづられているのか、とても楽しみです。

2008年7月16日水曜日

ぼやき川柳

NHKラジオ毎週土曜日午後の「かんさい土曜ほっとタイム」
大阪放送局発の番組らしく、肩のこらない番組です
3時からの「ぼやき川柳」
「元気」という題がでていた日
クスッと笑ってメモしたものをいくつか・・・

     元気さえ あればあの世も 生きられる

     医者二軒 はしごができる まだ元気

     あの世でも 元気でいろと 弔辞読む

2008年7月14日月曜日

金メダル


アテネパラリンピック、車いすフェンシング、フルーレで優勝した香港のFung Ying Kiさんの金メダルです。彼は2000年シドニーでも同種目で優勝しています。二大会連続の金メダリストです。

どれだけ多くの車いすフェンサーがこのメダルを目指していることか。ワールドカップや世界選手権を転戦してランキングポイントを稼いでも、4年に一度のパラリンピック、フルーレ種目に出場できる男子選手はたったの24人。その中でただ一人、全ての試合に勝った一人が手にできるのがこの金メダル。

Fung Ying Kiさんは目下日本に滞在しています。選手活動を終了した彼は、この夏の久川選手の「特訓係」を自ら買ってでてくれました。大の日本好きで、二年前の夏にも京都に来て語学学校に通いました。今後大学院の博士課程を日本の大学で、と考えています。日本チームとのおつき合いも丸10年。

10代半ばから始めた彼の車いすフェンシングの経歴も一冊の本にできるほど。彼自身の貴重な経験をこれからどんな方面で生かしていくのか、日本の友人たちはそれをとても楽しみにしています。

2008年7月13日日曜日

コラージュパズル

去年の花壇に咲いた花
名前は・・・忘れてしまいました
コラージュに挑戦

9つ並んでいますが、同じものがあります
さて、どれとどれでしょうか?

2008年7月12日土曜日

松選び

祇園祭の山鉾の中で、名前は「山」なのに、鉾と同じように、囃子方(はやしかた)が乗り込んで巡行するのが、「北観音山」と「南観音山」。どちらの屋根の上にも大きな松がそびえています。

毎年、10メートルを越す立派な松を二つ用意するのは大変なこと。ある時期は滋賀県の山から切り出していたようですが、やはり祇園祭の松は京都から・・・ということで、最近は右京区の山から切り出すとか。

骨組みが出来上がった「山」を横に寝かし、そこに松を差し入れてから、「よいしょ」と引っ張り起こすと、空を突き抜けんばかりの松が頭上に立ち上がるという次第。この「真松」を江戸時代から毎年届けている造園業者さんがいるとのこと。

1000年を越す伝統が綿々と守られ、同時に時代に即した工夫をこらす祇園祭。今年は提灯(ちょうちん)の電球が全て「電球型蛍光灯」に変わったと新聞記事にありました。留学生の引き手が登場したのも随分以前のことでした。

7月丸一ヶ月を祇園祭に明け暮れるたくさんの人たち。そのエネルギーが見る人全てに伝わり、今年も京都の夏はにぎわうのです。


北観音山のHPです。山を建てる準備から片づけまで、独特のお囃子の音声、写真も満載です。

2008年7月10日木曜日

北京パラリンピック

北京オリンピックの開会式は8月8日。そしてパラリンピックの開会式は9月6日。

車いすフェンシング競技に今回も久川豊昌選手が出場します。2000年のシドニー、2004年のアテネに続いて三回目のパラリンピック出場です。

体育会系ではなかった私が車いすフェンシングの活動に関わり、海外遠征のアテンドをしているうちに、アテネのパラリンピックでは何と日本チームのユニフォームを着ることになったのですから、自分でも不思議な気がします。

障害者スポーツを肌で感じ(私自身、剣を持って試合をしていた頃もありました)、海外選手との交流を深め、普通の観光旅行ではまず行かないヨーロッパの都市での大会に参加してきた、この10年でした。

ここしばらく、報道関係者から取材や問い合わせの電話を受けることが多くなり、今回も「その気」になってきたところです。小松監督と私は「留守番」ですが、これからが北京に向けてのトレーニングの本番です。

華やかなオリンピックに比べるとパラリンピックはちょっと目立たない存在です。でもそこに繰り広げられる競技は健常者のものと全く遜色はありません。多くのドラマが今回も生まれることでしょう。

さて、あと2ヶ月。今年も暑い夏になりそうです。

一度日本車いすフェンシング協会のホームページをのぞいてみてください。

2008年7月9日水曜日

まだできる

「まだ」できないことを手助けするのが「育児」
「もう」できないことを手助けするのが「介護」

でも「もうできない」と思うことはやめました

「まだできる」と思うことにしました

まだ一人で食事ができます
まだ歩いてトイレに行けます

「まだできる」ことを確認するのが、今の私の仕事
母のため・・・というより私自身のために・・・

2008年7月7日月曜日

7月のたんぼ














「がんばれ・がんばれ」のたんぼもしっかり大きくなっています

でも何だか、隣のたんぼの方が緑が濃い!

違う品種かもしれません
比べることはないのです

でもなぜでしょうね、やっぱり「あっち」の稲は大きい!

2008年7月6日日曜日

サービス担当者会議

要介護3の母の介護プラン全般に目を配ってくださるのが、ケアマネージャーさん。そのケアマネージャーさんが半年に一度、母が利用しているサービスに関わっている方々全てに声をかけて「サービス担当者会議」を開いてくださいます。

訪問看護師さん、ヘルパー派遣担当者さん、デイサービス・デイケアの担当者さん、福祉用具提供業者さん。総勢10人近くになる会議です。一人の介護保険受給者に関して、これだけの人たちが集まり、それぞれ母の様子を報告してくださったり、私からの希望を聞いてくださったりの約一時間。

現在の母にとって、何が一番いいのか、プロの方々と直接お話しできるのは、とても勉強になります。そして母だけではなく、介護者の私に対しても、どうすれば負担が軽くなるかを考えてくださるのです。

現在の介護保険そのものも色々問題はあると思います。今後介護を必要とする人数が増加していくと、変えていかなくてはならないことも沢山でてくることでしょう。幸いなことに今の母の生活は介護関係者の方々の努力によって、しっかり支えられています。

気楽に何でも相談できるケアマネージャーさんとの出会いからこのネットワークが生まれてきました。すてきなご縁に感謝です。

2008年7月5日土曜日

いち・に・さん・し

「おなかに赤ちゃんのいる人のことは何というの?」
「妊婦(ニンプ)さん」
「赤ちゃんを産んだ人のことは?」
「産婦(サンプ)さん」
「じゃあ、その次はヨンプサンになるのね・・・」


「今日は山菜ごはんにしようね」
「4歳だけれど、食べてもいいの?」


こどもたちのコメントです

日本語の同音異義語、こんな楽しい会話が生まれます

でも、通訳を使っている時には決して話してくださいますな・・・
一瞬頭の中が真っ白になってしまうのですから


2008年7月4日金曜日

私の写真


子育ての頃から写真を写すのは私でした
ファインダーの中に一瞬を閉じこめることが好きでした

ずっと「バカちょん」カメラばかりを使っています
写真教室のアシスタントもするのに・・・

この写真は2000年にスペインの北部の街、オビエドに行った時のもの
しぼりは・・・シャッタースピードは・・・と考えることなく写しています

コンピューターで画像の加工がどうにでもなる現在の技術
だからこそ、その時のそのままが写っているととても嬉しくなります

2008年7月3日木曜日

ほっこりエピソード

ネコの郵便屋さん、2家族結ぶ 熊本・天草

このところ新聞紙面で「ほっとする記事」をよく目にします。

先日見つけた「ちゃぶだいひっくり返し」や「さくらんぼの種飛ばし」のコンテスト、ルーマニアの警察官が交通整理の動作を優雅にするために、バレエの特訓を受けた話など、なんとなく心が温かくなる記事を見つけると嬉しくなります。

事件や事故、政治・経済・国際情勢の報道も大切ですが、もっともっと楽しい記事、明るい記事が増えてこないかな、そう思います。

新聞一面が全て楽しい記事に埋まっている、そんな紙面ができないものでしょうか?

PS:今日のブログをアップした後に読んだ夕刊に「第九回全日本かくれんぼ大会」の記事がありました。兵庫県の湯村温泉の街中で700人もの参加者が「もういいかい」「まあだだよ」とやったとか。これまた楽しい記事でした。

2008年7月2日水曜日

デイケアとデイサービス

現在母は週に二回、二つの施設に「「お出かけ」しています。土曜日に出かける「デイケア」は、若い男性職員も多い、元気のあるにぎやかな施設です。入浴、リハビリ、レクリエーションなどプログラムも多彩です。一方、火曜日 に出かけるところは、多くても10人ぐらいが集う、一般のお宅を改装した「デイサービス」です。ゆったりと女性ヘルパーさんたちが対応してくださいます。

「デイケア」と「デイサービス」、この分類は・・・と言うと、はっきりと分かれてはいない、というのが正解のようです。事業本体が病院系なのか、福祉施設系なのかによって分かれるという説もあるようですが、これとて、はっきりした区分にはなっていないようです。

介護ビジネスが拡大してきたのは、そんなに古いことではありません。昔からヘルパーさんの派遣業はありましたが、現在のように大々的に「ビジネス」として色んな企業が参入してきたのは、2000年4月の介護保険導入以降のことです。その中で多くの業者が乱立し、淘汰されてきているのも事実です。そして介護保険そのものもドンドン内容が変わり、ケアマネージャーさんたちもその変化への対応に四苦八苦だと聞いています。

そんな中で、「デイケア」と「デイサービス」の用語ははっきり区別されないままに使われている、それが現状のようです。

去年の夏頃、母に出かける機会を作ろうとした時、地域包括支援センターの方から頂いたアドバイスは「色んな施設を見学してください。それぞれ違った雰囲気ですから、本人が気に入る場所を探すのが一番大切です」ということでした。

最初に見学したところにお世話になってかれこれ10ヶ月。そしてこじんまりしたデイサービスに通い出して1ヶ月。93歳で、色んな状況に対応できる母は大したものです。

昨日、母を迎えに行った時、「今日は車いすでショッピングセンターにみなさんと出かけました」と報告を受けた私はただただびっくり。在宅の日はほとんどじっとして、何もしない母がショッピングセンターに出かけた!!

家族ではできない「刺激」を受けながら、母の週2回の「お出かけ」が続きます。

2008年7月1日火曜日

祇園祭

7月の声を聞くと京都は祇園祭です。17日の山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)、その前日の宵山(よいやま)が有名ですが、7月一ヶ月間多くの行事が続きます。

国内外の観光客が訪れるこのお祭り、京都在住の私たちも知らないことが山ほどあります。長い歴史と伝統を持つ日本三大祭りの一つの祇園祭、今年も何か新しいことを発見しようと思っています。

詳細は京都新聞のウェブで・・・祇園祭 特集