2009年2月28日土曜日

シニアスキー

2001年2月、何年ぶりかで新しいスキーとスキー靴を手に入れました。スポーツ用品店の店内は短いカービングスキーが主流となっていまし た。スキーの両端が太くなっていて、先端と末部の違いがないのがカービングスキー。どうもその形に馴染めなくて、すみっこに数本展示してあった、旧モデル を買った私です。

ほぼ10年ぶりに、雪の上に立ち、すっと滑った時、「私ってこんなにスキーが上手だったかしら!」と感心したのをおぼ えています。恐ろしいほどのうぬぼれですよね。でも本当にそう感じたのです。少しバランスを変えることで、短いスキーはスイスイ回転していくのです。勝手 に滑ってくれるのです。

「膝曲げて!足首曲げて!谷側に重心を移して・・・」などなど、コーチの大声を聞きながら練習したこと、今となれ ば、何とも懐かしい思い出。現在、スノーボード全盛であっても、ちらほら滑っている新人スキーヤーは、腰のあたりを「ひょい」と動かしてスキーを操作して います。ちょっと危なっかしいのですが、それでもちゃんと滑っているのです。「きれいに滑る」なんてこと、全く気にしていませんが・・・

「還暦過ぎたらスキーデビューを」と呼びかける平沢文雄さん(74)。「シニアのためのベストスキーテキスト」を出版なさったとの新聞記事を見ました。長年ス キーを教えてきた平沢さん、「80歳ごろまで上達を実感できるまれなスポーツ。大自然の中に飛び出し、斜面を克服することで自信が生まれ、生活に張りも出 る」とおっしゃっています。

シニアがスキーを簡単に楽しめるのも、カービングスキーの威力は大きいようです。「無理せず、がんばらず、早 く楽しめるようになった」のだそうです。「スキーは斜面を滑るので、体力が低下しても問題はない。斜面の変化を読み取り、天候などの状況に応じた瞬時の判 断力も身に付く」と、スキーの効用はあれこれ。

カービングスキーでなくても、新素材のスキーに乗って感激した私です。用具を使うスポーツ は、技術の進歩が体力の低下を補ってくれて、年を取っても楽しむことができるようです。

団塊の世代のスキーヤーがこれからもドンドン増えはず。今後スキーを長く楽しむためにも、雪はしっかり降ってくれないと・・・地球温暖化は何としても防がねば!

2009年2月27日金曜日

今日のタイトルは漢字一文字で「涙」
ストレス解消法について、ラジオからの耳学問

涙を流すと、体の緊張をほぐす副交感神経が活性化される
共感の涙は、短時間に効率よくストレスが解消できる
他の動物にはない、人間だけに備わったストレス解消の方法

「年を取ると涙もろくなって・・・」
これはどうやら、とてもいいストレス解消法を身につけたということ

「おくりびと」で一杯涙を流してスッキリした私

2009年2月26日木曜日

おひな様

毎年2月になると「そうそう・・・おひな様を出さなきゃ」と思います。親王(しんのう)飾りだけですから、飾るのは簡単です。

何も考えずに「男びな」(おびな)は左、「女びな」(めびな)は右に飾る私です。私が小さかった時、母が毎年作ってくれた大きな段飾りでも、左が男性、右が女性でした。

先日の京都新聞に、おひな様 男女の位置は?という記事がありました。京都の飾り方は我が家とは反対で、男びなが右、女びなが左とのこと。大正以前ではこの形で全国同じように飾られていたようです。

昭和天皇が即位の礼(1928年)で、向かって左側に立たれたことから、東京の人形店業界が、これにならって人形の位置を置き換え、そこから全国に広まったようです。

東京育ちの祖母(母の母)と暮らした私です。話しことばをはじめとして、何かと京都風ではない生活でしたが、おひな様もその一つのようです。

ちょっと男びなと女びなの位置を変えてみました。やっぱり落ち着きませんね。

我が家の親王さまたちも、「何だかおかしいみたい」と感じていらっしゃることと思います。娘が生まれた翌年からもう30年以上、お二人の立ち位置は変わっていないのですもの。

2009年2月25日水曜日

浜辺の歌

デイケアのプログラムの最後はみんなで歌を歌います
いつもほとんど興味を示さない母が歌っていました
文語体の古い歌詞
昔にタイムスリップしたのでしょうか

「口が動いていますよね」とヘルパーさんも嬉しそう

連絡帳に「みんなが読めなかった俳句を読んでくださいました」とありました

母の中に眠っている何かが少し顔を出すデイケアのひととき
週に2回、ありがたい刺激を受けている母です



「浜辺の歌」

1.あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞ 忍(しの)ばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  寄する波も 貝の色も


2.ゆうべ浜辺(はまべ)を もとおれば
  昔の人お 忍ばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も 星の影も

3.はやちたちまち 波を吹き 
  赤裳(あかも)のすそぞ ぬれもせじ 
  やみし我はすでにいえて 
  浜辺の真砂(まさご) まなごいまは
  
  

2009年2月24日火曜日

おくりびと #2

アカデミー外国語映画賞受賞の記事が昨日の夕刊に大きく掲載されました。午後1時過ぎの受賞発表が、当日の夕刊一面トップの記事として締め切りに間に合うのですから、コンピューター化された最近の誌面作りはすごい、と感心したり・・・

改めてこの映画が生まれたエピソードを誌面で読みました。主演の本木雅弘さん個人の経験が発端(ほったん)だったようです。

20代後半に訪れたインド。そこで体験した生と死が隣り合う死生観。「納棺夫日記」などを通して知った「納棺」の世界。それを「神秘的かつ映画的」と感じた彼が、映画化の構想を長く温めていたとか。

映画作りへの純粋な気持ちが見事に花咲き、実を結び、世界に通用する作品に仕上がったのですね。

この映画への本木雅弘さんの想いをつづったウェブを見つけました。本木雅弘

日本人の生活の中に、以前は自然に存在していたはずの「死」が、隠すべきものとして忌(い)み嫌われ、人々が目をそらすようになってしまった現代。全ての人 にとって100パーセント平等なものとして訪れる死。そこに至るまでの「生」をどう生きるのか。静かな映像の中から、それを問いかけた「おくりびと」。

私達みんなへの贈り物のような気がします。

2009年2月23日月曜日

取った、取った!!

やりましたね「おくりびと」!

アカデミー外国語映画賞受賞の第一報を聞きました

みなさん、ぜひ映画をみてくださいね!!

映画館は混むでしょうが・・・・


PS:受賞作品リストの名前は「Departures」でした。新しい出発でしょうか。

新たな戦後?

「100年に一度の経済危機」という表現も、あまり言い続けられると、何だかその深刻さを感じなくなってしまうような今日このごろ。「じゃあどうする の?」と聞いてみたくても、政治のやりとりは遅々(ちち)として何も進まず。色んな情報をインプットすればするほど、何が何やらわからなくなるよう な・・・

私の耳学問の源泉、NHKラジオのビジネス展望で、経済アナリスト藤原直哉氏の「輸出が止まった日本経済のゆくえ」というコメントを聞きました。

今 までの常識が通じなくなってきた現在の状況は、ある意味では終戦直後と同じなのだという解説でした。社会秩序の崩壊、海外市場の消滅は、戦後の混乱期と似 ているというのです。この現状を打破するには、輸出主導型の成長モデルから内需主導型の成長モデルへの転換が必要。そのためにも強い政治力で、経済の根本的な建て直しがなくてはならない、と藤原氏は主張します。

これからも予想しなかったような変化が起こってくることでしょう。そしてその中で、私達一人一人にも自分のライフスタイルの変革が求められているはずです。不安定な世の中で、自分がいかに生きていくか、よりしっかり考える時期が来ているのですね。

「あーー大変・大変!」と騒ぐだけでなく、自分のできることをまず地道にやっていくのが大切なのでしょう。不安定だからこそ、自分を信じて、前向きな努力が必要になってくるはずです。

で も今までのように「それ行け!ドン・ドン!!」で「経済の成長こそが目的」というだけの社会ではなく、ちゃんと心の余裕が持てる生き方を見つけられればな、と思います。

全速力で走っていたのでは見えないものが、ゆっくり歩くと見えてくる。自分にとって必要な何かが見えてくる。時にはゆっくり深呼吸をしながら、寄り道しながら・・・

2009年2月22日日曜日

パイプオルガン

土曜日の午後、京都コンサートホールのパイプオルガンコンサートにフラッと出かけました。こんなことも母がショートステイにお世話になっていればこそ。

1995年にオープンした、京都コンサートホール。パイプ総数7155本の豪華なパイプオルガンはオムロンの寄贈によるもの。シリーズとなっているパイプオルガンのコンサートもオムロンがスポンサーとなっているので、入場料は1000円。1833席ある大ホールは七分(しちぶ)ほどの入り。三階席前列真ん中に陣取った私です。

バッハのフーガでスタートしたプログラム、後半にはプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」のバレエ組曲があったりして、色んな趣(おもむき)の曲を通して、パイプオルガンの壮大な音色(ねいろ)を堪能(たんのう)できました。

そして、私が何より感心したこと、それは演奏者の「足技」(あしわざ)でした。京都コンサートホールのパイプオルガンのペダル鍵盤は31.全曲で、両手+足での演奏が続きました。

ピアノを弾かない人がよくする質問:「両手でよく違うことがよくできますね」

確かに、右手と左手は全く違うことをするのが鍵盤楽器の演奏。ピアノでもペダルを踏みますが、ペダルの数は多くても3本。常時使用するのは右ペダルだけ。

ピアノを弾く私からすると、このパイプオルガンの演奏は両手両足を使う、神業(かみわざ)を持つ方だけが許されるものと見えました。両足での早いパッセージも聞こえてきます。音質を微妙に変えられるパイプオルガンでは、同時に3種類の音色(もっと複雑に聞こえますが・・・)が一つの楽器から聞こえてくるのです。その演奏をこなす奏者はやはりすごい!

優雅なドレス姿での演奏はまず無理ですね。ハイヒールもだめでしょうね。昨日の演奏者、廣江理枝(ひろえりえ)さんは、ゆったりしたパンツ姿。全身を使っての演奏はこれ、体力勝負。いすに座った状態で、両足を左右に素早く動かすことなど、普段の私たちの生活では考えられない「荒行」(あらぎょう)です。

もう一つ昨日のコンサートで発見したこと。「譜めくり役」が、これまた大変な仕事。単に楽譜のページをめくるだけでなく、時には音質の変更を手伝い、時には足ペダルの場所でも何かやっているようにも見えました。ピアノに比べて譜面台までの距離が遠いこともあり、この「譜めくり役」の方、イスに座ることはほとんどなく、ほぼ立ちっぱなし。

目を閉じていると、荘厳、かつ優雅な音色が聞こえてくるのですが、この演奏を可能にするのは、「神業」に近づくための猛練習あってこそ。やっぱり生(なま)の音楽はすてきです。

2009年2月21日土曜日

血統書

Chuckの血統書が届きました
両親・祖父母・曾祖父母までの名前が並びます

毛色は黒・白・クリーム・シルバー・ブルーあれこれ
そしてChuckは「シルバー」となっています!
グレーのプードルになるかな、楽しみ!!






カットをしたChuck
本名はMillfeeze JP Raindrop君







カット前のChuck
血統書、ついてるの?
本当??




プードルの大変身
楽しんでます

2009年2月20日金曜日

サラリーマン川柳

毎年この時期に新聞記事になるサラリーマン川柳
初めてウェブをのぞいてみました。

22回目となる今年の応募総数は21455句。
今年のベスト10を選ぶ投票を受付中です。

投票対象となる100句を読んでみました。
そして私が投票したのは
「妻が聞く ウソの単位は バレルなの」

みなさんも投票なさってはいかがですか?
クスッと笑える川柳に出会えますよ。

過去の優秀作品も、その「時勢」を反映したものがあれこれ。
「さら川グリッシュ」(サラセングリッシュ)では川柳の英訳も。

ホロッとしたり、納得したり、感心したり。
五七七の文字の中に色んな想いが詰まっています。

2009年2月19日木曜日

おくりびと

納棺夫日記に感激した私。映画「おくりびと」を見てきました。

今週は母がショートステイ、水曜日はレディースデイで料金が1000円。これはチャンスというわけで、昨日の午後出かけました。

開演15分前に映画館に到着したのですが、目を疑うほどの長蛇(ちょうだ)の列。シネマコンプレックスは同時に何本もの映画を上映しますから、午後一番の上映時間が重なる1時過ぎ、それも水曜日は大混雑になるようです。

テレビをほとんど見ない私。ビデオもDVDもまず見ません。映画も年に一回見るかな・・・そんな私ですから、日本のシネマコンプレックスに行くのも初体験。

「当たり」でしたね、「おくりびと」は・・・

原作とは違う感激がありました。場内のあちこちで、静かなすすり泣きが聞こえます。そしてその合間には、クスッと笑う声も。重いテーマの「死」を扱う映画ですが、人間の生き様が見事に描かれています。ストーリーの流れ、映像の美しさ、そして演技の確かさなどの集大成なのでしょうね。週明けのアカデミー賞発表が待たれます。

映画の中で心に残ったことば:
「おくりびと」「おくられびと」
  私達は大切な人を人生のどこかで送っていきます。
  そして必ず自分自身がいつか「おくられびと」となります。
  みんな同じなのです。時が違うだけなのです。

「死は旅立ちの門」
  行ってらっしゃい、と送り出す門、それが死。
  決してそこで全てが終わっているのではなく、
  その先もずっと続く道にある一つの門。

納棺夫としての「所作」(しょさ)が美しいことにも感激でした。あのスムーズな動きを身につけるには、大変な練習があったことでしょう。心を込めて死者の旅立ちの用意をする、それが自然に伝わる素晴らしい演技でした。

そして、素晴らしいと言えば、「死体役」の役者さんたち。映画は編集が可能ですから、少しぐらいは「生きて」いる様子が見えてもいいのかもしれませんが、やはり「息を殺して」そのまま横たわるのはさぞかし辛いことだったはず。

映画のオフィシャルサイトを読んでいたら、一番長く一人の「死体」が写る場面では、最初予定していた役者さんが、くすぐったくてどうしても動いてしまうので、200名もの「死体オーディション」をしたとか。身体を触られることがあっても「びく」とも動かないこの女優さん、まさしくプロ根性です。


PS:実は昨日は「二本立て」の映画鑑賞でした。「おくりびと」のあと、「旭山動物園物語」も見てきました。4時間以上も映画館にいたことになります。まさに私にとっては「非日常」の午後でした。

2009年2月18日水曜日

クラシック教育

ベネズエラのクラシック教育が世界的な音楽家を生みだしているという新聞記事を読みました。ベネズエラは南米の国、さて、場所はどこだったっけ?強烈な反米主義のチャベス大統領の国であるのは、知っていますが、それ以外はさっぱり知識がありません。

記事によると、スラム街や貧困層の子どもたちにバイオリンなどの楽器演奏や歌を無料で教える音楽システム「エル・システマ」が注目を集めているというのです。約30年の歴史があるプログラムで、年間の予算は約65億円。全国に約190カ所の活動拠点があり、現在約30万人の子ども達がクラシック音楽を学んでいるとか。

世界的な音楽家も輩出するというこのプログラムの記事を読んで、娘が受けたバイオリンレッスンのことを思い出しました。

シカゴ郊外の街に住んでいた私達、その街の公立小学校でのスズキメソッドのプログラムで小学校1年生になった娘がバイオリンのレッスンをスタートさせたので した。このプログラムでは街の楽器店でバイオリンを借りることができ、自前でバイオリンを買う必要はありませんでした。

子どもたちの背が伸びてくると、先生が「ちょっと手を伸ばしてみて?」と腕の長さをチェックしてくださるのです。そして「もう一つ大きな楽器にしてください」とおっしゃると、楽器店に行って「次」の楽器を借りてきます。もちろん料金は同じです。

授業時間の一コマでレッスンが受けられ、地区の音楽会、発表会も頻繁(ひんぱん)に開催されます。当時「ヒマなお母さん」だった私は、伴奏者として、あちこ ちの演奏会に同行したものでした。特別な音楽教育という感じではなく、子ども達はそれぞれの楽器を楽しみながら練習していました。

普段着のクラッシック教育を受けた娘は、今も気が向くとバイオリンを手にしているようです。文字通り「音を楽しむ」音楽経験は、生涯の財産です。私も伴奏の楽しみを味わうことができた懐かしい思い出です。

2009年2月17日火曜日

初めての雪

ちょっぴりですが雪が降りました
初めて雪の上を走りました

おしっこもちょいと・・










クンクン・・・こりゃ何だ?

ちょっとカジカジ










先代クッキーは雪の中で震えていました
Chuckは濡れても平気
ビショビショでリビングに走り込んできました
もっともっと積もればいいのにね、Chuck!


PS:カットの予定が先に伸びました。もしゃもしゃChuckがまだ続きます。

2009年2月16日月曜日

ルビ

ルビとは、漢字につくフリガナであるのは知っていましたが、辞書の説明を見て、カタカナで「ルビ」と書く理由がわかりました。

ruby:振り仮名用の活字。また、振り仮名。英国でルビーとよばれた5.5ポイントの欧文活字の大きさが、和文で5号活字の振り仮名として用いた7号活字とほぼ等しかったところからいう。

読み方がわからない漢字にルビが振ってあると、黙読している時でも、その漢字がちゃんと音声化されて理解できます。ルビがないままだと、「こんなもんかな・・・」と推測して読んでしまうか、もしくは「わからん」と飛ばしてしまうことになるかもしれません。

昔の本は、しっかりルビが振ってありますから、声に出して読むことも簡単ですが(内容を理解しているかどうかは別として)、最近は特に難しい漢字以外はほとんどルビを見ることはなくなりました。

私は20年来、留学生の人たちに読んでもらう文章を毎月書いてきました。「これは難しいかな」と思う漢字には必ず「読み仮名」をつけるようにしてきました。 ちゃんとルビをつければいいのですが、かっこの中に読み仮名を入れるのが簡単なので、ついついくせになってしまっています。

このブログも 読み仮名をよく書く私です。難しい言葉を使う時、その言葉を音声化してみなさんにも読んでいただきたい、そう思うからです。普段日本語に触れることが少ない、アメリカ在住の我が家の子ども達、留学生、元留学生のみなさん、色んな人の顔を思い浮かべながら「かっこ」の中にひらがなを入れている私です。

言葉の響きを大切にしたい私です。ちょっとお見苦しいかとも思いますが、これからも「かっこ」付の文章を読んでくださいね。お願いします!

2009年2月15日日曜日

春あれこれ

お隣の蝋梅(ろうばい) 
                        蝋細工のような花のすてきな香
                        我が家にもおすそわけが届きます
     畑は春の農作業の準備
いいお天気 Chuckのベッドと毛布も日なたに
四角になったChuckの顔 明日カットします 
これは春らしくないですが・・・


PS: 写真とコメントのレイアウトが思うようになりません。
   何か技があるはずですが、まだわかりません・・・

2009年2月14日土曜日

Ronのこと

(今日は二つのタイトルでアップしています。下にある「飛行機事故」を先にお読みください。)

飛行機事故で亡くなったRon Gonzalezさんに関して、娘のところに届いたメールです。(発信者名は割愛しました)

ニューヨーク州西部(バッファロー地域)でのAIDSコミュニティサービス(エイズの予防教育活動、医療活動を総合的に行う州立の組織)での彼の活動や、地域社会に貢献する仕事を続けた様子が書き記されています。

ヒスパニック系でスペイン語が堪能だった彼は、マイノリティーの人たちの支援に心をくだいた人でした。「アジア系」の我が娘を鍛えて、エイズ教育の講師への道を開いてくれた人でした。

「次の世代を育てる仕事」それは彼を取り巻く人たちのネットワークに引き継がれることになりました。娘もその中の一人です。「今となっては二人分、法大に行くようなものだから、がんばらなきゃ」とメールにありました。

Ronのこと、みなさんにも知っていただきたい、そう思って英文を掲載します。


Colleagues:
It is with a heavy heart that we inform you that Ron Gonzalez was listed as a passenger on the Continental Airways flight from Newark that crashed in Buffalo last night. Conversations with family and friends have confirmed this horrible news. Thus far we have no details as to a memorial service or funeral.

Ron's many accomplishments speak to the type of man he was. A native of New York City, Ron relocated to Buffalo in 1999 where he earned his undergraduate degree while working at AIDS Community Services of Western New York. He served three terms as the Vice President of the Ryan White Care Network of Western New York, Inc., and as Co-Chair of the Minority Concerns Committee as well as on the Board of Directors of the Men of Color Health Awareness Project.

Prior to his appointment to the PPG, Ron was the first Executive Director of Alianza Latina, Inc. Before that, he was a Technical Assistance Specialist with the HIV Prevention Network of the Health and Safety Programs at Rural Opportunities, Inc., in Rochester. In this role, he traveled extensively, providing prevention programming assistance to organizations serving Migrant and Seasonal Farm Workers, Young Men who have Sex with Men and Latino communities. In 2006, Ron was awarded a grant by the National Urban Fellows Program and relocated to New York City to complete his graduate studies in Public Administration during which he completed an internship with the Robert Wood Johnson Foundation.

During his tenure as Co-Chair of the Racial/Ethnic Committee, Ron worked diligently to bring forward an initiative to re-examine cultural competency in the context of prevention planning and PPG leadership. He was elected Community Co-Chair in 2007 and reelected in 2008. Within the biography he prepared when running for Community Co-Chair in August 2008, he wrote that his "vision is to help recruit and grow the next generation of leaders for the development and advancement of healthy urban communities throughout the State of New York."

It is now up to us to make sure that his vision is realized.


- The Network will continue to forward any information as it becomes available.

飛行機事故

1月16日(現地時間15日)のハドソン川不時着事故。それからまだ一ヶ月もたっていない2月13日(現地時間12日)、同じニューヨーク州の西の端、バッファロー市郊外での飛行機墜落事故。

バッファローは娘が2002年から住んでいたところ。墜落現場の地名を地図で確認し、この事故に関して娘にメールを送っていた私。

夜の11時過ぎに娘から電話。泣き声でした。彼女がバッファローで仕事をしていた職場の上司が、この飛行機事故で亡くなった、その電話でした。

現在ニューヨーク市で仕事をしていた彼は、週末をバッファローで過ごすためにこの飛行機に乗り合せたとのこと。飛行場に彼を迎えに行く予定だった友人に、「飛行機の出発が遅れている」というメールがあり、それ以降、彼からの連絡は誰にも届かず。

娘のデスクの奥にあった部屋から、ヒョイッと顔を出した彼のことを、今でもはっきりおぼえています。

気持ちよく一緒に仕事のできる上司。娘を支え、育ててくれた人。彼女の現在のロースクールでの学びは、彼の元での仕事が大きな動機となりました。

「悲しいよ、悔しいよ」という娘。私には返すことばはありませんでした。

一瞬にして奪われた50のいのち。何と不条理なこと。

彼のこと、乗客乗員全ての人のこと、地上で巻き込まれた人のこと。
そして何より、残された彼のお母さんのこと。
私にできるのはただ祈ることだけ。

2009年2月13日金曜日

老犬ホーム

家庭で世話ができなくなった犬を有料でケアする施設、それが老犬ホーム。

ペットが長生きできるようになったのは、栄養がよくなり、医療も充実したからですが、長生きをするからこそ、犬や猫にも痴呆症状が出たり、飼い主も高齢化してペットの世話ができなくなり・・・などなど老犬ホームが必要となる事情は色々あるようです。

寝たきりの犬、昼夜なく鳴き叫ぶ犬、自力で排泄ができない犬。大変な介護の一ヶ月の料金は2万から4万とか。一生涯の預かり料は一括払いで120万から380万円という数字がありました。

「月2回尋ねてくる人もいるが、半数は金の振り込みだけで様子を尋ねてくることもない」という朝日新聞のこの記事に関して、老いても、そして死をも引き受けることが、動物を「飼う」ということと獣医師の石井万寿美さんが書いています。

Chuck が我が家に来た時、「動物販売時説明書」という書類をもらいました。犬や猫を販売する時に、ちゃんと説明をすることが法律で義務づけられているようです。 何か不都合があれば一週間以内なら引き取ります・・・という項目があるのですが、飼い主によっては、躾(しつけ)がうまくいかず、しばらくしてから「返却」する人も あるのだそうです。

ペットを飼うには、その一生の世話を責任を持ってやる覚悟がいるはずです。ペットが単に人間の興味や趣味だけの対象ではいけないのです。

Chuckを見ていても、犬や猫の小さい時のかわいさは、何ものにも代え難いものです。ただ、日々の世話、訓練などなど、幼いからこそ手がかかります。そして、ペットが老いてきた時もやはり「手がかかる」状況になるのです。

どうしようもない理由で老犬ホームに飼い犬を預ける人もあるでしょうが、単に世話が大変だから、お金で済むなら・・・と思う飼い主がいることも事実。何だか寂しいですよね。

2009年2月12日木曜日

グラタン

昔からグラタン大好きの私です。こんがり焼いて、アチチッチ・・・と言いながら食べるの、楽しいです。ただし、ホワイトソースを作る時間と手間はちょっと 大変。ダマにならないように、ふるった小麦粉を使ったり、牛乳を温めたり。泡立て器を使うのがいいというレシピをみて、トライしてみたり。今までにあれこ れ工夫をしてきました。

それが、お箸でチョコチョコと混ぜるだけのレシピに出会ったのです。京都のフランス料理店のシェフのレシピ、新聞に掲載されていました。


 * グラタンの中に入れる材料を用意します
    (エビ、白身の魚、鶏肉とタマネギやマッシュルーム)

 * バターと小麦粉は同量(このレシピでは4人前でそれぞれ60グラム)

 * 鍋にバターを入れ、焦げないように溶かす

 * タマネギやマッシュルームを鍋に入れ、少し炒め、エビなどを加える

 * 炒めすぎないうちに、白ワインを加え、アルコール分を飛ばす

 * 一旦火を止め、小麦粉を加え、練らずに素早くかき混ぜる

 * 具全体に小麦粉が混ざったら、再び火にかけ、
     牛乳を少しずついれソース状にのばす
    (この部分、本当にお箸で混ぜていました)

 * 塩・こしょうで味付けをする

 * バターを塗ったグラタン皿に入れ、パルメザンチーズをふり、
     200度以上のオーブンで表面に焼き色をつける

タマネギをもう少し炒めた方がよかったかな
味付けが薄かったかな
もう少し牛乳を入れてもよかったかな

次回への工夫項目はありますが、「目からうろこ」の簡単ホワイトソース作りのグラタンでした。お試しあれ!

2009年2月11日水曜日

呼吸

「深呼吸をしてください」と言われると、ほとんどの人は大きく息を吸い込みますね。まず息を取り込む、それが呼吸をすることだと私達は思っているようです。

漢字の「呼吸」の「呼」は「吐く」という意味、つまり吐いてからいてから吸うという順番になっています。「しっかり吐ききれば、息は自然に入ってくる」と 習ったことがあります。吸うことでなく、吐くことに意識を向けるようにというアドバイスでした。ヨガや瞑想時の呼吸も、吸う息よりも、吐く息を長くしま す。息を吐くことで、よりリラックスできるからです。

今はまず見ることがなくなりましたが、リヤカーを引いたお豆腐屋さんが「とーふ、とーふ」といいながら、鳴らしていた「ラッパ」、ゴムボールのような部分を押すと「プワーッ」という音がする、あのラッパ、あの動きが呼吸で大切だと、コーラスの先生がおっしゃっていました。

ラッパのゴムボールを押す、そして手を離すと、ゴムボールは自然にふくらみます。空気が自然にボールの中に入ってきます。息をする時もこれと同じで、充分 に吐ききるだけで、息が入ってくるのです。この動作が無意識にできるようになれば、しっかり息を吸うことができるというのです。無理に息を吸い込もうとしても、体に力が入り、肩が上がり、充分な息は入りません。自然に深い呼吸をするためにも、まず息を充分に吐ききる、それが深呼吸なのです。

どんなに忙しくしていても、どんなに心が騒いでも、一瞬でいいから、自分の呼吸に気持ちを向けて、しっかり吐ききれば、体中がホンワカ暖かくなってくるはずです。それが自分自身への最高のプレゼント、そう思います。

2009年2月10日火曜日

Chuckのおもちゃ


おもちゃに囲まれてベッドで小さくなっているChuck

               

リビングにちらばったChuckのおもちゃ
いつも「いそいそと」運んでいます
寝るときにはちゃんと自分で片付けてね!

2009年2月9日月曜日

山火事

オーストラリア南東部の「山火事」、早朝のニュースで「東京都の1.4倍の面積が消失」と言っていました。猛烈な炎に追われるように退却する消防車の写真を見ると、想像を絶する火災になっているようです。

昨日の午後、キャンベラに住む友人に電話をしたのですが、留守電で連絡が取れませんでした。彼女のお嬢さん二人が今回の火事に近いメルボルン在住ですので、市内は大丈夫とは思っても、やはり気になります。

今回の「山火事」、CNNでは「wildfire」、BBCでは「bush fire」と表示されています。日本では文字通り山が燃えるのが山火事ですが、広大なオーストラリアでは、平らな地面を火が這(は)っていく情景もあるはずで す。下草に火がついて、火事がドンドン広がる感じがあるのは、bush fireです。

アメリカ西部も山火事の多い地域。私が留学生としてサンディエゴに行った直後、8月下旬に砂漠の方角で山火事が発生しました。その火が私が住んでいる地域 に向かってきたのです。遠くの山の煙の中に時折炎も見えるようになり、ご近所では屋根に上がってホースで水をまく人も出てきました。

「とにかくパスポートだけはちゃんと持っていなさい」。アメリカのお父さんが私にそう言いました。避難が必要になるかもしれないということだったようです。

まだ英語がよくわからなかった私です。昼間だというのに、黒い煙で夕方のようになり、その中にオレンジ色の太陽がのぞいている光景。強い風と乾燥のため、遠くの町並みで、火がジャンプして新しく火事が起こる様子。今でもはっきり思い出すことが出来ます。

風の向きが変わり、私達は避難することもなく、その山火事は収まりましたが、後日お父さんの友人宅を訪問したその道すがら、全てが燃え尽きた家をたくさん目にしました。火の勢いの前に、住む人はなすすべもなかったはずです。無事避難できているといいな、そう思いました。

死者が100人を超えた今回のオーストラリアの「山火事」。まだ燃え続けています。一刻も早く終息することを祈ります。

2009年2月8日日曜日

洗面台の前で

朝の母のお仕事。トイレを済ませてから、まず口をゆすいで、歯ブラシを使って、それから絞ったタオルで顔をふきます。一人でできることはほったらかす私の「手抜き介護」ですから、時には歯ブラシをくわえたまま、突っ立っていることもありますが、それはそれ・・・

お湯をはった洗面器を目の前において、絞ったタオルを渡すと、今朝の母は顔をふいたあと、ちゃんとタオルを自分ですすいでいます。「これは捨ててもいいの?」と洗面器を見ながら言うので、「どうぞ」と答えると、お湯をちゃんと捨てました。そして・・・

いつもなら、ここで「着替えましょう」と声をかける私ですが、今朝はじっと見ていることにしました。

しばらく鏡の中の自分を眺めていた母はもう一度、蛇口から洗面器に水を入れました。蛇口の操作ができたのですから、今朝の母はけっこう「スイッチ・オン」状態です。再度タオルを絞って、もう一度水を捨てて・・・

この一連の母の動作を見ながら不思議な気持ちになった私でした。

母の介護をスタートさせた当初、混乱の中で色んな言葉に出会いました。このブログを書き出した4日目の4月29日に「doing」と「being」について書きました。年を取るということは、何かを「する」存在ではなく、ただそこに「居る」存在になるのだと。老いるということ

母の今朝の洗面台での動きは、doingだったのですが、繰り返す必要のない動作も続きました。「無駄」な動きをしていたことになります。でも今のbeingの存在となった母にとっては、ごく自然な動きだったのでしょう。

母のbeingの存在をどれだけゆったりした気持ちで見ていられるのか、それが私がこの介護を通して学ぶべきことなのだと思っています。今の母なりのdoing(デイケアなど)をはさみながら、母の「今」をどれだけ受け入れていけるか。それが私の学びです。

そして思ったのです。母の魂はこの「今」を通して何を学んでいるのだろうか・・・と。人は生きている限り、その学びは続いています。「ぼける」ことで、この社会の「あれこれ」から離れた母ですが、まだまだ一杯学ぶことはあるはずです。

この娘をもっと鍛えるためにも、母の学びも続くのでしょう。きっと。

2009年2月7日土曜日

大統領就任演説

1月20日に就任したアメリカのオバマ大統領。その就任演説は瞬時にウェブ上で原文が掲載され、日本の新聞各社も翻訳文をいち早くアップしていました。朝日新聞・日本経済新聞・共同通信、それぞれの翻訳文をコピーして比べてみました。

時間との「勝負」で翻訳された日本文ですから、それぞれに訳していない単語があったり、ただただ日本語に置き変えたような、何度読んでも意味が不明確な文章があったり。充分に推敲(すいこう)する時間がなかったことがはっきりわかる翻訳文でした。

朝日新聞は1月24日の朝刊に、英文全文と日本語訳を紙面一頁に掲載しました。その文章は、私がウェブからコピーしたものと同じでしたが、約一週間後の30日、社会面の片隅に小さな訂正記事が出ていました。

24 日付「オバマ大統領就任演説」の記事で、英文「・・・when imagination is joined to common purpose, and necessity to courage.」の日本語訳が「共通の目的や勇気の必要性に想像力が及んだ時」とあるのは「共通の目的に想像力が及び、勇気に必要性が結びついたとき」 の誤りでした。

妙な訳だな、と思った箇所でしたが、一旦紙面に掲載した文章を訂正するのですから、「やっぱりこれはダメだ」との判断なのですね。この部分は「致命的間違い」として訂正記事が出たのでしょう、きっと。

三社の翻訳文をあれこれ読み比べている時、出だしは日経の訳がとても「順調」でした。通りのよい文章だったのです。が、途中で、雲行きがあやしくなりました。何だかつかえるのです。そして、一カ所、ゴソッと脱落した部分がでてきました。

わけがわからないまま、再度日経のウェブで就任演説の訳をチェックしたら、日経は翻訳文を「すっかり」差し替えていました。

限 られた時間内で、多分複数の翻訳者が担当したであろう、今回の翻訳文。それを一つにまとめる作業も大変だったことと想像します。一字一句を落とすことなく 訳し、原文のニュアンスを残しながら完璧な日本語に練り上げる、そんな時間の余裕はなく、とりあえず翻訳された文章がウェブ上にアップされたのは仕方のな いことなのかもしれません。

世界中の人が大きな関心を持っていたオバマ大統領の就任演説。日本の新聞各社も「外国の大統領就任演説」を大きく、丁寧に取り上げたのは当然なことなのでしょう。

今回の紙面をあれこれ読んでみて、今後、日本の新聞にも普段から英語の文章が自然に掲載されるといいなと思いました。「英語のお勉強」というような感じでは なく、もっとさりげなく、おもしろそうな内容を原文で紹介していけば、より多くの人にとって、英語がもっと身近になるのではないでしょうか。「正しい」英語に自然にふれることが出来る、そんな環境がもっとできればいいのにと思います。

2009年2月6日金曜日

佐川美術館

佐川美術館

2007年9月、母との同居後3ヶ月
夏を越してデイケアへ通うリズムがやっとでてきた頃
滋賀県守山市にある佐川美術館へ

この楽吉左右衛門館は一般公開が始まってまだ一週間もたっていなかった頃
コンクリートむき出しの中、不思議に落ち着く空間
日頃の介護から離れた非日常のひとときでした





2009年2月5日木曜日

父の言葉 #2

「土人にはハゲはいない」と私の父が言ったことがあります。土人とは「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑(ぶべつ)していった語と辞書にありますから、今なら「放送禁止用語」ですね。「ハゲと文明の発展は関係している」と妙に難しく説明していた父でした。

先日新聞の広告にあった本のタイトル「なぜグリーン車にはハゲが多いのか」を見て、この父の言葉を思い出したのです。「薄毛は優秀な男の証(あかし):髪が薄くなる原因は、優秀な男を作り出すホルモンにあった!男性薄毛患者6000人以上のデータから、「ハゲ」の衝撃的な潜在能力が明かされる」・・・この本の説明です。

宣伝文句ですから、この文章を100パーセント信じるのではありませんが、この広告を見て父の言葉を思い出して吹き出してしまいました。若い頃から頭髪が薄く、私の知っている父は頭のてっぺんにはほとんど毛はありませんでした。私の思い出の中にいる父はいつもベレー帽をかぶって外出していました。

この本の広告を父が見たら、すぐに注文したことでしょうね。そして、自分の考えが正しかったと、嬉しそうに威張る父が目に浮かびます。

父の言葉(2008年7月23日)

2009年2月4日水曜日

アムトラック

私のアメリカ生活の中で鉄道の思い出といえば、急ぎの用事で出かける時に限って踏切で遭遇する、なが・・・い貨車の通過でしょうか。時には10分ぐらい全 く動けず、約束の時間に目的地にたどり着くのを早々にあきらめたものでした。ゆっくりゆっくり、時には止まってしまうかと思うぐらいの速度 で動く貨車の記憶。日本の高速鉄道の感覚とは全く違う世界でした。

「“お荷物”アムトラックの快進撃」というタイトルの記事がありまし た。このところのガソリン価格の乱高下や環境意識の高まりで、アメリカの鉄道、アムトラックの乗客が増えてきたというのです。特に東海岸、ニューヨークか らワシントンへの路線は稼ぎ頭(かせぎがしら)として奮闘しているとか。オバマ大統領がリンカーンに倣(なら)って鉄道でワシントン入りをした、あの路線 です。

ワシントン~ニューヨーク間は約2時間50分。飛行機のほぼ3倍。ですが、飛行場への道路の渋滞もなく、厳しいセキュリティーもな し、車内で携帯電話やパソコンも自由に使える、天候が理由の遅延や欠航も少ないなどが人気の理由とか。格安航空運賃の倍となる一等席(時間帯によっては 300ドル以上)が売り切れ続出とあります。

昨年11月4日、大統領選挙と同じ日に行われたカリフォルニアでの住民投票。サンフランシス コからロサンジェルス、そしてサンディエゴに至る高速鉄道の建設に賛成多数でゴーサインが出たのです。オバマ大統領の環境対策もあり、高速鉄道とは縁のな かったアメリカ国土にも将来は「新幹線」があちこちの都市を結んで走るようになるのかもしれません。

西海岸から東海岸まで時差が3時間、飛行機で飛べば約5時間。この広大なアメリカ大陸を乗り心地のいい高速鉄道で横断できたら、きっと見える景色が変わってくることでしょうね。

2009年2月3日火曜日

誘拐犯Chuck

「私の」ちびワンコレクション


Chuckはこれがお気に入り











他の犬には目もくれず


誘拐犯Chuck
見つけたぞ!

2009年2月2日月曜日

わらじ医者

わらじ医者と呼ばれる早川一光(かずてる)先生。本名より「いっこうさん」として有名なお医者さまです。昭和25年(1950年)に京都の西陣地区に、住民の出資による診療所を開設。地域医療の中核病院となる堀川病院に発展していきます。

早川一光のホームページ

私は1993年11月に堀川病院の第13回ボランティアスクールを受講しました。地域医療を目指す病院ですから、早くからボランティアの養成にも力を入れていて、修了生たちが医療スタッフとともに、地域のご老人や障害者をきめ細かくサポートしていました。

早川先生直々(じきじき)の講座もあるこのスクール、毎回受講希望者が殺到していました。軽妙な京都弁で、大笑いが続く早川先生の講座。楽しいお話しの中で、地域医療に関係するボランティアとしての心構えをさりげなくお話しなさるのでした。

実習の日、私は盲聾者(もうろうしゃ:目と耳が不自由な人)の女性の通院介護を経験しました。50代前半の一人暮らしのこの方は、10代後半までは目が見え ていたので、手のひらに字を書いてお話しをします。ベテランのボランティアの方が「今日はもう一人いますよ」と私を紹介すると、少々不鮮明な言葉で「背(せい)がたかいね」と京都弁で私に話しかけてくださいました。

そのお宅から堀川病院まで徒歩約10分。手を取って、ゆっくりゆっくり歩きました。定期検診ですから、ご当人は病院内で次に何をするのか、よくご存知で、私は手引きをするというより、教えていただくままに動いたのでした。

1993年当時はまだ介護保険もなく、ヘルパーさんを頼むのも大変だった時期だと思います。地域に根ざしたボランティア組織があるからこそ、この女性も一人暮らしが可能だったのです。

わらじ医者と言われる早川先生は、わらじをはいてどこまでも歩いて病気の人を訪ねていかれた、そんなイメージのあるお医者さまです。堀川病院を辞されたあと、1999年からは京都府西北の美山町での地域医療にあたり、村のお年寄りの訪問診療をなさいました。

現在は「わらじ医者よろず診療所」を主宰。大正13年(1924年)生まれ、今年85歳になられる先生、まだまだお元気で活躍中です。

以前見つけた早川先生の新聞記事にあったことば。
    ぼけたときのために、今から悪い言葉を話さないように。
    「ありがとう」を連発するくせをつけるように。

心したいと思います。

2009年2月1日日曜日

リビングの春

お誕生日プレゼントのお花たち
色々な方から頂いたお花たち
みんな一緒に生けかえてみました

リビングが春の色になりました
暖かい心が運んできてくれたすてきな春に・・・

今年ももう2月に
耳を澄ませばどこかに春が・・・