2010年10月31日日曜日

何だ、何だ?

うちに何だか妙な黒いものがいたの
ちょっとかみついてみたら
「いけないよ!」っておこられちゃった・・・



あれは一体何なんだろう


あれ、今度はテーブルの上にいる


とどかないよ・・・ずるい、そんな高いところにいて!!!


せっかく遊んでみようと思ったのにな
あれは一体何なんだろう・・・
Chuck

2010年10月30日土曜日

気配り・心配り

気配りと心配り、二つが並んでいたので、辞書を引いてみました。
ほとんど違いがないようです。

気配り

[名](スル)あれこれ気を使うこと。手抜かりがないように注意すること。心づかい。配慮。「―が行き届く」「会場の設営に―する」
心配り
あれこれと気をつかうこと。心づかい。配慮。「温かい―」


目配りも含めて、こんな説明もありました。

目配り」 自分のことばかりではなく、周囲にも目を向けられるような余裕を持つ。

気配り」 相手のことを考えて行動をする。自己中心的に動いても、仕事は進みません。

心配り」 協力しようという気持ちを持つ。困っている同僚がいたら、見てみぬふりをしないで、率先して手を差し延べる。


「気配り」は小さなことも含めて、周りを眺めていて、「心配り」は、より相手の人のことに対してこころを向ける・・・という風に感じる私です。でも人それぞれに二つのことばのニュアンスは違っていることでしょうね。

「目配り」も含めて、自分の殻に閉じこもることなく、外の世界に目もこころも向けて生活していたいものです。

2010年10月28日木曜日

何の目?


この目は何だ?


朝ご飯のマットを洗って干していたのです
このところ、こんなマンガチックなマットを使ってます

2010年10月27日水曜日

百日草

いつもの公園の百日草の植木鉢
今年の猛暑の中、剪定(せんてい)を繰り返して
花が咲き続けました。


7月27日と8月1日
9月17日

10月2日、偶然見つけたゴミ袋の中の百日草の花


10月18日、次の花が少しずつ
10月24日、またこんなに一杯

10月26日 再度剪定・・・
もういっちょ!

文字通りの百日草
手入れがいいと、こんなに長く咲き続けるのですね
でもわが家であんなに思いきりよく花をカットできるかな・・・

2010年10月26日火曜日

スクープ

特ダネという意味の「スクープ」。他社に先駆けて報道することを意味します。

24日のNHKスペシャルのタイトルは「奇跡の生還・チリ鉱山独占映像が語る地下の真相」。NHKの独占映像は、地上から物資を送り込む直径10センチほどの筒を通して届けられたビデオカメラによって撮影されたものでした。

生 還した3人の鉱夫の証言と映像を組み合わせた番組は、地下625メートルで生きぬいた33人の人たちの日々をなぞります。8月5日の事故後、地上と連絡も 取れず食料も底をつくほぼ2週間。死を考える日々から一転して「助かる」という希望が生まれた、地上にメモが届いた8月22日。その後、物資を通す筒が開 通してからは、暖かいパスタまでが届けられていました。(味はまあまあだな・・・・と言いながら食べていましたが)

簡易ベッドが並ぶ地下のシェルター。救出がいつになるのか知らされないままに過ごす不安定な日常で、こころの平安を得るために全員で行う日に2回のお祈りの時間。テレビ電話で順番に家族と話し合う姿。映像の持つ伝達力のすごさを感じること大でした。

そ して、番組の最後に、現地で事故後2ヶ月間取材した記者のリポートがありました。救助を待つ家族の取材を続けたその記者は30代前半ぐらいの女性でした。 彼女自身、厳しい環境での取材だったはずです。一人で取材をしていたわけではないとは思いますが、今回の「スクープ」となったビデオカメラを地下に届け、 撮影を依頼したのは彼女だったかもしれません。世界中の報道機関が集まった今回の事故現場の混乱の中で、地下のビデオ映像を手に入れることの難しさ。これ も、想像を絶することだったはずです。

私たちが目にする報道は、報道する人たちの「編集意図」に基づいて作られるのですから、見る側にはいつも客観的な態度が必要です。ですが、今回の映像は、見ているだけで高温と湿気で息苦しくなるような緊迫感がありました。

だからこそ「スクープ」ということばがタイトルに添えられたのですね。

2010年10月25日月曜日

すすき

すすきの花です
小さいのでマクロ撮影です
風に揺れているのでピントが甘い
ご容赦のほどを・・・

こんな風に花が咲いています。

2010年10月24日日曜日

臓器移植 #3

8月23日に「臓器移植#2」を掲載して、二ヶ月以上が経過しました。このところ脳死や臓器移植に関しての新聞記事が目に止まりません。

ほぼ一ヶ月前の9月30日の朝刊に「脳死判定100例目」という記事を見ました。1997年以降、法的脳死判定を受けて患者の死亡が確定したのが100件となったのです。

そして、10月4日の社会面の一番下に小さく「家族承諾14例目の脳死」という記事がありました。7月の法改正で、本人の意志確認ができなくても、家族の承諾で臓器提供が可能になって以降、14家族が申し出をしたのです。これは101例目で、今年になって18例目です。

臓器移植にとって、脳死判定の議論は避けて通れないもの。人それぞれの脳死に対する考え方がある中で、「家族が同意したから」という理由で、臓器移植が相次いでなされることに、まだ完全に納得できない私です。

「死をどこで決定するか」というあまりにも大きな問題を前にして、自分自身、何をどう考えればいいのか、わからない状況です。今はただ、あれこれ本や新聞記事の切り抜きを読み返したりしています。

だ からこそ、臓器移植の件数だけが、小さく報道されてしまうことに抵抗があります。一人の命が終息し、それを看取る家族がそれぞれの事情の中で、臓器提供を 申し出ているのです。大きな決断が、将来の後悔とならないためにも、突然の死に直面したかもしれない家族に対して、本当の意味の情報提供と精神的支えが 「現場」でなされているのか。そうあってほしいと願いつつ、改めて「101例目」という数字を眺めました。

2010年10月23日土曜日

鹿との遭遇 #2

8月上旬に続いて鹿との遭遇第二弾

高野川沿いを走っていたときでした
珍しく助手席に座っていた私
ふと川に目をやると・・・
大あわての写真です



どこから来たのでしょうか・どこに行くのでしょうか
子連れのお母さん鹿、気をつけて

二度あることは三度ある・・・でしょうか
次はいつ、どこで?


PS:先日の京都新聞にも、左京区の街中でも鹿が目撃されているという記事がありました。車にぶつかると大きな事故にもなりかねません。熊だけでなく、動物たちとの棲(す)み分けが難しくなったようですね。

2010年10月22日金曜日

朝の模様


岩倉川沿いの歩道
朝の光がこんな模様を作りました

Chuck、ストップ、ひっぱっちゃだめ
写真がぶれる・・・

2010年10月21日木曜日

気になると・・・

「このところ、腰は痛くならないな・・・」とフッと先日思ったのです。そして、2,3日後、大したことはないのですが、少し腰に違和感がありました。

私の身体の「師匠」曰(いわ)く、「忘れていることが一番いい状態」。

その通りですね。腰に関して全く忘れている時はそれでいいのですが、気になるということは、「何か」を身体が訴えているから気になっているようです。

「気にしない」ということは「囚われないこと」です。あれこれ悩まないことです。

身体についてだけでなく、これは人生の大きな真理のようですね。「気にする」「囚われる」「執着する」・・・・どれも、こころが自由にならない状態です。

生き方の指針となる教えや宗教の全てが(もちろん本物の)、「放つ」ことの大切さを説きます。気の持ち方一つでこころが軽くなり、生きやすくなるようです。

からだからの声にはちゃんと耳を傾け、無視はせず、でもそれに縛られることなく、「なんとんかなるさ・・・」でいこうと思います。

2010年10月20日水曜日

プロの写真 #4

小松真一氏撮影


彼岸花を見て「こう写したい」と思うのがプロ

「あっ、きれい」と思って、何も考えないで
チビのデジカメのシャッターを押すのが私

一年以上掲載しなかった「プロの写真」
掲載する写真が私に回ってこなかったから・・・

プロの写真 #3

2010年10月19日火曜日

お母さんグモ

玄関先のほととぎす、一枝折れていたのを台所のコップにさしておきました
しおれた葉っぱの裏側で・・・お母さんグモが産卵中



はっぱごと、そっと庭に戻しました
落ち着かないことで、ごめんなさいね・・・

2010年10月18日月曜日

カウンセリング

チリ落盤事故の新聞報道で、救出された作業員のあるコメントが目に止まりました。

「これ以上、どんな気持ちかと聞かないで」

心理学者への不満を、親類へ手紙で語ったものだそうです。

これを見て、思い出したことがあります。

阪神大震災直後のこと。通訳仲間から連絡がありました。アメリカのカウンセラー達が神戸に来る計画を立てているので、その通訳ができないか、というもので す。地震発生後、まだ10日も立っていない頃だったと思います。わざわざ現地にやってこようとしているアメリカの人たち。でも・・・

「こんな時期に、自分のこころを話す人はいないよね。ましてや通訳を通して外国の人にね」と、電話をくれた友人に話していましたが、その計画は実施されなかったようです。

アメリカはカウンセリングを受けることは多くの人にとって「普通」のことです。自分のこころの調子が悪ければ、カウンセリングを受ける、話すことで自分自身 を見つめ直そうとするのです。娘が高校時代、彼女が受けていたカウンセリングを「見学」しました。じっくり話を聞いて、そこで必要なアドバイスをするカウ ンセラーの「技術の高さ」に感心したことがある私です。

ですが、日本ではちょっと事情が違うような。まして、大きな災害直後に、何が何だかわからない時に、話すことで整理がつく人は少ないのではないでしょうか。その時に必要な援助は少し違うように思います。

震災後の寒い日々、仲間と一緒に足湯ボランティアで避難所のお年寄りの足をマッサージしました。ほとんど会話はありませんでした。足が温まり、ほっとした気持ちになって、初めてことばが出てきた被災者の方々でした。

災害被害者だけでなく、辛いことを経験している人には、何かを聞き出そうとするのではなく、「私(たち)は、ここにいますから、もしよろしければお手伝いしますよ」というこころづかいが一番なのではと思うのですが・・・

地下の閉じこめられた生活での心理学者とのやりとりがかえってこころの重荷になっていた。これは多くのことを考えさせられる事実だと思います。

2010年10月17日日曜日

まいどおなじみ

わが家の前の農業用水路 
白サギがひんぱんにやってきます



飛び立つ瞬間はブレブレに

人や自転車が近くを通っても全く動じず

そしてこれが極(きわ)めつけ
コンバインのそばを離れませんでした

2010年10月16日土曜日

酔芙蓉 #2


ぐっと涼しくなってしまったからでしょうか
夕方になっても酔芙蓉があまり赤くなれないのです
ピンクもそれなりにきれいですが
もっと「飲みたい」と言っているような・・・

芙蓉の木に「必ず」やってくる毛虫
久しぶりに見つけて、何だか懐かしい気持ち
ちょっと変でしょうか・・・

2010年10月15日金曜日

救出劇 #2

今回のチリ落盤事故の作業員救出は全世界が注目していた生中継のドラマ。CNNのホームページにはLiveと書かれた動画の画面がありました。

最後の作業員、ウルスアさんのゴンドラが上昇している時、地上の救援隊の人たちは待ちきれないように大声で国家を歌い出しました。そして、ゴンドラの頭が見 えてきた頃、「元気かい」「大丈夫だよ、ボスはそこにいる?」というような会話が交わされていました。(スペイン語から英語への同時通訳で)

ウルスアさんを地上に迎え、歓喜に包まれた現場。ウルスアさんが大統領を始めとして、たくさんの人とハグをして帰還を喜び合ったあと、再度チリ国家の大合唱。ピニェラ大統領の陣頭指揮による救出作戦は大成功。

アメリカABCニュースには、今回のチリ政府の対応がとても早かったことを取り上げ、アメリカ政府の災害時の対応の遅さと比較していました。ニューオーリンズを襲った台風カトリーナの被害、メキシコ湾原油流出事故、いずれも政府の初動が遅れたことで被害が拡大されたと言われています。この災害をピニェラ大統領が支持率アップに利用したというような批判もあるようですが、アメリカを始めとして、外国からの支援を最初から受け入れて、万全の救援作戦を組み立てた ことは事実です。何であったとしても33人の命が救われたこと。それが一番。

現在の日本では鉱山そのものの数も減っていますから大きな事故はなくなりましたが、世界のあちこちでは毎年事故が続いています。

ショッキングな数字を目にしました。中国の炭鉱事故の多さです。去年、2009年の炭鉱事故での死者数は何と、2631人。過去最悪だった2002年では6995人もの人が死亡しているのです。

中国政府は今回のチリの事故のあと、10月7日に炭鉱経営者自身が、定期的に炭鉱夫たちと一緒に坑内に入ることを義務づけたそうです。チリの大規模な救出作 戦の報道を見て、「これが中国なら、ここまではやってくれないな」という反応が国内に起こり、それを知った政府が取った対策だとのことです。

それぞれのお国の事情はあるものの、どんな場合でも、どんな手段であっても、人命第一であってほしいと思います。

2010年10月14日木曜日

全員無事救出

10月13日日本時間のお昼前から始まった、チリ落盤事故の作業員救出
CNNのホームページにこんな画面を発見

作業開始後3時間10分、地下にいる人数が30,救出された人数は3


13日の夜の画面


14日午前7時前の画面


最後の一人の救出時、ゴンドラの位置を示すカウンター
右の下向きの矢印は地下55メートル


右の下向き矢印はゼロ、つまり「地上」、もう少し!


最後に救出されたリーダー格のルイス・ウルスアさん


地下にいる人の人数がゼロになりました
地下に残るは救援隊の人たちのみ
救援作戦大成功!



摺佛画


シルクスクリーンの「観自在菩薩」(かんじざいぼさつ)さま
あざやかなブルーに浮かびあがります

「摺佛画」(しゅうぶつが)とよばれる
友人の手による仏教版画の大作

おだやかなお顔にこころがなごみます

2010年10月13日水曜日

「若者よ 海外に出よ」

今年のノーベル化学賞を受賞したアメリカ在住の根岸英一さんのことば。

日本人学生の留学希望が減少。大学3年生からの就職活動に差し障(さわ)る、など理由はあれこれ。学生だけでなく、研究者も海外に出なくなったという報道もありました。

「海外」とは、日本ならではの表現。外国に行くには必ず海を渡って行かなければならない島国の特徴を表したことばです。国境という一本の線を越えると外国、という感覚が全くない日本人にとって、外国イコール海外であるのは、とても自然な感覚です。

若いときに外国を経験すること、少なくとも「見る」ことは、どんな本を読んだり、映画やテレビで得る知識以上に、大きなインパクトがあるものです。自分の常識が通じない、もちろん言葉も通じない場に身を置く、それが大切なのです。

「そんなことめんどうだよ」と言う声が聞こえてきそうです。確かに、自分にとって慣れた場所で慣れた人たちに囲まれて生活するのは楽ですが、でも、若い人がそう感じているとしたら、ちょっと残念です。

私自身の留学経験、子ども達の留学、そして、アジアからの留学生とのおつきあいを通して、外国での生活に「大変」なことが一杯あるのは承知しています。でも、だからこそ、その生活の中で得たものは、何にも変えられない、と信じている私です。

根岸さんが「外から日本見る目が重要」とおっしゃっています。その通りなんです。自分の生まれた日本を見直すことになる絶好のチャンスです。日本が好きになるチャンスです。そして、世界の人たちがそれぞれの国をどれだけ大切に思っているか、それに気づくチャンスです。

海外に出かけることが簡単になった時代に生まれているのですもの。このチャンスを生かさない手はありません。「どこでも生きていけるよ」と言い切れるような日本の若者が多く出てくることをこころから望みます。

2010年10月12日火曜日

目線を変えると

しゃがんでゴミ袋の口を結んでいた時
ふと見上げたら
ピアノの上に並んだ写真がいつもと違って見えました

父や祖父母、こどもたちや私の大事な人たちの写真
いつも上から見ていた写真
下から見上げたらみんなの表情が違っていました

「目線」を変えると何かが違って見える
ゴミ出しの日に改めて教えてもらいました

2010年10月11日月曜日

10月の彼岸花

毎年9月の「お彼岸」の時期を知っているように咲き出す彼岸花
さすがに今年の夏の暑さには調子が狂ったようです

10月になって、下鴨本通りの植え込みにこんなに一杯
岩倉川にも

近くの空き地の彼岸花はもうおしまい
「9月中に咲いたもんね!」

2010年10月10日日曜日

秋をひろって・・・

あぜ道と庭からの草花

ご近所のぶどう
秋なすも立派に・・・

公園の木にできたきのこ
これは食べられないでしょうね
おいしそうなんだけどな・・・
「黒砂糖のおかし」みたいで

2010年10月9日土曜日

今年のコスモス #2


台所の小さいコスモスアレンジメント

つぼみがこんなにふくらんで


咲きましたよ
ちょっと未熟者ですが・・・
白いつぼみももうすぐかな・・・