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2018年12月11日火曜日

「津波の霊たち」



3.11の大きな被害の中でもずっと気になっていた
宮城県石巻市大川小学校の惨事

在日20年のイギリス人ジャーナリストによるノンフィクション
6年近い綿密な取材によって書かれた本
子どもを亡くした親たちの心情に
時には苦しくなることも

震災後、各地で見られた心霊現象も取材し
亡くなった人と生き残った人との交流を書き記している

タイトルが「死と生の物語」となっているのは
多くの死からその後につながる生をテーマにしているから

日々私たちの記憶から薄れていく2011年の震災
その後の多くの自然災害も含めて
身近な死を経験した人たちの心情に
時にはこころを馳せていたいもの





2018年11月6日火曜日

これから進む道


時代が大きく変わろうとしている
それを痛切に感じるこの頃
以前のままの考え方では通じない
何か新しい感覚が必要となっている

久しぶりにじっくり読んだ本
資本主義のしくみに巻き込まれた時代から
もっと人間らしく、感性豊かな生き方へ
データからもこの流れは明確に

新しい豊かな社会を作り出すために
これからの私たちはどんな方向に進めばいいのか

「幸福感受性」の奪還を・・ということば
そこに付箋をつけた私



2018年2月20日火曜日

「生きていくあなたへ」


手元に届いた日
寝る前に読み出しました

なぜか夜中に目が覚めて
残りを読み切ってしまいました

日野原先生のご本を読みあさった時期がありました
講演会も度々出かけました
一時は「おっかけ」の気分でした

先生の最後のメッセージ
読み終わった時、涙がにじみました
この世での貴重な出会いに改めて感謝でした



2017年8月25日金曜日

ネット購入

新聞の書評、広告やラジオで耳にした本に興味を持つと
ネットで検索する私

このところ、すぐに購入することは減ったけれど
しばらくは「寝かしておいて」
忘れればそれで良し
やっぱり欲しいと思えばネット購入

「クリックした瞬間が最高潮の時で
届いた時にはもう心は離れているのよ」

ネットで購入する本のことを書いた文章


う〜ん、当たっているかもね・・・

ワンクリックはとても簡単なんだけれど
冷静さを忘れずに、ですかね

2017年7月5日水曜日

経済書

乱読する私ですが、まず読まないのが経済書。図表を使って数学的な解説があると、それだけで頭がブロックしてしまいます。


水野和夫著「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済」という本。新書版だから「読んでみてもいいかな・・・」と思って購入。感想は、面白かった!

現代の「何かおかしいのでは?」と感じることが、近代の資本主義が行き詰まっているから、という理由付けがとても明快です。中世から近代に移った時の社会の大きな変化、それが今の世界にも生じているというのです。

これからの社会が人にとってより住みやすい場所となるためには、方向性をしっかり持って緩やかな変化に対応していかなければいけない。それがこれからこの地球上に生まれてくる人たちのために、今、私たちができること。

経済の成長神話にしがみついている古い頭では、もう社会は動かせない。そのあたりのことは読み解けたのですが、この本をしっかりまとめるには、あと2、3回読まないとな・・・と思っていたところにこんなブログを発見、読書日記。ご一読ください。

2017年5月27日土曜日

書評欄

日曜日の新聞に掲載される書評欄が好きです。目に止まった書評を読むとついつい買いたくなるのが曲者(くせもの)ですが、そこは十分に自重して・・・

書評欄が面白いのは当然ですね。読解力があり、文章力がある人たちが担当しているのですから。限られた字数の中で、本を紹介する技量は大変なもの。評者の性格も現れている文章だからこそ、より楽しめるのかなと思います。

全く畑違いの本の書評を読むのは、その分野をかじった気持ちになります。深くは理解できないだろうことも、よりわかりやすい言葉で表現されていると、なんとなく納得。

でも「わかったつもり」の生半可(なまはんか)な理解はいけないんだろうな・・・私の野次馬的興味の根源なんですけれどね。



2016年11月17日木曜日

ブックスタート

英国で始まった「ブックスタート」の活動。健診の時にあかちゃんに絵本を送る運動のこと。創始者のウェンディ・クーリングさんが日本での活動を視察したという記事。

私にとって子育ての一番の思い出は子どもたちと一緒に本を読んでいたこと。子育ての日常は楽しいことばかりじゃないし、時間に追われていたけれど、2人のお気に入りの本を何度も何度も読んでいた「あの時間」は私の宝物。

本屋さんでその時代に読んでいた絵本を見つけると、いつも手に取ってしまう私。

「本を読むのではなく、親子で分かち合うことが大切。難しく考えないで。あかちゃんが好きなのは親の声を聞くことなのよ」と若いお母さんに話しかけるクーリングさん。ひとりでも多くのお母さん、そしてお父さんたちがこの楽しさを知ってくれますように。

2016年5月17日火曜日

「なぜ、ぼくはがん治療医になったのか」

1996年に出版された「患者よ、がんと闘うな」という本の著者、近藤誠医師の「なぜ、ぼくはがん治療医になったのか」を偶然、図書館で見つけて2日で読破しました。

1998年発刊の単行本の文字がこんなに小さいとは・・・数字が一杯出てくるがん治療の詳細部分は頭がついていきませんでしたが、近藤医師の医学会への反乱とも言える発言がどのようにして生まれてきたのか、深くこころに届くことばに沢山出会いました。

少々長くなりますが、一部を抜粋します。

・がんで死ぬのは自然だが。治療で死ぬのは不条理そのものではないか

・闘う気持ちと闘って合理的な対処法を考えていくべきだ

・がんであっても危険な治療は許されない。治療のために一人も死なないですむ、そういう治療を目指すべきだと考えるようになった

・僕は今、患者さんが退出する間際にかけることばを失っている。でも僕はどんなことがあってもあなたを見捨てない。あながたどこへ行ってどういう療法を受けてもいい。戻ってきたらまた何も言わずに迎えてあげる。内心そういう気持ちで診察室を出て行く人の後ろ姿を見送っている

・辛くても自分で決めること


手術は成功したけれど患者は亡くなった、そんなことが少しでもなくなるように。医療者として、人間としての葛藤を思います。


2016年4月28日木曜日

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」

「事故や病気によって何らかの器官を失うことは、その人の体に、“進化”にも似た根本的な作り直しを要求します。リハビリと進化は似ているのです。生物は、たとえば歩くために使っていた前脚を飛ぶために作り替えました。同じように、事故や病気で特定の器官を失った人は、残された器官をそれぞれの仕方で作り替えて新たな体で生きる方法を見つけます。前者は何千万年、何億年、後者は数ヶ月や数年とかかる時間はだいぶ違いますが、どちらも同じ、器官から予想もしなかったような能力を取り出しているのです。こうした柔軟な“器官観”が、障害をかかえた人と接する上ではヒントになるではないかと思います」
伊藤亜紗著 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」


自走式の車いすを使う仲間との活動の経験から、彼らの「前脚」(腕)の力の強さをいつも感心している私です。自由に動き回るために車いすをいかに楽に操作するか。そのための努力を続けることによって、障がい者スポーツにも対応できる体と心になっていくのです。

「<見えない>ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること」という文章も衝撃的です。

人は何らかの能力を失っても、必ずそれをカバーできる力が出てくるものなのですね。「目からウロコ」の文章が満載された一冊です。

2016年3月12日土曜日

かぜのでんわ


山の上に一台の電話がおいてあります
今日も誰かががやってきました
線のつながっていないその電話で話をするために

岩手県大槌町(おおつちちょう)にある風の電話の絵本
その見開きにある文章

会えなくなった大切な人と話すため
帰らぬ人に想いをつなげるため

震災後5年たった今も
丘の上の電話ボックスにやってくる人たち
こころの重荷を少しでも軽くするために・・・

2015年8月14日金曜日

国語辞典三代


新しい国語辞典を手に入れました

初代の初版は1952年、私のは1961年改訂版
二代目は1972年初版、1992年第四版
そして今回の三代目は二代目の第七版(2012年)


初代と三代目も三省堂のフォントはほぼ同じ
見慣れた感覚が辞書にはとても大切

「英語の辞書は新しくなきゃダメ
コンピュータ用語なんかがドンドン新しくなっているから
10年に一度は買い替えてくださいよ」と
以前は英語の生徒さんたちに言っていたのに、
日本語の辞書には無頓着(むとんちゃく)でした

単にことばを探すだけでなく
時には辞書を読んでみようっと・・・

2015年3月5日木曜日

文品

1月末のどくしょ会でお話を聞いた後藤正治さん。講演会の後半は参加者からの質問に答える時間がありました。

「個人の評伝で取り上げる人はどのように選ぶのですか?」
「一言では言えないのですが、その人の持っている何かに自分自身が共感できる人、ということでしょうか」

「大きな業績を上げた人でも、個人的には色々批判を受けていることがあります。そのようなことは気になりませんか?」

「人は人格者と言われていても、その個人の生活が必ずしも穏やかで安定しているのではありません。多くの経験を持っているからこそ、魅力があるのです。“位相”が違うものに関してこだわりはありません」

後藤さんの文章には、普段お目にかかることが少ないことばが多く出てきます。文章の中でキラッと輝くことばです。「文品」文は人なり、このことばも印象深いものです。その後、詩人茨木のり子さんの評伝「清冽」を一気に読んで、このことばの意味をあらためて確認しました。

2015年2月26日木曜日

「きのね」

作家宮尾登美子さんが亡くなったあとに、作品を読んでみようと思って図書館に予約した「きのね」。文庫本上下巻二冊はそれぞれにしっかりした厚み。断食セミナーの荷物に入れました。

内容についても事前に何も知識なし。歌舞伎界のお話であることを読み始めてから気づいた私。戦前、戦中、そして戦後、女中奉公に出た主人公の一代記。「耐えに耐えた」という人生だったけれど、それが自分にとっての幸せなのだと思って行き抜いていく主人公の姿は「今時」(いまどき)の感覚とは全く違うけれど、違和感なく、引き込まれてしまいました。

新幹線の中で、断食セミナーのホテルの部屋で読みふけりました。特に、セミナーからの帰り、ひかりに乗り損ねて、初めてのこだまで、三島駅から京都まで延々3時間(それも少々遅れて)その時間が何とも嬉しく思えたほど、久しぶりに本にのめり込んでいました。

作家の技量というのでしょうか、きれいな日本語がとても心地よく、大満足で読了。一週間後の東京行きには、有吉佐和子さんの「青い壷」を駅で購入して、これも二日で読み切りました。小説はあまり読まない私なのですが、これからは著名な作家の代表作は読んでみたい、そう思った読書三昧の日々でした。


2015年1月30日金曜日

どくしょ会

ノンフィクション作家、後藤正治氏の天人ー深代惇郎と新聞の時代。出版を新聞で目にした時、すぐに図書館の予約をしたのですが、数ヶ月たっても、順番が回ってきませんでした。

そんな折、朝日新聞に「中之島どくしょ会に後藤正治さん」という小さな囲みの案内が出ました。著者ご本人がこの本についてお話なさるとの記事。これは行かねば、と申し込みました。そして、図書館から借りるのをあきらめて、新刊書を購入しました。

朝日新聞のコラム「天声人語」歴代の著者の中でもとりわけ有名なのが深代惇郎(ふかしろじゅんろう)さん。46歳で亡くなるまでの2年9ヶ月、書き続けた彼の天声人語は、今も名文として語り継がれています。戦後、新聞が日本のジャーナリズムをリードしていた時期の深代氏の交友関係を詳しく記しながら、この希代の「新聞の書き手」を浮き彫りにしていきます。
37階からの夜景

後藤正治さんの文章は以前からよく読んでいたのですが、今回のこの本も、グングン引き込まれていきました。360頁の本が終わるのがもったいないような、そんな気分になったほどです。

中之島フェスティバルタワー37階の「どくしょ会」の会場は、熱心な本好きの方々が一杯。今年の誕生日の夜はちょっぴりまじめな時間を楽しみました。

2014年11月12日水曜日

「だから日本はズレている」

1985年生まれの社会学者、古市憲寿(ふるいちのりとし)さんの著書「だから日本はズレている」。アマゾンの書評を見ると、見事に賛否両論に分かれている本です。私はおもしろいと思いました。

古市氏が「ズレている」と指摘する主なる対象は、国や企業の偉い人たちであり、「大人の社会」です。ITを駆使する若い世代と、それ以前の世代で違いがあるのは当然としても、彼の言う「ズレ」の感覚は「大人世代」の私も感じることが多いのが事実です。

組織の一員として「今までのありかた」を基準にしながら物事を考える世代は、これから将来、どうなっていくのかを考える時にも、「古さ」を引きずってしまいます。新しい発想が必要、強いリーダーの出現を、などという発言も、自分たちが大きく変わることなく、ことばだけでそれを表現する「大人」へのズレを感じている著者なのです。

もちろん、それは若い世代が「ズレている」とも言えるのですが、その違いをしっかり認識していくことが、これからはとても大切なのでは、と思います。20代、30代の人たちのことを「ゆとり世代」をもじって「ゆーとおり世代」と言い換えた新語が生まれているようですが、私は今までの世代(私自身の世代を含めて)とは違う、この世代の、ゆったりした、感覚が大好きです。暖かくてやさしい、そんな世代であるように感じるからです。

「ズレて」いても「違って」いてもいいじゃないですか。そこをしっかりわかった上で、上手に楽しくつきあっていけば・・そう思う私です。


2013年7月17日水曜日

絶対語感

「絶対語感」ということばを思い出して、本棚から昔読んだ本を引っ張りだしました。“我が子に伝える 「絶対語感」”というタイトルです。副題は「頭の良い子に育てる日本語の話し方」。著者の外山滋比古(とやましげひこ)さんの肩書きは、英文学者・言語学者・評論家・エッセイスト。

他の音と比較しなくてもある音の高さ(音程)がわかる「絶対音感」は、音程という共通点がありますが、「絶対語感」は各個人が成長過程で身につけたその人特有の語感のこと。生まれた赤ん坊がことばを身につけていくのに、周りの人、特に母親の、ことばに関する感性が何よりも大切。そこで「美しく正しいことば」を身につけると、それは一生消えることのない「財産」となるのです。


関東と関西では全く違う「絶対語感」が存在する以上、京都にいながら、祖母から関東のことばで育てられた私の持っている「絶対語感」に特徴があるのも納得。

時代とともに日本人の絶対語感も変化してきているので、私の苦手な(?)「着れる」「食べれる」表現が普通だと感じる人が増えているのも現実。

日本人として「きれいな日本語」をこどもたちに、と記す英語の専門家でもある著者の意見にも改めて共鳴した私でした。



2013年7月1日月曜日

写真集


予約していた本を取りに近くの図書館へ
新刊書の棚で見つけた写真集

ルポルタージュ写真を撮り続けている大石芳野(おおいしよしの)さん
2011年5月から撮りためた228枚の写真
地震・津波、そして原発事故、生活の全てを奪われた人たちの記録

写真に添えられた短いコメントに込められた深い意味
モノクロ写真から生まれる静かな訴え

偶然の出会いに感謝した写真集

2013年6月22日土曜日

「舟を編む」

「右」ということばを、どう説明しますか?

映画「舟を編む」(原作、三浦しをん、2012年度「本屋大賞」受賞)で耳にした質問です。普段何気なく使っていることばを説明しようとすると、それが簡単なことばであればあるほど難しいもの。

映画の中で、主人公は「北を向いた時、東にあたる方向」と言い、辞書編集作業の中で、監修の老国語学者は「数字の10のゼロのあるほう」と言っていました。手元にある高校時代から使っているボロボロの国語辞典は「日の出るほうへ向かって、南のほう」という説明です。

辞書づくりとは、言葉を集めて一つ一つに説明を付けていく作業。それは約24万語の言葉を集めた辞書であっても同じこと。気の遠くなるような作業の連続で、完成まで十数年かかるのが当たり前・・・

監修者や編集者の意向で選ばれる言葉によって、辞書はそれぞれに特徴が現れ、説明の表現も多種多様。

電子辞書やインターネット検索で簡単に言葉の意味を探しだしている昨今。ても、紙の辞書の「おもしろさ」は味わうことはできません。言葉の海にのんびり船出できる時間も必要なのでは、と思いました。


2013年1月30日水曜日

三つの鍵

曽野綾子さん著「幸せは弱さにある」(いまを生きる「聖書の話」)を読みました。中学・高校がクリスチャン・スクールだった私ですが、「そういえば、最近は聖書の言葉から遠ざかっているな」と思いつつ読みました。

懐かしいフレーズや初めて目にする言葉が現代の私達にどのようなメッセージを伝えているか、それがわかりやすく書かれています。

最後のメッセージは、本当の幸福を手にすることのできる「三つの鍵」。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、イエス・キリストにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケの信徒への手紙 1, 5章15節)

「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する。この三つの鍵を使えば、必ず死ぬまでの時間は有意義になります」とこの本は結ばれています。

どのような状況であったとしても、この三つの鍵のことを覚えていたいと思います。


2013年1月25日金曜日

「福島、飯舘 それでも世界は美しい」

久しぶりに一晩で一気に読みきった本です。


著者の小林麻里さんは2004年39歳での結婚を機に、福島県飯舘村(いいたてむら)に移住し、自然卵養鶏をご主人と営みます。そのご主人が2007年、肺がんで3ヶ月の闘病で急逝。地域の仲間に支えられながら、少しずつ自分の生活を作りつつあった時に3・11を迎えることに。

大きな揺れ、その後の原発事故による混乱。読んでいて胸が痛くなる状況の中、「放射能よりも恐ろしいのは心が壊れてしまうこと」と考え、福島市の福祉NPOの職場での事務の仕事を続け、飯舘村の家に週末に戻る生活を続ける小林さん。

お互いに支えあった飯舘村の仲間の多くが去ってしまっても、ご主人が亡くなったその場所が自分の戻る所と心に固く決めて、自然とともに暮らす様子が書かれています。

飯舘村から逃げないのは自分自身から逃げないことだという小林さんは、放射能に汚染された飯舘村の自然の美しさに改めて気づきます。そして、そこに生きる鳥や虫に心を寄せ、すべての命が連なっていることを想うのです。

「それでも世界がこんなにも美しいのはどうしてなんだろう」

「天はまだ私たちを見捨てていないのだ、私たちは奇跡のような世界に生かされているのだ」


抜き書きしたい文章が一杯です。ブログで全てをお伝えすることは無理です。多くの方々に読んでいただきたい一冊です。