2011年12月31日土曜日

忘れないで


今朝もラジオに手が伸びてスイッチをオン。目を開けて時間を確かめるのは億劫(おっくう)で、放送の内容で大体の時間がわかるのがいいのです。

福島県の浪江町から新潟に避難している男性の声が聞こえてきました。奥さんは看護師さんなので、患者さんと一緒に東京へ。一人娘さんは、下宿して福島の高校に通い、週末は仙台の祖母の家へ。この男性自身は、避難所を転々として、現在、新潟県の魚沼市のNPOに職を得て働いていらっしゃるとか。

「震災から何ヶ月、と言っても、まだまだこころの中は空っぽです」「今まで多くの方々にお世話になってきました。来年は少しでもお役に立つことがしたいです」

丁寧な物言いの中に、感謝のことばがあふれます。

そして最後に「福島を忘れないでください」と結ばれました。

2011年が終わろうとしています。去年の大晦日とは全く違う生活となった方々のことを、忘れないでいたいものです。

2011年12月30日金曜日

捕まった!

12月29日午後、やること一杯・・・なのに、サッカーに「捕まった」。天皇杯準決勝。京都サンガの試合。2対1でサンガリード。あと1分で終了・・・となったところで、横浜マリノスが得点、あ~あ・・・延長戦です。

横浜マリノスには、私ですら、名前を知っている選手たち、中村俊輔、大黒(おおぐろ)、中沢などなど。一方のサンガは若手中心ですから、知っている名前は一人もなし。めちゃくちゃ押し込まれても、必死のディフェンスで防ぎます。

延長後半、サンガの18歳の久保選手が得点ですよ!!!!残り4分の長いこと。足がつって走れなくなった選手が出るほどのすごい試合。90分+30分、走り回るのですもの、大変です。そして、何と何と、後半15分にもう1点。2点差でロスタイム1分。見ているだけでもう興奮します!

今年はなでしこフィーバーで、私もサッカー開眼というところ。元日の国立競技場の決勝戦を見なくてはいけなくなりました。相手はFC東京。史上初のJ2リーグチーム同士の対戦となります。二年越しのサッカー観戦です。

全日本ユースU15で、サンガユースが29日に優勝しています。平均年齢23.3歳のお兄さんチームも天皇杯目指して、がんばれ!

2011年12月29日木曜日

雑用


     「世の中に雑用というものはない
     あなたが用を雑にこなした時に
     雑用が生まれるのである」

     年末の慌ただしい日々。
     次から次へと出てくる「やるべきこと」。
     「雑用」にしないように、こころしなければ・・・

2011年12月28日水曜日

チェンジニアリング

先日のテレビで見た、中小企業の社長さん。家業の和菓子製造を継いでから、機械化ができないか、ゼロから試行錯誤。今ではあんパンや肉まんなど、具材を生地で「包む」機械のシェアトップの企業となりました。70歳を越しても、まだまだ新しいアイディアは一杯の現役。「止まったらだめ。やり続けることです」とおっしゃっていました。この会社では、開発に時間をかけ、何度も失敗する余裕をもって社員が働いているのです。

このような会社は実際の現場では少なく、現在の日本では、新しいものを作り出す現場力が落ちているようです。

機械設計の原点を大学教授や社会人が手弁当で教えるセミナーが関西で11年間続いているという記事がありました。ゼロから考え出すプロセスを、企業から派遣された若手のエンジニアや工学部の大学生たちに教えます。既存の考えではなく、新しい技術を創造するプロセスを体験するのです。

「モノ作り」ということばは、日本の得意分野であると言われています。ですが、現在の企業の設計担当者の多くは、既存の製品を改良したり、仕様変更することが仕事になっていて、新しく作っていく分野は苦手なのだそうです。「エンジニアリング」ではなく、「チェンジニアリング」と揶揄(やゆ)されている現実だとか。

11年間積み重ねられている実践的な設計教育が今後、日本の生産現場で創造性豊かなエンジニアの育成につながってほしいなと思いました。

2011年12月27日火曜日

一番の寒さ

この冬一番冷えた朝

白い比叡山


白い公園


白い「止まれ」

2011年12月26日月曜日

高校駅伝

12月25日、クリスマスの日の「全日本高校駅伝」。22日からわが家に滞在中の香港のMandy(大阪マラソンを走った彼女です)と一緒に、午前は女子の競技観戦。折り返し地点の近く(烏丸紫明)へ。曇り空、寒いったらありゃしない!


先頭です



先導の白バイも女性二人
かっこいい!


復路もがんばれ!


裏方さんもごくろうさまです


午後は男子、フルマラソンコース
わが家のご近所、国際会館が折り返し地点


走り終わった選手達


最終ランナー、がんばれ!

雪が心配された日曜日。比叡山もくっきり見えた午後。年末の駅伝観戦。
あちこちに行ったり来たり、私の足が棒になりました。

2011年12月25日日曜日

Merry Christmas!

京都梅小路蒸気機関車館
懐かしいSLが「動態(どうたい)保存」されています

今年の年号には一つ足りませんが
Merry Christmas!

2011年12月24日土曜日

預けられた日

昨日、23日の朝、何だか変!
ソファーが動いて、その下から僕のスナックが一杯出てきて・・・



みんなが、バタバタして・・・
そして、午後になったら僕は預けられて・・・

トリマーさんのところだから
かわいがってもらったけれど
本当は、家にいたかったのに
何があったのかな

みんな、何だかうれしそうだったけれど・・・

12月23日、毎年、何だか変!
クリスマスのイブのイブ

2011年12月23日金曜日

震災を詠む

「震災を詠(よ)む」という番組を偶然目にしました。大震災後の短歌が紹介されていました。

   本堂の
   遺影のあまた
   笑(え)みており
   日差しの中に
   慰霊祭を待つ

   「じゃあまたね」
   いつもの声を
   留守電に
   残して友は
   逝(い)ってしまいぬ

原発事故を詠んだものもありました。

   コスモスの
   揺らぎのように
   問うてくる
   「送ってもいーい」
   角田の新米

   (福島県に近い、宮城県南部にある角田(かくた)市の友人が電話で聞いてきた)

   窓あけて
   涼風病妻(つま)に
   送りたし
   されど叶(かな)わぬ
   原発の夏


少ない文字の中に、多くの想いがこもっています。情景が浮かんできます。普段使わない言葉も多いのですが、整ったリズムはすてきです。短歌は俳句とともに日本語文化の大きな財産です。

2011年12月22日木曜日

「じゅうたん」二つ


黄色い落ち葉・赤い落ち葉
風のない日の二つの「じゅうたん」

2011年12月21日水曜日

たばかる


「たばかる・・・?」

ラジオの朗読番組から聞こえてきた日本語。全く手がかりがありません。「たばかる」とひらがなで辞書検索をしたら「謀る」「誑る」という漢字が出てきました。

 「謀る」
  1.計略をめぐらしてだます。たぶらかす。
  2.計画・方法などを思いめぐらす。工夫する。
  3.相談する。

 「誑る」:企てる


ことばの「密林」には、名前の知らない樹木が生い茂っています。英語はもちろんですが、母語である日本語でもその数知らず。

昔は母という「生き字引」がいましたから、あれこれ質問は簡単でした。今は母に代わって、コンピューターの辞書検索に頼っている私です。そういえば、広辞苑も引かなくなりました。

2011年12月20日火曜日

花屋さん

すてきなお花やさんを見つけると足が止まる私

色別のディスプレーに大感激したのは
マンハッタン五番街にあった高島屋の一階
もう随分昔のこと

日本もこんなお花やさんが増えてきたのですね



2011年12月19日月曜日

お迎え

「まだお迎えがこないの」と突然祖母が言いました。40年以上前に、90歳で亡くなった母の母です。少しずつ「ぼけ」は出ていましたが、何でも自分ででき、しっかり食べていました。最後の一ヶ月だけ寝たきりになりました。その祖母が言ったのです。「まだお迎えがこない」と。

12月の上旬でしたから、家族のみんな、何となく、祖父の祥月命日18日を思いました。お迎えは「その日」ではないかと。

そして、「18日」に祖母は静かに旅立ちました。50年以上も未亡人だった祖母です。同じ祥月命日に旅立ちたかったのかも知れません。

仙台で在宅で患者さんを看取っているお医者様のことばをテレビで聞きました。自宅で最期を迎える人たちは、多くの場合、「お迎え」を待って旅立っていると。自分の人生の締めくくりを、病院ではなく、生活の場で迎える人たちは、そこに住んでいた、先に旅立った人たちに迎えられて「あの世」に行く、と。

祖母の場合は、もちろん何十年も住んでいた家から旅立ったのではありませんでした。ですが、家族に囲まれ、とても自然にこの世での時間を終えることができました。去年の母の旅立ちも穏やかなものでした。祖母が「お迎え」に来てくれていたのでしょうか。

12月は、私にとって大切な人との別れが多い月。短いおつきあいだったけれど、私に暖かい思い出を残してくれた人も。今も、みんなとつながっている、それを信じる私です。

2011年12月18日日曜日

小春日和

珍しいお昼前の散歩
ぽかぽかした日
これが本当の「小春日和」(こはるびより)
幼稚園のピクニックも気持ち良さそう



Chuckの影も「ふんわり」



真っ青な空をバックに「やつで」の花と居残り中の「さくら」の葉っぱ


2011年12月17日土曜日

節約

食糧自給率の低さが問題になっている現代の日本。NHKラジオ深夜便で耳にした数字によると、年に600万トンの食料が生産されたり輸入されたりしている日本で、200万トンが廃棄処分になっているというのです。賞味期限が切れているという理由でまだ食べられるものが捨てられたり、パーティーなどの食事の15%は手つかずのままで処分されているというのです。一方では、現代の日本の中でも満足に食べられない人たちが増えているのが現実です。

公平な配分ができる社会となるために、まず私たち一人一人にできることが「節約」だと、この日のゲスト東京大学の月尾嘉男(つきおよしお)教授が話していらっしゃいました。日本にとって節約こそが最大の資源となり、安全保障にもつながるというのです。

「もったいない」ということばが生まれた国、日本。食べ物だけでなく、身の回りのすべてにおいて私たちの祖父母の世代が持っていた節約の感覚を思い出すことが大切な時代となりました。

自分自身にとって何が大切なのか。どういう生き方がしたいのか。それを考えるきっかけともなるラジオからの放送。半分寝ぼけていましたが、とてもこころにしみた番組でした。

2011年12月16日金曜日

ひとりサッカー

一人(匹)で追いかけて



一人(匹)でディフェンスして



リバウンドを待って
(サッカーにリバウンドってあったっけ?)



ゴールキーパー
(本当は疲れたの・・・ぼく)


2011年12月15日木曜日

午後の虹

国際会館と比叡山、そして午後の虹

「時雨(しぐれ)虹」ということばを
NHKの天気予報で耳にしました
これからの岩倉は
「時雨虹」が楽しめる季節です




(おまけ)
植物園の噴水にも虹を発見

2011年12月14日水曜日

白い朝

葉っぱは白いトリミング



遊具も冷たそう・・・



白い朝
比叡山も遠くで震えてます


2011年12月13日火曜日

お別れ

浅田真央さんのお母さんが亡くなりましたね。まだ40代の方の旅立ちは早すぎます。真央さんのコメントを新聞で読みました。

「この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました」

1984年頃から、父の具合が深刻になり、半年ごとにシカゴから京都に帰っていた私でした。日本を発つ飛行機の窓から外を眺めながら、「父とはもうお別れかな・・・」と毎回考えていた自分を思い出しました。

去年の今日、母が旅立ちました。丸一年です。静かなお別れでした。

大切な人との別れを経験しながら、私たちは生きています。どんな時でも大切な人たちと一緒に。

2011年12月12日月曜日

カウンセリング

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。その2週間後ぐらいだったと思います。友人からの連絡があり、通訳のボランティアができないか、というものでした。アメリカの心理学者たちが被災者のカウンセリングのために日本に来る予定を立てているというのです。

「そりゃ無理だな・・・」と思いました。被災してまだ時間がたっていない状態で、それも通訳を通したカウンセリングは、受ける人にとって辛いだろうな、と思ったのです。結局、その計画はなくなったようです。

カウンセリングは技術を身につけなくてはいけない仕事で、かつ経験が必要です。クライアントの状況を冷静に観察しながら、こころの問題をほぐしていかなければなりません。ですが、マニュアルに沿っただけのカウンセリングであれば、それは決してクライアントのこころに届くことはないはずです。カウンセラーの「思い込み」があったりする場合はなおさらです。

先日の早朝、何気なくラジオのスイッチを入れたら、「被災者の方と一緒に泣いてしまったのです。本当に二人で泣きました。でもそのあと、被災者の方も私も、とても気持ちがすっきりしたのです。初めて本物のカウンセリングをした気持ちになりました」と聞こえてきました。

東京大学社会学部教授の玄田有史(げんだゆうじ)さんでした。希望の社会科学、つまり「希望学」を提唱していらっしゃる方のようです。

寝ぼけていましたから、はっきり覚えているはずはないのですが、なぜか「一緒に泣いた」というところを鮮明に覚えています。被災者の方の苦しみにそっと寄り添った、その姿を思い浮かべることができたからだと思います。これこそがカウンセリングの真髄です。

2011年12月11日日曜日

皆既月食

10日夜の皆既(かいき)月食
きれいだった
寒かった

全部欠けるまでは待てなかった
眠かった・・・

2011年12月10日土曜日

十四日月


クリスマスムード一杯の京都駅。お月様は十四日月。何か特別の名前があるかと思って調べましたが、特になし。「いざよいの月」が思い浮かんだけれど、これは満月の翌日の月のこと。いざよって(ためらって)お月様が満月より少し遅く顔を出すから、という説明がありました。きれいなことばですね。

今晩は、皆既月食。さて、十五夜満月も機嫌良く顔を出してくれることでしょうか?

2011年12月9日金曜日

女子ジャンプ


私がずっとあこがれていたのが「ジャンプ」です。飛んでみたい、とずっと思っていました。(本物は無理でも、この夏、空中滑降ができて、とっても満足な私ですが・・・)スピード感覚と空中滑空(かっくう)、これはどう考えても「かっこいい」のです。

ニューヨーク州のレークプラシッド。1980年のオリンピック冬季大会の開催地。カナダ国境まで続く広大なアディロンダック国立公園の中にあります。ここを車で通った時、100メートルを越すジャンプ台(ラージヒルは130メートル)の高さに目を見張りました。山肌に沿って作られたのではなく、鉄骨が組み上げられたジャンプ台は、とにかく「高い」、とにかく「大きい」。

初めてのワールドカップ女子ジャンプが12月3日、ノルウェーのリレハンメルで開催され、日本の15歳の高梨沙羅(たかなしさら)さんが5位になりました。87メートルを飛んで、中学生が初めてのワールドカップで入賞です。優勝したアメリカの選手は100メートル近く飛んでいます。

次回、ロシアのソチオリンピックでは正式種目となる女子ジャンプ。また見たい競技が一つ増えました。あの高さから飛び出す選手たちに、改めて尊敬の思いを持って観戦します。

私と同じように、スキーのジャンプ台の高さにびっくりした人が書いたブログです:

驚嘆する・・スキージャンプ台

2011年12月8日木曜日

平行線

飛行機雲と電線
平行線に見えませんか?

空をぼーっと見上げるのが好きな私
あれこれ見つけて楽しんでいます

2011年12月7日水曜日

12月の南天


お花の手みやげ、一番うれしいプレゼント
いつもの「美山」のお花です

新聞にくるまれた大きな枝ものと南天の陰に
ひっそりとお花が入っていました

こんなに立派な南天を今、出荷してもいいのかしら
お正月用はまだ残っているのでしょうか

いつもながら、
気前のいい「美山のおばさんたち」の姿が目に浮かびます

2011年12月6日火曜日

「ふくしま」からの声

おとといのブログで書いた、12月3日開催の三元中継:Talk In: Fukushimaの再生。

福島県飯舘村(いいたてむら)の菅野宗夫(かんのむねお)さんから、直接お話を伺うことができました。菅野さんと、ふくしま再生の会がつながり、その発起人の一人である田尾陽一さんが、私が関係しているGlobal Voices from Japanの実行委員長であるというご縁から、東京と京都の留学生たちが集まることになったのです。

菅野さんのお話の要点です:

・飯舘村は福島県北部、面積230平方キロ、その75%が森林。太平洋からは30キロ。福島第一原発からは30~50キロの地域。

・村民6300人、1800世帯であったが、避難後は世帯数が約2800となる。菅野さんのお宅も、息子さんの家族(孫2人)と別居になる。

・計画的避難地域になり、あちこちに分散した避難所で住民の3割が生活。借り上げ住宅やアパートで7割が生活。

・3・11当初は、原発の近くの住民が飯舘村に避難してきた。原発事故よる汚染の詳細は何も知らされなかった。

・地震や津波は地球が「生きている」から起こってくること。人は、それに対応する知恵を積み重ねて今後も暮らしていかなければならない。それに対して、原発事故は人間が作り出した科学技術が引き起こしたもの。本来なら、事故が起こったとしても、それをコントロールできる技術がなければ、使ってはいけないものであった。

・国による除染作業がやっとスタートしたところ。今後、この作業の進み具合によって復興への道のりが決まる。

・村民の中には、もう地元には戻れないと考え始めている人も出てきた。まだ「どん底」にも達していないのかもしれない。光は全く見えない。

・しかし、たとえ現在、放射線量が高い状態であっても、まだ村をあきらめたくはない。世界の知恵を全て集めて、村を再生していきたい。

・原発事故は単に、福島だけの問題、日本だけの問題ではない。地球に住む全ての人が共有すべき課題である。今後、決して風化させてはいけない。


菅野さんから現在の深刻な状況を伺うと、村民の方々の絶望感が伝わってくるようでした。そんな中、菅野さんの冷静な見事に整理されたお話は、当時者だからこそ伝えられる力があふれていました。最後に菅野さんがこうおっしゃいました。

「今日はありがとうございました。お話ができて、私のストレスが随分解消されました。また次のTalk Inで、飯舘村がどうなっているのか、私の考えがどう変わっているのかを、お話したいと思います」。

夕方、東京の担当者が菅野さんにお礼の電話をしました。その折のコメントです。

「世界の方々が、福島の問題を自分達の問題として考えてくれてることを実感できて、本当にうれしかった。ぜひ、皆さんに来ていただきたいです」。


離れて住む私たち、これからも飯舘村を、そして多くの大震災の被災地にこころを馳(は)せていかなくてはいけません。


飯舘村に関しての色々なサイト、ぜひご覧ください。

河北新報ニュース 「村へ帰る」信じ除染/農業・菅野宗夫さん=福島県飯舘村

住民と留学生、ネット討論 福島・飯舘と東京、京都結ぶ (河北新報)

土井敏邦Webコラム:日々の雑感 221:飯舘村・NHKドキュメンタリーの底力

「Talk In: Fukushimaの再生」のUSTREAMです。動画サイトがうまく貼り付けられません。このURLを反転、右クリックで表示します。
http ://www.ustream.tv/channel/talk-in-fukushima

2011年12月5日月曜日

2011年12月4日日曜日

三元中継

福島原発事故で全村計画的避難区域となった福島県飯舘村(いいたてむら)。住人の菅野宗夫(かんのむねお)さんのお宅、東京の工学院大学と京都の立命館大学、三カ所をSkype(スカイプ)でつないだ、三元中継を実施。ビデオ会議のように、それぞれの画像を見ながら、お話を聞いたり、発言したりしました。

前日に入念なリハーサルをしたのですが、3日当日、飯舘村では、東京と京都の画像を見ることができませんでした。理由はわかりませんが、雨が強く降っていたのが原因かもしれません。Skypeの画像が止まることがあるので、ネット上で動画生中継ができるUSTREAM(ユーストリーム)でバックアップ。飯舘村からの画像を、東京と京都の会場で無事に見ることができました。

どんなしくみで、何をどうすれば、この三元中継が可能になるのか、私自身は全くお手上げです(Skypeで相手一人なら、どうにか使えますが)。立命館の担当者と、私たちの仲間(二人ともITはしっかりわかる世代です)のサポートで、コンピューター操作もトラブルなく進行しました。

世界中、どこでもこのような中継は可能になった現代です。居ながらにして、情報を共有できます。今回、3月11日以降の飯舘村の出来事を、当事者の菅野さんから、直接お話を伺うことができました。(詳細は後日)。

最初、接続に少々手間取って、3時間以上になった三元中継。飯舘村の司会者が番組を締めくくる挨拶をすると、東京・京都、それぞれの会場から大きな拍手がおこりました。密度の濃い3時間でした。