2016年8月31日水曜日

講演会「生きるということ」 #3

細谷亮太先生の講演の最後に会場からの質問がいくつかありました。「私の娘は20歳後半です。寝たきりで、知的な遅れもあり、本人との会話はできません。先ほどのDVDのお嬢さんのように、本人が何を考えているのかどうか、わかりません。答えをいただける質問ではないのはわかっていますが、自分がどうすべきか、日々思い悩んでいます」

細谷先生のコメント:
「僕の話が答えになるとは思いません。生きることに正解はないと思います。与えられた命を十分に使いきること、それだけだと思います。

お嬢さんとの生活の中で、どんな小さなことでもいいですから、キラッと光る時間を作ってほしいのです。人と人がふれあうこと、そこから生きるためのエネルギーが生まれてきます。お母さんにとっても、それが一番大事です」

「現在70歳となった僕は平均寿命のもう85%を生きたことになります。長年、幼くして亡くなってしまう子どもたちを見てきた僕にとって、もう、これはすごいことなんです。いつお迎えの車がやってきたとしても、それに素直に乗っていこうと思っています」

現在の医療が抱える、延命治療の質問に対して細谷先生がおっしゃったことば。最期の時の過ごし方も含めて、自分の生き方は自分で決めること。その大切さへのアドバイスでした。

京都から片道2時間近くかけて出かけた講演会。脚の痛みがなくなったからこそ、しっかり歩いていけました。小さな新聞記事に感謝です。


2016年8月30日火曜日

講演会「生きるということ」 #2

細谷亮太先生の講演会で見た二つ目のDVD、18歳で亡くなった女の子のお話でした。

生まれつき心臓に欠陥があり、8歳の時、ドイツで心臓移植を受けました。その後、体型が変化して呼吸がしにくくなり、人工呼吸器の装着をしたのが15歳の時。声を出すことはできなくなりました。

自宅で、ご両親との生活を望んだこの女の子は、筆談や携帯での文章入力でコミュニケーションを続けます。徐々に体全体の機能低下が進み、腎臓がうまく働かなくなりました。透析をしなければならない状況です。でも、そこで彼女は透析を受けないという選択をします。「命は長さじゃないよ、どう生きるかだよ」と主治医の先生や両親に伝えます。

日に日にむくみがひどくなる娘を見て、こころが揺れる父親は主治医に相談します。「何としても治療をうけさせて、一日でも長く生かせてやりたい」と。改めて本人の気持ちを聞く、ご両親と主治医。そこでも彼女の決意は変わりません。「私が決めたのだから、どんなことになってもちゃんとするから・・・」と。

そして、彼女は最期は眠るように旅立ちました。両親や周りの全ての人に感謝のことばを記した手紙を残して。

「両親との楽しい時間がいっぱいできました」「大好きな海のにおい、そしてやさしい人たちのいいにおいを私は忘れません」


2016年8月29日月曜日

講演会「生きるということ」 #1

新聞で偶然目にした講演会。タイトルは「生きるということ〜今、私たちにできること」講師は聖路加国際病院で長年小児科の先生をしていらした細谷亮太医師。小児がんの専門家。大阪YMCA会館まで出かけました。

先生ご自身の幼少期のお話からお話はスタート。子どもがあちこちに一杯いた、戦後の秩序が少しずつ整っていく中での先生の生い立ちです。そこから現代の子どもを取り巻く事情へと話が進んでいきます。

そして、NHKが取材した聖路加病院の小児科病棟のDVDを紹介されました。6歳の2人の男の子が同じ部屋で仲良く過ごしています。一人は骨折の治療のため、もう一人は悪性の小児がん、少しずつ症状が進んでいきます。

「これ以上の治療はやめて、本人が一番やりたいことをさせてあげる時期になったようです」と話かける先生に、ご両親は「本人にとって、友達や先生、スタッフと過ごす病院の時間が一番幸せなのです。病院の場にいさせてやってください」と答えます。

がんの転移が広がって、目が見にくくなったこの男の子に、同室の子は彼なりのこころくばりを続けます。一緒に絵本を読んでもらう時には、ことばで、どんな絵本が手元にあるのかを伝え、どの絵本を読んでもらおうか、と語りかけます。

「僕は夜中は起きているの。○○ちゃんがゲーッしたら、看護師さんをよばないといけないから」と話す6歳の男の子。彼が外泊した日に「相棒」は亡くなりました。

「○○ちゃんはお星さまになったよ。もう会えないんだよ」とお母さんに話しかけられても、ベッドにうつ伏して返事をしない男の子。病院の中でのお葬式にはどうしても行く、と言い出します。

「二度と会えない、でも○○ちゃんのことはいっぱい覚えているよね」と話しかける細谷先生。自分なりに友だちの死に必死に向き合う6歳の男の子の姿が今も目に焼き付いています。

「私たちおとなは、自分が子どもだったことを忘れないことが一番大切なのではないでしょうか」とおっしゃった細谷先生。普段の生活では見落としている何かを感じることばでした。






2016年8月28日日曜日

日よけ


京都の夏は大文字の送り火が終わると涼風が立つ・・・
はずだったのに、今年の夏の暑いこと

連日の猛暑日の中、屋外での仕事をする人たち
ごくろうさま、と目をやると
頭の上に傘が開いていました

直射日光は防げるかしら
早く涼しくなるといいですね

2016年8月27日土曜日

親子のあり方

新聞の「惜別」欄で、23年前に国連ボランティアとしてカンボジアで活動していた息子を殺害された中田武仁(なかたたけひと)さんが亡くなったことを知りました。

55歳での息子、厚仁(あつひと)さんとの突然の別れ。その後、息子の遺志を引き継ぐ形で引き受けた国連の名誉大使。英語力を生かし、各国で活動する日本のボランティアたちを訪問して励まし、その安全確保のために尽力した15年だったとのこと。

中田さんの最初のアフリカ視察に同行したという記者のことば:「喪失感に耐えた先にある、息子への尊敬の念。対等の人格として客観視する姿勢に、親子のあり方を考えさせられた」

息子と同じ意志を持って開発途上国で活躍するボランティアたちへの暖かいまなざし、こころくばり。悲しみの後の、多くの若者との出会いは、中田さんにとって家族が大きく広がる感覚だったのではないかしら、と想像する私。

「あっちこっち、2人で一緒にでかけているでしょうね」という中田さんの奥さまのことばもすてきでした。




2016年8月26日金曜日

夏のあじさい



友人宅の小さな鉢植え
8月なのにあじさいが咲いていました
花はすっかり終わったはずなのに
夏の暑さの中でこんにちわ

2016年8月25日木曜日

難民問題を考える

朝日新聞に掲載された作家の池澤夏樹さんのコラム「難民問題を考える」。

色んなことばに出会いました。

「今の日本で安楽に暮らして、アイドルやポケモンGOに熱中しているあなたは、自分がなんとしても国を出なければならない事態を想像できるか?」

「とこまでも腐敗する独裁政権と各派が乱れて戦う内戦状態と、どちらがましなのか。英語でいうなら、betterではなくless worseを問うべき事態」

「乱世はすでに始まっている」

「我々は排除と独占と抗争の世界の入り口で戸惑っている。多種多様な人が混じり合って平和に暮らすには叡智が要るが、その叡智がみるみる減ってゆく」

住み慣れた場所を去らなければならない、多分永遠に・・・
その時のその人の気持ちに想いを馳せる力、それだけは忘れないでいたいと思います。

難民問題を考える 上

2016年8月24日水曜日

きゅー技

何のスポーツかおわかりですか?
みんな「きゅー技」です

庭球・蹴球・籠球・闘球・杖球・羽球
送球・排球・打球・卓球・水球


答えはまた明日・・・ではなく

庭球:テニス
蹴球:サッカー
籠球:バスケットボール
闘球:ラグビー
杖球:ホッケー
羽球:バドミントン
送球:ハンドボール
排球;バレーボール
打球:ゴルフ
卓球
水球
(杖球はゴルフの意味にも)

以上、テストおわり


2016年8月23日火曜日

夕方の富士山


このところ、数回の東京往復の折に姿を見せてくれなかった富士山
東京から戻る時、いつもと違う顔で登場

台風が近づいた夕方
シャッターを切り続けて
ピントが合う写真を数枚ゲット


2016年8月22日月曜日

抜けてること

「女の子はちょっぴり抜けているのがいいのよ」

これは私のピアノの先生のことば

私が小学校6年生あたりだったかな
今でもはっきり覚えているのです

学級委員としてクラスをまとめ
それなりに「勉強のできる子」だった私
からだも大きくて
周りからボス扱いされていた頃

そんな私への
女性(女の子)差別・・・ではなく
女の先生からの暖かいアドバイスでした


それからの私は先生のことばを忠実に守ってきました
頑張って、必死になって・・
というのが苦手なおとなになりました

それでも中年になるまでは
それなりに肩に力が入っていました
あれこれあった時にも必死で「考え」ました

でも、いろいろあったからこそ
今は「抜ける」ことの大切さを思います
パンパンに気持ちが張っているのではなく
必要なガス抜きができるようになりました

時にはうまくいかなくてイライラしますが
でも以前に比べたら、ずっと上手になりました

ピアノの先生のことば
小さい時に感じたものと
少しニュアンスは変わったきましたが
今も私のこころにしっかりと残っています


2016年8月21日日曜日

コンビニが帰ってくる

キンコンとなって男性の声
「ご近所に開店するコンビニのちらしポストに入れておきます
よろしくおねがいいたします」


よしよし・・・
やっとコンビニが帰ってきます

15年以上前からあったご近所のコンビニ
それがなくなると・・・

普段はめったに行かないのに
何となく「不便」を感じていたのです

それにしてもconvenience storeとは
よく名づけたものだ


2016年8月20日土曜日

終末期医療について

超高齢化社会を迎えている日本。いかに死ぬべきか・・・のような記事が新聞・雑誌、そしてネット上でも目にすることが多くなりました。「死」をタブー視していた頃、20年ぐらい前の社会とは大きく様変わりしているようです。

朝日新聞の記事に回復が見込めなくなった高齢者が「治療」のために入院を続け、その費用が高額になっている現状が書かれています。本人も望まなかった延命治療であっても、救急車で運ばれると、延命処置がほどこされ、それは中止できない、と言われてしまうのです。たとえ、本人が延命治療はいらないと意思表示を前もってしていたとしても。

本人のためにも治療を中止してほしい。高額医療費が使われることは申し訳ない。そう考える家族もいる一方、一日でも延命してほしいという家族も記事の中にでてきます。

借金に追われ、高齢の母親の年金に頼っている夫婦にとって、母親が少しでも長く生きてくれないと、自己破産になってしまうというのです。年金は、高齢者本人だけでなく、収入のない、または不安定な家族にとっても「生きるためのよりどころ」です。今後もこのようなケースが増えてくるのでしょう。

人の生き様、そして死に様、それは一人一人全く違っています。でも個人を支える社会のシステムがどこまで続いていくものか。答えのない問題をみんなで考え続ける必要があるようです。



2016年8月19日金曜日

ろう芸術



ただ燃え続けるだけのろうそく
日に日に形を変えていきます
あるがままの「ろう芸術」


2016年8月18日木曜日

時代遅れ

車いすフェンシングの仲間とのやりとり、こちらはコンピューターで送信することがほとんどですが、若い彼ら(40代のスタッフも含めて)はほぼ全てスマホからの返信です。書類作りも「スマホでできますよ」とケロッとしています。

方や、私はスマホで文章を入力するのに、四苦八苦。五十音の順番がまだわかっていないのかしら、と思いつつ、キーボード入力の「50分の1」ぐらいのスピードで(百分の1かもしれません)フリック入力をやってます。

ダイアモンドオンラインの記事がとてもおもしろかった、というより目からウロコです。

今の若者はキーボードが苦手。タッチパネルなら大丈夫。会社に入って、必要ならキーボードを学ぶけれど、全体の流れとしてはキーボードの世界から変わってきている。将来はオフィスにコンピューターが並ぶ景色もなくなるかも・・・(大学の論文提出はどうしているのか、と思わないでもないけれど)

ワープロからコンピューターが導入された頃、キーボードが扱えなくて苦労した世代はほぼ現役引退となっているけれど、今の世の中でコンピューターが使えなければ仕事は全く進まない。車いすフェンシングに関することも、JPC(日本パラリンピック協会)とのやりとりを含めて、メールだ、書類作成だ、とコンピューターに向かう日々。

それが、「その次」が予想されているのですから、もう勘弁してよ・・・でも私はこのままキーボードで作業をしていればいいのだから、まっ、いいか。

でも、やっぱり、もうちょっと、スマホの入力がさっさとできればいいな、と思うこのごろ。

2016年8月17日水曜日

大雨の中で

今年の大文字送り火、経験したことのないほどの大雨に
例年、写真館(マンション)の屋上から見る大文字
雨にかすんで何も見えず
目の前の妙法も点火時間まで待ちきれず
ビショビショになって早々に退散・・・

3週間近く、まともな雨がなかった京都
それが、よりによって16日の送り火の時間に・・・

でも、そんな大雨の中でも全ての送り火は点火され
ご先祖さまたちは何事もなかったように
いつもの年と同じように「あちら」にお戻りになったはず

地上の人間はずぶぬれになったけれど・・・

今年はさすがに一枚も写真なし

2016年8月16日火曜日

お迎え

人生の最終版に近づいた高齢の人たちが(時には若い人でも)、亡くなった、自分にとって大切な人が「お迎え」に来た、と言うことがよくあります。時には、かわいがっていたペットが迎えにくることもあるとか。「こちら」から「あちら」に行く時に、一人じゃないから大丈夫、と残された人に伝えているのかもしれないこの「お迎え」。

私の「お迎え」経験は90歳で亡くなった祖母のことば。「お父さまが、まだ来ちゃいけないっておっしゃるんだよ」。最後の一ヶ月間だけ寝たきりになった祖母。こちらとあちらをウロウロしている気配だったけれど、この時ばかりはとても明快に話してくれました。

周りのみんなは、祖母の亡くなる数日前のこのことばを不思議がっていたのですが、亡くなった日にはすっきり理解することができました。未亡人になって40年以上暮らした祖母は、祖父と同じ日にあちらに行ったのです。12月18日です。

数日前に「まだだめだよ」という祖父のことばをきっと聞いたのでしょうね。そして18日にはちゃんと「お迎え」に来てもらって旅立ったのだと思います。

身近な人の静かな旅立ちを経験している私はとても幸せです。私の時には誰がお迎えに来てくれるのかな。祖母のような気がしています・・


2016年8月15日月曜日

猛暑の中で


雨のない猛暑が続く日々
うんざり・・・で見上げた葉っぱ
こんなに元気



夕方の日差しの中で
えのころぐさもみんなマイペース


2016年8月14日日曜日

考える「管」

人間は考える葦(あし)であると行ったのはパスカル。人間は考える「管」(くだ)であるという記事。からだの中にある管を改めて意識させてくれた文章。

口と肛門で外界とつながった一本のチューブが人間のからだ。「ちくわ」のような存在。からだの中の「外界」を通る食物は、ちくわの中に栄養素として取り込まれる必要あり。それを取り込む消化管の壁は皮膚と同じだから痛みやすい存在。

そこに、暴飲暴食で次から次に食物や飲み物、時には刺激の強いものを通し続ければ、どうしても変調がきてしまうのは当然の結果。


暑い日々、ついつい冷たいものを飲んでしまうけれど、消化管の壁にとっては、これもまた厳しい状況に追い込まれているといえるかも。

この「管」だけでなく、だまって私たちのからだの中で仕事を続ける多くの臓器さんたちのこと、思いやる気持ちを持たねば・・・

2016年8月13日土曜日

街のひまわり



北大路通りの植え込みのひまわり
誰かが植えた・・のでしょうね
街のひまわりもやっぱり青空が好きって

2016年8月12日金曜日

天皇陛下のおことば

8月8日午後3時、見逃さないようにアラームをセットしてテレビのスイッチを入れた天皇陛下のおことばの放送。ご自身のお気持ちを表された今回のおことば。終わったあと、こころがとても穏やかになったのを感じました。

テレビの全てのチャネルが放送し、直後に街の人の声を流していました。

このところ、メディアの中途半端な敬語の使い方にイライラしていた私。「天皇陛下がお気持ちを伝えるのは」という表現ではなく「お伝えになるのは」と言ってほしい。ことばには「超」きびしい祖母に叩き込まれた私の耳には、違和感が残る表現が多い昨今。

でも、街の人の声のほとんどは、若い人も含めて、とてもスムースな敬語を使っていたのでホッ。(どんな発言を選択するのかはメディア側の裁量であっても)

敬語と謙譲語の使い分けは、日本語の中でも高級難度。日本語学習者泣かせ、というより、日本人であってもなかなか難しい。親しさを軽いことばで表現するのが現代であっても、きちんと敬語や謙譲語が使える人との会話は何とも気持ちのいいもの。

天皇陛下への尊敬の気持ちがあればこそ、私たちの口からは自然に敬語が出てくるのですね。庶民同士であっても「いいことば」を使ってお互いを尊重する会話をしていたいものです。

2016年8月11日木曜日

車いすフェンシング日本選手権大会

8月7日日曜日
京都駅八条口にあるホテル、エルイン京都で
今年の車いすフェンシング日本選手権大会開催

ホテルの会議室でスポーツ大会ができる
それが車いすフェンシング


昨年よりも選手の数が増えました
東京、札幌、名古屋から選手が集まりました

テレビ取材対象はJWFA(日本車いすフェンシング協会)の
理事の一人、カメラマンの清水一二さん
障がい者スポーツを20年以上撮影してきた
「その道」の大ベテランカメラマン

NHKの「サラメシ」という番組なので
サンドイッチをほうばる場面の収録

車いすの写真を撮る清水さんを撮影するクルー
それをスマホで撮影した私

清水さんの食べていたサンドイッチとおなじもの
ライトを当てての撮影
終わったらクルーがちゃんと食べてました

メディアや見学者も含めて総勢90人近くになった大会
猛暑の中、冷房がほとんど効かなかったほど
年々人数が増えるということは
来年はどうすりゃいいんでしょ
事務局長、頭の痛いところ

清水さんの「サラメシ」の放送は
リオパラリンピックの取材を終えて帰国する風景を
撮影してからの放映予定
日時は未定ですが、車いすフェンシングも
少しは登場するのでは、と期待している事務局長

2016年8月10日水曜日

ロストバゲージ

イタリアの国際音楽コンクール出場のためにローマ経由でシチリア島に到着したピアニストの森本美帆さん。荷物が出てきませんでした。急いでドレスや靴を買おうとしたものの、ヨーロッパの日曜日はどこもお店はしまったまま。

事情を知ったコンクールの女性スタッフかが貸してくれたドレスを身につけ、はいてきたバレーシューズのままで舞台へ。ノーメイク。そして結果は優勝!

窮地の彼女を支えたイタリアの人たちへの感謝のことばがすてきです。

ロストバゲージをシカゴからロンドンのフライトで経験した私。手元に何もないまま、指定されたホテルのベッドにもぐりこんだあの時を思い出します。体中の力が抜けてしまっていました。

コンクール目指して努力してきた森本さんの「その時」を想像すると、胸がキュン。そしてそれを乗り越えた彼女の精神力に脱帽。

森本さんのカバンは6日後に手元に戻ったとありましたが、私のカバンも2日後には無事に出てきました。あの経験から、機内持ち込みの荷物には必ず歯ブラシを入れることにした私です。

2016年8月9日火曜日

相変わらずやってます


娘にまた言われそう
「お母さんまだやってるの」って

車の走行メーターを写真に写すこと

ポロが3年たってやっと2万キロに到達です
わが家とオフィスの片道10分の往復がメインの日々

去年の脚の激痛の日々もしっかり私を運んでくれました

遠出はあまりできそうにないけれど
これからも元気でやっていこうね、一緒に!

2016年8月7日日曜日

ポーランド

1960年父が国際会議出席のためにポーランドに行きました。そこで体調を大きく崩して3ヶ月の入院となりました。日本大使館の方にお世話になり、日本語を勉強している学生さんが来てくれて、英語もほとんど通じない入院の日々、大いに助かったと話していました。

ワルシャワ大学には当時から日本語を学ぶ学生がいて、日本研究も盛んだったとのこと。ポーランドが親日国であるというのは以前から知っていましたが、その理由の一つのエピソードを雑誌で発見しました。

1917年ロシア革命が起こり、翌年ポーランドはロシアから独立。領土を巡ってロシアとの戦争状態となりました。ロシア帝政下でシベリアに流刑となった多くのポーランド人家族は、ロシアの革命政権によって弾圧を受け、16歳以上の男子の多くが処刑されたといいます。

子どもたちだけでも救いたいと思った母親たちがヨーロッパ諸国やアメリカに援助を求めたけれど、うまくいかず、1920年日本に代表二人がやってきて窮状を訴えたのです。日本政府は日本赤十字社が中心となり、陸軍も協力して子どもたちの救出を試みました。

1920年から1022年にかけて、765人の孤児たちが日本にやってきて、病気の治療を受けたり、栄養失調状態を脱したのち、日本の船でポーランドに送り届けられたというのです。

日本人に助けられた孤児たちが高齢になっても歌えたのが「うさぎとかめ」の童謡。
遠い昔の日本での日々を、ずっと覚えていた孤児たちだっといいます。

日本とポーランドのこんな歴史の一幕が、回り回ってワルシャワでの父の入院生活を支えてくれたのかな、と改めて感じ入った次第。

去年のワルシャワワールドカップ遠征時に手に入れた熊さん
ひいじいちゃんのエピソードをいつかけいちゃんに
話してみたいと思っています


2016年8月6日土曜日

よかった・・・



久しぶりに東公園へ

公園の「ふくろう」のニセアカシアの切り株さん
こんなに葉っぱが出てました
よかった・・・
まだまだ元気なんだ

私もほぼ一年ぶりに痛みなしで歩けました

よかった・・・

2016年8月5日金曜日

久しぶりのランチ


ソバクレープの上に一杯のっかった野菜
何種類・・・数えてみたけれど
わからなくなりました

何年ぶりでしょうか、友人とのランチ
長い介護でした
無事にお見送りができて
本当にごくろうさま・・・です

ランチとおしゃべり
すてきな時間でした

2016年8月4日木曜日

現役ヘルパーさん

テレビで見たヘルパーさん、おんとし81歳。自分より年下の人の介護も含め、ヘルパーとしての訪問を続ける日々。ご主人を亡くして、ヘルパーの資格を取ったのは73歳。76歳で介護福祉士、80歳でケアマネの資格を取得。

自分自身の加齢による変化を知っているからこそ、お世話するのにも力が入るようです。耳が不自由になった方のために、手話を勉強して、意思疎通ができるように努力する。おつきあいが長かった男性が脳梗塞で、より不自由になり、食事も拒むようになった時にも、その方の性格を知り尽くしたヘルパーさんは決して無理強いはせず、寄り添います。「自尊心の高い方ですから、命令されたりはお辛いと思いますよ」

介護される人の身になって働く、このヘルパーさんも、介護報酬の改定で、今まで通りのお世話ができなくなる現実。手話で話していた方の最後の訪問の時には「また必ず伺いますからね」と伝えていました。

母がお世話になっていた施設にも80歳近い元気なヘルパーさんが、誰よりも入所者にやさしい表情で業務をこなしていました。気持ちに寄り添える能力、それはその人の人柄、そのものなのだと思った私でした。

2016年8月3日水曜日

鉢植えの蓮

小さな鉢植えの蓮
これは明日にでも咲くかな・・・

種が見えてくると何だかユーモラス

朝、花びらが散ってしまった蓮はこんなアレンジに

小さな鉢植えの蓮の楽しみかたあれこれ
ご近所のお店で


2016年8月2日火曜日

宗教を超えて

カトリックの教会に押し入ったテロリストが高齢の司祭を殺害するというフランスの事件。教会という神聖な場所での残虐な事件。

BBCニュースがその事件のあと、フランスのイスラム教徒たちがカトリックの教会の礼拝に参加していることを伝えています。「私たちは同胞として一つです」という気持ちを表そうとした行動だったようです。

イタリア在住の作家、塩野七生(しおのななみ)さんのことば。「一神教同士の対決から浮き彫りになったのは、自分が正しいと信じる人間の残酷さだった。」

神のみ名において、ということばは、時には周りに向けるべき自分の目やこころを閉ざしてしまうのです。自分と違う宗教の人も、その人にとってのこころの拠り所として「他の」信条を持っていること、それが許せなくなってしまうのです。

初詣は神社で、お葬式はお寺で、という習慣に何も違和感のない日本人にとって、この宗教観はなかなか理解しがたいもの。

テロが続く不穏な時代であっても、宗教を超えて人間同士のつながりを求める人々が増えることに小さな希望を感じます。

2016年8月1日月曜日

新聞の変遷

向田邦子さんのエッセイにあった新聞の変遷

配達されて、まだ読んでいない、
もしくはざっと読んだけれど、まだ読むかなの状態
それが本当の意味での「新聞」

日付がかわったら、「新聞」は「新聞紙」に
この場合の読み方は「しんぶんし」

三日から一週間経過するとそれが変化して
「新聞紙」(しんぶんがみ)に


古新聞を揚げ物の油取りや
お習字のおさらいに使っていた世代の向田さん

新聞の変遷の的確な表現に脱帽

でも新聞を読まなくなった世代には
チンプンカンプンの文章なのかな
そう思うと、ちょと寂しい・・・