2010年8月31日火曜日

経験

ロースクール3年目がスタートした娘。今学期、immigration laws(移民法)を勉強するのだそうです。

最初のクラスの時、 教授が今までimmigrationに関係した何かを経験したかどうか、生徒に尋ねました。教会などのボランティア活動を通して移民との接触を経験したこ とのある学生が何人かいたようですが、彼らの多くにとって、アメリカの特徴でもあるimmigration lawsは知識として学ぶだけのものなのです。

娘は長年アメリカで生活していますが、「純粋な日本人」ですから、小さい時から日本のパスポートを持ってアメリカと日本を往復しています。学生時代の「学生ビザ」の期間が終わったあとは、グリーンカード取得という難関に挑戦し、数々のトラブル を解決して、無事永住権を獲得しました。

「私はimmiguration lawsそのものを経験しました」と発言した娘に対して、移民審査官も務めているその教授は、生徒の中にグリーンカード取得経験者がいるのにちょっと驚かれたようでした。

日本人として生まれ、アメリカで生活をして、アメリカの永住権を取得する。もし自分の国でずっと生活していたなら必要のなかった経験をした娘です。自分自身が通ったからこそ見えてくるものが必ずあるはずです。それが「経験」というもの。

今学期学ぶimmigration lawsは、その意味で、彼女にとって他のクラスとはひと味違う何かを「経験」できることでしょう。成績はAがもらえるのかしら、経験者は・・・?

2010年8月30日月曜日

「大往生」のことば

図書館で永六輔(えいろくすけ)氏の「二度目の大往生」(だいおうじょう)を借りてきました。こどもたちのことば「あのね」のお年寄り版です。

年輪を重ねた方々の本音。東京人の永氏が「良し」と選んだコメントは、「気っ風」(きっぷ)のいいせりふが並びます。


「がんばってくたびれちゃいけません。
くたびれないようにがんばらなきゃ」

「呆(ぼ)けてもいいんですけど、弱ってから呆けてほしいですね。
元気で呆けてるっていうのが、いちばん世話がやけるんですよ」

「私がこうして米寿の祝いを元気で済ませることができましたのも、医者の言うことを無視してきたからです」

「人間は三歳までに一生分の親孝行をしていますよ。
赤ちゃんの可愛らしさとはそういうものです。
それ以上の期待を子どもにしちゃァいけませんよ」

「老人になったときに・・・
みせるべきものをもっているか。
語るべきのをもっているか。
伝えるべきものをもっているか。
このうち、ひとつでももっていればいいのです」

「人間は病気で死ぬんじゃない。
寿命で死ぬんだよ」

「病人で治さないで金をとる医者は、同じ職人として許せねェね。
そうでしょ、私は治せなかったら謝って、お代はいただきませんよ」

「私は薬剤師として、新薬を使ったことはありません。
新薬は即効性を追いすぎます。
ゆっくり効けばいいんです」

「病院のサービスをいろいろ言う人がいますけどね。
居心地が悪いからこそ、早く退院したいという気持ちが湧いてくるんですよ」

「死について、なんのかんのと言っている国は天下泰平なんですよ」

「多くの人を救った宗教ってあるんですか。
多くの人を傷つけて、傷をなめあっている宗教ばかりのような気がします」

「宗教家というのは創立者だけでしょうね、
純粋なのは・・・・」

「生臭(なまぐ)さ坊主だ何て、悪口のつもりでいう人がいるけれども、
これは褒(ほ)めことばなんだな。
生臭くない坊主が生臭い人間を救えるか、
相談相手になれるか」

「信徒が増えれば組織化します。
組織化したら、それは信仰じゃなくて、経営です。あとは政治家になるんでしょうね」

2010年8月29日日曜日

雲のおじさん

夕方の散歩の時
「おーぃ」って聞こえた気がしたよ
雲のおじさんが呼んでいたみたい

「またあした!」って言ったよ、ぼく
Chuck

2010年8月28日土曜日

臓器移植 #2

7月に臓器移植法が改正され、脳死になった人の家族の同意があれば、臓器提供が可能になりました。それから、3例、本人の意思確認ができない状態での提供 がありました。「どこかで、たとえ臓器だけでも生きていてほしい」という家族の願いのもとに提供され、臓器移植が実施されたのです。

「脳死は人の死か」が問われ続ける中、臓器移植のために海外にまででかけることを考えざるをえない患者や家族にとって、国内での臓器移植の可能性が高まることへの期待はいくばくかと思います。

昨年、息子のお嫁さんのお父さんが、亡くなった方からの二度目の腎臓移植を受けました(一度目は弟さんからの移植でした)。けやき便り: 5月26日 2009:身近な人の「臓器移植」を経験して、私自身、臓器移植に対しての考え方が少し変わったとは思います。

ただ、臓器移植、そのものにはまだまだこころから納得しきれない「何か」を感じる私自身です。その「何か」を考え続けている中で、芥川賞(あくたがわしょ う)作家で僧侶である玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の「死んだらどうなるの?」という本に出会いました。「ちくまプリマー文庫」という、中高生向きの本です。図書館で見つけ、手元におきたくて注文し、友人にも宣伝してしまったほど、少ない字数の中に中身が凝縮された「読み応(ごた)え」のある本でし た。

この本の中の「臓器移植」に関する記述、とても長くなりますが、引用します。私にとってとても「腑(ふ)に落ちる」文章でした。


「これまでは、人が死ぬのは『寿命』と考えられてきた。たとえ病気でも事故でも、あるいは大地震で死んだとしても、最終的には『寿命』という考え方でその人の 人生が終わったことを容認してきた。それは人体を、あくまでも手の加えようがない総合的なシステムと見ていたからだろう。これは東洋医学の考え方といえ る。」

「しかし人体という総合システムを、各部品の集合体と見る見方が西洋から入った結果、死というのはどこかの部品が悪くなったのに、それを取り替えることができないために起こる、という見方が可能になった。(中略)」

「いずれにせよ、死が特定の臓器のせいで起こるなら、それを交換しよう、というのが臓器移植である。(中略)」

「臓器移植問題が表面化した当初、仏教界はさまざまな意見で揺れた。臓器をあげる立場から『布施』(ふせ)すべきだという意見もあれば、『ほしい』という立場 を批評する考え方もあった。みな仏典(ぶってん)などにその根拠を求めようとしたのだが、そんな問題をお釈迦さまが想定していたはずもない。言ってみれ ば、まったく生命観が違うのである。問題は、そういう異質な生命観を認めるかどうか、ということだったのだと思う。(中略)」

「脳死が死だというほど脳を偏重するのは、一種の信仰にちかい。じつは心の在りかもわかってはいないのが現状なのである。」

「私としては、今は我々の全身を、すべて『かけがえのない』機能の総合的なシステムと思っておきたい。それはつまり、現在知られている各臓器の機能だけでなく、もっと有機的で理解しにくい相互交流システムがあるのではないか、ということだ。」

「死とは、対外的なコミュニケーションの終わりであると同時に、そうした内部の臓器間のコミュニケーションが絶えることでもある。」

「どの時点で『死』と呼ぶかは、今のところ極めて社会的、ないし政治的な事柄に思えるのである。」

2010年8月27日金曜日

墨絵のような



低い雲がたれ込めた滋賀県愛知川(えちがわ)の永源寺ダム
湖面は波もなくおだやか
静かな墨絵の世界



白黒に変えてみたのですが、カラーとほとんど変わらず・・・

猛暑日が続く京都です。写真だけでも「ギラギラしない」ものをアップしました。


今年の京都の記録
  7月の猛暑日(35度以上):7月21日~27日
        29度以下の気温:8日

  8月26日までの猛暑日:8日~6日、16日~20日、22日~26日
        29度以下の日:1日(12日のみ、ダムの写真を写した日)


8月は12日以外、ずっと30度以上の気温が続いているということです
今日も暑くなりそうです・・・・
みなさん、十分におからだご自愛ください!

2010年8月26日木曜日

洗濯

わが家のこどもたちは二人ともアメリカの高校で寮生活を送りました。息子も娘も「家に帰って一番嬉しいのは、汚れ物がきれいになって戻ってくること」と言っていました。

寮生活では食事は食堂でできますが、洗濯は自分でしなくてはなりません。寮生活のスタート直後に帰宅した折、息子も娘もそれぞれ衣類の中に、「ピンクのパンツ」がありました。色物と白物を分けて洗うことがわからず、白いパンツを色つきにしてしまったようです。

母親として、子ども達が家に戻って一番嬉しいのが洗濯をしてもらえること、というのはちょっと・・・ですが、母親の存在をそれなりに認めてくれたのですから、まずは良しとしたものでした。

先日の新聞に「長男を変えた一週間の洗濯」というタイトルの投書がありました。小学校6年生の時、一週間の洗濯の宿題が出たというのです。

5人家族で日に2回は全自動洗濯機を回していたとのこと。洗濯機の使い方、ポケットを点検すること、小物は洗濯袋にいれること、干す時にはしっかり延ばして から、などこのお母さんはちゃんと男の子に教えたそうです。(わが家は身近にいませんでしたから、何も教えていませんね・・・・)

その男の子はそれから7年後、大学入学時に家を離れ、ずっと一人暮らしをしていて、近々結婚をすることになりました。しっかり自活した独身時代だったそうです。投書したお母さんは、「担任の先生に感謝の思いを伝えたい」と書いています。

おかげさまで、わが家の息子も洗濯だけでなく、料理も含めて苦労なくこなしています。奥さんがロースクールに通っていた頃は、家事全てを引き受けていました。

「若い頃」に経験したことはしっかり身に付くようです。生活力をいかに高めるか、それも育児の大きな「使命」だと思います。この夏休み、こどもたちはしっかりお手伝いをしたでしょうか?

2010年8月25日水曜日

下鴨弁

へぃ、Chuck、左耳がないけど、どうしたの?


なんだ、ひっくりかえっているだけか!


普通の会話なら、こうなりますね。ところが・・・


「Chuck、耳がてんぷりかえってるよ・・・・」って聞いたことありますか?

車いすフェンシングの監督は京都市左京区下鴨で生まれて、ずっとそこに住んでいる下鴨人。時々、聞いたことのない「下鴨弁」が出てきます。「てんぷりかえる」も最近初めて聞いたことばです。

「みんな使ってるよ」と本人は主張しますが、この「みんな」は本人の中にだけある感覚のようです。

お願いだから、私が通訳するときには、理解不能な下鴨弁は使わないでくださいね・・・

2010年8月24日火曜日

こんなバブルも・・・

今年の5月26日の私のブログ ベストセラー。数十万部が売れるベストセラーであっても、手応えのない本にがっかりしたことを書きました。

22日、日曜日の朝日新聞書評欄の小さな記事に、書店チェーンのブックファーストア川越(かわごえ)店の店長(若い人だそうです)のブログが出版界で波紋を呼んでいるとありました。

一個人|心に残った本||池上彰「伝える力」:

私 が手応えがなかったと書いた、池上彰氏の「伝える力」を始めとして、同じ著者の本が次から次に出版される現状を「バブル」とみなしています。「いま出版界で一番話題なのが、いつ『池上バブル』が弾けるかということ」と書き出し、「『なんでこんなにまでして出版すんの?』と悲しくなるような本を出すのでしょ う」とも言っています。

池上彰氏の他に、脳科学者の茂木健一郎氏、「カツマー」として有名な経済評論家、勝間和代氏、このお二人も「バブル」傾向の作家として名前が出ています。

このブログには取り上げられなかった、神戸女学院大学教授の内田樹(たつる)氏は、自らの現状を「反省」して、複数の企画の「塩漬け」を宣言したとか。

ウチダバブルの崩壊 (内田樹の研究室)

評論・ハウツーもの・エッセイなど、本離れが続く現状の中で、比較的「簡単に」読める本が、「雨後(うご)の竹の子」以上に、次々に出版されています。出版社にとって、「売れっ子」の著者の作品を売りたいのは「商売」として当然だと言えます。

そうではあるのですが・・・著者その人自身の責任もあるとしても、「この人の本なら、ある程度は売れる」という「安全策」で出版され、宣伝に躍(おど)らさ れ、買って読んだものの、読者はがっかり・・・を繰り返すことになるのは、出版業界が自らの首を絞めているようなものだと思います。

電子図書が広がりを見せる現在、出版業界の今後はいかに・・・

2010年8月23日月曜日

のうぜんかずら

「この花は何ですか?」
通りすがりの方からよく聞かれます
のうぜんかずらです
夏のわが家のシンボルフラワーです



7月末に剪定してもらったのに、連日の暑さの中ドンドン伸びてこの通り



花のつきかたが少々違う、のうぜんかずら
よく通る道沿いのお宅
今年の花はとても立派
こちらの花が「本家」のようで・・・

(写真をクリックして花の形の違いを確かめてみてください)

2010年8月22日日曜日

すごいチャンス

ワールドカップ南アフリカ大会が何だかとても昔のことのように感じます。この夏になる前だったのですよね、確か・・・

予想を裏切って(?)大いに盛り上がった今回の日本チームの活躍。その中心選手だった本田圭祐(けいすけ)選手のコメントが目に止まりました。

ワールドカップ直前に高地合宿としてスイスに滞在し、直前の練習試合全てに負け、「やっぱり今回の日本チームはダメだ」と「みんな」が思っていた時、本田選手は「これはすごいチャンスが巡ってきたぞ」と思っていたのだそうです。

すでに批判されていたから、勝てなくても「やっぱりな」で終わる。重圧がないから力を出し切りやすい。カメルーンに勝てば流れはひっくりかえると思った。実際その通りになった。

岡田監督をはじめとして、チームのメンバーそれぞれが大会を前にして、いかにチームの士気(しき)を高めようかと努力したことだと思います。その中で、冷静 にチームの現状を分析して、「今がチャンス」と考えられた本田選手の気持ちの強さ、すごさを改めて知ったように思います。

シュートしない 日本サッカー、鉄壁(てっぺき)の守りでもつまらない試合ばかり、などと言われる日本チームの中で、「シュートしてなんぼ」という関西人独特の感覚でボー ルに向かっていく本田選手。他の選手と違っていることがとても自然である彼の存在は、今後の日本チームにとって、大きな財産であるように思います。

「出る杭(くい)は打たれる」と言いますが、「出過ぎた杭は打たれない」と書いてあるのを見ました。何事にも自信を持って抜け出ている存在は、周りから一目置かれるということなんですね。これからの日本、「出過ぎた杭」がたくさん現れるといいですね。

2010年8月21日土曜日

道を横断

鈴鹿(すずか)山系滋賀県側の山の中。台風の雨の翌日。水量の増した滝。道を横断して谷に向かって流れます。普段は水が少ないからいいのでしょうが、ちょっとスリルのある「横断」でした。


少し見にくいですね
水は道の左から右へ流れています


小さな滝になって道から流れ出ます

ISOを高くして写してみました。水の表情が変わりますね


「このまま道なりに真っ直ぐ行って、犬上ダムに落ちなきゃ、多賀に行くよ」と
キャンプ場でおじさんが教えてくれた道
確かに細かった・・

2010年8月20日金曜日

政治って何?

中学時代からの友人が、大学卒業間近、おつき合いしていた人との「別れ」を決心しました。「政治家の奥さんにはなれないもの・・・」というのが理由でした。

私自身、「政治家」は自分とは「違う人」と感じているところがあります。何が・・・と言われるとちょっと難しいのですが、そう感じるのです。

政治って何なんでしょうか?国、地方、それぞれのレベルで、その地域を運営していくのですよね。何のために?もちろん政治家自身も含めてそこに住む人たちのために。

国の将来、国民の生活、それを一番に考えられない「政治家」さんたちがまたぞろ「わいわい」やっているようです。政党名は違っても第一党になれば、全く同じ事の繰り返し。それぞれ自分に有利になるように動き回っているだけ。

アメリカの大統領選挙でオバマ氏があそこまで国民の評価を得たのは、「何かしてくれるだろう」という期待感だったと思います。現実は厳しく、その国民の夢が簡単に実現することはないのですが、少なくとも、「そう思わせた」オバマ氏の魅力は誰もが認めるところだと思います。

坂本龍馬の人気が高いのも、混乱の時期に、身を挺(てい)して自分の信念を貫こうとしたその姿に人々が惚(ほ)れているのだと思います。それも、自分の名誉のため、儲(もう)けのためではなく、まず「日本のため」を感じさせてくれる情熱だったからこそです。

現代の日本では、政治をするとは、政治家の出世欲、名誉欲を満たすための手段にすぎないのでしょうか?自分のためではなく、人々のためという発想は、政治の世界にはないのでしょうか。

古い革袋に入れたワインを飲もうとは思いません。使い古したその革袋、いつ破れるかもしれません。個人の「欲」でパンパンに引っ張られて伸びきった革袋なのですから・・・

2010年8月19日木曜日

夏の花あれこれ

夏の花、似たもの探し

「木槿」(むくげ)の薄紫と白


「芙蓉」(ふよう)の紅白



「紅蜀葵」(こうしょっき)または「紅葉葵」もみじあおい)
以上はみんな「一日花」

「百日草」と「昼顔」(昼顔も一日花)




逆光ののっぽ「ひまわり」

「さるすべり」は青い空と白い雲が似合います

猛烈な暑さの続く日々
今年は夏の花々も暑さと格闘しているような・・・

2010年8月18日水曜日

甲子園を目指して

今年の高校野球、今日からベスト8の対戦となります。以前は、ベスト8の日は一日4試合。勝ち抜いてきた8校の試合を一度に見られるのですから、決勝戦よりも観客が多かったそうです。

現在は、選手たちの健康管理の目的で、2試合ずつ、二日に分けて行われるようになりました。この暑さ、特に猛暑が続く甲子園で、連日試合をするのですから、鍛え抜いた高校生にとっても体力と気力は限界に近づいているはずです。

今年の甲子園報道で、一番目を引いた記事。それはレギュラー選手を部員同士の投票で選ぶ福岡代表、西日本短大付属高校のことでした。部員たちにとって「最大の試練」がレギュラー選びだと記事にありました。

ある年の投票の集計表は、部員70人のうち、満票を得た選手が10人前後、票を得た選手を合わせると20人と少し。これはベンチ入りする選手の数とほぼ同じ。残りの部員の集計欄には「0」の数字が並んだのです。選ばれた顔ぶれは、毎年監督やコーチの予想と一致しているそうです。

苦しい練習を続け、甲子園に向けてのチームメンバーを決める時、自分に投票しない。それを選んだ選手たちは、レギュラーにふさわしい仲間を推薦する潔(いさぎよ)さと同時に、そこに達することができない自分を見つめる「つらい決意」があったはず、と記事は書いています。

高校球児の誰もが一度は立ちたいと願う甲子園。全力を尽くしたあとに、自分の役割をしっかり見きわめ、裏方であったり、応援係であったり、それぞれのやれることに改めて努力する。

日本中が熱くなる甲子園。グランドでの攻防のドラマだけでなく、毎年甲子園を目指す高校生、一人一人にドラマがあるのですね。

2010年8月17日火曜日

今年の大文字

ことしも「妙法」を正面に眺めました
チビデジの望遠レンズの限界ですが・・・





大文字も舟形もくっきり


16日朝の9時すぎ、「妙」の火床には人影が
(クリックしてみて下さい)

毎年奉仕活動をする方々のお陰で
それぞれの文字が京都の夜に浮かびます
綿々と続く行事を支える方々の努力に脱帽!

2010年8月16日月曜日

夕暮れ時


ぼちぼち帰ろうか?

カラスは一人で・・・
     もう帰ろうかな・・・

2010年8月15日日曜日

病気知らず

体調が悪くて病院に行く人は「症状」はあっても「病気」はまだない状態。お医者さまに「診断」してもらって、そこで立派な「病人」となる。

医療がこんなに高度に発達しても、病気は減るどころか、増えるばかり。これだけややこしい病名で身体の不調を分類していれば、ちょっとした痛みでも「それらしい」「難しい」病名がつくことに。

自分の身体に責任も自信も持てなくなった現代人は、お医者さまに診断してもらって頂いた病名をありがたくこころに刻みつけ、その病気に「ふさわしい」病人になっていく。

「病気知らず」は元気なことの表現。でも、どんなに元気で病気知らずの人も、体調不良の時は必ずあるはず。ただ、それを一つの流れの中の変化として(季節や天 気にも大きく影響されるのが人間)、無駄な病名を自分につけないから、何となく、その不調が改善されていく、それが本当のところではないかしら。

病名をつけてもらって病人になるよりも、「今日はちょっと胃のあたりがおかしいから、食べ物に気をつけよう・・・」と、そんな風に自分の身体と向き合えば、無駄な医療費もいらないし、医療関係者が疲弊(ひへい)することもないのでは。

でも、そうなると、もうからなくなる人たちが続出するかな。人間が自然に戻るだけなのに・・・

2010年8月14日土曜日

オクラストーリー

「今朝オクラの花が咲いているので、持って行きますね」
ご近所で畑をしている友人からのメール
枝ごと、オクラの花が届きました

木槿(むくげ)にも似た一日花のオクラの花
野菜の花の中ではピカ一と聞いたことがあります



葉っぱは全てしおれていたのですが、水切りの成果、一枚ずつ復活
残りはあと一枚、ガンバレ!

夜になると、花の時間は終了


明日の朝には元気になっていてね!


やりましたよ、最後のしおれた葉っぱもこんなに元気に!


お役目終了の花は枝を離れて・・・
花がついていたところには、もう小さなオクラが・・・


2010年8月13日金曜日

ミニトリップ

ヘルパーさん、看護師さんにあれこれお願いして
滋賀県へのミニトリップ、私の小さな夏休み

烏丸(からすま)半島のはすの群生
ここに到着したのが午後6時半頃
はすを見るなら「午前」6時半に行かないと・・・


水辺に降りられて、はすを間近に見られる写真撮影には絶好のロケーション
次回は、ちゃんと花が開いている時間に、腰を据えて撮影をば・・・



台風のあとの雲の早い流れ、風車もクルクルと回っていました

2010年8月12日木曜日

すてきな親子

すてきな親子を目にしました。若いお父さんと1歳ぐらいの小さな女の子です。地下鉄の始発駅で、席につくと、ちゃんとその子のサンダルを脱がせたお父さん。座席に座るには小さすぎる体ですが、お父さんにもたれながら、きょとんとしていた女の子。

しばらくするとバッグから本を出して読み出したお父さん。でも女の子に何くれとなく目を配っていました。膝にもたれかかてきた女の子を、本を読みながら「び んぼうゆすり」をして楽しませてみたり、ちょっと落ち着かなくなってきた女の子の気配を察して、小さなアメをすっと差し出したり。

育児をするお父さんのことを「イクメン」と呼ぶそうですが、このお父さんの手慣れた雰囲気はイクメンのお手本のように思いました。

電車の中で、赤ちゃんや小さいこどもを連れた親(ほとんどはお母さん)が携帯に夢中になっているのをよく見かけます。でもこの女の子は静かに本を読みながら、自分のことをちゃんと見ていてくれるお父さんとの時間を楽しんでいるようすでした。

すてきな親子のすてきな家庭を想像して、地下鉄の20分が私にとってもすてきな時間となりました。

2010年8月11日水曜日

かまびすしい

やかましい・騒がしいという意味の「かまびすしい」
真夏の蝉たちの合唱がかまびすしい、と言えばピッタリ

この「かまびすしい」ということば
なぜか私の頭に定着しません
「かすまびしい」「かびますしい」などとなってくるのです

母国語なのでけれどね・・

こどもたちが小さい頃、「高島屋」のことを「かたしやま」と言っていた
あの感覚が現在の私にも続行中・・・
一体いくつなったというんでしょうかね!
ぼけてるつもりはないけれど・・・

2010年8月10日火曜日

光の共演

夕方の雲が好きです
どんな雲も好きなんですが、こんな光との共演はやっぱり夕方

Chuckの散歩に出ようとして出会った光景
カメラ・カメラ!!!
手元のカメラのスイッチを入れるのももどかしい・・・・

「見て!見て!」ブログにも一枚掲載
そちらもご覧ください。

2010年8月9日月曜日

支えるということ

母の介護生活は多くの人たちに支えられています。看護師さん、ヘルパーさん、お医者さま。そして私を支えてくれる全ての人たち。この「支え」がなければ、日々休みなく続く介護は成立しません。

私自身は、母の生活を支えています。母の生活の全て、100%が私にかかっています。

こどもが生まれる時、母親はその赤ん坊の生活の100%を支えます。戸惑いの中、自分のことよりもまず赤ん坊を優先する生活となります。ですが、育児は、その100%を少しずつ減らしていくことを目指します。こどもの自立を支援するのが育児です。

介護において100%に到達するまでの時間は、育児とは全く逆のベクトルです。年齢を重ねるとともに、少しずつ「できないこと」が増えていき、100%に達してしまえば、そこからの変化はありません。100%が続くのです。

絶えず見ていなければならない状態でない母です。しかし、母が生きていくためには、日々の世話の私に全てがかかっている、その現実はやはり重いものです。時には逃げ出したい、そう思うほどの重さです。でも、現実には毎日の営みが続きます。

ですが、人間関係とはどんな形であっても「支え合い」なのだとも思います。ここでgive-and-takeということばはふさわしくないかもしれませんが、一方的な関係は存在しないはずです。つまり、母が私を支えてくれているのです。私の今の存在を支えてくれているのです。

100%は重い、そう思う中で、母との関係を見つめ直す私です。ご縁あって母と娘となりました。日々の生活の中で、静かにその関係に思いを巡らすこと、それが私に与えられたレッスンであり、母からの「支え」なのだと思います。

2010年8月8日日曜日

鴨川べりで

今年からスタートしたイベント「京の七夕」
鴨川の河原、三条大橋の北に風鈴の入った「風鈴灯」が並びます



三条大橋を下から見上げてみました

三条と四条の間の河原は恒例の「鴨川納涼」の会場
テントが並び、人でごった返していました

発光ダイオードの七夕かざりや友禅流しのデモンストレーションも


納涼とはほど遠い、立秋の夕方
久しぶりに人混みにもまれてきました

2010年8月7日土曜日

茶色が増殖中

ナラ枯れが京都の東山一帯で拡大中

こ の数週間、毎日眺める比叡山がおかしくなっているのです。特に東山に連なるあたり、日に日に緑の山肌に茶色の部分が増えいるのです。ここ数年、松ヶ崎や 宝ヶ池の山の松が枯れているのは知っていましたが、今回の茶色はその大きさが違います。文字通り茶色いインベーダーが山々を浸食しているのです。

「ナ ラ枯れとは甲虫・カシノナガキクイムシが病原菌の媒介者となり、伝播(でんぱん)し引き起こされた樹木の伝染病のこと。病原菌が入り込んだ木々は、梅雨明 け後に 水不足となり木は枯死し始める。葉は萎(ちじ)れ、褐色に変色し、1、2週間で急速に枯れる。」とありますから、ここ数週間で茶色が山肌に急増している理 由がわかります。

すでに全国的に広がっているようで、京都では2005年に銀閣寺の山で初めて発見されたとのこと。去年まではそれほど気がつかなかったのですが、今年の長雨のあとの猛暑がこの異常現象の原因なのでしょうか。


わが家の北、静原の山です。ここも撮影場所を探すまでもなく、あちこちが茶色くなっていました。夏の日ざしに緑が盛り上がる季節・・・・のはず。とても不気味な光景でした。

2010年8月6日金曜日

今週のいいこと

・Chuckの「かものはしフェイスカット」。Chuckの顔を見るたびに笑ってしまいます。「笑う門(かど)には福来たる」

・名古屋場所で全勝優勝した横綱白鵬に天皇陛下からねぎらいのお言葉。紋付きの羽織袴(はおりはかま)姿で記者会見をした白鵬、「光栄です」

・日本近海、生物種の宝庫 世界の14.6%、3万3600種が生息・・・生物多様性が極めて高い「ホットスポット」なのだそうです。海洋国にっぽん、きれいな海を大事にしましょうね。

・50兆円寄付:アメリカの富豪40人が資産の少なくとも半分は慈善事業に寄付しようとしているそうです。全員が約束を守れば6千億ドル(約50兆円)が 慈善事業に回ることになるのだとか。地上の富は天国に持って行くことはできません。「富を持って死ぬのは不名誉である」と言って、全ての収益を寄付した鉄鋼王のカーネギー以来の伝統があるアメリカ。税制の違いがあるとはいうものの、うらやましいことです。

2010年8月5日木曜日

セルフレジ

いつもレジが混んでいるマーケット
セルフレジが登場しました

私も挑戦してみました



買い物かごを機械の左に置いて、自分の買い物袋を右側にセットします
一つ一つ商品のバーコードを読ませて、買い物袋へ入れます
バーコードを読みそこねた商品が買い物袋に入ると、「読み取れてない商品があります」と画面に表示が出ます
買い物袋の中の商品もちゃんと感知しているようです

支払時、小銭を最初に入れなかったので、お札からのおつりがじゃらじゃら・・・
まだ慣れていないから仕方なし

これからはレジに見習いさんがいても、イライラしないことにします
バーコードがどこにあるのか、それを瞬時に見つけるのは、思っていたより大変でしたから・・・