2016年3月31日木曜日

86歳、現役ジャズピアニスト

おんとし86歳、現役ジャズピアニスト秋吉俊子さん


日本人として初めてボストンのバークリー音楽院に学び
ジャズの本場ニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活躍
昨年でデビュー70周年を数える

70歳の時、指が動かなくなり、手術とその後のリハビリ
キーが叩けるようになった時に流した涙

自身のオリジナル曲のみを演奏するジャズビッグバンドを
30年に渡って続けた活動

ミュージカル、ポギーとベスの楽曲をジャズにアレンジ
86歳のジャズピアニストの挑戦

満足できる収録のあと
「また成長できたと思うわ」

「今のほうがバラードがずっとうまくなってるわ」
「死ぬまで前進していたいの」

ピアノと一体となった姿
映像にくぎづけになった私

2016年3月30日水曜日

初めまして



上野公園の案内地図を確かめてたどり着きました
西郷さん、初めまして!

2016年3月29日火曜日

あるがままに・・・

なんでもないことを 悲しく言うのは なんでもないけれど
悲しいことを 何でもないように言うのは苦しい
小野省子


人は自分の悲しいこと、辛いこと、しんどいことは
ついついふくらませて話してしまう・・・

折々のことばの中で、編者の鷲田清一さんが書きます
「あるがままを書くということはそれほどに難しい」と

2016年3月28日月曜日

はまってます



懐かしい歌のオンパレード
さだまさしさんのゆったりした歌声
最初と最後の曲はさださんのオリジナル
彼の高い声の音域で結構歌える私
聞くだけでなく、一緒に歌えるCD
はまってます

2016年3月27日日曜日

「お花見」見物

用件をいっぱいこなした二日間の東京滞在
上野駅で途中下車
忙中閑あり
25日金曜日の上野公園にて


金曜日のお昼前
外国語が飛び交ってます

桜はまだ3分咲きぐらいでしょうか
しっかり咲いている木の前には人だかり

さくら通りには大きなゴミ箱があちこちに

「さくら通り利用規程」

無人の場所取りはいけない・・・ってよ

新入社員さん、でしょうか

ごくろうさまです、これもお仕事ですか?

上野公園でお花見をする人たちの見物でした

2016年3月26日土曜日

思い出

この年齢になってありがたいのは
思い出がいっぱいあること

思い出に向き合うことが
どれだけ楽しくて豊かなことか

記憶の中の死者は死んでいないのです

福島泰樹(やすき)(72)歌人・僧侶


2016年3月25日金曜日

ダブルモニタ−


車いすフェンシングの事務所の私のデスク
新しいコンピューターを購入
モニタ−も二つに
作業場所が広がったということ
散らかしても大丈夫・・・ではないけれど
同時に違うプログラムを見られるのはとっても便利
これで仕事も・・・ドンドン・・・ならいいな・・・

2016年3月24日木曜日

100歳の投稿

「ある冬の朝、目が覚めてハッと気がついた。私の100回目の誕生日である」という書き出しの投稿。

まとまった文章が書ける100歳。誕生日の夕食を家族そろってレストランで祝うことのできた100歳。あるがままで自然体に生きている100歳。

「十分に人生を楽しんだ私は、誰にも迷惑をかけないで、ピンピンコロリとあちらへ旅立つ日を待っています」と結ばれた文章。

誰もができることではないし、ピンピンコロリができない人も多いけれど、それはそれ、人それぞれ・・・

この投稿につけられたタイトルは「100歳バンザイ!」

2016年3月23日水曜日

25枚の写真

ナショナルジオグラフィックに発表されなかった写真25枚

年代も内容も様々な写真が並びます


できるだけ大きな画面で見るといいかもしれません

私の11インチのMacBook Airの画面では少々迫力不足・・・

2016年3月22日火曜日

村八分

「村八分」(むらはちぶ)の本来の意味
掟(おきて)を破ったものを
村の相互扶助のしくみから排除する制裁のこと

村で協力して行う仕事が十分(じゅうぶ):
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、
水害時の世話、年忌包容、旅行、消火、埋葬

消火と埋葬は制裁から外れていて村人が手を貸す項目
延焼と伝染病が村人に及ぶ可能性があるから

「十分」マイナス「二分」が「八分」
それが村八分の本当の意味・・・とか

正確な意味を今頃になって知りました


2016年3月21日月曜日

ジャックとシータ

息子と娘のFacebookに同じ記事がアップされました。猫のジャックが19歳で旅立ちました。

ジャックほどみんなに愛され続けた猫はいないはず。けっこう立派な体なのに、子猫のような声ですり寄ってこられれれば、猫ぎらいもほろり。決して押し付けがましくはなく、それでいて「何してんの?」という風に近づいてきたジャック。

ミズーリで生まれ、子猫の時に娘のところへ。子犬のシータと一緒に育って、娘の引っ越しにずっとつき合って、フロリダ、バーモント、NY州のアルバニーとバッファローへ。娘が猫が飼えないアパートに移った時、ジャックは息子がいたシカゴへ。そこからは息子たちと一緒に生活して、メリーランドへ(ここでも2度の引っ越し)。けいちゃんが強度のアレルギーだったので、息子の奥さんの妹さんの家へ。そこにも赤ちゃんができたので、今度は、ご主人の妹さんの家へ・・・(書いていてもややこしい)・・・一体何回引っ越しをしたことでしょう。

猫は「家につく」と言われますが、ジャックは全く我関せず。どこにいても自分のペースで「みや〜ん」とみんなに寄り添っていました。

私にとっては、子猫の頃のミズーリでのジャックが一番印象的。犬のシータと取っ組み合いをしていました。ベッドで寝ていた私の首のところにドテッと寝てみたり(そのあとシータまでがマネをして、私は息ができなくなったほど)。

二匹が小さかったころ、それぞれをしかる時、英語と日本語を使い分けていた娘。「今、怒られてるのは僕じゃない、シータだもん・・」と悠然としていたジャック。

「存在」そのものが全ての人のいやしとなったジャック。素晴らしい人生(猫生)でした。

ジャック、シータとまた遊んでね、取っ組み合いはちょっと無理かもね。
ジャックとシータ

2016年3月20日日曜日

白モクレン




今年も咲き出しました白モクレン
車いすフェンシング「道場」の旧山王小学校校庭
花の一年サイクルのスターターです
(撮影日・3月12日)


2016年3月19日土曜日

23年の仕事

NHKのクローズアップ現代の国谷裕子さんが17日夜、最後の放送を終えました。23年間、番組のメインキャスターとして世の中の動きを伝えてきた国谷さんの最後の挨拶が終わったあと、思わず拍手をした私でした。



23年という時間の経過の中で、日本は大きく変わってきたように思います。単に世の中の問題点を取り上げるだけでなく、その中に芽生える新しい動きも随時紹介してくれたクローズアップ現代。もちろん国谷キャスター一人が作った番組ではなく、スタッフのしっかりした取材があったからこそ、長年続いてきたと思います。

新聞で目にした投書にも、「有能なスタッフの取材があればこその番組。このようなしっかりした番組をNHKは作れるのだということをこれからもみせてほしい」とありました。

メディアの取材とは、取材する人(人たち)の主観によって表現が大きく変わります(車いすフェンシングの取材を受けていて、それを痛感します)。本当の意味の客観性はあり得ないのかもしれません。ですが、現実(現象)をどれだけ正確に、客観的に提示して、視聴者(読者)に判断をゆだねることができるのか、それがメディアに携わる人の仕事だと思います。

その中に主観の判断を入れるとすれば、それはしっかり、明快に伝えるべきです。利害関係者や政治的圧力にも屈しないメディアの存在。それを貫こうとするには、きっととてつもない努力がいるのでしょうね。どんな世の中であっても・・・

2016年3月18日金曜日

誕生日プレゼント

ともだち三人組がお互いのお誕生日に花をプレゼント
1月3月5月
何年続いているかな〜〜〜

今年はクリスマスローズを「どっさり」プレゼント
プレゼントするって楽しい!!








2016年3月17日木曜日

後ろ姿


いつもは「前」から撮影する梅
「後ろ姿」も味がある・・・かな・・・

2016年3月16日水曜日

福島第一原子力発電所

ほぼ日に掲載された
福島第一原子力発電所
長い記事です

福島第一原子力発電所が今、
どういう状態なのか
一気に読み通しました


2016年3月15日火曜日

1キロのプラレール

男の子が小さい時、きっと遊んだはず、プラスチックのレール「プラレール」。直線と曲線のレールを組み合わせて部屋の中に電車や汽車が走りました。

そのプラレールを以前電車が走っていた道に1キロつなげて走らせたというイベント。

「がんばれ、がんばれ」と声をかける小さな子。
おとなも道にはいつくばるように腰をかがめて、通り過ぎる電車を写真やビデオに撮ろうと夢中に。

7000本も集まったというプラレール。カタコト走る電車がキュートです。

2016年3月14日月曜日

オリ・パラボランティア

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに必要なボランティアの数は、大会運営ボランティアが8万人、都市ボランティアが1万人。

競技会場や選手村などで、競技運営や会場案内、大会関係者の輸送や警備を行のが大会運営ボランティア。都市ボランティアは主要空港やターミナル駅、観光スポットなどで海外から来る外国人観光客や日本の観光客に対し、観光案内や交通案内を行います。

いずれも2018年頃から募集が始まるようです。

車いすフェンシングも車いすの取り外しをするボランティアなどが必要になります。ちょっとした「コツ」のいる作業ですから、前もって練習していただく機会を作っていこうと思っています。

オリンピック・パラリンピックに「参加」できるチャンスです。2020年の予定にぜひ入れておいてください。よろしくお願いします!!


2016年3月13日日曜日

河津桜 2

堀川一条 「戻橋」(もどりばし)のところ
ほぼ満開の河津桜発見

堀川通を北向きに走っていて「桜!」って見つけたのが前日
翌日、わざわざ「戻橋」のたもとに車を止めて撮影

桜の先駆け・・・ちょっとあわてん坊のような気がしますが

2016年3月12日土曜日

かぜのでんわ


山の上に一台の電話がおいてあります
今日も誰かががやってきました
線のつながっていないその電話で話をするために

岩手県大槌町(おおつちちょう)にある風の電話の絵本
その見開きにある文章

会えなくなった大切な人と話すため
帰らぬ人に想いをつなげるため

震災後5年たった今も
丘の上の電話ボックスにやってくる人たち
こころの重荷を少しでも軽くするために・・・

2016年3月11日金曜日

五年前

5年前の3月11日午後3時過ぎ。偶然スイッチを入れたテレビで見た遡(さかのぼ)る津波。目にしているものが何なのか、何があったのか、わからないままに・・・

でも、今でもはっきり覚えている感覚があります。何にもわからない私のこころにわき上がってきた想い。「日本が変わる!」


でも、この5年、本当に日本は変わったのか、変わっていけるのか、あの時の確信は何だったのかと自問自答する私でした。

震災5年を前にして特集記事が並ぶ新聞の小さなコラムに住民運営型「カーシェアリング」を推進している吉沢武彦さんのことが出ていました。当初、寄付された中古車を仮設住宅に届けて無償で貸し出した活動。被災者同士のつながりを生み出し、それが自治会誕生に至ったこともあったとか。

地域住民がカーシェアの運営を通してお互いに支え合う。少子高齢化が進む日本にとって大切なことを教えてくれています。「被災地でうまれたやり方が、日本を変える」と言い切る吉沢さんのことば、力強いです。

2016年3月10日木曜日

窓越しの景色

京都国立近代美術館 
4階の窓越しに見えた
平安神宮大鳥居と京都市立美術館

疎水から分かれ、祇園へ向かう白川

穏やかな春を感じる午後でした
(ガラス越しで空がブルーの濃淡に)

2016年3月9日水曜日

理系の料理レシピ

理系の料理レシピという本が売れているとか。作者はもちろん「理系」、そして男性。

「一口大に切ります」とはどんな大きさ?チューブ生姜「適量」は何センチ?料理の手順は「フローチャート」でしっかり「見える化」。

私が最初に通った料理教室でのレシピは材料だけが書かれていました。「毎日のお料理は大さじ何杯、なんて考えませんよ。適当に作っていくうちに自分の味ができてくるのですよ」と年配の先生は悠然とおっしゃっていました。「そう、それぐらいでいいわね・・」と。

メジャーカップで計るときも「こんなもんか」の私には、理系の料理は正反対のアイディア。でもそれはそれでおもしろそう・・・かな。


2016年3月8日火曜日

河津桜



河津桜(かわずざくら)
カンヒザクラと説明がありました
梅と同時に咲く桜
植物園の桜園でいちば〜ん!

2016年3月7日月曜日

初女さんのことば


八十歳をすぎてからは、「死に対してどう思いますか」という質問を
ちょこちょこと受けますが、特別に準備などしていません。

病気になったり、からだが不自由になったりしたときのために、
どうすべきかという仕度もしていません。

というのも、
今刻まれるこの一刻一刻がもう死に近づいているのだから、
今を生きることが、
もう死の準備になっているという気持ちが大きいんですよ。

今を歓びとともに大切に過ごしていくことが
明日になり、また過去にもなる。
それがいちばんストレートな考えではないかと思っています。


2月6日のブログに書いた佐藤初女さんのことば
著書をパラパラとめくっている時に出会いました



2016年3月6日日曜日

志村ふくみ展覧会

何年前だったでしょうか。祇園の小さな美術館、志村ふくみさんの展覧会に行きました。エレベーターを降りた時、正面に展示されていた茜(あかね)の赤い無地の着物に目が釘付けになりました。両側に並んだ他の色の無地の着物を従えたようなその存在に、その場にしばらく立ち尽くしていたことを思い出します。


京都国立近代美術館で開催中の志村ふくみ ―母衣(ぼろ)への回帰―へ行ってきました。

今回も無地の着物が並んでいました。四季に分けられた「小裂帖」(こぎれちょう:織物の残り裂を集めたもの)の小さな布も十分な存在感。年齢を重ねた後の作品のモダンなこと。草木染めの穏やかな色調にこころがなごみます。志村さんに染色を教えた実母小野豊(とよ)さんの着物や、親交を重ねた「民芸」の作家達(黒田辰秋、富本憲吉)の作品もありました。

花が咲くの前に切られた桜の枝は淡いピンクの色を出す、と以前志村さんの本で読んだことがあります。季節を感じながら、草や木の命を色に移し替えていく作業。志村さんの全てが表現されている作品たちに圧倒された展覧会でした。

2016年3月5日土曜日

私の梅




シャッターを押すだけの私の写真
今年の梅も少々・・・植物園で

2016年3月4日金曜日

UNHCR

国連難民高等弁務官事務所UNHCRで働く日本人のドキュメンタリー。シリアからの難民をそれぞれの持ち場で支える日本人スタッフたち。

冬の地中海をトルコから渡ってきた人たちを、ギリシャのレスボス島で迎える女性職員。一人一人に気を配り、「大丈夫ですからね」とことばをかけます。

シリアの爆撃の煙が遠くに見えるヨルダンのキャンプ。たどり着いた人たちを迎える女性職員。どんな時でも笑顔で話しかけることを心がけているとか。

ヨルダンの首都アンマンまでたどり着いても、職につけず、UNHCRの支援金のみで生活している家族。生活の見通しが立たず、戦火の続くシリアに戻るという家族を説得しようとする女性職員。

難民の第三国定住の可能性を探って、各国と連絡を取る女性職員。緊急手術が必要な女の子をデンマークが引き受ける様子も。カナダへの第三国定住が決まった家族。シリアに残った両親に電話でそれを伝える男性は、ただただ涙。新しい人生に踏み出せるシリア難民はヨルダンに逃げた人の中のたった1%。

UNHCRの職員として、難民の命を救うだけでなく、子ども達に教育の機会を与え、将来祖国再建の人材となるようにしたいというコメント。「祖国」という感覚がとても甘い日本人。世界の現場に立つ彼女達は難民の問題を「他人事」ではなく自分のこととして捉え、日々奮闘していました。