2009年1月31日土曜日

納棺夫日記

辞書にもない言葉「納棺夫」。亡くなった方を棺桶(かんおけ)に収める仕事をする人のことで、この本の作者の青木新門さんの造語とか。今年のアカデミー外国語映画賞の最終選考に残った「おくりびと」の原作です。

一旦読み出したら止まりませんでした。母のお昼やトイレ介助ももどかしく(もちろんChuckが何を騒ごうとも耳を傾けず・・・)読み切りました。

納棺夫としての仕事への戸惑い、周りからの偏見。電車に飛び込んだ遺体を、鑑識課のベテラン刑事と二人だけで処理する場面など、今まで想像もしなかった現場の状況が目(ま)の当たりに浮かんでくるほどでした。

死をタブー視する現代において、自分自身が死を直視していなかったことに気づき、納棺の作業に赴(おもむ)くとき、身だしなみを整え、所作(しょさ)にも気遣うことで、死者の尊厳を守ろうと努力するようになった作者に、「先生様。私が死んだら先生様に来てもらうわけにはいかんもんでしょうか」と真剣な顔で懇願する老婆の話。

そして、納棺夫の仕事から見えてくる、人間の心模様、近代医学への疑問、などなど内容はドンドン深まっていくのです。

圧巻は、「ひかりといのち」という第三章です。死者と向き合う仕事を続けながら、宗教書を読みあさった作者は、親鸞の説く「不可思議光」ということばにたどり着きます。死を直視した人だけが目にすることが可能な強烈な光について、仏教の各宗派の教えやキリスト教などを比較しながら、解き明かしていくのです。

若い頃に作家を目指したこともあった作者ですが、現在でも「作家」と呼ばれることが不思議だと言います。「原稿用紙を無駄に埋めていた日々」もあったとの一文がありますが、この本に関しては、突き上げてくる何かに押されて書いていたようです。

仏教知識の豊富さ、引用の巧みさも感心するのみ。科学と宗教のつながりも含めて、内容の何と豊かなこと。一気に読み終わるのではいけない、もう一度じっくり読み返さなければ、と思わせるのです。

付箋(ふせん・ポストイット)を貼り付けながら読んだのですが、以下は色違いの大きな付箋を付けた文章です。

 人が死の概念の真の回答を得るには、自らが死に直面して体得するか、あるいは如何なることがあっても平気で生きている人(人間はそういう人を菩薩とか聖人と称してきた)から直伝(じきでん)されるしかない。
 
そして、もし生者がその真理を体得するなら、永遠の中の一瞬の人生が、どれほど大切で、どれほど尊いか実感する。と同時に、生かされて生きていることが喜びとなって、如何なる場合でも平気で生きてゆくことができるようになる。


 そのことが、仏教のいう「悟り」なのだと思うようになった。

2009年1月30日金曜日

西暦でいうと今年は?

2009年を何と発音しますか?「ニセンクネン」でしょうか、それとも「ニセンキュウネン」でしょうか?

英語なら「9」はnineと言えばいいのですが、日本語は数字の言い方もあれこれ。

「イチ・ニ・サン・シ・ゴ・ロク・シチ・ハチ・ク・ジュウ」と数えるのに、4,7,9は「ヨン・ナナ・キュウ」という読みも登場します。

NHKのアナウンサーは「原則」として、普通の数え方を使うそうで、今年は「ニセンクネン」だそうです。私自身はなぜか「ニセンキュウネン」がしっくりくるのですが・・・

数字の79は「ナナジュウク」でも、79歳は「ナナジュウキュウサイ」。「ナナジュウクサイ」では、加齢臭がプンプンしそうです。

三三九度は「サンサンクド」。「サンサキュウド」ではせっかくの夫婦の契り(めおとのちぎり)もずっこけてしまいそうです。

十九の春「ジュウクノハル」も「ジュウキュウノハル」と読むと何だか間延びしてしまいます。

「ク」という発音が基本であって、古くからの言葉は「キュウ」では合わないのでしょうね。私の祖母が「キュウ」と言ったことはなかったはず・・・

日本人でも、世代や地域によってあれこれ違う数字の読み方。日本語を外国語として学ぶ人たちにとっては「一体どっちなんですか!!」と言いたくなるでしょうね。すみませんね、ややこしくて・・・

PS:ついたちもご覧ください

2009年1月29日木曜日

体の声

チンパンジーは、ときにアスピリアというという植物の葉を、噛まずに飲み込む。抗生物質が含まれていて、寄生虫が出たり、下痢が止まったりするのだそうだ。

自分の体を守るための能力(本能)がしっかり備わっているのが動物。人間も動物なのに、自分の体のことはほったらかしで、調子が悪くなれば病院に行って、お医者さまに病名をつけてもらって、初めて自分の体と対峙(たいじ)することに。

西洋医学が発達して、病気は減るどころか、増える一方。以前なら「どうしてでしょうね・・」とお医者さまが首をひねるような症状も、精密に検査をすれば、どこかに異常がみつかり、そこで病名がついて「一安心」。一つの臓器の異常や、一つの症状にこだわり、それに対処する治療がなされ、体の持ち主である「本人」は、自分の体と真剣に向き合うことなく、ただただ「おまかせ」してしまうことがいかに多いことでしょう。

30年近くグアム島のジャングルで過ごした後、1972年に日本に帰還した横井庄一さんは、85年、体の不調を感じて診察を受けると、微少な胃ガンがみつかった。手術を受けた横井さんは97年、82歳の天寿を全うする。長いジャングル生活で培われた、かすかな体の声を聞く能力が、彼の生命力の源となったのだろう。

体に痛みが出ると、ついつい悪いことばかりを想像して、客観的な判断ができなくなり、ただただ騒いでしまうことも多いけれど、自分の体をそのまま観察してみると、どこかが詰まっていたり、バランスが悪くなっているのがわかります。そしてその症状に気持ちがとらわれなくなると、案外おさまってくることを今までにどれだけ経験したことでしょうか。最近になって、やっと自分の体の声が少し聞けるようになったかな、そう思う私です。

目を閉じ、深く呼吸をして、「フムフム・・・」
自分の全身に、「いつもちゃんと働いてくれてありがとう」と感謝。
そして「これからもよろしくお願いします!」

「生命の源“体の声”に関心を」という新聞記事を読みながら改めて思いました。

2009年1月28日水曜日

大きくなりました

2008.9.28



2008.11.29











2009.1.24(6ヶ月)

2009年1月27日火曜日

私が生まれた日

    今日は私が生まれた日

    母が私を産んだ日

    一日おだやかな心で母との時間を過ごしたい

2009年1月26日月曜日

街のヒーロー

1月15日にニューヨークのハドソン川に不時着した飛行機事故。不時着事故  

パイロット、サレンバーガー機長の自宅のある、サンフランシスコ郊外のダンビルで彼の栄誉をたたえる式典が開催されました。

ビデオでは、まず奥さんが、事故以来の「騒動」の中、友人や近隣の人たちの「手助け」に感謝をし、「主人は、私が知る限り、一番誠実な人です。そして、私にとっては、毎朝、紅茶を入れてくれる人です」とご主人のサレンバガー機長を紹介しました。

それを受けて演壇に立った機長は、盛大な祝賀式典に感謝したあと、「あの日のあのフライトに搭乗したクルーが、訓練通りに任務を遂行しただけのこと」と簡単に述べてスピーチを終えました。

155人の乗客乗員全員が救助された、奇跡に近い航空機事故であっても、その機長として「やるべきことをしただけ」と謙虚に語る機長の姿が印象的でした。

パレードも企画されたようですが、それは機長が辞退したとか。式典会場には多くの人が集まり、街のヒーローをたたえていました。「暗いことが多い世の中、すばらしいできごとだ」「機長と同じ街に住んでいて光栄だ」などなど、称賛のことばが続きます。

街のカフェテリアには「ハドソン・ヒーロー」という新しいメニューも登場。こころはずむ出来事に街中が沸いている様子、見ていて私まで嬉しくなりました。

2009年1月25日日曜日

1月の柿



近くの畑の一角、柿の木が5,6本

毎年実がなっても収穫するでなし・・・

秋から冬にかけて、鳥さんたちの貴重な食料源

寒空にオレンジ色があせてきた1月の柿

                                    

2009年1月24日土曜日

「障がい」とする意味は?

1月23日の朝日新聞投書欄「私の視点」に、「障害を“障がい”とする意味は」という文章がありました。投稿者はご自身が聴覚障害者の方です。

行政が公式文書に「障がい」という表記を使い始めたのはここ5,6年のこと。私も昨年の9月29日に障害?障がい?というブログを書きました。言葉の言い換えに関しての疑問を抱いたからです。

点字ブロック上の置かれた自転車、車いすが乗り越えられない段差など、障害者が日常生活で不便に感じること、それこそが「障害」であるとこの投書者の後藤勝美さんは書いています。

マスコミはよく「障害を乗り越えて」と書くが、障害に「負けない」のであって、「乗り越える」のはほぼ不可能に近い。

こうした問題は、社会環境や政策的不備で起きている不自由さであり、それこそが「障害」なのである。言い換えれば、そいう人は「社会的被害者」と言えるし、「害」には、その意味が含まれている。

この被害を取り除いていくことが必要なのだ。単なる言葉上の問題ではない。「害」を平仮名に変えたところで、前述の社会的被害は何一つ変わるわけではない。それどころか、その被害をあいまいにし、あげくの果てに「害がなくなった」という風潮を広める危惧(きぐ)を覚える。

障害者を「障がい者」と表記することで、「障害者に配慮しています」というイメージを作っている。「あなた達は私達とは違うのです」・・・そんな雰囲気を感じるのは私の思いこみでしょうか。

障害を持つ人にやさしい街は老人にもこどもにもやさしいはずです。みんな、私達、「We」の感覚があれば、漢字を平仮名に置き換える前に考えるべきこと、やるべきことが見えてくるはずです。行政も、私達も・・・

2009年1月23日金曜日

フレディの遺言

手元に小さな本があります。タイトルは「フレディの遺言」。60頁ちょっとの本。前半は絵の中に短いお願いのコトバが並びます。

私がまさかボケることはないと思われるかもしれませんが、先のことは私にもわかりません。万一のときのために、家族や、私の介護にあたってくださる人へ、次のようなことを今からお願いしておきたいと思います。

著者のフレディ松川氏は、長年高齢者を診察してきた老人病院院長。「すべての人に贈る介護バイブル」という文句にひかれて買った本です。

本の後半は「フレディのアドバイス」として、家族がボケたときや自分のボケを防ぐための30項目の文章が並びます。認知症の人に対する心構えも含めて、いかに健やかに老後を生きていくか、そのアドバイスが書かれています。


私が医者だったことをまず忘れてください。私は過去とは別の人間になってしまったのです。

絵本部分の冒頭の文章です。

認知症の人を介護する家族にとって、これが一番難しい。
わかっているのです。
でも、でも・・・
なぜ、なぜ・・・

この問いかけがまだまだ私の心の中を駆け巡ります。

2009年1月22日木曜日

ひざの上のChuck


私がリビングのテーブルで「お経」を読み出すと、必ず「ひざにのせて・・・」とChuckが私の足をカキカキ。

ひざにのっけると、しばらくはゴソゴソするのですが、そのうちに、あごをテーブルにのせて静かに・・・

どんな顔をしているのか、デジカメで前方から写してみました。

「ひざの上も悪くはないな・・・」
「ぼちぼち下に降りたいな・・・」
「ちょっと眠いな・・・」

何を考えているのでしょうね。Chuckは。

2009年1月21日水曜日

大きな「We」

ここ2,3日、私の「オバマ旋風」に巻き込まれています。特別列車、宣誓式の準備、前日のコンサートなどなど、CNNのビデオが次々にアップされるのです。TIMEもいつもは読み飛ばしますが、ついつい一生懸命に読んでしまう記事が満載。

今日は5時半起床で、母をチェックしたあと、ず・・・・とひっかかっていました。

オバマ新大統領の就任演説を聞いた時、「We」の響きが私の耳に何度も飛び込んできました。演説原稿でざっと数えてみると61個見つかりました。他に「Our」を含む表現もありますから、「我々」ということばが20分弱の演説で「いっぱい」使われていたことになります。

オバマ新大統領の「We」は、もちろんアメリカを意味しています。困難なこの時期、政府も国民も一緒になって努力しよう。共通の目標へ向かって勇気をもって歩みだそうと話しかけます。そして平和への新しい時代の先達となり、その責任を負っていこうと続けます。

スピーチの内容は、単にアメリカ国内やアメリカ人のためだけのことを話しているわけではなく、国を超えた協調の必要性を説いています。「We」の意味が、この地球に住む全ての人を含んでいると私は感じました。

「自分のことだけ」「自分の家族のことだけ」「自分の会社のことだけ」「自分の政党のことだけ」

こ の「・・・ことだけ」が蔓延(まんえん)する世の中。自分と他者を「We」の気持ちで考えることができれば、視点が変わり、多くの「問題」が解決されるはずです。一人一人が、自分の周りを「We」の気持ちで見つめること、大きな「We」で考えること、そこからスタートできればと思います。

2009年1月20日火曜日

クリスマスローズ

初めてクリスマスローズを見たのはもう随分昔のこと。ご近所のお宅の大きな鉢植え一杯にあふれんばかりに咲いているクリーム色のクリスマスローズでした。

冬場、花が少ない時期に咲くクリスマスローズ。「ヘレボルス・ニゲル」という品種がクリスマスに白い花を咲かせることから名付けられたようです。現在、出回っているのは「レンテンローズ(ヘレボルス・オリエンタリス)」という品種とか。「レンテン」とはキリスト教の復活祭の前の時期を言いますから、ちょうど2月から3月にかけての、これからが開花となります。

クリスマスローズのページ

我が家の鉢植えのクリスマスローズはゆっくりつぼみをふくらませています。この寒さの中、霜に当たっても、めげずに大きくなっていきます。

ラジオの園芸情報によると、クリスマスローズは同じ種であっても、微妙に「顔」が違うのだそうです。うつむき加減のその花をよく見て、気に入ったものを購入すべし、とアドバイスしていました。苗に添えられている写真と「顔」が違う花になる可能性があるようです。

我が家のクリスマスローズはここ10年来、ほとんど世話もしないまま、毎年花を咲かせてくれています。去年、株分けした半分をけやきの根もとに植えてみました。

丈夫でほったらかしにできる花、クリスマスローズ。私にピッタリの花。


2009年1月19日月曜日

Chuckの早XX

今日のタイトル、ちょっと「品」が落ちるので、伏せ字です。

トイレトレーニングが続く6ヶ月のChuckです。日に三回ケージの中にエサを置いて、私がよそ見をしているうちに、「もう終わった!」のスピードは相変わらず。そして、もう一度振り向くと・・・

ごはんのあと、ウンチとシッコが出ないとケージから出られないのはよく理解しているようです。ですから、とにかく「出す」のです。それも目にも止まらぬスピードで。

先日のこと、ウンチはすぐに出たのですが、シッコが出ません。こちらもねばって「ダメよ・・・出るまでは」とほったらかしていたら、何と、午前中ケージの中で、スネスネ状態でした。オシッコのリズムがちょっと狂ったのでしょうね。

こ のChuckの「早XX」、「本犬」がコントロールできないほど、すぐに出てしまうようです。猛烈なスピードでリビングを走る回るChuckですから、そ の途中の「ぽとり」が頻発します。ある時期はほとんどなかったので、「これでトレーニングはうまくいった」と思っていたのですが、まだまだのようです。

我 が家での生活が4ヶ月となり、日に日に冒険の数が増え、我が物顔で走る回るChuckですが、まだ生後半年。まだまだできないこと、わかっていないことも 一杯なのですね。もう少し大きくなれば、もっとコントロール可能になることでしょう。

長い目で・・・子育ても、子犬育ても・・・

PS:「XX」はKusoという日本語です。ただし、「早」のあとにつく場合はGusoと濁ります。

2009年1月18日日曜日

震災の現場で

阪神淡路大震災から14年。その特集番組「震災・秘められた決断」を見ました。未曾有(みぞうう)の災害に直面した消防士、行政スタッフなどの人たちが、何をどう決断して行動していたかというレポートです。

14 年前、地震の一週間後に、水、紙おしめ、そしてお線香を車に積み込んで、京都から神戸に向かいました。大阪経由で6時間かけて神戸に到着し、あまりにも変 わってしまった風景に同乗の友人共々、話すことばがなかった私です。救援物資を神戸のYWCAに届けて、ホッとしたのですが、トイレを使うこともはばから れて、みなさんに「どうぞお気をつけて」と言うのもほどぼどに帰りを急ぎました。

震災直後から、お線香がないという情報が届いていまし た。もちろん棺桶(かんおけ)も足りないということもわかっていましたが、ボランティアとして集められるのはお線香だけ。震災の情報が交錯(こうさく)する中、多くの 亡くなった方々をどうやって弔(とむら)えばいいのか混乱していた現場を想像することは、当時の私にはできませんでした。

昨日のテレビに 、遺体の安置所となった体育館で、棺桶がない、火葬する手だてがない・・・という状況を経験した担当者の話がありました。寒さが厳しい時期でした が、遺体を保存するためのドライアイスも手に入らない中、遺族の苛立(いらだ)ちに、ただただ頭を下げていた日々だったとその人は語っていました。

「道ばたに咲いていた野菊を手向(たむ)けることだけが私のできることでした」

近隣府県の火葬場にヘリコプターで遺体を搬送することも含めて、全ての遺体の火葬が終わったのは、震災後3週間のこと。

自身が被災者だった方々も多かったはずの消防士や行政スタッフの人たちが、極度のプレッシャーの中で、どう「仕事」をこなしていったか。「その場」を経験した人しか話せないことばの重みを感じた番組でした。

2009年1月17日土曜日

無駄づかい・・・














     阪神高速8号京都線
     伏見インターから上鳥羽インターまで
     約4キロ弱
     450円なり

     堀川通りを南に延長した油小路(あぶらのこうじ)通り
     その真上にある高速道路

     平日の午後、北行車輌で私を追い抜いたのは一台だけ
     その他に車輌の姿はなし

     450円、高いな・・・

     右手遠くに雪景色の比叡山はきれいだったけれど・・・

     免許更新に京都の南の端まで出かけた午後でした

2009年1月16日金曜日

不時着事故

朝ラジオのスイッチを入れたら、「乗客の一人はパイロットの操縦は完璧だった、と話した」と流れてきました。そしてすぐに次のニュースに移ってしまったのです。

飛行機の事故?どこ?わからないまま、CNNのウェブをチェックしてみました。

US Airwaysの飛行機がニューヨークのラガーディア空港を飛び立って、鳥の大群にぶつかり、エンジンが二つとも止まり、ハドソン川に不時着した。まずそんな文字情報が目に入りました。

次にこのウェブにあるビデオをチェックすると、CNNのニュースがそのまま流れますから、刻々、色んな情報が入ってきます。最初にアップされたビデオは画像のみで、音声が全くなく、かえって不時着直後の緊張感が伝わるようです。


不時着した現場はハドソン川をたくさんのフェリーが運航している場所で、不時着直後から、数隻のフェリーや沿岸警備隊の船が救助可能だったこと。

不時着をパイロットから告げられた乗客は、最初はパニックになりかけたけれど、大声でみんなを落ち着かせる声が聞こえてからは、冷静に対応したこと。

子ども連れの女性を最初として、女性をまず脱出させて、乗客が脱出したあと、パイロットが機内に人がいないことを最終確認してから機外に出たこと。

ブルームバーグ・ニューヨーク市長が記者会見でこのパイロットの冷静な対応を称賛していること。

ニューヨークの高層ビルの窓越しから、この不時着の模様を目撃した人たちがいること。

グーグルアースによる飛行機の飛行ルートや高度の情報によると、エンジンが止まったあと、この飛行機はずっと川に沿って飛んでいること・・・などなど。


日本の報道では出てこない細かい情報がドンドン追加されています。時差が14時間もある離れた場所での出来事を、コンピューター画面を通して知ることが出来るすごさを再確認しつつ、飛行機事故で一人のいのちも失われなかった奇跡に感嘆する今朝の私です。

2009年1月15日木曜日

Chuckのセーター


これなんじゃ?
お母さんがニタニタして僕にかぶせたのは・・・
モショモショして変な感じ
「暖かいでしょ?」ってお母さんは言うけれど
僕の毛は純正ウールです!
ダブダブを着たら走れません!!
         やめてよね!!!
                       (by Chuck)

PS:Picasaをアップデートしたら「コラージュ」の作り方が新しくなっていました。なかなか思うようには作れませんが・・・

PS2:午後になって私がベランダに出ていたら、足元をChuckがすり抜けて庭に飛び出しました。どうしても上がれなかった「小さな段」を思い切って上がったようです。昨日できなかったことが、今日になってできるようになる・・・Chuckは日々進歩しています。

2009年1月14日水曜日

庭の南天


先週の京都新聞に「赤い実鮮やか 南天が見ごろ」という写真記事がありました

鳥さんたちが持ってきてくれた我が家の庭の南天は、赤い実が少し残るだけ

「残りわずか。さあさあ、食べにいらっしゃい!!」

2009年1月13日火曜日

阿吽(あうん)の呼吸

今から10年ぐらい前のことだったと思います。アメリカの乳ガン患者さんたちが、南米の最高峰アコンカグア登頂を成功させました。私が関係していた「生きがい療法」の仲間はガン患者の一行が1987年にモンブランに登っています。そのご縁から、アコンカグア登頂メンバーが日本で講演会を開催してくれまし た。

その通訳をした時のことです。講演会当日、初めて会った二人の女性は、初対面から引きつけられる暖かい表情の方々でした。お昼ごはんをご一緒して、講演内容の打合せ。京都の前に開催された講演会での通訳の方が戸惑ったポイントなどを、的確に教えてくださいました。

スピーカーが二人、内容によって交代で話し、その通訳は一人の変則的な講演形式でした。教えてもらっていた「ポイント」が大いに役に立ち、とてもスムースに通訳をすることができました。

講演が終了した時、ボランティア仲間の一人が私に聞いたのです。「通訳の練習をしたのですか?」。スピーカーと私との声がほぼ一つの流れとなって、とても心地よく聞けたというのです。「ぶっつけ本番ですよ・・・」と私自身もその方の反応に驚きながら返事をしました。

通訳を使う講演の出来具合は、もちろん通訳の実力次第ですが、スピーカーの「勘の良さ」に負うところが大きいのです。スピーカーの声の微妙な下がり具合を 感じて、即座に通訳し、通訳のことばの変化を感じたスピーカーがすぐに次の文章に進む。これができれば、とてもスムースな講演となります。たとえ訳される ことばが全くわからないスピーカーでも、この呼吸を感じてくれる人は、とても楽に仕事をさせてもらえるのです。

言い換えれば「相手のはき出す息の最後を感じることができる人」ということになります。とにかく「呼吸が合う」ことが何より大切です。

まさに「阿吽(あうん)の呼吸」なのです。

辞書には「二人以上で一つの事をするときに気持ちの一致する、微妙なタイミング」とあります。「“阿”は口を開いて出す音声、“吽”は口を閉じて出す音声」、つまり最初から最後の音までピッタリ合わせることができる絶妙の呼吸のタイミングということですね。

そして、なにより、私が感じた「相手に対する心地よさ」、これがこの通訳をスムースなものにした大きな原因だと思います。「気が合う」、つまり心がピッタリ寄り添っていたのですね。

今までの通訳の経験の中でも、ピカ一の思い出です。

2009年1月12日月曜日

スポーツの記録

雪が強い風に舞っている「成人の日」です。昨日も晴れていましたが寒い一日でした。

昨日の京都は第27回全国都道府県対抗女子駅伝が開催されました。我が家のすぐ近く、京都国際会館が折り返し点となる駅伝。以前は必ず見に行ったのですが、このところは室内観戦です。

京都チームの5連勝となりましたが、今朝の新聞記事に、「第一回の優勝記録を昨年の大会で全チームが上回った」とありました。第一回は1983年に開催されています。

この最初の優勝記録は2時間29分02秒。今年の京都チームのタイムは2時間15分39秒。そして最下位の沖縄チームの記録が2時間27分47秒。

テレビの解説をしていた高橋尚子さんが、京都チームの第8区で素晴らしい区間新記録を作った中学生、久間萌(きゅうまもえ)選手の走りを見て、「私の中学生時代には、3キロを走り切ることなんか、考えられなかった。ましてあのスピードで!」とコメントしていました。

スポーツの記録は年々向上し、体操やフィギュアスケートの競技技術もドンドン難しくなっていています。同じ人間なのに、時代が移ると、スポーツ能力が向上するのかしら、それとも何か別の理由があるのかしら・・・と以前から気になっていました。

指導技術が進歩し、才能のある人(こども)を早くから訓練していく、それが答えなのかもしれませんが、人間の持つ無限の可能性、それが本当の理由なのかなと思います。

ただ、走るだけ。駅伝は用具や装具に影響されない競技(靴の進歩はありますが)だからこそ、その記録が気になり、テレビにくぎ付けになってしまう私です。

2009年1月11日日曜日

みんな一緒

顔は違っていても中身はみんな一緒

ラジオの「日曜訪問」から聞こえてきたことば
日本滞在が40年になるというイラン人フリー記者のことば

世界中の人がこう思うことができたら、争いはなくなるだろうに・・・
戦争だけでなく、人と人の小さな「いさかい」も・・・

今年一番の冷え込みの朝、砂漠の地、ガザを思いました

2009年1月10日土曜日

またやった!


アゼリア(つつじ)の鉢
なぜかいたずらをするChuck

これで2回目!
怒られてます

本当に反省してる?!

2009年1月8日木曜日

ネットワーク

4日の日曜日の午後、友人の入院騒ぎが発生。救急車を呼び、送り出してから、一旦私は我が家へ戻って、母の食事の準備、就寝介護をしてから病院へ、と考えていました。

そこへ「症状がひどく、命にかかわるかもしれない」というメールが入りました。一瞬、深呼吸をして考えました。そして知人に電話をかけました。母の世話を数回お願いしている方です。

「わかりました。すぐ行きます」のことば通り、車で10分弱の距離を文字通り飛んで来てくださいました。まだ晩ご飯の支度もできてはいませんでしたが、「適当にお願いします」ということばを残して私は病院へと飛び出しました。(Chuckの晩ご飯は覚えていましたが・・・)

幸い、処置がうまくいき、友人の容態はひとまず安定。病院に駆けつけてくれた、仲間と一緒に遅めの晩ご飯をゆっくり食べることができ、帰宅すると母はいつものように、静かに寝ていました。

介護の日々は、どこで何が起こるかわかりません。私自身、介護ができない状況になることもあるはずです。非常事態発生の時、今回のようなネットワークがどれだけありがたいか、改めて感じた私です。

「大きな家族」のネットワークに支えられている私の介護生活です。

ほとめく

年末のラジオで覚えたことば

「ご馳走する、おもてなしをする、歓待する」という意味の博多弁

「いつも相手が喜ぶことをする、その気持ちを持って来年は過ごしたい」

博多の女性が話していました

「ほとめく」・・・いいですね

何かがほぐれていくような・・・

2009年1月7日水曜日

母の書き初め

昨日のデイケア、朝食のあと、しばらく横になって休んでから「お出かけ」。スイッチがしっかり入っていた朝だったので、動きはいつもより軽快。「おはようございます」と声をかけてもらうと、はっきりと「おはようございます」の返事。

現在お世話になっているデイケアは365日年中無休です。年末年始も同じように預かってくださるのです。1月3日が最初の外出で、昨日は2回目でした。

帯状疱疹以降、しんどいことも多かったので、12月にはお昼過ぎに電話がかかってきて迎えにいったりしたのですが、年が明けて、体調もほぼ元に戻ったようです。

昨日のプログラムはお正月らしく、書き初(ぞ)め、や百人一首の「坊主めくり」など。「えっ、母が書き初めをしたのですか?」と思わずヘルパーさんに聞いてしまった私です。ペンや鉛筆すら、この1,2年、持ったことがない母ですから・・・

家庭では味わえない色々をデイケアで経験させてもらっています。定員10人のこじんまりしたデイケアで、一杯話しかけてもらっています。週二回、本当に貴重な時間です。母にとっても私にとっても・・・

昨日母が書いた書き初め、ちょっと判読が難しいのですが、「澄心對」と読めるのです。今の母の心境でしょうか。どなたか「解読」してくださいませんか?

2009年1月6日火曜日

今年のことば

この一年 人の長所と交(まじ)わらん

いつものお寺の年初のことば

どんな時でも「いいこと探し」を続けたいものです
相手の中に・・・
できごとの中に・・・

イヤなことは何もない
すてきなことばかり

そんな気持ちになれればいいな

2009年1月5日月曜日

Chuckのお正月














一人(一匹)で、おもちゃをひっ散らかしながらリビング遊んだり
ケージの外にいるのに、中にあるおもちゃを必死で引っ張ったり
眠くなって膝にのせてもらってネンネしたり

Chuckのお正月は元気に終了

2009年1月4日日曜日

箱根駅伝 #2

ちょっとしつこく箱根駅伝のことを・・・

今年の大会の最優秀選手は、2日往路5区の「山登り」でトップの早稲田大学との4分58秒差をはねかえして「奇跡の逆転」をした、東洋大学1年生の柏原(かしわばら)竜二選手。高校時代は全く無名で高校駅伝の経験もなかった彼の記録が、ドンドン伸び始めたのが去年の秋頃。それを目にした、当時東洋大学のコーチ兼スカウトだった、現在の佐藤監督代行に声をかけられたのが、この日の快走につながり、「高校で陸上をやめて就職しようか」とあきらめかけていた彼に道が開けたのだそうです。

朝日新聞の記事には「柏原を見ていると、練習でも試合でも与えられた環境に感謝しているのがわかる。“こんな大舞台で走れるなんて。楽しいです。最初の1キロで泣きそうになりました”」とありました。

「奇跡は信じるだけでは起きない。起こそうとすれば起きる」ということばが好きだという彼が、自分の信念に加えて、感謝や喜びの気持ちを持って走った、それが「奇跡」を呼び込んだような気がします。

67回目の出場で初優勝をした東洋大学。優勝の可能性を予想した人はほとんどなかったはず。やっぱりドラマがあったのですね。今年も・・・

もう一つ、ラジオの放送で聞いて私の耳が「ピクッ」と動いたエピソード。

各校のゼッケンにアルファベットがある大学(早稲田大学:W,中央大学:C,明治大学:M,日本大学:N)は、「古い大学」だというのです。その他にも今回は出場していませんでしたが、法政大学:H,慶応大学:K,立教大学:Rが思いつきます。

そして関東学連選抜で走った学習院大学もGのゼッケンをつけていました。それぞれのアルファベットにそれぞれの大学関係者の想いが込められていることでしょうね。


このお正月の箱根駅伝、私を含めて全国にファンが一杯。箱根を走りたい・・・と言って優秀な選手が関東の大学に流れてしまうのも、関西人としては少々「くやしい」のですが、当然かな、と今年の箱根駅伝を見終わって、改めて感じました。

2009年1月3日土曜日

年越し派遣村

元旦の朝日新聞一面に「ひとりじゃないよ」という見出しで、東京日比谷公園の年越し派遣村と大阪の扇町公園でのボランティアによる炊き出しの記事と写真が掲載されていました。

2日の夜のニュースによると、日比谷公園では収容しきれなくなった人たちが開放された厚生労働省の講堂に5日早朝まで宿泊できるようになり、東京中央区では廃校になった二つの小学校を開放することを決定したとか。

大きな災害があると実施される炊き出しやテント村ですが、今回、失業した人たちの多くは、災害に遭遇したと感じているのかもしれません。不安定な雇用状況の中、突然、職と住むところが奪われるのは、確かに「災害」と言えるのでしょう。

12月31日の京都新聞に、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんの記事がありました。東西ドイツ統一後の時期、東ドイツでは失業者があふれていたそうです。

「激変の中にもそこには答えてくれる社会、対話できる社会があった」として、アパートの隣人にさりげなく手を差し伸べる主婦のことや、政府や自治体に対して新しい仕事をつくる交渉をする失業者たち自身の動き、失業者の活動に対して、会議の部屋を提供したり、定期的に相談に乗る労働組合など、色々紹介されていました。

街で残したい歴史ある建物を修理する仕事、青少年が気軽に集まれる場所や相談所をつくる仕事、老人向けの有機野菜の食堂の経営、不要品の交換所で雇用を生みだす、などが新しい仕事として考えられたとのこと。

「ここでは誰かが助けてといえば、必ず支えがある社会です。見捨てられることはない」との失業者のことばがうらやましかったと暉峻さんは書いています。

大晦日からお正月にかけて、「ひとりじゃないよ」という気持ちを持って集まった多くのボランティアたち。大きな社会の変化の中で、何かが生まれてくる動きが日本にも出てきた、そう信じたいものです。

2009年1月2日金曜日

箱根駅伝

朝刊のない1月2日。朝8時から箱根駅伝に「つかまって」しまう私です。

私はラジオ派ですから、普段はテレビを置いていないリビングに古い重いテレビを運んできました。もちろんラジオでも放送があるのですが、アナウンサーの必死の解説がもどかしい、そう感じるのです。

駅伝は日本が発祥のスポーツ。普段の生活からは消えてしまった「たすき」、本来は和服の袖(そで)やたもとがじゃまにならないようにたくしあげるためのひも
、それを選手がつないでいく団体競技。

京都では小学生の「大文字駅伝」をはじめとして、「全国高校駅伝」、「全国女子駅伝」と、駅伝を実際に見るチャンスもたくさんありますが、この箱根駅伝の独特の雰囲気はちょっと違うようです。

箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。二日間に渡っての競走というのも独特です。
往路108.0キロ、復路109.0キロ、計217.9キロの長い距離を10人の走者が走ります。

思いがけない不調で順位が変わったり、とんでもない快走でドンドン抜いていく選手がいたり(今20人抜きがありました!)。二日目では、規定時間内に走れずに繰り上げスタートとなって自分の大学のたすきを渡す相手がいない中継所に飛び込むランナーがいたり。毎年シナリオのないドラマが満載です。

「お正月になったらすることリスト」を横目で見ながら、今日も明日も午前中はテレビにくぎ付けのようです。私のお正月の恒例行事です。


2009年1月1日木曜日

新年のごあいさつ

illustrated by MUSUME

新しい年
Chuckと一緒にごあいさつ

今年もどうぞよろしくお願いいたします!