2009年6月30日火曜日

浄瑠璃寺




京都の南、山を越えれば奈良となる加茂の地にある浄瑠璃寺(じょうるりでら)。
小さい時に両親と出かけたことのある思い出のお寺。

静かな境内(けいだい)の東側に立つ三重の塔にこんなお知らせがありました。

        「薬師さまは六月十五日より修復のため寺を留守にされます。
         期間は約三ヶ月の予定です。」



あらいぐまにお顔をかまれた薬師如来さま、お留守だそうです。
丸みを帯びた和尚(おしょう)さまの文字。
「薬師さま、お早くお戻りを・・・」と思いました。

2009年6月29日月曜日

法廷通訳

私が通訳ができるようになったきっかけは、ガン患者さんたちの勉強会で通訳を頼まれたことからでした。まさしく「ぶっつけ本番」。講師はイギリス人女性。緩和ケア(当時はターミナルケア)専門の看護職の方でした。

専門用語を連発することもなく、ゆっくりしたわかりやすい英語に助けられたというものの、30分弱の講演での私の緊張は、今思い出しても身震いするものでした。

私のことば、つまり日本語が聞き手に届く「ことば」であることに気がついた時、その責任の重さに文字通り背筋に冷たいものが走りました。ガン患者さんやご家族が私のことばから、生きるためのヒントをつかもうと必死で耳を傾けていらっしゃるのがわかったからです。


「法廷通訳の訳し方に注目を」という新聞の投稿記事がありました。裁判員制度がスタートする、この時期、法廷通訳のことばの重要性を提起しています。

模擬裁判員と模擬通訳を使って行った法廷実験の報告がありました。

被告人が被害者に口汚くののしられ、被害者を刺してしまった状況で、被害者の外国語の暴言を通訳が正確に訳すことができず、「大したことをしていないのに、刺されて気の毒だった」という模擬裁判員の反応。

通訳が明確で自信のある話し方をした場合と、ためらいがちに多少弱々しい話し方をした場合、被告人は同じ話し方をしたにもかかわらず、前者の発言が信頼できるように模擬裁判員は感じたこと。

さらに、模擬裁判員は、通訳人の口から出た言葉がそのまま被告人の言葉だと、何の疑問も持たずに受け止めたことが報告されています。


私が最初の通訳の現場で感じたそのものが、この記事にも書かれていると思います。通訳の技量が話の内容をここまで大きく左右してしまうのです。

人の命に関わること、裁判での量刑に関わること、どちらも人の人生を決定づける可能性があります。今後、外国語を話す人を日本の法廷で裁く事例は増加する一方だと思います。

法廷通訳のこの記事は、改めて「ことば」の持つ意味や大きさ、責任を思い出させてくれました。

2009年6月28日日曜日

Chuckのお初

低いところからねらったChuck
顔がはっきりしないのは、写し手の技量不足
動き回るChuckを追いかけるので精一杯

一眼レフを抱えて「カメラマンごっこ」した午後でした

2009年6月27日土曜日

1989年

今週のTimeの特集記事。1989年「20年前、世界が変わった」というサブタイトルがついています。

リストを読んで、すぐにわかるもの、全くわからないもの、色々でした。「それなりに」調べてみました。あまりはっきりわからないものもありますが・・・

日本のバブル経済崩壊がリストの最後に控えています。もう20年経つのですね。


 ・ The Fall of the Berlin Wall ベルリンの壁崩壊

 ・ Russia's Revolution ソ連における変革とゴルバチョフ大統領

 ・ Reagan's Role レーガン大統領の役割
    1987年6月12日にグランデン門前で行ったスピーチ。
    ソ連のゴルバチョフ大統領に壁をなくすように訴えた。

 ・ The World Wide Web インターネットが世界規模に広がる
    http (hypertext transfer protocol)の誕生

 ・ In Tiananmen Square 天安門事件

 ・ Mandela Meets De Klerk マンデラ氏がデクラーク大統領と面談

 ・ A Murder in Peshawar アフガニスタン、反ソ連リーダー暗殺

 ・ Vietnam Exits Cambodia ベトナム軍のカンボジアからの撤退

 ・ The Dalai Lama's Nobel ダライラマ、ノーベル平和賞受賞

 ・ The Hillsborough Tragedy 英国ヒルスボローのサッカー場での死亡事故

 ・ Cold Fusion  常温核融合

 ・ The Satanic Verses 「悪魔の詩」 (イスラム教国との対立)

 ・ Rave Culture レイブ文化 
   マンチェスターから始まったサイケ調の文化や若者の行動

 ・ Gay Marriage 同姓結婚が認められる (最初の国はデンマーク)

 ・ The Sympsons シンプソンス  OH!シンプソンズのファンページ

 ・ Robert Mapplethorpe ロバート・メイプルソープ  (写真家)

 ・ The Exxon Valdez アラスカ, エクソンバルディーズ号座礁事故

 ・ GPS GPSの開発

 ・ Japan's Burst Bubble 日本のバブル経済崩壊

2009年6月26日金曜日

あじさいコラージュ


あじさい三昧(ざんまい)のことしの6月
極(きわ)めつけとして宇治の三室戸寺
あじさいのアップばかりでコラージュ作成

2009年6月25日木曜日

片づけもの

私の母は片づけ能力がとても高い人でした。どこに何があるのかがちゃんとわかっている人でした。

母は2回、交通事故でむち打ち症になりました。2回目の時(最初の事故から10年近くはたっていたはずです)、首に巻くもの(首のコルセット)を、さっと取り出したのです。家族みんなが「すごい!」と驚いたものでした。

こんな母の娘ですが、私は「捜し物人」(さがしものびと)の方です。「えーと、どこにしまったっけ?」「たしかあそこだったはず・・・」のせりふをよく口にする人種です。

「片づけとは、部屋をきれいにすることではなく、物を元にあった場所にもどすこと。そのために定位置を知ることが大切です。」

新聞で見かけた文章、その通り!

物の定位置を決めるための「片づけ」を時々発作的(ほっさてき)にする私です。自分でベストだと思うところに片づけるのですが、その「定位置」の感覚が一時的なものであることが多く、何ヶ月後、何年後となると、またもや「探しもの人」となることがしばしば。

コンピューターは検索が得意ですが、片づけものの内容を一つ一つ入力することは不可能。未来の家なら、家全体で、物の位置がコンピューターに登録されて、一発検索で捜し物可能となるかな・・・

それまでは、「探しもの人」を続けることになるのでしょうね。

2009年6月24日水曜日

現場検証

晴れた日はベランダも庭も自由にウロウロしているこのところのChuck。
植木の手入れをしていたら、何やら妙な白い物が・・・・

ベランダの壁でした。犯人はもちろんChuck!

犯人立ち会いの上での現場検証です。
わかってるのでしょうかね、悪いことをしたのが!

でもすごく楽しんだのでしょうね。誰にも邪魔されないで・・・

2009年6月23日火曜日

風呂敷

近所のお寿司屋さんに出前を注文しました。
それを持ってアメリカから帰って来ている友人に会いに行こうと思ったのです。

一辺が25センチぐらいの四角い「ふたもの」におすしがきれいに並んでいました。
むき出しで持って行くわけにはいかず、入れるものを考えました。
でも底が大きな紙袋が手近に見あたりません。

そこで、風呂敷を思い出しました。

母の風呂敷の一枚を取り出して、包んでみました。
見事にぴったりでした。

腕にそっと風呂敷包みをのせて出かけました。

不思議ですね。
何となく動きが静かになった私です。
紙袋なら、ぶらぶらさせて大股(おおまた)に歩くのに。
風呂敷包みを持つと、ちょっとおしとやかに・・・

たまには、風呂敷を使おうと思いました。
ズボン姿でも、ちょっと気分が変わります。

2009年6月22日月曜日

道すがら



買い物の道すがら、色んなあじさいに遭遇
なかなかマーケットにたどりつきませんでした

この時期、歩くの大好きです





去年のアジサイシリーズは我が家の庭でした
雨の合間に

2009年6月21日日曜日

短いスピーチ

2016年のオリンピック誘致合戦が活発になっているようです。さて、東京が二回目の開催地になることができるのでしょうか?オリンピックが決まれば、パラリンピックも・・・となると車いすフェンシング競技もあるのですよね。(えっ、誰がやるの???)

1964年東京オリンピック誘致を決定づけたスピーチのことをラジオで知りました。元外交官、NHKの解説員であった平沢和重氏の1959年のIOC総会でのスピーチのことです。

当 初誘致のためのスピーチをする方がケガをして、急にピンチヒッターとして登場したのが平沢和重氏。私も昔、この方のニュース解説を見た記憶があります。 ニュース解説は座ってするものだったのを、平沢氏は、立って、重要な用語を手書きしながら解説をした方だったということ。そのあたりはあまり覚えていませ んが・・・

平沢氏が考え抜かれたスピーチは「たった」15分。持ち時間は45分あり、対抗馬の一つだったデトロイトのスピーカーは1時間にもなるスピーチをしたそうです。

ア ジアでオリンピックが開催されれば、本当の意味でオリンピックのマークの五輪が揃うこと。ファーイースト(極東)の地にある日本は、飛行機代は高くつくけ れど、宿泊代金はとても割安なこと(当時、1ドル360円です。)。ソ連との交渉次第では、ヨーロッパからより短いフライトルートが可能になること。何よ り、日本の教科書に、オリンピック精神が書かれ、子どもを含めて、全ての人がオリンピック開催を待ちこがれていること。

これらの内容を15分でまとめて話されたのだそうです。持ち時間の残りは、会場からの質問にも的確に答え、日本をしっかりIOC委員に印象づけたのだそうです。

インパクトを放った東京のプレゼンテーション

東京オリンピック開催が正式に決定したあと、短いスピーチについて質問された平沢氏は、「テレビの解説はいつも15分ですから」と答えられたそうです。

短くても、必要な情報を込め、聞く人の心に響くスピーチをする。単なる語学力以上のものが求められるはずです。

さて、今回の東京誘致のスピーチはどうだったのでしょうか?

2009年6月20日土曜日

季節の住人

緑が深くなる頃、庭には季節の住人が現れます
  

クモなんです、まるで泡が動いているような(クリックしてみてください)
アップで見ると、青虫もそれなりにかわいいかな・・・


自然のままの我が家の庭
つまりほったらかし
来るものは拒(こば)まず
でも時には「ごめんね」も・・・

2009年6月19日金曜日

柔軟性

私の祖父、父の父は米寿を迎えるまで、元気で現役生活を送った人でした。今なら米寿、88歳の男性は珍しくありませんが、1960年代後半では、長寿者であった祖父でした。

「現役生活」を送ったのが、祖父の元気の源だったと思いますが、健康には自分なりの「ポリシー」があり、それをしっかり守っていた人でした。

朝 食には、必ずグレープフルーツを半分。当時、京都でグレープフルーツを扱う果物屋さんはそれほどありませんでしたが、祖父の家の近くの店で買うことができ ました。それから、特製の飲み物。ミルクの中に、擦(す)った大豆とごまを入れ、ハチミツを加えて飲みます。大豆は、自宅で擦るのです。金物(かなもの) の「ミル」は、男性の力でないと回せませんでした。

祖父は、毎朝、寝床での体操を欠かしたことがありませんでした。実際にその全てを見たことはありませんが、手足を伸ばしたり、寝たままで上半身と下半身を同じ方向に揺すったり。起き出す前のこの「儀式」は10分以上も続いていたと思います。

身体が柔らかかった祖父は、少しぐらいバランスを崩しても、転ぶこともなく過ごしていました。そして、何より、最晩年の祖父の考え方や話し方も、とても柔らかかったのです。

若い人の意見を聞くのが楽しみで、居候(いそうろう)をしていた高校生の私との会話も、とても自然でした。お説教が出て来ることはありませんでした。私も「おじいちゃま」との時間が楽しかったのを覚えています。

人は年を重ねると、身体もこころも硬くなってしまいます。日頃から少しずつ、身体もこころもほぐしておきたいものです。祖父がそうであったように、日々の心がけが大切なのだと思います。

祖父を目標として、私もがんばろうっと!(力を入れすぎないで、柔らかくがんばります)

2009年6月18日木曜日

野次・ヤジ

「野次る」とは、辞書に「他人の言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける」とあります。時には発言者に対しての賛同の言葉もあるようですが、往々にして「うるさい」かけ声のようです。

私は日本の国会中継を見るのは嫌です。国の政治に対して関心を持つ必要は重々感じますが、原稿から目を上げない発言者やその発言を聞こうともしないで、ただただヤジを飛ばす議員たち。日本の将来を決定する人たちのこの言動には、いつも失望するだけなのです。

昨日、母の部屋のテレビがNHKになっていたので、偶然党首討論を目にしました。麻生総理大臣と鳩山民主党代表の発言中、拍手はありましたが、ヤジらしきものはほとんどありませんでした。

前回、5月27日の党首討論の風景は、まるで怒鳴り合いの中で、お二人が発言していたようなもの。さすがに議員さんたちが「自制を申し合わせた」そうです。やっと・・・ですね。

国 をリードする国会議員たちが、相手の言うことを聞かないままに大声でヤジる場面を目にする日本の子ども達。人の言うことを聞かなくなっても当然だと思いま す。討論が白熱して、議会で取っ組み合いのケンカ騒ぎにまでなる国もあるのですから、時には、意見が激しく対立して、大声が飛び交(か)うこともあるかも しれません。でもそれが「いつものこと」では困ります。

朝日新聞の記事の中に国会の本会議でヤジっているのは、主に一回生議員が中心だと ありました。「05年総選挙で大量当選した自民党の小泉チルドレンは研修で“相手(野党)が質問した時は一生懸命ヤジってくれ。みんなそれで成長するんだ から”と教えられた」とか。大臣席からヤジを飛ばす人もいるとまで書いてありました。

この文面には、わが目を疑いました。本当のことなのでしょうか?ヤジを飛ばすことで成長するって?どんな風に?

討論は相手の意見をまず聞くところから始まります。自分の意見と違う意見をしっかり聞くことで、自分自身の考えがより明確になり、そこで、初めて「成長する」可能性が出て来るのだと思います。

議論好きな人をうっとうしがる日本の風潮は今後も続くのでしょうか?みんなが同じ意見でなくてはいけないのでは、この世は本当に窮屈(きゅうくつ)です。

みんなが違っているのが当たり前。その違いをどんな風に折り合いをつけるのか、それが「おとな」というものではないでしょうか?

2009年6月17日水曜日

おみやげ


晴れた朝、庭とリビングを出たり入ったりのChuck。何だか忙しそう。網戸を閉めておきたいのだけれど、Chuckはそれがきらい。一人(一匹)で、庭に放り出されるのは嫌なんでしょう、きっと。

でも・・・庭から戻るChuckは足を拭いてくれません。そのまま飛び込んできます。いろいろなおみやげを体にくっつけながら・・・

今朝のおみやげです。カラカラに乾いた葉っぱ。リビングの床に落ちていました。

息子が日本の小学校に通っていた一年生の時、近くのお寺の境内(けいだい)で見つけた小さな花を摘(つ)んで持って帰ってくれたことを思い出しました。しっかり握った手の中の「花束」。かわいいおみやげでした。

2009年6月16日火曜日

お初に・・・


一眼レフデジカメのお初写真

まだわからないことばかり
マニュアル撮影なんてとんでもない
オート撮影でやっとこさ

でもカメラを構えると
「写している」という感じ

次はChuck撮影の挑戦をば・・・

2009年6月15日月曜日

充電完了

今朝、母の部屋に入ると、一人で靴下をはいていました。「おはよう、お手洗いに行こう」と誘って手を引くと、スッと立ち上がります。トイレも洗面もスムースでした。

着替えのあと、「ちょっと待っててね」と声をかけておいて、食事の用意。朝ご飯を部屋に持っていくと、いつものように、まず口「モゴモゴ」が始まります。(Chuckがごはんを待てないのと同じ!)

「ここに座って」とイスを指さすと、ベッドに座っていた母は一人で移動します。(手抜き介護は、ほとんど手を出しません。)その時・・・「ありがとう」のことばが出たのです。目の前にある朝ご飯と「ありがとう」がつながった今朝の母でした。

このところ、母は夜、7時半過ぎに寝る用意をして、ベッドに入るとすぐに寝てしまいます。夜中のウロウロも全くなくなり、明け方のチェックの時にもよく寝ています。夜、ほぼ12時間は寝ていることになります。日中も、横になって寝入ってしまうことが増えました。

母が、寝ることでエネルギーを充電しているのがよくわかります。デイケアに行った翌日は、いつもより長く寝ていることがあります。夕方になって、晩ご飯はしっかり食べるのですが、もう目はトロトロです。母の蓄電池の放電率が増えたのです。

朝、充電完了した時だけ、母との会話が少し復活します。自分から話しかけてくることがあります。それ以外は・・・

すべて自然にあるがままで時が過ぎていくようです。

2009年6月14日日曜日

心の目

以前、京都のライトハウスで朗読ボランティアをしていた時、目の不自由な方が、「私はテレビを見ていますよ」とおっしゃったのです。思わず「えっ?」と言った私に、「テレビは見るものでしょ?」との答え。確かにそうなのですが・・・

途中で失明された方は、以前の記憶から、色や形が想像できるのでしょうが、生まれつきの全盲となると、私たちが何気なく「見ている」ものは、どのように理解されるのでしょうか?

全盲のピアニスト、辻井伸行(のぶゆき)さんが、アメリカで開催された「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で優勝。大きなニュースとなっています。

視覚の世界が閉ざされている辻井さんに、お母さんは幼い時から、多くのことばで、世界を語って聞かせたとか。美術館では、作品ごとに立ち止まり、目の前の芸術の色、形、様子を説明したとあります。

「花火に行っても、心の中で色とりどりの花火が開く。母のおかげで、何でも心の目で見られるようになった。不自由ではありません。」

目 で見ている、見えている・・・と思っている私たちには想像できない、もっと豊かな世界が彼には見えているのだと思います。はじける美しさを体中で感じるこ とができる感性を持っている人だと思います。たとえ目が不自由でも、音楽の世界だけでなく、彼の持つ可能性を大きく広げたご両親の努力はいかばかりだった かと思います。

音楽そのものの美しさを体で感じる辻井さんが、今後どのようなピアニストとして成長し、同時に作曲家としての夢をかなえていかれるのか、これからがとても楽しみです。


辻井さんのホームページ。

辻井伸行 Official Web Site Nobu Piano.

コンクールでの彼のピアノが聞けます。黒鍵で鍵盤の位置をたくみにチェックしながらの演奏は、まるで指先に目がついているようです。

2009年6月13日土曜日

京都タワー


京都駅で地下鉄から地上に出たときでした

夕日が沈んだ直後でした

京都タワーが光っていました

小さなデジカメでこんな写真になりました

2009年6月12日金曜日

「恋はフィニックス」

日本語のタイトルだと、何となくピンとこなかったのですが、1960年代後半にグレンキャンベルが歌ったBy The Time I Get To Phoenixがラジオから流れてきました。

この曲の中にある、フィニックス・アルバカーキ、オクラホマは、学生時代にグレイハウンドのバスでアメリカ国内を旅行した私にとって、懐かしい街の名前です。

英語の歌詞を見つけました。わかりやすい英語です。情景を思い浮かべてみてくださいな。


By The Time I Get To Phoenix


By the time I get to Phoenix she'll be rising
She'll find the note I left hangin' on her door
She'll laugh when she reads the part that says I'm leavin'
'Cause I've left that girl so many times before

By the time I make Albuquerque she'll be working
She'll prob'ly stop at lunch and give me a call
But she'll just hear that phone keep on ringin'
Off the wall that's all

By the time I make Oklahoma she'll be sleepin'
She'll turn softly and call my name out loud
And she'll cry just to think I'd really leave her
Tho' time and time I try to tell her so
She just didn't know I would really go.


「さようなら」とメッセージを残していなくなった彼氏。現在なら「どこにいるの?」と携帯電話をかけるかメールで追いかけるはず。(もういいや、と思うのなら別ですが・・・)

でもそれができなかった時代。かえってそれがロマンチックに思えるのは、私の単なる感傷でしょうか・・・

とは言っても、自分からバイバイするのなら、もうあれこれ想像することもないと思うのですが、この「じれったさ」も60年代なのでしょうか。それとも「殿方」(とのがた)はどの時代でもこうなのですか?


グレンキャンベルのゆったりした歌もどうぞ・・・

YouTube - Glen Campbell - By The Time I Get To Phoenix

2009年6月11日木曜日

心配の種

「孫が妊娠5ヶ月です。お医者様が子どもの時に風疹にかかったかどうか聞かれました。診察の時に、エコー診断もなさらなかったのですが、何か風疹のせいでいけないことでもあるのでしょうか?」

ラジオの電話相談に孫を心配するおばあさんの声が耳に入りました。

産婦人科の先生の回答です。

「産 婦人科医は、妊婦さん、みなさんに風疹にかかったことがあるかどうかは必ずお尋ねします。もしかかってなくて、妊娠初期にかかると、その場合に赤ちゃんに 影響があるからです。それとエコー診断も、毎回するのではなく、時間がないときや妊婦さん、赤ちゃんともに問題がないと思われる時にははぶくこともありま す。全くご心配はいりません。」

あせるような口調だった質問したこの方も、やっと納得、安心となりました。

妊婦さんの風疹に関しての知識が間違っていたことと、検査は全てやってもらわないと安心できない、そんな気持ちからの質問だったのでしょう。

情報が氾濫している今、正しいことを正しく理解するのが何よりも大切なはず。間違った判断で無用な心配の種を自分でまき散らしている方々がとても多いような気がします。

「心配の種」に「思いこみ」という水を一生懸命かけていては、決して「安心の花」は咲きませんものね。

2009年6月10日水曜日

Chuckのひとりごと

僕の首の周りについてるの、エリザベスカラーだって、知ってる?

1日の夕方から、何だかわからないけれど、これをつけろって。

これつけてると、ごはんも食べられない、おもちゃもかめない、寝る時も何だか変、おしっこの場所もちょっと・・・

スナックをもらっても、落とすと拾えない
なんで、こんなもの首につけるのかな・・・

でも、お母さんがとってもよく遊んでくれたんだよ
庭にもよく出してくれたし、長い散歩も
お天気がいいと、朝と夕方、二回も
その時は、首ははずしてくれたよ

8日の朝、獣医さんに行ったら、「もうつけなくてもいいですよ」って
まだばんそこうがついていたけれど、
家に帰ってすぐに自分でなめて取っちゃった
すっとしたよ!!

何があって、何が終わったのか、まだわかんないけど
でも、ぼくはとっても元気です
by Chuck

2009年6月9日火曜日

20年の習慣

食事のあと、さて洗い物を・・・と思って流しの前に立つと、右手がディッシュウォッシャーのドアを開ける動作をします。先日、取り外してもらって、本体はもうなくなっているというのに・・・

我 が家のでっかいディッシュウォッシャーは、アメリカからの引っ越し荷物と一緒にやってきたものでした。据(す)え付けてからわかったのですが、アメリカの家庭の給湯タンク使用を前提としていますので、日本式の湯沸かし器に接続したのでは、高温の湯が十分に出ず、きれいに洗うことができなかったのです。

ですから、この20年間、我が家のディッシュウォッシャーは「巨大な洗いカゴ」となっていました。便利でしたよ、一杯洗い物をしても大丈夫でしたから・・・

ですが、全く使えないディッシュウォッシャーを思い切って取り外し、そのスペースを有功利用しようと思い立った次第。

なのに、洗い物の時に右手が動くのです。20年間続けた習慣とは、こういうものなのですね。ということは、何でも20年続ければ、無意識に身体が反応するということ。

「いい習慣」をこころして続けていかなければ、そう思いました。動作も、そしてことばづかいも、こころがけも・・・

2009年6月8日月曜日

カリカリ

Chuckにとって今まで噛(か)んだものの中で一番固い「牛のひづめ」

いくら噛んでも形が変わりません
     カリカリ・カリカリ・カリカリ・・・・一人遊びに最適
                              
とっくみあいしているみたい      爪も立ててる!         
   

2009年6月7日日曜日

介護短歌

おかあさん お母さんと 我を呼び
赤子(あかご)のごとく なりゆく老母(はは)は

今朝の京都新聞に、同志社女子大学教授で歌人の安森敏隆(やうもりとしたか)さんの記事が掲載されています。上記の短歌は、文頭にある、奥さまの淑子(としこ)さんの短歌です。

ご主人の敏隆さんは「この歌には“勝てんな”と思った」と記します。淑子さんが実母を介護する生活から生まれた短歌です。

ご自身も義母の介護に積極的関わった敏隆さんは、介護をする人と介護を受ける人、双方の愛憎入り乱れた交流から生まれる歌、「いのちのうた」を集める「介護百人一首」を提唱するようになったそうです。

介護百人一首は、現在、NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」の定例番組で公募されているとのこと。


母との同居は2年前の昨日からでした。あの年の6月7月は毎日が混乱でした。どうしていいのか、手探り状態で、母も落ち着かず大声を張り上げることも度々でした。

その4月から、私は月2回のペースで「勉強」していました。昔の英語の恩師との30年ぶりの再会から、英語ではなく、「いかにいきるべきか」を学んでいました。戸惑いの日々の中、5時間の個人レッスンは強烈でした。その中で、私もいくつか、自分の心をはき出す短歌(らしきもの)を作っていました。


声荒(あら)げ 夜叉(やしゃ)取り憑(つ)かん 母の顔
過去の怨念(おんねん) 包み隠(かく)さず   (夜叉:猛悪な鬼神)

いい気持ち 言ってくれたの ついさっき
そんなことない また出る否定

晴天の 日差しも知らず 家にあり
われただ母の むつきを変える  (むつき:おしめ)

感謝して むつきを替える 
現代の テクノロジーの ありがたさ


その後短歌作りは全く途絶えています。ことばが湧き出ていた頃があったのが不思議です。

6月7日、今日は母の誕生日。94歳になりました。

2009年6月6日土曜日

絵本の政治学

小学校の図書館のにおい、アメリカの図書館のにおい。私は図書館と聞くと、なぜか本のにおいを思い出します。日本とアメリカでは微妙ににおいが違うのですが、それぞれに懐かしいにおいです。

東京都荒川区では、区立の小中学校33校の図書整備費が、2006年度に1億7000万円を計上しました。その予算規模は、ある校長に「衝撃的な図書購入予算だ」と言わしめるほどだそうです。それまでは年に20~30万円だったのですから、確かに衝撃的な金額です。

こ の「図書化」施策(せさく)を引っ張っているのが、2004年から荒川区長を務める西川太一郎(たいいちろう)氏。自ら荒川区は財政基盤が弱いという区長 は、「次世代に懸(か)ける」と言い切るのです。図書館で自由に本が読める環境を作る、それが荒川行政の大きな柱となっています。

作家の柳田邦男氏の講演で「社長室に絵本を置いて」という提言を聞いて、西川区長は即座に区長室に絵本コーナーを作り、職員が自由に出入りして借りられる環境を作りました。

新しく生まれた赤ちゃんの保護者全員に絵本をプレゼントし、三歳児検診の時にも「ここまでよく育っておめでとう」とう気持ちを込めた絵本のプレゼントがあるそうです。

絵本や本が身近にある環境で育った子ども達の将来を思うと、何だかウキウキしてしまいます。人を育てる政策を、地道に、かつ大胆に進める西川区長の存在をうらやましく思います。

ある調査では、教育分野での評価が全国の自治体で一位になり、行政の電子化も一位となった荒川区。ウェブにもこんなページがありました。

荒川区 区長の部屋


国を想い、人を想う政治家が、地方政治のレベルだけでなく、国政レベルでもドンドン出てくれないかな・・・

2009年6月5日金曜日

祇園祭の準備

6月に入ったばかりでもう祇園祭のこと?!

7月17日の山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)の「曳(ひ)き手ボランティア」募集の朝日新聞の記事を見つけたのは5月23日のこと。

元来(がんらい)地域の関係者でまかなってきた山鉾の「曳き手」も、最近は広くボランティアを募集しないと人数が集まらなくなっています。伝統の行事に参加したい人も多いので、結構この「需要と供給」はバランスが取れているようです・・・が。

ここ数年、腹回(はらまわ)りの大きい「メタボ」な人が増え、数十年前から受け継がれる衣裳を着られない例が続出しているというのです。そして今年はボランティア募集時に、腹囲(ふくい)のサイズを事前申告してもらうことになったとか。

現 在、曳き手が着用する法被(はっぴ)や「すててこ」(白いショートパンツ)は昭和30~40年代、つまり1950年代後半から60年代にかけての時期に原 型ができ、補修したり、作り直したりしながら管理しているのだそうです。ですが5年ほど前からサイズが合わない例が増加しているとのこと。

体型での参加制限は今のところないようですが、衣裳が対応できない場合、応募者に自分で衣裳を用意してもらうこともあるのだとか。戦後、日本人がまだまだ「ほっそり」していた頃の衣裳が着られない人が増えたというのも、時代の流れなのでしょうね。

長い伝統を誇る祇園祭も、時代とともに変化していることがわかります。

曳き手の募集は5月29日で終了。今朝の新聞に、「祇園祭観覧席予約受付け」とあります。準備は着々と進んでいるようです。

2009年6月4日木曜日

水鏡の頃














一年でこの時期にだけできる水鏡(みずかがみ)

田植えがまだのたんぼも
田植えが済んだたんぼも

散歩の楽しみが増える時期

2009年6月3日水曜日

ほめ上手、ほめられ上手

「日本語がお上手ですね」
「いや、それほどでもありません」

そう答えたのは、アジアからの留学生。日本語を勉強する時に、「日本人的つつましさ」も身につけたのか、とても上手な日本語でそう答えました。

日本人はおしなべて「ほめられベタ」。ほめことばに対して、素直に「うれしい」「ありがとう」と反応できない人が多いように思います。謙遜(けんそん)や謙譲(けんじょう)を良しとするからか、どうしても「いや・・・それほどでも」という答えになるのでしょう。

それに引き替え、アメリカで生活していた時、本当によくほめてもらった気がします。何でもないことも、ちょっとオーバーじゃないかな・・・と思うほど、ほめてもらったりしました。

そ の中での極(きわ)めつけは息子の友だちからのほめ言葉。日本語なら「おばさん」とでも言うところですが、そこは英語、ちゃんとMrs. XXXとはっきり呼びかけます。そして「You look so nice today.」ですって。「Thank you!」と驚きながら答えた私です。それを言ってくれた男の子、まだ小学校2年生だったのですから・・・

ほめてもらって素直にありがとう。そしていいことを見つけたら、すぐにほめことばを口にする。こんなキャッチボールっていいですね。


新聞に掲載された、この「ほめサイト」。本当にはずかしくなるぐらいほめてくれますよ。一度おためしください。

asahi.com(朝日新聞社):「お前、デキるな」でスカッと ほめてくれるサイト評判 -

2009年6月2日火曜日

片付けてよ!

庭とリビングを行ったり来たりのChuck
おもちゃをくわえてイソイソと外へ
しばらくすると、ベランダにおもちゃが点々と・・・
                   

寒い頃はリビングに散らかっていたおもちゃ


散らかしてばかりのChuck、
自分でちゃんと片付けてよ!

2009年6月1日月曜日

英語上達の極意

わが意を得たり・・・の新聞投稿記事を読みました。「英語学習の前に」というタイトルで、劇作家の土田英生(つちだひでお)氏のご自身の英語経験を踏まえたコメントです。

「当 たり前のことだが、表現したい欲求があって、その道具として言葉は存在する。まずは日本語で人と会話を弾ませることができない人が、英語を覚えてどうなる というのだろう。自分のやりたいことや考えがあり、それを共有したい人々がいる。それに伴って表現したいことが出て来るのだ。そうした核がない状態で英語 という道具だけを持っても無意味なのではないかと思う。」

「私の英語力は貧弱だが、それでも演劇関係の人と会話をする時は、想像力を補い合えば結構話は弾む。それは演劇をやっている者同士、概念を共有出来るからだ。いくら英語という技術を持っていても、話している内容を理解できなければ話はできない。」

「極端な表現になるが、まず日本語をこそペラペラしゃべれるように訓練する必要があるのではないか。」

まさしく、その通りです。日本語を正しく、明確な発声・発音で、そして「楽しく」話すことがまず第一です。日本語の上手な人は英語も上達します。その人は「話したいこと」をしっかり持っているからです。

英語上達の極意(ごくい)、それは日本語の習得から!

子ども達に英語を学ばせたいお父さん、お母さん、みなさんの日本語は大丈夫ですか?