私達は知り合いの人が体調を崩したと聞いたあと、その人を見かけたり、電話で話すことがあると、「お加減はいかがですか?」と尋ねます。もう大丈夫かな、と思う気持ちが自然に言葉になってくるはずです。
若 くして認知症を発症した、若年認知症の人たちは、自分たちはその「気遣い」の言葉がかけてもらえない、と訴えるそうです。認知症となった母との会話のすれ 違いがどうしても納得できないで、イライラする私ですが、まだまだ元気なはずの壮年期の認知症の人に、どのように話しかけていいのか、それは年配の 認知症の人に対するよりも難しいことなのかもしれません。
認知症の人にいつも接しているデイサービスの職員さんたちですら、そういう若年認知症の 人へ充分な話しかけができていないそうです。せっかくデイサービスに行ってもも、ほとんど誰とも会話がなく、年配の利用者の中で、ただ時間を過 ごしているだけ、そんな若年認知症患者の姿があるようです。
「普通に接して欲しい」というのが、患者さんたちの希望です。認知症は「忘れる病気」だから、忘れることは増えるけれど、それ以外は、「普通」の人として接して欲しいのです。
人は社会との関わりがなくなると、自分の殻に閉じこもりがちになります。社会とつながっているという自覚や認識がある限り、 そして自分が何かの役に立っているという気持ちがある限り、そこにはっきりした「生きがい」や「目的」が生まれてくるのだと思います。
高齢者、若年を問わず、認知症を患う人が、自分たちができることをゆっくりこなしていくのを、しっかりと受け止められる社会となればいいですね。そんな社会は、認知症の人だけでなく、障害を持つ人にも、そして私達全てにも、心地よい、住みやすい社会のはずです。
世の中のテンポに合わせて急ぐだけがいいわけじゃなし、ゆっくりと歩みを進めると、見えることが一杯あるはずです。
母がショートステイで留守の日々、「こうすればいいのだな」と冷静に色々考えられる私です。ただ、介護再開となると、それが大変なのも十分承知ですが・・・