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2013年3月19日火曜日

地域介護の宝

経済連携協定(EPA)によってインドネシアやフィリピンからやってきた介護士・介護福祉士候補生たちが、厳しい試験にはばまれて、失望のうちに母国に戻ってしまうという報道を何度も目にしていました。日本人でも難しい試験を在日後、3年以内に合格しなければいけないという無理難題。心の通ったシステムには思えませんでした。

京都府北部、舞鶴市の過疎地の高齢者施設で、フィリピン出身の女性たちがヘルパーとして働いているという記事が目に止まりました。5年前に職員になったフィリピン出身で、日本人の奥さんとなった方の仕事ぶりが認められ、徐々にフィリピン出身者が集まり、現在は職員80人のうちの11人になったとか。彼女たちは、歌手やダンサーとして来日し、日本人と結婚して定住した人が多いようです。

日本に永住することになったとはいえ、彼女たちにとって、介護の現場での日本語は手に余るものですが、先輩の指導を受けながら、介護福祉士などの資格取得を目指しているのだそうです。

「明るく温かみあふれる世話で、今ではお年寄りのアイドル」となった彼女たち。家族を大切にするフィリピンのお国柄。地域に根付いていこうとする努力を周りもしっかり支えているようです。

地域介護の宝となりうる多くの海外からの研修生たちを、本物の宝にしていく努力を、日本人みんながすべきなのでは、と思います。

2009年10月5日月曜日

ほのぼの屋

京都新聞で見かけたお顔、どこかで見たような・・・

フレンチレストランのシェフのお顔でした。「ミレイユ」という小さなレストランのオーナーシェフでした。母が元気だった頃、よく一緒に行きました。10人も入れば一杯になるお店。上賀茂神社から西へ・・・というような場所ですから、知る人ぞ知るレストランでした。

三重県の志摩観光ホテルで料理人として腕を磨いた糸井和夫さん、南フランスへの修行も含めてフランス料理一筋。1985年に開店したミレイユは、2005年まで、気楽でおいしいお店として人気がありました。

その糸井さんは現在、京都府の北、舞鶴市にあるカフェレストラン「ほのぼの屋」の料理長です。ほのぼの屋へようこそ

こ のほのぼの屋は社会福祉法人まいづる福祉会の障害者就労支援事業所「ワークショップほのぼの屋」が2002年に開設したレストランです。現在20人を超え る精神障害のある人が、プロから接客術を学ぶなど社会との接点を求めて働き、経済的な自立を実現する施設として注目を集めているのだそうです。

フレンチ料理のシェフとして常連客の好みを知り尽くしてその人に合った料理を出す。料理人としては一つの理想型ともいえる自由な仕事をさせてもらったと言う糸井さん。このほのぼの屋のシェフの仕事を聞いた時、「自分が求めてきた役目が回ってきた」と思ったのだそうです。

知的障害がある糸井さんのお姉さんが、学校や作業所で多くの人の世話になりながら生きている、その姿を見つめてきた糸井さん。ご自身が「恩返し」ができるかもしれない、そう思ったそうです。

糸井さんはこう言います。

「最 初は名前の意味がぴんとこなかったんです。でも働いている人はみんなそれぞれの障害とたたかいながら懸命に働いているんです。確かに動作が少し遅かったり することもあります。でもそれをお客さんも理解して急がず、いい景色と料理をゆったりと楽しんでいただきたい。その雰囲気が「ほのぼの」だと思うんで す。」

「この素晴らしい場所をなくすわけにはいきません。存続することが何より大事です。私は健康の許す限り働くつもりですよ。そして後継者を得てさらに永続させる、それをいつも考えています。」

糸井さんの友人が言ったそうです。
「ほのぼの屋に行ってから顔つきが変わったね。にこやか、和(なご)やかになった。」

一度行ってみたいレストランです。

2009年9月24日木曜日

介助犬





障害者の生活全般を介助するためにトレーニングされた介助犬。現在、日本で介助犬を必要とする人の数は15000人と言われているのに、実働している介助犬はたった50頭。盲導犬と同じく、一頭の「仕事」ができる年数は10年。

介助犬と暮らし始めて、生活が大きく変化した車いすの方々のレポートがありました。生活のパートナーとしての犬の存在が、障害を抱える人たちの行動範囲を広げ、生きる張りを生みだしているのです。

テレビに映る犬の表情のすてきなこと。わが家の「犬」に見せようとしたのですが、全く関心なし。おもちゃで遊びほうけていました。

色々な人生。犬の生活も色々。全てのいのちが支え合って暮らしているのですね。

2009年9月22日火曜日

外国人介護福祉士候補生

2008年8月に来日したインドネシア人の介護福祉士候補生たち。日本語の研修が終わった今年の1月頃から受け入れ施設の現場で働いています。今日、6時過ぎ、偶然NHKのテレビで放映された二人のインドネシア介護福祉士候補生のこの半年のドキュメントを見ました。

日本語に四苦八苦のチェチェップさんとヘンリーさんの二人が、佐賀県の特別養護老人ホームでの仕事でまず驚いたのは、認知症のお年寄りへの対応だったそうです。平均寿命が65歳のインドネシアでは認知症のお年寄りはほとんどいないとか。戸惑いながら、お年寄りに懸命に話しかけようとする二人でした。

敬虔なイスラム教徒である二人はラマダンの時期は、日中は水も口にしないまま仕事を続けます。施設の配慮で、午後は仕事を休むように言われても、黙々と働き続ける二人です。高齢者を敬う彼らの自然な態度に、同僚の日本人スタッフが言います。「忙しさの中で忘れていたことを二人に思い出させてもらった」と。

お給料は約15万。その半分近くはインドネシアの家族に送る二人。エプロンのポケットには辞書を入れて、わからないことばを必死で理解しようとしていました。

数ヶ月が経過して、仕事にも慣れてきた二人は、どんなに忙しくても、時間を見つけてはベッドや車いすのお年寄りに話しかけていました。「時間はお年寄りのために使いたい」「こころからお年寄りに接していきたい」 そう言う二人の真心は認知症のお年寄りたちに届き始めるのです。

ドキュメンタリーのタイトルは「ボクがそばにいますから」。私も職場で、お年寄りたちに「私がそばにいますから」という気持ちを持ち続けていきたいと思いました。テレビはほとんど見ない私が偶然に見た番組。今の私にとって大切なメッセージが籠められていました。

2009年7月12日日曜日

一人で歩けば・・・

「一人で歩けば徘徊(はいかい)。二人なら散歩。みんなで歩けばパトロール」

すてきなことばに出会いました。

三重県桑名市の認知症グループホーム「ひかりの里」の高齢者と保育園児が一緒に町を「パトロール」して、犯罪件数減少に役だっているのだそうです。

「認知症患者の社会活動」という記事の中にあったエピソードです。

「認知症の人に役割を持ってもらうと自信を取り戻せる。病気の特徴でもある“繰り返し”が子どものしつけになったり、当を得ない対応が(かえって)相手の気持ちを和(やわ)らげる」ことになるのだそうです。

認知症を患(わずら)っても、まだ体力のある若年性認知症患者たちが、ボランティアで保育園の掃除をする「仕事」で生き生きしているという例も紹介されていました。「園児や職員からの“ありがとう”が励みになる」のです。

自身は判断力が衰えていても、そして食事やトイレにも介助が必要になっていても、自分が役に立っているという満足感は、病気の進行も遅らせる可能性があるようです。

表面に表れる「症状」で私たちは判断してしまうのですが、それぞれの人が持つ能力・可能性はとても大きいのです。「普通のスピード」ではなくても、ゆっくりすれば、すばらしい能力が発揮できるのかもしれません。

母と一緒にいる時は時計の秒針は三倍ぐらいゆっくり進みます。私の中でそう切り替えることができるようになってから、私自身がとても楽になりました。

早いだけが能力ではありませんものね。

2009年5月3日日曜日

パピーウォーカー

私の知人に長年盲導犬となる子犬を預かるパピーウォーカーをしている方があります。乳離(ちばな)れした2,3ヶ月の子犬を預かり、一歳まで育てるボラン ティアです。将来盲導犬として訓練を受け、人間と良好な信頼関係を作るために、無条件で人間に愛される経験が子犬に必要なのだと聞いたことがあります。

子犬はトイレ訓練も必要ですし、やんちゃでイタズラも一杯。皮のソファがメチャクチャになったとか、まともなスリッパは一つもない、などなど、明るく話すその知人が毎回経験する「苦労」を思うと、ただただ「すごいな・・・」と思う私でした。

先日の新聞に、島根県にある、官民の共同運営するPFI方式の刑務所「あさひ社会復帰促進センター」で、受刑者たちがこのパピーウォーカーに取り組むことになったとありました。

<PFI刑務所>盲導犬育成、本格スタート 受刑者「やっと会えた」--島根(毎日新聞) -

刑期1年以上8年未満の初めて刑務所に入った男性の受刑者への更正プログラムで、子犬を育てることを通しての社会貢献を目的としているようです。

後日、この記事の「続編」として新聞に掲載された記事がありました。受刑者は自分の独房で寝食を共にしながら子犬を育てています。週末はパピーウォーカーに預けるのだそうです。「週末はゆっくり眠れるという安心が2割、寂しさが8割」という受刑者のことばがありました。

かわいい盛りの1歳の犬を手放すのは、このボランティアの「宿命」です。それを十分に理解した上で、盲導犬の育成に関わるパピーウォーカー。それぞれのパ ピーウォーカーの生活がどんな状況であったとしても、子犬とのふれあいの素晴らしさがこの活動を支え、パピーウォーカーそのものも支えてているのでしょ う。

子犬の柔らかな眼差しは、何にもかえがたいもの。たとえイタズラに声を荒(あら)げることがあったとしても・・・・



PS:PFIPrivate Finance Initiative)とは公共サービスの提供に際して公共施設が必要な場合に、従来のように公共が直接施設を整備せずに民間資金を利用して民間に施設整備と公共サービスの提供をゆだねる手法。

2009年4月1日水曜日

お加減は?

私達は知り合いの人が体調を崩したと聞いたあと、その人を見かけたり、電話で話すことがあると、「お加減はいかがですか?」と尋ねます。もう大丈夫かな、と思う気持ちが自然に言葉になってくるはずです。

若 くして認知症を発症した、若年認知症の人たちは、自分たちはその「気遣い」の言葉がかけてもらえない、と訴えるそうです。認知症となった母との会話のすれ 違いがどうしても納得できないで、イライラする私ですが、まだまだ元気なはずの壮年期の認知症の人に、どのように話しかけていいのか、それは年配の 認知症の人に対するよりも難しいことなのかもしれません。

認知症の人にいつも接しているデイサービスの職員さんたちですら、そういう若年認知症の 人へ充分な話しかけができていないそうです。せっかくデイサービスに行ってもも、ほとんど誰とも会話がなく、年配の利用者の中で、ただ時間を過 ごしているだけ、そんな若年認知症患者の姿があるようです。

「普通に接して欲しい」というのが、患者さんたちの希望です。認知症は「忘れる病気」だから、忘れることは増えるけれど、それ以外は、「普通」の人として接して欲しいのです。

人は社会との関わりがなくなると、自分の殻に閉じこもりがちになります。社会とつながっているという自覚や認識がある限り、 そして自分が何かの役に立っているという気持ちがある限り、そこにはっきりした「生きがい」や「目的」が生まれてくるのだと思います。

高齢者、若年を問わず、認知症を患う人が、自分たちができることをゆっくりこなしていくのを、しっかりと受け止められる社会となればいいですね。そんな社会は、認知症の人だけでなく、障害を持つ人にも、そして私達全てにも、心地よい、住みやすい社会のはずです。

世の中のテンポに合わせて急ぐだけがいいわけじゃなし、ゆっくりと歩みを進めると、見えることが一杯あるはずです。

母がショートステイで留守の日々、「こうすればいいのだな」と冷静に色々考えられる私です。ただ、介護再開となると、それが大変なのも十分承知ですが・・・

2009年3月30日月曜日

身の納まり

今朝の朝日新聞「天声人語」で「身の納(おさ)まり」 というすてきな言葉を知りました。

随筆家の幸田文(あや)の文章に、「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない」と出入りの畳職人が言った、とあるそうです。

安らかな余生が「何もしない老後」という意味であるなら、ちょっと抵抗がある私ですが、人生の年輪を重ねてきた人が、その人らしく、しゃっきり生きている姿は、若者だけでなく同年齢の人にとっても魅力ある存在だと思います。

しかし天声人語では、今はこの「身の納まり」がつけにくい世の中であると指摘しています。どんなに元気であっても、経済的に安定していても、人は必ず誰かの手を借りる時期がくるはずです。京都新聞の連載「命ときめく日に」の中では、介護をする人のことを「つなぎびと」と呼んでいましたが、私達みんなが、この「つなぎびと」になんらかの形でお世話になる時期があるはずです。

「老後」まっただ中の人たちと同じく、この「つなぎびと」である、家族や介護従事者が現在の制度の中で翻弄(ほんろう)され、もがいているのが現実なのです。先日の群馬県での高齢者向け住宅での火災で、身よりのない方々が亡くなったことも、私達に現実の厳しさを教えているのだと思います。

私達一人一人が自分の老後を考えるとき、他者とのつながりの中で、どのように生きていきたいのか、それをしっかり自分に問う必要があるようです。「老後」という言葉に抵抗している私自身、この「老後」をいかに生きていくか、生きていきたいかを、もっとしっかり考えなくてはいけないと思いました。

天声人語は最後を以下のように結んでいます。

望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳のある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応(こた)えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。

2009年1月24日土曜日

「障がい」とする意味は?

1月23日の朝日新聞投書欄「私の視点」に、「障害を“障がい”とする意味は」という文章がありました。投稿者はご自身が聴覚障害者の方です。

行政が公式文書に「障がい」という表記を使い始めたのはここ5,6年のこと。私も昨年の9月29日に障害?障がい?というブログを書きました。言葉の言い換えに関しての疑問を抱いたからです。

点字ブロック上の置かれた自転車、車いすが乗り越えられない段差など、障害者が日常生活で不便に感じること、それこそが「障害」であるとこの投書者の後藤勝美さんは書いています。

マスコミはよく「障害を乗り越えて」と書くが、障害に「負けない」のであって、「乗り越える」のはほぼ不可能に近い。

こうした問題は、社会環境や政策的不備で起きている不自由さであり、それこそが「障害」なのである。言い換えれば、そいう人は「社会的被害者」と言えるし、「害」には、その意味が含まれている。

この被害を取り除いていくことが必要なのだ。単なる言葉上の問題ではない。「害」を平仮名に変えたところで、前述の社会的被害は何一つ変わるわけではない。それどころか、その被害をあいまいにし、あげくの果てに「害がなくなった」という風潮を広める危惧(きぐ)を覚える。

障害者を「障がい者」と表記することで、「障害者に配慮しています」というイメージを作っている。「あなた達は私達とは違うのです」・・・そんな雰囲気を感じるのは私の思いこみでしょうか。

障害を持つ人にやさしい街は老人にもこどもにもやさしいはずです。みんな、私達、「We」の感覚があれば、漢字を平仮名に置き換える前に考えるべきこと、やるべきことが見えてくるはずです。行政も、私達も・・・

2008年11月14日金曜日

講演会

久しぶりに夕方からの講演会に出かけてきました。母のこと、Chuckのこと、色んな方にお願いしての外出です。

講師は、さわやか福祉財団理事長堀田力(つとむ)氏で、タイトルは「団塊世代の生き方提案~最大限に、自分を生かそう」。定員300人とありましたが、団塊世代と少し上かな、と思える方々、それも男性の参加者がとても多い会場でした。

検事としてロッキード事件を担当したことで有名な堀田氏が、1991年に退官して始められたのがさわやか福祉財団の活動です。地域社会の活力を取り戻すために、新しい支え合いのシステムを作り出そうと目指している財団です。

柔らかい堀田氏の語り口に自然に目が閉じてしまった私ですが、耳はしっかりお話を聞いていました。声高(こわだか)に福祉政策の改革を唱えるのでもなく、ご本人や仲間の活動を淡々とお話しになりました。

「自分は何もできないと思わないでください。どんな方でもボランティアとしてやれることがあります。そこにいるだけでもボランティアとなることもあるのです。」

「コンピューターを若いお嬢さんに習ったのですが、“さっき説明いたしました”と言われてしまったり、結局身につきませんでした。孫とメールのやりとりがしたくて、苦労してメールが出せるようになった方が、他の人にそれを教えてあげると、相手の進歩が遅くても、それにゆっくりつきあえる教え方ができるのです。それがボランティアのいいところです。」

検事時代にはどんなお顔だったのかな・・・ほほえみが絶えることのない、堀田氏のお顔を見ながら、考えていました。

2008年10月15日水曜日

英語の言い換え

  handicapped: 身体(精神)障害のある
  disabled:    身体障害の、体の不自由な
  challenged:  (身体・心に)障害のある(handicappedの婉曲語)

手元にある英和辞典にある意味を拾ってみました。

以前はhandicappedが普通に使われていたのですが、最近はdisabledが主流になり、challengedもよく目にするようになりました。

日本で「障害者」と「障がい者」を書き分ける試みが出て来るように、英語圏でもデリケートな表現としてどの言葉がいいのか模索しているのでしょう。

challengedに対応する日本語なら「挑戦者」でしょうか。この訳語なら誰にでも使えますね。みんなが挑戦者なんだって言い切れば、差別も区別もなし。

でもやっぱり日本語では「障害者」(「障がい者」)なんでしょうね、当分は・・・

障害?障がい?(9月29日)

2008年9月29日月曜日

障害?障がい?

“障害のある方とない方との交流を深めるため、「障がいのある方の親子のつどい」を今年も開催します。”

先日手元に届いた区民へのお知らせの中にあった文章です。一つの文章の中に「障害」と「障がい」の二つの表記があります。

「障害者」という言葉の中の「害」という文字がいけないという意見を尊重(意識?)して、官公庁の文章に「障がい者」という表記が使われるようになっているようです。ウェブで検索していると、以下のような北海道の文章を見つけました。少々長いのですが、抜粋して転載します。

「障害」のひらがな表記の試行について
1.施行を行う目的
 近年、障害の「害」という漢字の印象の悪さから、ひらがな表記にしている市町村や障害関係の施設、サービス事業者などが増加傾向にあります。「害」の字をひらがなに表記することについては、様々な意見があり、「障害」という表現を変えるべきとの意見もありますが、現在は定着した用語がないのが実情となっています。
 一方で、表記について議論を深めていくことは、ノーマライゼーション社会の実現に向けて、道民の意識醸成にもつながっていくことも期待されます。
 そこで、道としては、「障害」のひらがな表記の取り組みを次のとおり試行的に実施するとともに、様々な機会を通じ、広く道民の皆様方の意見を伺うこととしました。


2.表記方法
 ●「障害」という言葉が単語あるいは熟語として用いられ、前後の文脈から人や人の状況を表す場合はひらがな表記とします。
   障害者→「障がいのある方(人)」、「障がい者」
   身体障害者→「身体障がいのある方(人)」、「身体障がい者」
   知的障害者→「知的障がいのある方(人)」、「知的障がい者」
   精神障害者→「精神障がいのある方(人)」、「精神障がい者」

 ●法令や固有名称などの表記は、従前どおりとします。
   障害者基本法
   身体障害者福祉法
  北海道地方障害者施策推進協議会
  北海道保健福祉部障害者保健福祉課
  障害者110番
  肝機能障害、じん臓機能障害 など
  「高齢者・障害者」という文言などバランスを欠くとき

試行期間は、平成18年2月15日から当分の間とします。

※ 「障害」の表記は、戦前においては、「障碍」と表記されていましたが、昭和22年に公布された当用漢字表に「碍」が無くなり、似た意味の「害」の字を当てたといわれています。

※ 表記を変えている地方自治体の状況(平成17年11月1日現在)
 ● 道内市町村 札幌市をはじめ13市12町
 ● 他都府県  1県(福島県)


二年後の現在、どうなっているのか、それに関しては記述が見あたりませんでしたが、他にも三重県のHPに同様のものを見つけました。

「障害者」という言葉にこだわっているのは、障害者以外の人なのではないかなと思う私です。「私たち」と「彼ら」という感覚でいるのではないかな、そう思ってしまいます。

仲間の中に障害のある人がいる、という感覚で活動していると、「障害者」と書こうが「障がい者」と書こうが、全く関係ありません。障害があるから「できない」ことを健常者がサポートするのは当たり前で、健常者であってもそれぞれが「できないこと」は、「できる人」に支えてもらっているのです。お互いさまの気持ちがあるだけの仲間と一緒にこの10年、障害者スポーツの車いすフェンシングに関わってきました。

言葉にこだわるのではなく、自分の心の中にある「バリア」をみんなが気がつけばいいなと思います。それこそが「障害」なのですから・・・