2011年10月31日月曜日

大阪マラソン



10月30日、第一回大阪マラソン開催
応募者約17万人から選ばれた2万9163人が走りました

車いすランナーの一人は、香港のFong Yong Ki
シドニーとアテネパラリンピック、車いすフェンシングの金メダリストです
日本チームとのご縁が深い彼の出場
朝早く、京都から大阪南港、インテックス大阪まででかけました


雨が心配な日曜日
まだ人影もまばらです
スタッフも雨がっぱ着用です



関西大学の学生さんの計画した「マラソンウェディング」に「当選」したKiとフィアンセのMandy(彼女はフルマラソン出場)。マラソン終了後、午後3時からパーティーです。内容がはっきりわからないままの参加でしたが、学生さんたちの手作りのパーティー、にぎやかに二人に「おめでとう」を言いました。






夕方、大雨の中、京都へ戻りました
途中、足を引きずるランナーたちをたくさん目撃
おつかれさまでした・・・


2008年7月14日けやき便り: 金メダル


2011年10月30日日曜日

困ってるんです


いつも公園で会うキューチャンが近づいてきた



わ~ぁ、もっときた!



こんなに近くにきちゃった
僕、こういう人たち(犬のこと)
苦手なんだなぁ~


人間の友達は一杯いるのに、犬はどうも・・・のChuck
ちょっと「訓練」をば
このあと、初めて鼻がくっつきました

2011年10月29日土曜日

オーボエ

「オーボエ・ジャンクション」というコンサートに行きました。一部はスイスからの演奏者のオーボエソロとピアノ。バッハからスタートして、現代音楽も。リズムが取りにくく、不協和音が一杯出てくるピアノ伴奏に、ただただ感心して聞いていました。もちろん、オーボエの音もとっても複雑。

二部は複数のオーボエのアンサンブル。オーボエに何種類かの仲間があるのを初めて知りました。6~7本の「オーボエ家族」が作り出す音色は、とても穏やかで心地よいものでした。オーボエの成り立ち:オーボエの仲間

オーケストラの音合わせはオーボエが最初に音を出すのをご存じでしたか?「これから演奏が始まるよ」という合図にもなります。オーボエの音程が安定しているから基本になるのかな、と思っていたら、全く逆の理由を見つけて、びっくり。知らなかったな・・・オーケストラの音合わせをオーボエがリードする理由は?

ギネスブックに「世界で一番難しい木管楽器」と認定されているのだそうです。それも知りませんでした。息の量はそれほど必要でなく、手が小さくてもいいという理由で、女性演奏者が多いとか。音のコントロールが難しいからこそ、いい音が出るようになるのが励みになる、とありました。

高校生以下の入場料が1000円だったこともあり、若い人がとっても多い演奏会でした。きっと学校で演奏しているのでしょうね。今まで知らなかった音楽の世界を楽しんだ夜でした。

2011年10月28日金曜日

出会い


「あなたとの出会いは 生きてゆくごほうび」


すてきなことばに出会いました
小さな食堂の古ぼけた額の色紙に書いてあったそうです

すばらしい出会いがたくさんありますように・・・

2011年10月27日木曜日

鳥・とり・トリ

朝の散歩、この時期は鳥がとってもにぎやか






せっかく狙ったのに、こっち向いてよ!
ピントは合っているのにな・・・
(クリックして確かめてください)



PS: 「 見て、見て!」ブログにも一枚アップしました

2011年10月26日水曜日

マッキントッシュ

私が最初に使ったコンピューターはマック、マッキントッシュでした。80年代後半のことですから、まだワープロの転換速度の遅かったこと。打ち込んでから、しばらく待つのが当たり前でした。

「本当に何にも知らないんだね」と友人が感心して私に言ったことがあります。コンピューターが何であるか、何もわかっていないのに、書類を作る、チラシを作る、なんてことをやっていた私です。マックならではのシステムが、やりたいことをやらせてくれていたのです。

その後、ウィンドウズに乗り換えたのは、ワードなどの互換性がまだ悪く、翻訳作業にも支障が出てきたからです。ウィンドウズのファイルシステムに慣れるのには、随分苦労したものでした。

アップルの創設者スティーブジョブス氏が亡くなって、彼がいかに完璧主義者であったかということを知りました。自分が求めるものができるまで、どんなに経費や時間がかかっても作り直す、それをスタッフに要求したのだそうです。性能だけでなく、デザインにも大きなこだわりがあり、あるとき、日本の小さな研磨会社に部品の製作を発注し、何度も何度もダメだしをしながら、製品を作らせたとのこと。

大きなこだわりは、単に自己満足のためでなく、ユーザーに最高の商品を提供することで、質の高い「体験」をしてもらう、楽しんでもらうことが目的だったようです。使いやすい、使い勝手がいいという意味の「ユーザーフレンドリー」ということばを初めて使い出し、その概念を文字通り、自社の製品を通じて広げていったのです。発想の豊かさは言うまでもありませんが、人間性にも深さを感じる人です。

「彼こそが、コンピューターを電子計算機から創造のエンジンに変えた」(デザインジャーナリストの藤崎圭一郎さんのことば)

スマートフォンはまだ使っていません。コンピューターもウィンドウズです。でも、いつか、使ってみたい、マックに戻りたい、そう思っている私です。

2011年10月25日火曜日

もうすぐハロウィーン

でっかいスヌーピーがハロウィーンコスチュームを着ています







いつも散歩する公園の東側の家並
trick or treatはするのかな・・・

2011年10月24日月曜日

見て見ぬふり

友人が話してくれました。狭い一方通行の道をゆっくり車で走っていたら、前を歩いていたおじいさんの頭が急に視界から消えたのです。崩れるように道にうずくまったおじいさん。とにかく車のハザードランプをつけて、飛び降りておじいさんに駆け寄ったとか。

ことばは話せたおじいさん。全身の力が抜けて動けません。道の真ん中では危ないから、引きずるように道ばたに動かして、そして車も路肩に寄せて・・・その間、通りがかりの人は、誰も手を貸してくれなかったそうです。

近くに住んでいることがわかり、車に乗せて送っていくと、そのおじいさんのお宅(豪邸だったとか)の前に女性が立っていました。一人暮らしのおじいさんの世話をするヘルパーさんでした。そのお宅の方であることも確認でき、とりあえず、一件落着でホッとした・・・と友人の話。

先日、中国で、2歳の女の子が車にはねられ、誰も助けないままに、再度、車にひかれた状況が監視カメラの映像に詳しく映っていたことがニュースになりました。その女の子を助けたのは、あたりに住んでいたホームレスの女性。中国中で、人々の「見て見ぬふり」を非難する声があがっているとか。

急激な経済成長を遂げた中国は、拝金主義が充満する世の中での道徳心の低下が問題視されています。共産党も、人々のこころの問題に踏み込んだ政策を講じるのが急務だと考えているようです。

日本も同じなのでしょうか。3・11以降、人の優しさに触れる機会も増えました。ですが、日々の生活の中では、突然の状況が生じた時、まだまだ「見て見ぬふり」をする人が多いのも事実です。

今回、友人のそばを通り抜けた人たちも、「次」の時には手をさしのべよう、と思うこころが芽生えていてくれるように、と願います。


PS: 22日朝刊に、この中国の女の子、悦悦(ユエユエ)ちゃんが亡くなったとありました。寂しい結末です。

2011年10月23日日曜日

オビエドの朝


先日の写真展で初めて大きくなってフレームに入った私の写真。タイトルは「オビエドの朝」。2000年1月、車いすフェンシングワールドカップが開催されたのが、スペイン北部の街、オビエド。「オビエドってどこ?」と言いながら、地図を探したことを覚えています。マドリードからのローカルフライトでしたから、前日に大阪からフランクフルトに飛んで、一泊。二日がかりで到着しました。

この「オビエド」が新聞に出てきたのでびっくり。スペインの皇太子賞を「福島の英雄たち」が受賞し、その授賞式が開催されたのがオビエドでした。

asahi.com「フクシマの英雄の勇気に感銘」スペイン皇太子が称賛


受賞したメンバーの一人が「地球の反対側から温かく見守って頂いたことに感謝したい」とお礼を言っています。二日がかりで行った街。「地球の反対側」という表現にこころから納得する私。オビエドの名前がより身近になりました。

2011年10月22日土曜日

秋の午後

刈り取りが終わったたんぼ
もう「ひこばえ」で緑になっているところも
静かな秋の日の午後

2011年10月21日金曜日

ギリシャの青空

2004年9月17日から28日まで開催されたアテネパラリンピック。日本選手団の通訳として参加しました。「本業」は車いすフェンシングの渉外担当です。試合が全て終わったあと、通訳の仕事の合間にパルテノン神殿に出かけました。

山の上にある神殿。坂道を車いすが上がるのは大変なこと。サポーターも必死に後ろから押しました。断崖絶壁に取り付けられた仮設のエレベーター。車いす一台と介助者一人が乗れるだけの大きさ。ガタガタ揺れながら、城壁を上がりました。

そのパルテノン神殿が望める国会議事堂の前が群衆で埋まっている写真が新聞に掲載されました。「ギリシャ危機」の解決策として計画されている政府の緊縮策に反対する12万人の人々です。膨大な借金が返済できないギリシャを救済するために、EU諸国の努力が続きます。ギリシャに対しての要求が強くなるのは当然のことです。ですが、人民にとっては、暮らしが厳しくなる現状に納得できない、その気持ちも痛いほど理解できます。

100年ぶりのオリンピック開催はギリシャにとって、大きな挑戦だったと思います。人口が一千万と少しの小国ギリシャが201の国や地域が参加する大会を開催するために、多額の国債を発行していきました。2001年以降、EU加盟国として通貨ユーロを使用するようになり、その大きな信用をバックに、ドンドン発行された国債です。

前政権はこの「借金」の総額を隠していたようですが、2009年の政権交代で、それが明るみに出て、一気にギリシャ経済は不安定になりました。いまや、EU存続、そのものをも危なくしかねない「火だね」になっています。

2004年当時、ギリシャの物価は驚くほど高く、オリンピック・パラリンピック目当ての料金であるのは理解できるとしても、街の中で気楽に食事できる場所を探すのが大変でした。新しく作った選手村は、交通の便が悪く、ダウンタウンに出るにはバスや電車を乗り継いで2時間近くかかる場所でした。将来はニュータウンになる、と言われていましたが、あの場所で、はたして現在、人が住んでいるのでしょうか?

外国に移住を考えている若い人が増えていると新聞にありました。富裕層は自分のお金を海外の銀行に移しているとも書いてありました。朝日川柳で見つけた一句:「オリンピア 聖地に雑草 茂る危機」とならないことを祈ります。

ギリシャの青空を思い出します。英語がとっても上手なボランティアたちのことを思い出します。今回の「ギリシャ危機」、目が離せない私です。

2011年10月20日木曜日

エンディングノート

高度成長期の日本を支えた企業戦士の父親が67歳で退職。その直後ガンがわかり、「段取りこそわが命」というこの父親は、自分の「終活」となるそれからの生活の段取りを自分で考える。それを娘が密着して撮影する。そしてできた映画が「エンディングノート」。

一つの家族の歴史が詰まった写真や映像と、病状が進む父親の姿が、オーバーラップしながら映画は進みます。

私にとって、一番身につまされた場面は、アメリカ在住の息子一家が父親の容態悪化を知って帰ってくるところ。私も1985年、息子と娘を連れて、シカゴから京都の父の元に戻ってきました。

孫の顔を見て、満面の笑みを浮かべた私の父、それは映画の父親の顔と全く同じでした。その約一週間後に亡くなるのも同じ・・・幼い孫たちが、旅立つ祖父の最後の姿をしっかり見つめたのも同じ・・・

人が亡くなるまでの記録といえば、見るのが辛いと思えるのですが、この映画は最後の最後まで、この父親のユーモアに救われます。お葬式の「段取り」を息子が相談する場面、「わからなかったら携帯に電話して・・・」と言ってニヤリ。病室には家族の涙とともに、笑い声も響くのです。

手持ちのカメラを抱えて、父親が弱っていく姿を見つめた、娘である監督。幼い時から家族にカメラを向け続けていたそうです。冷静でありながら、父親、そして母親に対する愛情があればこその作業だったのだと思います。

水曜日は、映画のレディスデー。朝一番9時50分の上映には、男性は数人のみ。涙の中に暖かいものをもらった朝でした。

PS:「エンディングノート」のオフィシャルサイトのコピーがうまくいきません。「エンティングノート」で検索なさってください。予告編が見られます。

2011年10月18日火曜日

小さな「ど根性さん」たち

10時までに行かなきゃならない・・・と急いでいたのですが・・・
歩道のはしっこに目が行きました





この黒い舗装、透水性舗装というのだそうです
「粟おこし」のような舗装ともいうそうです

すき間をねらった「ど根性さん」たち
このまま大きくなれるのかな・・・



2011年10月17日月曜日

画像説明

この写真を、電話で誰かに説明するとしたら、どんな風になさるでしょうか?

「大きな葉っぱですね。逆光で写したようですね」・・・などなど、思いつくままに独り言を言ってみてください。

なかなか難しい、そう思いませんか?

自分が目にしていることを、聞いている人に説明するのは、ラジオでは当たり前のこと。聴視者は、耳にすることばから自分自身のイメージをふくらませていきます。

NHK ラジオビタミンの中の「お天気あっちこっち」は、ホームページにその日に投稿された写真をキャスターが説明していきます。きれいな写真を「きれいですね・・・」と言っても、何がどんな風にきれいなのか。何をきれいと感じたのか、全くわかりません。キャスターの方々が苦労してことばを探しているのがよくわかります。

ホームページが見られる人は同時に見ていればいいのですが、私はいつも「耳」で画像を想像しています。本物の写真とは違っているかもしれませんが、自分の中のイメージ作りを楽しんでいます。

目の不自由な方が「テレビを見ています」とおっしゃる気持ちもよくわかる気がします。イメージの世界はとても自由ですものね。

2011年10月16日日曜日

花ちゃんのこと

ご近所の「花ちゃん」がいるガレージに
こんなお願いメッセージが出ていました





花ちゃん、ダイエット中なの????

2011年10月15日土曜日

ねんねんタオル

わが家の子育て話の一つ。これは「成功例」。息子のねんねんタオル。バスタオルよりは小さくて、フェイスタオルよりは大きいぐらいのタオル、これが彼の大のお気に入りになりました。眠くなると必ず抱え込んでいました。旅行に行っても、このねんねんタオルがあれば安心して、どんなところでも睡眠OK。

白いタオルが、日に日に汚れてくると、私は、洗濯のチャンスを狙うことになります。そんな時に限って、結構タオルを持ち歩いていたりしている息子。なかなか取り上げられず。ことばを話すようになった頃、自分のタオルを抱えて「いいにおい」と言ったのはあきれましたが・・・

洗濯のできたタオルを持って寝る日、何となく寂しそうな息子。「いいにおい」がないからです。ちょっとごわごわしたタオルだったからかもしれません。

娘の場合は、もっと簡単。小さなガーゼタオルでした。顔の上にこれをかけると、いつもスースーと寝入ってしまいます。持ち歩きも至極簡単。しょっちゅうくわえていた四隅が黒くなると洗濯です。

漫画のスヌーピーにでてくるライナスは大きな毛布を抱えたりひきずったり。わが家の二人は洗濯可能な小さなSecurity Blanketを使ってくれていて、大助かりだった母でした。

Chuckのねんねタオルも洗濯可能。洗濯したてで、いい気持ちでしょ?ねぇ、Chuck?


2011年10月14日金曜日

やっと開いた!

台所の小さな「モンテラ」の鉢

9月8日 オッ、新しい葉っぱ、鳥の顔、もうすぐ開く!

9月15日 ちっとも変わらない・・・


9月21日 まだまだみたい・・・


9月26日 広がってきた!!


9月27日 はっぱの内側も見えるようになった


9月28日 ほら、こんなに・・・


9月30日 ペリカンになってきた


10月4日 背中から内側がのぞけます


10月6日 もう少しだぞ!


10月7日 どうやら葉っぱらしくなってきました


10月8日 なぜだかツートンカラーの葉っぱ


ほぼ、一ヶ月、やっと、やっと新しい葉っぱ登場です

2011年10月13日木曜日

庭の秋色+α

庭の「むらさきしきぶ」の実が色づきました
鳥たちが気づくまで
しばらく庭の秋を楽しみます



「ほととぎす」の最初の花が咲きました



12日の満月
比叡山の肩口から顔を出しました