2010年2月28日日曜日

静かな再スタート

26日午後、あいにくの雨降りでしたが、病院のリフト付バンで車いすのまま母が帰宅しました。半年ぶりの帰宅です。

前もってベッドなどの介護用品を再リースして準備を整えていましたが、やはり最初の晩は何かと戸惑った私です。

でも三年前の介護生活をスタートさせた時に比べたら、信じられないほど平穏です。夕方になると、「帰りますからね」と玄関を出ようとしていた母は、もうベッドから一人で降りることもなくなりました。

トイレに歩いて行くのが随分しんどい母。あれこれ声を掛けて励まして歩いてもらいます。でも、きっと本当に「しんどい」のでしょうね。

夜もずっと寝てくれますから、私自身もほぼ普通のペースで生活できます。何ともありがたいこと。このまま静かな時間が過ごせますように・・・

2010年2月27日土曜日

反対回り


いつもの公園、初めて反対に回ってみました
見慣れた景色が違います
息子が通った中学校が正面に


サッカー大会
お母さん達もごくろうさま



ダッシュでこちらに走るChuck
ちょっといつもと感じが違うね・・・

2010年2月26日金曜日

「一千人の交響曲」


手元に二枚組のクラシックのCDがありまます。マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」です。このCDの解説は以下の通り・・・

「京都市交響楽団 京都コンサートホールオープニング記念コンサート
:1995 年10月にオープンした京都コンサートホールで初めて行なわれた,京都市交響楽団の定期演奏会.井上道義の指揮で,マーラーの交響曲 第8番「一千人の交響曲」.ソリストに佐藤しのぶ,塩田美奈子,手嶋眞佐子,永井和子,若本明志,福島明也,山口俊彦.2枚組.1995.10.18,ラ イヴ録音.」

このジャケットの写真の中に私がいます。もちろん「その他大勢」の一人ですから、自分でもどれが私なのか、ちょっとわかりません。アルトですから、前方右の白いブラウス組の中。

京都コンサートホールのこけら落としのこのコンサート。見事に満席でした。舞台上から人で埋まった客席を見るのが気持ちよかったこと!そして・・・

指揮の井上道義氏が最後の音を振り終わった時の怒濤(どとう)のごとく響き渡る拍手、そしてブラボーの声。今思い出しても背筋がぞくっとするほどです。

10 月のコンサートに向けて、暑い時期、フーフー言いながら仲間と練習し、ラテン語とドイツ語に悩まされ、全曲80分にもなる長い曲全体の雰囲気がやっとつか めたのは、ソリストが参加したゲネプロの時。その他大勢と違って、プロのソリスト達の豊かな声量にただただ感心。とりわけ、ソプラノの佐藤しのぶさんの優 雅な美しさには、みんなが息を飲んだほど。

今、CDで曲を聞いても、全く歌詞は出てきません。見事に忘れています。でも、あの拍手と歓声だけは今もはっきりよみがえってきます。

2010年2月25日木曜日

Google Doodle

検索(けんさく)エンジン、Googleのトップページを開くと、Googleの文字がおもしろいイラストになっていることがあります。オリンピック開催中は、競技を表すGoogleの文字が毎日更新されているとか。

このGoogle文字のイラストをDoodle(イタズラ書き)と呼んでいるようです。おもしろいページにたどり着きました。Doodle 4 Google

小中学生を対象とした、Google Doodleのコンテスト。テーマは「私の好きな日本」です。Googleのスペルと絵を合わせた楽しい作品が並んでいます。つい先日グランプリが決定したようです。

子ども達の発想のおもしろいこと。幼い絵柄から、しっかりしたタッチのイラストまで、力作揃いです。

幼い頃からコンピューターを使いこなしている現代の子ども達。彼らがGoogle Doodleを通して、日本の良さを再発見する。企業の社会貢献の新しい形のような気がします。

2010年2月24日水曜日

2010年2月23日火曜日

オリンピック動画クリップ

後半戦を迎えるバンクーバーオリンピック
全ての競技を見るのは不可能・・・

こんなページを発見

NHKバンクーバーオリンピック競技動画クリップ

男子フィギュアで見落とした小塚くんの滑りも見ることが出来ました
画面の横には競技内容が解説されています
しろうとにはジャンプの種類はとても見分けはつきませんけれど

それにしても技術の進歩はすごいものですね
居ながらにして、無料で、好きな時に楽しめます

女子のフィギュアのスタートも間近
ぜひご覧あれ!

2010年2月22日月曜日

機内サービス

最近の飛行機は、機内サービスをせずに料金を低く抑える傾向が顕著(けんちょ)。特にアメリカではそれが当たり前。飛行機に乗れば、必ず食事をしていた時代とは違ってきているようです。

1994年、シンガポールからインドネシアのジャカルタに飛びました。夏休みで日本に帰っていた大学生の息子が同行していました。フライト時間は1時間半。良質な機内サービスが売り物のシンガポールエアラインでした。

飛行機は、離陸後、水平飛行にならないと食事サービスはしません。そして、着陸態勢を取る前に、サービスは終了しなければなりません。・・・ということは、1時間半のフライトで、サービスができる時間は、正味1時間ほどでしょうか。

そ んな限られた時間の中で、ドリンクサービスに始まって、フルディナーのサービスがありました。からだにぴったり沿ったユニフォームに身を包んだスチュワーデス(今ならフ ライトアテンダント)とスチュワードたちは、急ぐ素振(そぶ)りもなく、にこやかに、飲み物や食事を運んできました。食事のトレイを全て回収したと同時 に、シートベルト着用のサインが出ました。全て計算されたかのような動きに、息子も私も「さすがシンガポールエアライン!」と感心したものでした。

当時、シンガポールでは、女性のあこがれの職業がシンガポールエアラインのスチュワーデス。容姿、スタイル抜群のスチュワーデスが機内を歩く姿は、女性の私でもみとれるほど。もちろん大学生の息子は・・・


先日の朝日新聞のコラム、「特派員メモ」にも「35分間の神業(かみわざ)接客」というタイトルの記事がありました。

カンボジアのアンコール遺跡観光の拠点であるシエムレアプからタイのバンコクまでのフライトでの接客の模様を書いていました。

離陸後3分。まだ上昇途中に、シートベルト着用のサインが解除される。女性乗務員4人が一斉に動き出し、紙のお弁当箱のようなものに入った食事を160人の乗客に配り、飲み物も乗客の好みを聞きながらサービス。ここまで10分足らず。

15分ほどたった頃、降下開始の放送があり、3分とかからないうちに、紙箱を全て回収。シートベルト着用サインが点灯。着陸まで約10分を残して機内食は終了、乗務員は所定の座席に戻る・・・という次第。

慌(あわ)ただしさを感じさせないゆったりしたサービスだった、とあります。タイは短距離の国内線でも機内食が出るお国柄だとか。

食事のサービスはなし・・・にも慣れましたが、この記事を読んで、あのシンガポールエアラインの食事サービスを懐かしく思い出しました。

2010年2月21日日曜日

モノとこころ

先日、20年以上使い込んでいる刃渡り20センチ弱のペティナイフを使ってバターをキューブに切っていました。大して力を入れていたのでもないのに、根もとからポッキリと折れてしまいました。

このペティナイフ、柄の端っこが融けていました。ガスの火にさわってしまって融けたのです。握るには全く問題なく、ちょっと不格好な柄が当たり前になっていたナイフでした。

折れた前日です。何気なく、その融けた場所が気になったのです。「このナイフはずっとこのままなんだな・・・」 何となく、そう思っていました。そして、その翌日、ナイフが折れたのです。

よく「虫の知らせ」と言います。何かが起こる、その前に感じるものです。今回ナイフが折れたのも、虫の知らせだったのでしょうか。長年、私の手元にあったナイフという「モノ」が私にお別れを教えてくれたのでしょうか。

とっても使いやすかったナイフに、改めて「ありがとう、ごくろうさま」と言いました。

2010年2月20日土曜日

突然ですが・・・














突然ですが・・・
昨日をもって退職しました。
たった半年の勤務でしたが、一杯お花をいただきました。

「今年はにぎやかね」って久しぶりにお顔を出したおひな様。
来週末からは母も帰宅します。
Chuckも一緒にまたゆっくりと・・・

2010年2月19日金曜日

2010年2月18日木曜日

通学路

私の出勤時間は小学校の登校時間。車で通る道は、私立小学校一校、公立小学校二校の通学路になっています。住宅街の道ですから、いつもにも増して、ゆっくり運転しています。

去 年の秋頃から気になっていた男の子。小学校2年生ぐらいかな。左目に眼帯をつけているので目に止まったのです。しばらくすると、眼帯がなくなるのですが、 次に気がつく時には、また左目を覆(おお)っています。一時的なトラブルというより、何かが続いているようで、気になって仕方ありません。

車を止めて「どうしたの?」と聞くわけにもいきませんが・・・

そして、もう一つ、私の目を引いたのは、4年生ぐらいの女の子。

友達を待っているのでしょう。道ばたに立っていました。そして、じっと鏡をのぞいているのです。おとなが持っているようなコンパクトのようなものをじっと見ていました。

まさかあの年齢でお化粧の具合を確かめるはずはなし。でも自分の顔のことがとても気になる女の子なんでしょうね。今から美人になるための努力が始まっているのかしら。

すれ違うこどもたちを横目で見ながら、あれこれ想像力を働かせている私です。

2010年2月17日水曜日

早口

「もう少しゆっくりしゃべったら?」

そう私に言ったのは、シカゴ時代のアメリカ人の友人。私が息せき切って彼女に話し出した時のことでした。

私自身、知らず知らずのうちに早口になってしまいます。あわてん坊なのでしょう、きっと。比較的はっきり話しますから、早口でも「それなりに」通じてはいる、本人はそう楽観しているのですが、さてね・・・

今日の朝のラジオのオリンピック実況放送はスピードスケート女子500メートル。38秒ほどで一つの勝負が決まるのですから、それを説明するアナウンサーの早口なこと。滑舌(かつぜつ)がしっかりしていればこそ、理解できる、究極の話術です。

出場選手の国名と名前を徹底的に下調べして、アナウンサーも本番に臨(のぞ)むはず。競技そのものを十分に勉強するのは当たり前。転倒などの不測の事態にも、とっさに反応しての実況放送です。

オリンピックは、選手だけでなく、それに関わる全ての人に「ベスト」を要求するのだな、と改めて思いました。

・・・・そして、またまた出勤時間が遅れました。

2010年2月16日火曜日

花びらが・・



誕生日プレゼントのスプレーバラ
花びらがピアノの上に散りました
いっぱい、いっぱい散りました

2010年2月15日月曜日

困るな・・・

7時の時報は聞いたけれど、ラジオから流れてくるのはオリンピックノルディック競技の実況放送。

出勤の朝はラジオの番組の流れで時間がわかる私。

オリンピック競技の放送だと、ついつい耳がそちらに・・・

気がついたらいつもより外出準備の進行が遅れました。

普通の放送にしてくれませんか?

平日の朝は・・・

調子が狂って困るのですが・・・

2010年2月14日日曜日

一瞬だったけれど・・・

バンクーバーオリンピックの女子モーグル。上村愛子選手の4位はすごい!

画面に次々登場する外国の選手達の馬力のあること。モーグル競技を始めてゆっくり見て、改めてその難しさを感じました。大好きなスキーですが、コブのある斜面は極力避けて滑るわたしですもの・・・

決勝選では、ゴール付近に、暫定(ざんてい)の1位、2位、3位の選手が座る真っ白なゆったりしたソファが並んでいました。あとから滑る選手の成績が上回ると、そのソファに座るメンバーが目まぐるしく変わりました。

日本の村田愛里咲(ありさ)選手が1位のソファに座りました。次の選手の成績が出るまでの、ほんの一瞬でしたが、トップだったのです。

「次は本当にここに座るぞ!」

19歳の村田選手はきっとそう思ったことでしょうね。どこまでもトップを狙うのが競技スポーツ。たとえそれが不可能に思えても、そのために努力するのが選手たち。

4回のオリンピック出場を経験した、上村愛子選手がそうであったように。たとえ、結果がトップにたどりつかなくても、努力はどこまでも続くのですね。

アスリート達が見せてくれる壮大なドラマ。普段は縁のないテレビにひっかかる日曜日の午後です。

2010年2月13日土曜日

発信チャレンジ

2月3日のブログで紹介した鎌田實医師。「言葉で治療する」

2008年5月から続くブログを毎日更新中です。100万人突破!

世界を飛び回る鎌田先生、あちこちからブログをアップするのが楽しみなのだそうです。通信事情がよくないイラクからも、その日の出来事をアップして日本の読者に届ける。まさに「チャレンジ」なんでしょうね。

私がコンピューター持参で海外出張や車いすフェンシングの海外遠征を始めたのは、1990年代の後半。まだダイアルアップが主流でした。各国のローミング番号を前もって調べ、現地のホテルで、あれこれ悩みながら接続を試みていたものです。

インドネシアではつながったのに、イタリアのナポリでは全くお手上げになったり、スペイン北部の日本人にはほとんど知られていない街、オビエドではあっさり開通したり。

苦 労してアップした一番の思い出は、2000年のシドニーパラリンピックの時。サポーターとしての参加でしたから、ダウンタウンの安ホテルに滞在。ホテルか らの通信は全く不可能。選手村のプレスセンターの朝日新聞の記者さんと仲良くなって、技術の方に多大な迷惑をかけながら、配信ラインをちょっとお借りして 発信させてもらいました。

原稿と写真を京都に送信して、ホームページを更新してくださったのは、私の「コンピューター師匠」。デジカメの性能がまだまだの頃、写真の画像はもう一つですが、とても懐かしい記事をご覧ください。(記事の一番下から読んでください。)パラリンピック便り


10年前のあの苦労を思うと、今のインターネット環境は隔世の感があります。「まともな」ホテルなら、部屋のデスクにはブロードバンド接続のコネクターがあり、コンピューターのスイッチを入れれば、インターネットが飛び出してくるのですから。

鎌田医師は14日からイラクに出発だそうです。現在のイラクでは接続環境がいい場所ばかりではないはずです。鎌田先生、またブログ発信にチャレンジですね。

2010年2月12日金曜日

座ってるよ

座れ(sit)!っていったでしょ?

だからぼく、座ってるの・・・

これからどうしたらいいの???

Chuck

2010年2月11日木曜日

お互いさま

「お世話になり、ありがとうございました。」
「お互いさまですから」

こんなことばでさらりと返事をしてもらうと、ホッとこころが暖かくなります。すてきな人間関係を嬉しくなるものです。

人は一人では生きられない。こんな当たり前のことを再確認できるのも、お互いの存在がありがたいと思えばこそ。

私が小さかったとき、このことばをよく耳にしていたように思います。

今はあまり耳にしないような気がします・・・

2010年2月10日水曜日

大雪















先週末のアメリカ首都ワシントン地域の88年ぶりと言われる大雪。金曜日の夜から日曜日にかけて停電していたようです。寒い中暖房が止まってしまい、「夜は家族と飼い犬で体を寄せて寝るしかなかった」と、朝日新聞の特派員が記しています。寒かったことでしょうね・・・

息子と娘が住んでいるボルチモアはワシントンから60キロの距離。ここもこんなに降りました。息子が送ってきた写真には、雪に埋もれた車が並んでいます。息子も日曜日に「やっと」車を掘り出したようです。

小さいときにはシカゴに住み、アメリカでもドカ雪で有名なバッファローで暮らしていた娘ですら、「シカゴでもバッファローでも ここまでえらいこっちゃの雪は 経験した事ないですね。」とメールを送ってきました。

さて、ワシントンの停電ですが、先ほどの特派員の文章をそのまま拝借・・・

「停電3日目の日曜日。昼のラジオで電力会社の人が“復旧までまだ数日かかるかも”と言っていてやや絶望的な気分になったが、望みは少しあった。」

「夜に、アメリカンフットボールのプロ全米一を決めるスーパーボウルがあるからだ。」

「米国人にとっては、プロ野球の日本シリーズどころではない大行事だ。スナックを食べつつテレビ観戦するのがこの晩の正しい過ごし方で、テレビの歴代最高視聴者数が記録されることもある。その時間までに電気が復旧しなければ、電力会社に抗議が殺到するのは必至である・・・と思って、倒れた木で薪(まき)を作っていたら、“あっ、ついた”。試合開始の約1時間前。“やればできるじゃないか”。私たちもその晩、テレビ観戦したことはいうまでもない。」

そうなんですよね。スーパーボウル・サンデイは特別の日なんですよね。いつだったか、出張でアトランタに行った時、何年ぶりかで会った友人に、「一緒にテレビ見よう!」と家に連れていかれましたものね・・・

2010年2月9日火曜日

手紙~親愛なる子供たちへ

このウェブをご覧ください。
認知症になった親から子どもへの「手紙」です。
偶然ラジオでこの詩のこと、歌のことを知りました。

樋口了一[手紙 ~親愛なる子供たちへ~ 歌詞]


気持ちが波立った時、この詩を音読しようと思います。
自分の声で自分の想いを込めて。

2010年2月8日月曜日

ブルキナファソ #2

ブルキナファソ、もうみなさんは、アフリカの国の名前だっておわかりですね。

ブルキナファソへNGOから派遣されたイイダツトムさん。3年の任期が終わったところで、自分がブルキナファソで本当にできることを考えたそうです。

内 戦やエイズで親を亡くした子どもが多いブルキナファソ。孤児院を作ろうと思ったイイダさん。自分の貯金をはたいて、目下孤児院建設を計画中とか。インフラ も整っていないところでは、電気を引くところからのスタート。政府からの許可を今年中にはもらって、正式に孤児院をスタートさせたいという計画。

孤児院の名前は「竹の子の家」。一本一本すくっと伸びる竹は、地中では、しっかりつながっている、それを思っての命名だそうです。将来は、竹の子の家で育った子ども達が戻ってきて、自分がこれからやろうとすることを続けてほしい。その時がくれば、自分の役目は終わる。

NHK の地球ラジオで「聞きかじった」情報です。メモを取ったのではないので、ちょっと記憶があいまいかもしれません。でも夕食の準備をしながら、イイダさんの お話しを聞く私自身の耳がとんがっていくのがわかりました。自分で納得できる「何か」を見つけて、アフリカの土地で生きようとする日本人。すごい!

2010年2月7日日曜日

雪、雪、雪!!! #2

二日続けての雪景色 

岩倉川の土手も

 サッカーの準備
今日はまず除雪から


庭のけやきも山茶花(さざんか)も



雪っておもしろい・・でも冷たい・・Chuck



青空が顔を出して雪景色ももうすぐ終了


PS:子ども達の住むボルチモアも大雪だそうです。娘の「ばいりんぶろぐ」に一杯雪の写真アップです。そして何と、「筆無精(メール無精)」の息子からも雪の報告がありました。わが家はみんな雪を見ると楽しくなるのです。変かな・・・

2010年2月6日土曜日

雪、雪、雪!!!

雪が降りました
雪をチェックしているChuck
濡れても全く平気
先代の「クッキー」は震えていましたが・・・



猛スピードChuck
                 見えますか?
ダルメシアンの反対になりました
                   ビショビショChuckです

2010年2月5日金曜日

信仰心

トルネード、竜巻。日本ではあまりなじみがありませんが、アメリカの中西部や南部では、毎年竜巻による大きな被害が出ています。わが家の子ども達が通っていたシカゴの公立小学校でも、毎年必ず「トルネード・ドリル」、つまり竜巻の避難訓練がありました。

シカゴ時代、テレビのニュースで、南部の大きな竜巻被害の状況を偶然目にしました。一瞬にして、家がつぶれてしまった黒人女性がインタビューを受けていました。全てを失ったであろう、その人が言ったことばは、「神さまがいてくださるから」というものでした。

大きな不幸に見舞われた時、日本人は「神も仏もあるものか」という表現を口にします。「何で私が・・・」というのも、ごく自然な表現です。それが、この女性は、その悲劇的な状況でも、「神さまの守り」を信じていました。そのテレビ画面は、今でも私の目に焼き付いています。

今回のハイチの大地震後、政府も警察も壊滅状態となり、治安の悪化が懸念されていましたが、「比較的」平穏であるのは、ハイチの人たちの信仰心によるものだろうと言われています。

国そのものがなくなってしまうかもしれないような、大災害。その中で、愛する人をなくし、家をなくし、生きる希望もなくしたであろう人たちが、「神さま」を信じ、たたえているのです。

神さまが全てを与えてくださるのだから、大きな災害で失うものがあったとしても、必ず生きるすべをくださるのだ。そう信じ切っている人たちなのでしょう。

人間の力を超えた存在を信じる人の強さ、たくましさ、しなやかさを今回も教えてもらったような気がします。

2010年2月4日木曜日

Chuckのリスト



  快:  ・ごはんをもらう時
      ・散歩に行く時
      ・ボールやおもちゃを
           投げてもらう時
      ・お客さんが来る時

  不快: ・ケージの中で留守番する時
      ・ブラッシングされる時
      ・週末、お母さんがなかなか
           起きてきてくれない時


お母さんが新聞で「犬の感情は、快と不快しかない」という記事を読んで、すごく納得しています。お母さんが今朝読んだ本にも「幸福とはこころが快適であることだ」って書いてあったそうです。

そうなんです。ごはんやスナックをもらって、ちゃんと遊んでくれれば、僕はいつでも「快」で「快適」なんですよ。わすれないでね・・・・Chuck

2010年2月3日水曜日

「言葉で治療する」

諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生。いっぱいご本を読みました。NHKラジオの「いのちの対話」も大好きです。折にふれて先生のことばを思い返しています。

鎌田實 オフィシャルウェブサイト

鎌田先生の新しい本、「言葉で治療する」を読みました。「医療者の言葉しだいで、治療の日々が天国にも地獄にもなる。衝撃の現場を紹介しながら、鎌田医師が心と体が立ち直っていく言葉を具体的に提案する」 本の帯に書かれた文章です。

昨年週刊朝日で連載されていた記事をまとめたのがこの本。読者から寄せられた多くの声を紹介しながら、医療現場でのあるべき「言葉かけ」の姿を模索しています。

医 療崩壊といわれる現実の中で、忙しさにこころの余裕を失ってしまう医療従事者の現実が浮かび上がってきます。発達障害の子どもを抱える母親に、「冷たいこ とば」をかけた、その医師自身が、その後精神を病んでしまった。その現実に、この母親は自分のおかれた厳しい現状の中で、その医師を気遣うやさしさを鎌田 先生に伝えます。

問題は一杯あるけれど、人間のやさしさに希望をつなぐ鎌田先生です。ご本人の暖かさ、それがどれだけ多くの人を力づけ、生きる希望を与えたことか。チェルノブイリで被爆した子ども達を長年サポートし、イラクにも足を運ぶ鎌田先生。

いかに生きるべきか、それをいつも教えてもらっている私です。

2010年2月2日火曜日

あったかい・・・

私が学生時代に住んでいたサンディエゴの家

一年中穏やかな気候だけれど、冬には暖炉に火が入ります

足元に広がる街の夜景も色んな思い出も

みんなみんなあったかい・・・

2010年2月1日月曜日

オーケストラ観賞 こぼれ話

先日のコンサート。西本智実さんの指揮に感激した私。(1月24日西本智実)オーケストラが間近に見える席から、あれこれ気がつきました。

・ 交響曲や協奏曲、多くのフレーズはバイオリンなどの弦楽器が奏(かな)でます。後方の席に控える木管・金管楽器の奏者は、飛び飛びに演奏することが多く、その待っている姿にそれぞれの個性がありました。

フルートは比較的、長く演奏しますが、隣にいるピッコロの女性。一曲の中で、音を出す時間はとても少なく、最初、「あの人の楽器は何?」と思ったほど。目立たないようにあちこちを見回していました。

・ 演奏時間が少ないと言えば、シンバルが一番でしょうか?一曲のフィナーレまでは、ただただ座って待っていることも・・・シンバルも色んな演奏方法があるの がよく見えました。両手で大きく打ち鳴らしたり、小さな動きで細かく音を出したり。もし出るところやリズムを間違ったら大変でしょうね。あんなに目立つ音 ですから・・・

・ 大太鼓を打つのは女性でした。これまた、待ち時間が長い!そして、小さなトライアングルも彼女の担当。一度、トライアングルと大太鼓を同時に演奏していました。ややこしいでしょうね。

・ ティンパニーの「ばち」があんなに一杯あるのは知りませんでした。フレーズによって、忙しく持ち変えていました。打楽器大好き人間の私です。4つのティンパニーの音色(ねいろ)の違いがはっきり聞こえてワクワクしていました。

・ 弦楽器奏者は二人で一つの譜面を見ます。舞台中央側にいる人が「譜めくり係」です。チェロの後方に位置するコントラバス。大きな楽器を抱えて、一 瞬で譜をめくるのはとても大変そう。よいしょ、と高めのいすから腰を浮かせて、譜面をめくり、さらに、その譜面を弓でおさえたり。もう一人の人も手伝っ て、「やっとめくれた」という時も。


一回のコンサートを無事に終えるのには、ものすごいパワーが集まるのですね。パワーが出なければ、肩すかしを食らったような演奏会となるでしょうし、パワーをうまくコントロールできなければ、これまたうるさいだけの演奏となることでしょう。

やっぱり指揮者はすごい。西本智実さん、指揮者として、女性として、改めて尊敬します!