2009年5月31日日曜日

「もし」のリスト

  1. もし、母が片時も目が離せない状態だったら
  2. もし、夜中に何度も起きてチェックしないといけないとしたら
  3. もし、一人で食事ができなかったら
  4. もし、ベッドから起きあがれなかったら
  5. もし、ヘルパーさんたちとの出会いがなかったら
  6. もし、今の「ゆったりした」デイケアに行けなかったら
  7. もし、ショートステイを受けてくださるところがなかったら
  8. もし、母のことを案じて尋ねてくれる友人がなかったら
  9. もし、経済的に介護サービスが受けられない状況だったら
  10. もし、私がフルタイムの仕事を持っていたら
まだまだ「もし」のリストが続きそうです。


「今」この時は、大きな力に守られた母との時間であるのを感じます。

一人で踏ん張っても、決してどうにもならない状況が、あるべき方向に進んでいます。

「あるがまま」、全てに感謝です。

2009年5月30日土曜日

あじさいジャングル

我が家のガクアジサイ2本、今年も大きくなって日に日に通り道が狭くなります。Chuckはフリーパスですが・・・

あじさいは切り込まないままに自由に大きくするのが理想だそうです。我が家の庭でどこまで大きいままでいてもらえるか。花一杯は嬉しいのですが・・・

緑があふれる季節になりました。

2009年5月29日金曜日

「5分で切れます」

もう何年前のことでしょうか、はっきりとは覚えていないのですが、ミャンマーの元留学生から突然電話がかかってきました。「もしもし・・」と聞き覚えのある声は、本人が名乗ってくれなくても、すぐにわかりました。

特に用事があったのではありませんが、久しぶりにわざわざ電話をかけてきてくれた彼が、「5分たったら、電話が切れます」と言ったのです。その意味がはっきりわからないままに、普通のおしゃべりをしていた私です。

そして、彼の言った通り、突然、電話が切れました。5分たったからでしょう。

その唐突(とうとつ)な電話の切れ方に、ミャンマーの事情を感じた私です。私たちの会話も盗聴されている可能性があったはず。差し障(さわ)りのない会話ばかりでしたが・・・


社会が、政治が、自分の思う通りでないと不満に感じる人は、洋の東西を問わず、どの時代にもたくさんいるはずです。ですが、自分自身の自由、そして命までもがその時の権力に牛耳(ぎゅうじ)られている、そんな国が現在でも存在しているのです。

アウンサンスーチーさんの今回の裁判結果がどうなるのでしょうか。目が離せません。

2009年5月28日木曜日

首は冷やさないで・・・

秋口に涼風(すずかぜ)が立つと、さっそくハイネックを着る私。冬場はタートルネックが手放せません。ちょっとおしゃれをするときは、必ず首にスカーフ。

「首筋を冷やしてはいけません」と祖母から言われていたような気がします。風池(ふうち)というツボが首にあるのも、ここから風(風邪)が入る、そういう意味だそうです。

新型インフルエンザ予防の「よく効く知識」という小さなコラムに、首を冷やしてはいけない「科学的理由」が出ていました。

病原体と戦う白血球は、36~37度の平熱の時によく働く。首は太い血管が皮膚のすぐ下を走っている。気温が低いと、血液が首を通る際に冷える。首を保温=白血球が元気、という理屈だ。

昔からの知恵もちゃんとそれをわかっていたのですね。おばあさんたちが、首に日本手ぬぐいを巻いていたりしたのも、その知恵からですね。

首筋を大きくあけたティーシャツも魅力的なのですが、ついつい、何かで隠してしまう私です。健康管理上は良しですが、おしゃれとしてはちょっとね・・・

2009年5月27日水曜日

几帳面な住人


我が家で几帳面(きちょうめん)な住人と言えば、母のこと。私もChuckも失格・・・

几帳面な住人が西のけやきにもいたのです。植木屋さんに教えてもらいました。きっちり巻き込んだ葉っぱの中の住人は「おとしぶみ」。まるで和菓子の包装のようなその姿、とても日本的な(?)昆虫のようです。その生態もおもしろい!!

オトシブミの国

その昔、さりげなく道に落としておいた手紙という意味の「おとしぶみ」。色々な想いがこもった手紙だったのでしょうね。すてきな名前の我が家の住人です。

2009年5月26日火曜日

臓器移植

5月8日のお昼前、「息子の奥さん」のママからメールが届きました。6日に「パパ」の腎移植が無事終わり、術後の調子もとてもいいという内容でした。

生まれつきの糖尿病だったパパは6年前に弟さんからの腎移植を経験しています。その後、再度移植が必要になっているほど、状態が悪くなっているのは全く知りませんでした。

「息子の奥さん」の妹がお父さんへの腎臓提供を考えていたこと。彼女のその気持ちを聞いていた友人がいて、そのおじさんが脳死になり、急にその方の腎臓をもらうことができたこと。驚くほどの偶然がパパの命を救ってくれました。

10日には、ロースクールを卒業する「息子の奥さん」と大学院を卒業する「妹」のお祝いディナーに元気に参加したパパ。翌日のロースクールの卒業式で、満面の笑みを浮かべるパパの写真を息子が送ってきました。5日前に腎移植を受けた人とは、とても信じられない笑顔でした。

臓器移植に関して、少々懐疑的(かいぎてき)な私です。臓器移植でしか助からないと言われた病人の家族にとって、脳死からの臓器提供を受けるのは切実な願い であるのはわかります。でも脳死と判定された人のぬくもりのあるその身体から臓器を提供するのは、たとえ本人の意志が示されていても、家族にとっては大き な迷いとなると思うのです。

ですが、今回の「パパ」の場合、身近の人の命が臓器移植で救われた、その事実にただただ感謝の気持ちを抱きます。

臓器移植法改正が国会で論議されている現在、人の死をどうとらえるのか、とんでもなく大きくて難しい問題を私たち一人一人が真剣に考えるべき時がきたようです。

2009年5月25日月曜日

メモリアルデイ

5月の最終月曜日はアメリカのメモリアルデイ、戦没者追悼記念日の祝日です。亡くなったアメリカの兵士を追悼する一日。各地で色んな行事が行われます。

冬が厳しい地域(シカゴもそうでした)では、この日は夏の始まりとしての意味があり、何となくウキウキした気持ちの高ぶりがあったものでした。一般の国民にとっては、戦没者追悼からは少し距離がある、私自身、そんな感じで過ごしていた三連休でした。


私の「切り抜きコレクション」の中に、どうしても捨てられない数枚があります。

2006年8月9日(朝日新聞)
「世界報道写真展2006」の展示写真の中の一枚 
 (イラクで戦死した兵士の遺体が故郷に戻ってきた時の飛行場での写真。客席に並ぶ乗客の顔と貨物室から運び出されようとしている星条旗がかけられた棺(ひつぎ)が写っています。)

2007年1月3日(京都新聞)
「無数の涙 流れる:NYタイムズ1日付見出し」 
 (イラク戦争で駐留米兵の死者が3000人に達したことを受け、ニューヨークタイムズが約1000人の米兵の顔写真を1月1日付紙面に4頁にわたって掲載したという記事)

2007年1月14日 朝日川柳(せんりゅう)掲載作品
 「あと何枚若者包む星条旗」
 「万骨で泥沼埋める気のブッシュ」 
 「増員の陰で三千の泣く家族」


久しぶりに目にしたこの数枚の切り抜きを眺めていて、上記の報道写真がピューリツァー賞を受賞したという説明に気づき検索してみました。そしてたどりつきました。組み写真の全てに。

The Pulitzer Prizes | Works

一瞬を切り取った画像から、ことばではないメッセージがビンビン響いてきます。


2008年には戦争生まれの国民が四分の三を越えた日本。アメリカでもほとんどの人にとって、戦争や戦死者は遠いもの。上記の写真が撮影されてから数年たった現在でも、イラクやアフガニスタンで傷つき、亡くなる兵士がいて、それを悲しむ家族や友人がいる。

みんなで覚えていたい「メモリアルデイ」です。

2009年5月24日日曜日

母のお出かけ


デイケアから「ほんの角をまがった所」の画廊
90歳の方のちぎり絵の展覧会
母も車いすで連れて行っていただきました


きれいな色があふれた画廊
何をおしゃべりしているのでしょうか・・・



母にとっては久しぶりの特別な時間
お世話になりました・・・

2009年5月23日土曜日

リビングのベンジャミン


20年前のまっさらな我が家、フサフサのベンジャミン

2度目の植え替え、プロのお世話になりました

スッキリベンジャミン、これからも元気でね

2009年5月22日金曜日

迷惑メール

朝メールをチェックすると、迷惑メールの数が60を越していました。日中も次から次に入ってきますから、一日の合計は100通を軽く越える数になるでしょうか。私の場合、英語の迷惑メールが多いから、こんな数になってしまうのだと思います。

私のメーラー、「ベッキー」は迷惑メールを直接ゴミ箱に振り分ける設定ができます。その中に大切なメールがないか、一応はチェックしますが、一回さっと見るだけで消去できます。(大事なメールの見落としがゼロではないはずですが・・・)

もしこの機能がなければ大変です。一つ一つチェックするなんて、考えるだけでも疲れてしまいそう。

新しいアドレスに変えればいいようなものですが、このアドレスはメールを使い出した15年以上も前から使っていますから、新しいアドレスに変更すると、連絡が取れなくなる人がいるようで、二の足を踏んでしまいます。

迷惑メールによる経済的影響は昨年日本だけで7000億円を越すという試算があります。仕事に必要なメールをよりわける作業に手を取られるのは、忙しい中で大変な時間の無駄となります。

無料で大量のメールを簡単に届けられる電子メール。便利さの陰に大きな問題が潜(ひそ)んでいます。簡単だから、と流されることなく、私もお邪魔なメールを出さないように心したいと思います。

2009年5月20日水曜日

マスク姿 #2

火曜日の午後、我が家の近くでベビーバギーに小さな子どもをのせて歩いている若いカップル。この二人マスク姿でした。郊外の住宅地、晴れ渡った日に散歩するのに、なんでマスクなの・・・

どうもマスクに関しては、「乗り遅れちゃいけない症候群」のような感じです。みんながしているから、私も・・・

関西では、兵庫・大阪に続いて滋賀県でも新型インフルエンザの患者が出たのですから、さて次は京都も、というところでしょうか。いくら「マスクをしてください」と言っても、もうどこにも売っていないのに・・・

日本の新型インフルエンザの患者数は、急激に増えて、目下イギリスを抜いて「世界第4位」。この数字を見て、日本ではインフルエンザの判定能力がとても高いのでは、と思う私です。几帳面(きちょうめん)にしっかり数を数えているからではないでしょうか?各国が同じ基準で患者の数を算出しているとは思えません。単に患者数の急増に惑わされることもないような気がするのですが・・・

確かにアメリカのカリフォルニア州と同じ大きさぐらいの日本で、これだけ、それも短期間に患者が増えるのは「大変」なことです。でも、弱毒性の今回の新型インフルエンザで、重症化した人は幸いにしていないというのに・・・

朝日新聞夕刊の小さなコラム、「素粒子」の筆者が目下アメリカ滞在中のようで、火曜日の夕刊はこんな文章でした。

 マスクの国から、マスクをしない国へ。新型インフル、米国の感染者は推定10万人ともいわれるが、ニューヨークでマスクをした人はまず、見かけない。
 なぜしないのかと問えば、「なぜするのか」と返ってくる。文化や風習の差か、行政の指導の有無か。欧米の当局は「感染防止に科学的根拠はない」とも。
 自国の常識は他国の非常識。かくして、ひとりマスクをして奇異の目で見られる筆者。


今回の新型インフルエンザ、個人として、自治体として、国として、冷静、かつ、しっかりした対応は不可欠ですが、今後の展開がどうなっていくのかわからない中、関西だけでなく、人混みをさけることができない方々、十分に気をつけてくださいね。でもどうぞ、無用な取り越し苦労はなさいませんように・・・


5月 9日 新型インフルエンザ
5月18日 マスク姿

「ブルー」のChuck

ケージの中で飛び跳ねるChuck
生後10ヶ月
体重2600グラム

我が家に来た日のChuck
生後3ヶ月
体重800グラム








血統書の毛の色は「シルバー」
でもどうやらChuckの毛の色は「ブルー」のまま
(ブルーはプードルの毛色ではチャコールグレーのこと)

「しばらくすると色が薄くなりますよ」
トリマーさんのことばを信じていたけれど

私のあこがれはグレーのプードル
脱色できるかな・・・

2009年5月19日火曜日

おいといください

「どうぞ十分にお身体おいといください」とラジオから聞こえてきて、私のアンテナがピコピコと動きました。私が今まで使ったことがなかった表現だったからです。

「厭(いと)う」という漢字からは「いやがる」というニュアンスが浮かんでくるのですが、もう一つ「いたわる」という意味があります。小さなこどもに対して「かわいらしい」「いとしい」の意味で使う「いとおしい」ということば、これも「厭う」からできたことばだそうです。

辞書にある「いとおしい」の説明は:
動詞「いと(厭)う」からの派生という。つらいと思ってうとましく思うさま、苦痛で心身を悩ますさまを表すところから、自分に対しては、苦 しい、つらいの意、他人に対しては、気の毒だ、かわいそうだ、いじらしい、さらに、かわいいの意が生じる。一説に「いたわしい」と関係する語ともいう。


耳で聞いた場合「おいといください」とは柔らかく響きますが、手紙の最後に漢字でこのことばを書くと「お大事になさってください」というような意味が飛んで しまうような気がします。

ウェブでこのことばに関して、「どうやって使うの?」という質問に、「ひらがなで書くことをおすすめします」という回答がありま した。ひらがなで書くことで、ひらがな独特の柔らかさが、使い手の気持ちを伝えてくれるのですね。

ところで、私の名前も娘の名前も「ひらがな」です。(最後の「こ」は「子」ですが)
中身を柔らかくカモフラージュしてくれているでしょうか?
その判断はみなさまにお任せするとして・・・

2009年5月18日月曜日

マスク姿

神戸の高校生が発症したという報道から、またたくままに兵庫県や大阪府で広がった今回の新型インフルエンザ。

今朝の新聞、インフルエンザ関係の記事の写真は全てマスク姿。スーパーマーケットの店員さん、大学の父母会に出席した5000人のお父さんやお母さん。もちろん医療関係者や学校の先生たち。銀行の窓口職員も今日からマスクを着用すると、さっきのニュースで言っていました。

日本はマスクをかけることに抵抗のない国ですから、何かあればマスク着用をきちんと守ることができるのですね。京都でもマスクは売り切れ状態。マスクの製造会社は24時間フル操業しているはずです。

国民が一斉に「ある行動」を取るというのは、最近ではあまりなかったように思います。今回は健康に関する不安から、「明日は我が身」という感覚をみんなが持って、このような「一斉行動」が出現したのでしょう。

新型インフルエンザは鳥インフルエンザよりも弱毒性であること。普通のインフルエンザと同じ対応で、むやみに人混みの中に行かない、手洗いうがいをしっかりする。もし症状が出たら、安静を心がける。「そんなに心配しなくても大丈夫なんですよ」というコメントは、このマスク姿の一斉行動にかき消されてしまっているような気がします。

「現在の対応は強毒性の鳥インフルエンザをもとにしており、患者が発生するたびに学校の休校やイベント自粛(じしゅく)をすれば、大阪の都市機能はマヒしてしまう」という昨日の橋下(はしもと)大阪府知事の発言はとても当(とう)を得たものだと思います。橋下知事は昨日、対応見直しを厚生労働省の要望したとのこと。

今朝の天声人語には「かかったらさっさと治すに限る。せめて頭と心は平熱を保ちたい」とありました。気配りはおこたりなく、でも冷静に・・・ですね。

2009年5月17日日曜日

オープンハウス















5月のオープンハウス、我が家のリビングが写真スタジオに変身

プロのカメラを使って、絞りやシャッタースピードの説明のあとは商品撮影の実演

缶ビールに汗をかかせたり、コップの泡をしっかり残すためのプロの隠(かく)し技のあれこれに、参加者からは「ウォー」という歓声が・・・

ぷっつりお酒と縁を切った「講師」が撮影に使うのは、やっぱり長年馴染(なじ)んだいつものビール(右の写真、クリックで大きくしてください)

2009年5月16日土曜日

世界幸福会議

今週、オーストラリアのシドニーで「世界幸福会議」が開かれました。世界各国から約2000人の神経科学者・哲学者・心理学者・神学者などが集まり、幸せに生きるための議論を交わしたそうです。Happiness conference promises key to inner joy - CNN.com

「持続可能な幸せの構造」「良好な関係のための実用的ツール」などの演題で、講義やワークショップが開催されました。

前向きな考え方をする人、いい人間関係がある人の「幸せ度」が高いことは、今までの多くの研究から明らかにされています。性格や環境によって「幸せ度」に差が あったとしても、私たちはだれでも幸せになる方法を学ぶことができる。経済危機の現状や不透明な時代だからこそ、科学的に証明された方法でそれを学ぶ必要があるというのです。

「幸せビジネス」と呼ばれる自己啓発に関する分野も今後大きく成長すると考えられています。幸せになるための本やDVDの販売、健康プログラムなどのビジネスは今後3年間、年6%の成長が見込まれるのだそうです。

2005年にこの会議が最初に開かれて時の参加者はわずか300名。2007年の会議にダライラマが出席したことから、一挙に参加者が急増したとか。世界中の多くの人が、幸せになりたいという想いを強く持つようになってきたのでしょうか。

Happiness is contagious in social network.
幸せは、社会的ネットワークにおいて
接触伝染性を呈(てい)す

つまり、人から人へ伝染しやすいということですね。新型インフルエンザではなく、この集団感染なら大歓迎です。みんなで幸せの「病原菌」をいっぱいまき散らしていきたいものです。

2009年5月15日金曜日

リビングウィル

結核や喘息(ぜんそく)から呼吸器に大きなトラブルを抱えていた私の父。季節の変わり目、特に湿気の多くなる時期は呼吸が苦しくて大変でした。自宅で酸素吸入ができるようになってからは、少し楽になりましたが、それも根本的な治療ではありませんでした。

父はひどい発作で呼吸困難になって病院に運び込まれた時には、人工呼吸器はつけないでほしい、そう主治医の先生にお願いしていました。先生とは「それなりの」合意があったのでは、と想像する私です。

ですが、父が最後に病院に搬送された時、主治医はいらっしゃらず、他の先生が人工呼吸器を装着なさいました。もちろん、それが当然の処置でした。

それからほぼ2年、父は人工呼吸器をつけたまま、途中からは気管切開での装着となっての入院生活でした。意識はしっかりしていても、ことばを話せない状態となりました。父が亡くなったのは1985年のことでした。

リビングウィル(事前宣告書)とは自分の命の終末を迎える時、どのような医療やケアをどこで受けたいか、その意志を事前に書き記しておくものです。日本では1976年に設立された日本尊厳死協会が下記の内容のリビングウィルを発行し、個人の署名・押印されたものを保管しています。

○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する    
○ 苦痛を和らげる措置は最大限に実施してほしい
○ 数カ月以上にわたり植物状態に陥(おちい)った場合、生命維持措置をとりやめてほしい



現在ではこのリビングウィルで本人の意志を表明すると、それに従って処置を取りやめる医療者も増えているとのことです。リビングウィルが市民権を得てきたということです。

もし父が存命中にこのリビングウィルのことを知っていたら、即座に登録したことと思います。ただ20年以上も前の日本ではまだまだ「その時期」ではなかったのです。

医療を受けることを含めて、自分の死を考える、つまり生をどのような形で終わりたいのか、意思表示できるまでに社会が変わってきた、そういうことなのだと思います。私自身も自分の場合を真剣に考えておきたい、そう思います。

2009年5月14日木曜日

夕方の宝ヶ池


宝ヶ池で青さぎが一緒に歩いてくれました



   池をぐるっと回ると、さっきの青さぎが・・・
   風のさわやかな夕方でした




2009年5月13日水曜日

車いすの旅

先日の新聞に、車いすのお母さんを連れて大阪から東京まで行った方の投書がありました。私鉄とJRを乗り継いでの旅、駅員さんや新幹線の乗務員さんたちの親切な対応に「大感謝の旅」になったと書いてありました。すてきな経験をなさったようです。

私が関わっていた車いすフェンシングでは、遠征と言えば海外でした。飛行機の旅は、車いす利用者にとっては、とても「快適」なものです。搭乗手続きも「特別」ですし、出国・入国も係の方の誘導で事務所のカウンター横から通してもらえます。もちろん海外での乗り継ぎも、飛行機会社がしっかり連絡してくれてい るので、とてもスムースです。

飛行機に乗るときと降りるときに時間はかかりますが、あわてる必要はありません。乗り継ぐ飛行機が必ず私たちを待っていてくれるのですから。

ですが、1998年、初めて大人数で香港遠征に出かけた時のこと。出発の時は、見送りのメンバーもいて、関西空港行きの「はるか」に乗り込む時、空港での動きもそれなりにうまくいったのですが、帰りは大違い!

入国のあれこれを手伝ってくれた飛行機会社のスタッフは「JRの駅まではお手伝いできません」。JRの対応も「各自で荷物を運んでください」とつれないも の。ただでさえ荷物の多いフェンシングです。同行者が右往左往しながら荷物を運び、全員が「はるか」に乗り込んだ時は全くの疲労困憊(ひろうこんぱい)状態。「なんで自分の国に帰ってきて、こんなに苦労するんだよ!」とスタッフの一人が大声でぼやいていました。

それから10年。車いすの旅 が日本国内でも楽になっているようで、本当によかったこと。車いすを使う方々が、好きなときに好きなところに「気兼ねなく」行けるように、もっともっと整備されてくればな、と思います。駅のエレベーターなどのハードの面はもちろん、私たち一人一人のこころのソフトの面でも。

2009年5月12日火曜日

びふぉー&あふたー













同じ犬なんです

同じChuckなんです

プードルってこんなに変わるんです

2009年5月11日月曜日

一文字タイトル第三弾: 2月27日    3月28日 

オバマ大統領の演説が色んな場面で英語の教材として利用されているようです。スピーチの内容がしっかりしているのは当然ですが、彼の声の良さが、教材にうってつけとなっているように思えます。

少し渋みのあるバリトンで、歯切れのいい話し方は、聞いてみたい・・・と思わせるものがあります。ブッシュ大統領の時は「生の声はいいから・・」と思ってしまったのは私だけではないはずです。

人 は持って生まれた声の質があり、おしなべて声帯が細いアジア人は西欧人に比べてどうしても声が高くなりがちですが、日本人女性のキンキンした話し方は ちょっと苦手な私です。日本語は腹式呼吸でなくても、普通の会話は成立しますが、人にメッセージを伝えるとなると、ちょとか弱い感じがしてしまうのです。

その点、しっかりした息にのせて話す英語(他の言語の多くもそうですが)は、上手に話すと艶(つや)が出て、聞きやすい声になるのです。

話 し方、それも発声を学ぶ日本人はあまりいないのが現状です。話すことを仕事にしている人でも、その訓練をしっかり受けた人は少ないのではないでしょうか。 自分本来の声に磨きをかけ、聞きやすい、相手に通じやすい声にすることは、話す「商売」でなくても大切だと思うのです。

「声は訓練次第で年を取りにくい」とかねてから思う私です。80歳を越しても、軽やかなのびのある声ですばらしいお話しをしてくださる先輩がいらっしゃいます。内容もすばらしいのですが、その声がお話の魅力を倍増しています。

アメリカがオバマ大統領を選挙で選び、新しい国造りを模索している中、あの声で引っ張ってもらうのはいいだろうな、とうらやましく思います。現在の日本の首相のコメントがテレビやラジオで出て来ると、反射的に敬遠している私です。内容を聞く前に声に反応してしまうのです。申し訳ないと思いつつ、でもそうなってしまうのです。

以下のビデオは、5月9日、ホワイトハウス特派員協会主催の晩餐会でのオバマ大統領のスピーチです。今までと違って、大いに笑いを取っています。長いですが、ぜひご覧ください。内容が詳しくはわからなくても、彼と会場の雰囲気、すてきです。

Obama pokes fun of Republicans, Clinton, self at annual dinner - CNN.com


政治家も「声美人」であって欲しい。いや、政治家だからこそ「声美人」であって欲しい。そして暖かいこころを感じさせて欲しい、そう思う私です。

2009年5月10日日曜日

干し野菜


雑誌で偶然見つけた干し野菜の記事

おもしろそうなのでさっそくきゅうりをベランダで干してみました

ウェブにも色々な情報がありましたよ。乾物研究室

これからは袋に一杯入った特売野菜も買えるかな

冷蔵庫で乾燥させることなく・・・

無駄をなくす、これも小さなエコでしょうか

楽しいレシピも増えるといいな

2009年5月9日土曜日

新型インフルエンザ

10時間以上のフライトが終わって「やっと」日本に到着。そこでものものしい出で立ち(いでたち)のグループが機内に入ってきて、あれこれ質問をしたり、体温を測ったり・・・北米帰りの方々、本当にご苦労様です。

新型インフルエンザに対する日本の反応は「ちょっと過剰では・・・」とも思うのですが、とにかく国内に「持ち込ませない」という関係者の気持ちはよくわかり ます。海外からの到着便や船舶への機内検疫が実施できるのは、日本のような島国だからこそとラジオの解説者が話していました。

確かに、国境線でお隣の国と接しているところでは、車や列車でも人々は国境を超えてくるのですから、その全てを完全にチェックすることなどは、まず不可能なはず。ア メリカとメキシコの国境線は3000キロ。日本なら北海道から鹿児島まで太平洋岸をなぞる距離とほぼ同じだと聞きました。こんな長い境界線で全てをチェッ クするのはとても無理ですよね。

息子と娘が住んでいるボルチモアでも発症したというニュースを見て、「気をつけてね」と一応母親らしく(?)メールしてみましたが、二人からの反応は何もなし。きっと「へーっ、知らなかった」ということなのだと思います。

アメリカで最初に患者が出て休校になったのはニューヨークの高校。その「お向かい」にある高校で先生をしている日本人女性のレポートがありました。この方がマスクを して登校した日、初めて校長先生が全校生に注意するようにとアナウンスなさったとか。その後、生徒会が、ユニークなマスクをみんなで手作りしようと呼びか け、みんながとても楽しんでいたとおっしゃっていました。

「5月は学年末で行事が目白押し。インフルエンザどころでなく、学校中活気にあふれています」とこの先生のレポートは終了。

自分の体調に気をつけることはもちろん大切ですが、不必要な取り越し苦労や心配は無用なはずです。過剰な報道や風評に惑わされることはなく、一人一人がしっかり現状を認識して行動すること。それに尽きますね。

昨日カナダから帰国した人から「新型インフルエンザ」が発見されたと、今朝からラジオはそればかり。今後の関係者やマスコミの対応はいかに?

普段の生活を乱すことなく、気をつけましょう、お互いに。

2009年5月8日金曜日

ありがとうの一言で

「洋服を着終わったとき、ありがとうって言って下さったんです」

母の入浴ヘルパーさんの嬉しそうな報告

「お風呂ははいらない」「頭は洗わなくてもいいの」

こんな言葉も言わなくなった母、最近はとても静かな入浴

その母からの「ありがとう」の一言

それを心から喜んでくださるヘルパーさん

たった一言が大きな笑顔を運んでくれました

2009年5月7日木曜日

もったいない

ケニアのワンガリ・マータイさんが世界に広めた「もったいない」ということば、私は明治生まれの祖母にいつも言われながら育ちました。

祖母にとって、紙は貴重品でした。裏に字が書ける紙は、折り込み広告や私の学校のプリントも全て大きさを揃えてメモに使えるようにしていました。柔らかい紙は、はがき大に切って、糸で綴(と)じて鏡台(きょうだい)に引っかけてありました。髪の毛をといた櫛 (くし)をその紙で拭い ていたのです。

ティッシュペーパーが出始めた頃、「二枚も重なっている、おーもったいない」と言って、一枚ずつにしていた祖母です。

「もったいない」ということばと心を教えてもらった私ですが、台所にペーパータオルをおいて、ついついそれをふきん代わりに使ってしまいます。祖母の「もったいない!」と言うことばが聞こえそうです。

シンプルな生活にあこがれつつ、20年住んだ家の中にたまった「もの」をどうやって片付けるのか、目下四苦八苦している私です。「もの」を上手に振り分けて、「おーもったいない」と祖母に言われないようにしなければいけません。でもこれはなかなか難しい・・・

2009年5月6日水曜日

高級難度

9ヶ月になったChuck、高級難度に挑戦中

3ヶ月のちびChuckは「正攻法」でした

2009年5月5日火曜日

休日の朝に

火曜日はゴミ出しの日

3年生ぐらいの男の子がゴミを持って歩いてきました

「おはようございます。ごくろうさま。ここに入れてね。」
ネットを持ち上げながら声をかけました

「ありがとうございます」
しっかりした返事が戻ってきました。

最近ご近所に越してきたお家の子どもさん

朝から気持ちのいい返事
こちらこそ、ありがとう!!

今日は休日、こどもの日

2009年5月4日月曜日

ネパールの村で

私は1989年から20年、アジアからの留学生対象の奨学金財団、アジア21世紀奨学財団の京都事務局を担当しました。活動の中心は東京でしたが、京都では例年、2,3名の新しい奨学生とともに、私の家を拠点として交流を続けました。

1999年5月、新年度の奨学生を選考する面接を行いました。その中に、ネパールからの男性がいました。

「出身はカトマンズですか?」(ネパールで唯一知っている地名で質問)
「いいえ、カトマンズからバスで4時間です」
「そうですか。遠いのですね」
「はい、それから歩いて4時間で私の村に到着です」
「?!」

歩いて4時間・・・の意味が最初はピンとこなかった、私を含めた審査員の面々。現代の日本では想像できない場所なのが、何となく理解できました。

日本に来て5,6年たっていた彼の日本語はとてもなめらかでした。東京の大学を卒業して、京都大学の大学院で勉強を続けていました。

その後、彼は自分の村のためにNPO活動を立ち上げ現在に至っています。
特定非営利活動法人バル・ピパル奨学基金

日本での交友関係の広がりの中で、ごく自然にスタートした活動で、小学校を作り、制服、文房具を無償で支給し、村の子ども達を教育しています。今まで教育を 受けたこともなかった成人のための夜間クラスもあります。京都のロータリークラブの支援で、村への道路の拡張工事も進んでいて、歩く距離が短くなってきて いるようです。

この団体の名前にもなっている「バル・ピパル」とは、旅する人たちが休憩する場所の目印として植えられる2本の菩提樹の名前だそうです。

一人の男性が蒔(ま)いた種から芽が伸びて立派な木が育ってきています。私たちにとって「遠い国」、ネパールの小さな村で日本人の想いが色々な形でお役に立っています。

2009年5月3日日曜日

今日の「おまけ」ブログ


朝の光がまぶしいって、すずらんが・・・



パピーウォーカー

私の知人に長年盲導犬となる子犬を預かるパピーウォーカーをしている方があります。乳離(ちばな)れした2,3ヶ月の子犬を預かり、一歳まで育てるボラン ティアです。将来盲導犬として訓練を受け、人間と良好な信頼関係を作るために、無条件で人間に愛される経験が子犬に必要なのだと聞いたことがあります。

子犬はトイレ訓練も必要ですし、やんちゃでイタズラも一杯。皮のソファがメチャクチャになったとか、まともなスリッパは一つもない、などなど、明るく話すその知人が毎回経験する「苦労」を思うと、ただただ「すごいな・・・」と思う私でした。

先日の新聞に、島根県にある、官民の共同運営するPFI方式の刑務所「あさひ社会復帰促進センター」で、受刑者たちがこのパピーウォーカーに取り組むことになったとありました。

<PFI刑務所>盲導犬育成、本格スタート 受刑者「やっと会えた」--島根(毎日新聞) -

刑期1年以上8年未満の初めて刑務所に入った男性の受刑者への更正プログラムで、子犬を育てることを通しての社会貢献を目的としているようです。

後日、この記事の「続編」として新聞に掲載された記事がありました。受刑者は自分の独房で寝食を共にしながら子犬を育てています。週末はパピーウォーカーに預けるのだそうです。「週末はゆっくり眠れるという安心が2割、寂しさが8割」という受刑者のことばがありました。

かわいい盛りの1歳の犬を手放すのは、このボランティアの「宿命」です。それを十分に理解した上で、盲導犬の育成に関わるパピーウォーカー。それぞれのパ ピーウォーカーの生活がどんな状況であったとしても、子犬とのふれあいの素晴らしさがこの活動を支え、パピーウォーカーそのものも支えてているのでしょ う。

子犬の柔らかな眼差しは、何にもかえがたいもの。たとえイタズラに声を荒(あら)げることがあったとしても・・・・



PS:PFIPrivate Finance Initiative)とは公共サービスの提供に際して公共施設が必要な場合に、従来のように公共が直接施設を整備せずに民間資金を利用して民間に施設整備と公共サービスの提供をゆだねる手法。

2009年5月2日土曜日

介護あれこれ

介護保険が導入されて丸9年、色々な手直しがなされているものの、現実に即さない部分が指摘される昨今。一番の原因は、介護保険スタート以降、日本の家族のあり方が大きく変わってきているからだそうです。

プロの手を借りる「介護の社会化」を目指してはいても、介護保険の前提はあくまで家族による介護。先日NHKテレビが紹介した様々な介護の状況は、私達が考える「家族」の概念とはかけ離れたものでした。

介護する家族が単身で仕事をしながらの「シングル介護」、介護する人自身が高齢の「老老介護」、そして介護する人が認知症である「認老介護」。

ど のケースも、ヘルパーさんにお願いできる介護が、時間的にも経済的にも大きく制約され、ギリギリの状態での介護が続いていました。特に、ほぼ寝たきりの80 代後半の男性を介護する認知症の奥さんのケースは、このご主人の健康状態が悪化する中、入院も施設入所も見込めない、絶望的な状況が報告されていました。

介護の現実を報じる番組や記事を見ると、これからの介護事情は全くお先真っ暗のような感があります。ですが、お役所やNPOが少しでも状況を改善していこうという取り組みも始まっているようです。

神奈川県秦野(はたの)市の高齢介護課では、介護する人をケアするスタッフが活躍しています。一人一人事情が違う介護の状況を詳しく聞き出し、介護者同士の交流の場を紹介し、定期的に電話で様子を尋ねるプログラムを実践しています。

家庭の中で、誰にも相談できないまま、介護者自身が体力的にも精神的にも参ってしまうケースが後を絶たないのが現状です。「一人じゃない」「誰かに相談できる」そう思えるだけで介護者の気持ちは軽くなるものです。「気にかけてくれる人がいる」それが大切なのです。

介護者への支援活動や男性介護者同士のネットワークの設立など、新しい動きが始まっているのは、「お先真っ暗」状態での将来へ向けての明るい光だと思います。

色んな介護の状況を知るにつけ、2年近い私自身の介護生活がいかに恵まれているかを感じます。母の状態が安定しているだけでなく、ヘルパーさんや訪問看護師さんたちの母への穏やかな対応、定期的にショートステイを受けてくださる病院の存在。

そして何より、私と母のことを気にかけてくださる方々がいらっしゃること、それが私の生活の一番の安定要因なのです。いつもありがとうございます。

2009年5月1日金曜日

卯の花

「卯(う)の花のにおう垣根に・・・」と小学校で歌った唱歌「夏は来(き)ぬ」に出て来る卯の花。今年は4月に満開になりました。

「におう」とあるのですが、ちっともにおいがありません。あれこれ調べていると「色が映えて美しいこと」とありました。日本語は難しい!

4月の古い呼び方「卯月」(うづき)は卯の花から名付けられたと聞いて、4月中にブログにアップしなきゃと思ったのですが・・・

よくよく考えると「卯月」は陰暦の名前。新暦の5月上旬から6月にかけてが本物の卯月。だから唱歌のタイトルもちょっと早めで「夏は来ぬ」でいいようです。

自然のうつろいに沿った陰暦ですが、地球温暖化では、だんだんそれもずれてくるのでしょうか。ちょっと寂しいですね。


PS:今朝の京都新聞に鴨川や高野川に「セイヨウカラシナ」が満開、とありました。4月26日のブログタイトルも変更しなきゃいけません。でもタイトルにはやっぱり「菜の花」の方が合うように思います。