2011年6月1日水曜日

「三陸海岸大津波」


2006年に亡くなった作家の吉村昭さん著「三陸海岸大津波」。1970年の発刊です。今回の東日本大震災後、文庫本が増刷されて、書店では平積みとなっています。

明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、昭和35年(1960年)の三度にわたって津波の被害を受けた三陸海岸。被災経験者の証言や現地の風習などを緻密に取材した「記録文学」としての評価を受けた作品です。

朝日comの書評の文章を拝借します。うまくリンクできなかったので・・・

「まえがき」にあるように、「津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない」という吉村氏が大津波のことを調べ、実際に災禍に遭遇した人々から話を聞くうちに、「一つの地方史として残しておきたい気持」になって著されたものである。資料と証言という「記録」に先立 つ「事実」の集積を駆使しながら、他の吉村作品と同じく、筆致はあくまでも淡々としており、これみよがしな深刻さや、扇情的な生々しさからは程遠い。当事者ではなく研究者でもない。そればかりか、ここにあるのは、いわゆるジャーナリスト的な視線とも違う。ひたすら「事実」だけが語られていながら、かといっ て単に客観的な「記録」とは異なる、(誤解を畏〈おそ〉れずに敢〈あえ〉て書くと)絶妙な距離感の、要するに「小説」的としか呼びようがないような印象 が、本書にはある。そしてこのことは、著者が痛ましく忌まわしい大津波という出来事から受け取っただろう途方もない衝撃と、何ら矛盾してはいない。


淡々と事実を記述する表現から、それぞれの津波の恐ろしさがわき上がってくるように感じました。繰り返される津波。亡くなった人への深い想いがあふれているのも、この本を単なる「記録」以上のものとしているのでしょう。過去をしっかり学ぶこと、その大切さを改めて思いました。


PS:宗教学者の山折哲雄氏。今回の大震災の名前から「地名」がなくなってしまったことを嘆いたコメントがありました。被災地が広範囲に及んでいるからこそ「東日本大震災」という名前になったのでしょうが、被災した地域を表すのではなく、震源地が明確になる「東北地方太平洋沖大震災」という名称が好ましい、とおっしゃっています。環太平洋地震帯における大きな地震であったことが明確になる、というのが大きな理由だそうですが、疎開地、花巻で中学・高校時代を過ごした山折氏の東北への想いがこもっているのを感じます。

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