2009年11月20日金曜日

新聞のこと

1981年、随分昔、シカゴの生活がスタートしました。当時も朝日新聞を毎日読んでいました。当初は特別の郵便で会社に配達されていた新聞は、日本の2,3日遅れた日付でした。

し ばらくすると、コンピューターの普及で、アメリカ国内で印刷が可能になり、配達される新聞の日付は時には、アメリカの前日の日付のものが届くように なりました。半日以上ある時差のせいです。「明日、何があるか、教えてあげようか?」とアメリカ人の友人に冗談を言っていたものでした。

ITの情報化社会になって、新聞の存在が危うくなってきている現代。世界各国で、伝統ある有名な新聞が廃刊に追い込まれています。去年の12月12日、住んでいたシカゴの新聞、シカゴトリビューンの廃刊についてブログにも書きました。全面広告 #2   

新聞を読んでいて、「新聞たるもの“情報コンシェルジェ”となれ」というコメントを目にしました。速報性にはインターネットに負ける新聞こそ、氾濫する情報を分析し、詳しく正確な情報として提供すべきだというものでした。

9月以降、毎朝新聞をゆっくり読む時間はなくなった私の生活です。ざっと目を通す時に、気になる記事の掲載ページ番号を一面の上に赤ペンで書いておき、夜にもう一度その記事を読んで、おもしろいと思ったら切り抜きます。ブログネタの多くはこうやって見つけています。

切り抜きがたまる一方という弊害はありますが、その時の興味に応じて、自分なりに情報を集めている私です。自由に切り抜ける新聞の持ち味は、モニター画面から得られるものとはひと味違っているのです。

デジタル人間にはなりきれない世代なのですね、私は・・・

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