2009年3月30日月曜日

身の納まり

今朝の朝日新聞「天声人語」で「身の納(おさ)まり」 というすてきな言葉を知りました。

随筆家の幸田文(あや)の文章に、「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない」と出入りの畳職人が言った、とあるそうです。

安らかな余生が「何もしない老後」という意味であるなら、ちょっと抵抗がある私ですが、人生の年輪を重ねてきた人が、その人らしく、しゃっきり生きている姿は、若者だけでなく同年齢の人にとっても魅力ある存在だと思います。

しかし天声人語では、今はこの「身の納まり」がつけにくい世の中であると指摘しています。どんなに元気であっても、経済的に安定していても、人は必ず誰かの手を借りる時期がくるはずです。京都新聞の連載「命ときめく日に」の中では、介護をする人のことを「つなぎびと」と呼んでいましたが、私達みんなが、この「つなぎびと」になんらかの形でお世話になる時期があるはずです。

「老後」まっただ中の人たちと同じく、この「つなぎびと」である、家族や介護従事者が現在の制度の中で翻弄(ほんろう)され、もがいているのが現実なのです。先日の群馬県での高齢者向け住宅での火災で、身よりのない方々が亡くなったことも、私達に現実の厳しさを教えているのだと思います。

私達一人一人が自分の老後を考えるとき、他者とのつながりの中で、どのように生きていきたいのか、それをしっかり自分に問う必要があるようです。「老後」という言葉に抵抗している私自身、この「老後」をいかに生きていくか、生きていきたいかを、もっとしっかり考えなくてはいけないと思いました。

天声人語は最後を以下のように結んでいます。

望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳のある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応(こた)えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。

0 件のコメント: