2008年12月24日水曜日

論理的言語

「日本語は論理的言語である」という新聞の記事を目にして、最初は、本当かな・・・という想いがありました。「科学論文は英語で書く方が書きやすい。主語 述語がはっきりしていて結論が明快に出る」と読んだことがあり、日本語はウェット、英語はドライ、というような感覚を持っていました。

「最先端の科学を日本語で勉強できる意義を忘れてはいけない。欧米を別にすれば、国語だけで物理、科学を完全に教育できる国は世界中でそう多くはない」・・・確かにそうです。

「アルファベットの用語を漢字化し、日本語化すると、用語を丸暗記するのでなく、翻訳することで理解がぐっと深まる。西洋の科学的思考を自分のものとして自由自在に扱えるようになり、創造的な発想が可能になる」・・・母語で理解することの優位性です。

「漢字の熟語の場合、意味まで一目瞭然(いちもくりょうぜん)。発想、創造を大いに助けることになる」・・・イメージで意味がわかることもあります。

「明治維新後、わずか数年で大学における科学教育が日本語に切り替わったのは、膨大な外国の用語を和製漢語に翻訳した結果。語彙(ごい)を補うだけで、学問的議論が可能になったのは、日本語が論理性の高い言語だからである」・・・そうなのかな・・・

この記事のタイトルは「ノーベル賞支えた“日本語”」というものです。自分で思いこんでいたことの逆が提示されると理解が難しいのですが、新しい考え方として吸収できればいいなと思います。

母国語としての日本語を改めて見直すおもしろい記事でした。

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