今朝の朝日新聞のコラム「ひと」で紹介されているのは、ノーベル物理学賞を受賞した京都大学名誉教授の益川敏英さんのお世話役をしている、在日本スウェーデ ン大使館の参事官、カイ・レイニウスさん。堪能な日本語能力を買われて、今までも94年の大江健三郎さんや02年の田中耕一さんのお世話係も務めたとか。 このお役のことを「アタッシェ」というのだそうです。
この記事を見て懐かしい方のことを思い出しました。
車いすフェンシングチームが最初にヨーロッパ遠征をしたのが、98年7月、ドイツの世界選手権でした。全てが初めての経験で全く手探り状態の海外遠征。前泊したデュッセルドルフのホテルに一人の紳士が現れました。ラルフ・グレーザーさんでした。「日本チームのサポートをさせていただきます。どうぞよろしく」
グレーザーさんが日本チームを受け持つことになったのは、ご自身が第二次世界大戦後、経済復興支援のために韓国に赴任し、その折、たびたび日本に来ていたからという理由でした。「終戦後?」「経済復興?」など、私たちには馴染みのない言葉がグレーザーさんの口から飛び出しました。グレーザーさんは、その後ワシントンの世界銀行で長年仕事をなさった方で、とてもわかりやすい英語でお話しをなさいました。退職後故郷に戻り、大会のボランティアとして「志願」してくださったそうです。
こんな「重鎮」が私たちの世話をしてくださる・・・何だか不思議でしたが、当時70歳近くだったグレーザーさんのマメさはただただ感心するのみ。
障害者が宿泊できる施設が競技会場の街、オイスキルヘンにはなく、毎日の移動はバスで1時間かかるボンのホテルからという厳しい状況でしたが、グレーザーさんはいつも日本チームの出発時間にはやってきて、出発を確認してくださるのです。グレーザーさんのお宅はオイスキルヘンですから、片道1時間の距 離を会期中は少なくとも二往復してくださっていました。
グレーザーさんの心配りはこれだけではありませんでした。競技会場でのランチメニューにご飯を追加してもらったり、銀行でお金を替える時、手数料を無料に するように交渉したり、試合のない一日、ケルン観光をアレンジしてくださったり(京都市と姉妹都市のケルン市の市長に面会を申し込んで実現させてしまった り!)、大会後、フランクフルトまでの旅をするためのバスの値段交渉をしてくださったり・・・・
そして極めつけは、グレーザー夫人の「洗濯ボランティア」でした。練習や試合で汗まみれになる選手やコーチのシャツや下着を夕方持って帰ってくださり、朝 にはきれいにして返してくださるのです。コインランドリーはホテルから徒歩20分のところ・・・と言われていたのですから、チームマネージャーとしての私がどれほど助かったことか!
約一週間のフルアテンド、日本チームの毎日は何の心配もなく過ぎていきました。ボンの宿舎を出発する日、フェンシングの剣を一本プレゼントしました。私たちのささやかな感謝の品に、満面の笑みで答えてくださったご夫妻のお顔を今でも覚えています。
相手の立場になって細かい心配りをする。それが仕事であれ、ボランティアであれ、何であれ、どんな時にもそうありたいと思います。10年もたった出来事が、昨日のことのように懐かしく思い出されるのも、グレーザー夫妻がいらしたからこそ。日本語でスピーチをなさった益川さんも、レイニウスさんのサポート で、スエーデンでの日程を楽しく過ごしていらっしゃることと想像しています。
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