2011年4月19日火曜日

20年前のコメント



途中でほったらかしてあった本を今回持って旅行に出ました。

長いのですが、引用します。

「情報のきわめて優秀な集積体であるロボットを例にとって言うなら、ロボットの恐るべき精密化、巨大化は、チェルノブイリの原子力発電基地事故に典型的に見られるように、想像を絶する破壊力の解放という結果を生み出す可能性を本質的にもっている点で、明らかに“人間”を超えている。

ロボットとはオートメーションの同義語だと言っていいだろうが、この自動機械がいったん故障し、暴走を始めてしまえば、人間はそこで解き放たれる巨大な破壊エネルギーに対してほとんど無力に等しい。

なぜなら、人間の知性は、精密きわまる機械を作り出すことはできても、それが知性と論理のコントロールを超えて破壊と暴走に突っ走る時には、その惨憺たる結果について正確に予知し、予防する力はないと言っていいからである。

その意味で、たとえばスリーマイル島やチェルノブイリの原発事故が人心に与えた恐怖の経験は、きわめて大きな心理的影響を世界中に及ぼしたはずである。不特定多数の人々、それも国境を越え、政治体制の別を超えて多数の人々が、姿のはっきりしない深い不安を抱き始めている。他の公害問題もまったく同じ性質の不安と苛立ちをかもし出す。」

引用した本が最初に出版されたのは1990年3月。今から20年以上前のことです。作者は詩人で日本語に関しての著作の多い大岡信(まこと)さん。本のタイトルは「ひとの最後の言葉」。

引用の文章は、高度成長が続く情報化社会の中で日本人が見落とした(そして忘れていた)ことが書かれた序章の中にありました。本編は著名な人たちの遺書や辞世の句を紹介して、日本人の死生観を考える内容です。

今回の大震災のあと、そして母を見送って四ヶ月以上たった今、読み切っていなかった本の中で見つけた文章です。「これから」を改めて考えるきっかけになりました。

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