2011年5月7日土曜日

小さいナビ

車で遠出をするとき、最近はナビを使うのが当たり前。息子たちは写真のようなかわいいナビをフロントガラスに取り付けて、行き先を入力。アメリカでは日本の車にあるような、前もって取り付けられた大きめのナビよりも、こんな簡単なものを使う人の方が多いようです。

4月28日、午後にボルチモアをスタートしたドライブは、夏時間で遅くまで明るくなっているとはいっても、6時間以上ドライブすれば、真っ暗に。初めての場所でナビの案内がなくては到着不可能だったかもしれません。見事に家の前まで案内してくれました。

アメリカは住所表示がとても明解。家番号と通りの名前、そして街(市)の名前があれば、ずばり目的場所が見つかります。これは昔から感心するところの一つ。

ですが・・・ナビのおかげで手に入れにくくなったもの・・・それが地図です。ドライブに地図がないのは、お正月に黒豆がないようなもの、と感じる私。地図を持っていかなかったので、後部座席から、「地図・地図、map, map・・・」と言い続けました。

途中のショッピングモールで大きな本屋さんを見つけたけれど、閉まっていました。電子辞書の影響で大手書店がドンドンつぶれているのがアメリカ。近くのマーケットにも地図はありません。ガソリンスタンドのお店には必ず地図はあるはず、と思ったけれど、「今はおいてないわ・・・」との返事。

結局、バージニアに入ったところにあった「観光案内所」で地図をもらって、それからはおとなしくなった私。どこを走っているのかがわからないなんて、ドライブの楽しさがありません。

帰りも、州が変わるごとに「観光案内所」を見つけて、地図収集に努めました。ナビもいいけれど、地図のおもしろさは全く別。これからも地図探しをがんばります。







PS: 4月26日に掲載した「ほぼ日」の「今日のダーリン」けやき便り: 「祈り」、クリックしてもその日の文章に飛ばないことがわかりました。残念・・・

2011年5月6日金曜日

キティーホーク



ノースキャロライナ州のナンバープレートには「First Flight」と書いてあります
ライト兄弟の初飛行の地、キティーホークは風の強いところ
大きな砂丘登りに挑戦しました
前日の大雨で堅くなった砂
歩き回るには好都合


向こうに見えるのは大西洋



初心者ハングライダー、インストラクターが一緒に走ります


青空高く「名物」の凧があがっていました

2011年5月5日木曜日

アンパンマンのマーチ

3月11日は金曜日でした。それからの数日、テレビはもちろん、ラジオも震災報道が続いていました。14日月曜日、NHKラジオは早朝からいつもの番組のキャスターが登場しました。放送の内容はほとんどが震災関連でしたが、「聞き慣れた声」がラジオから聞こえることが、こんなに安心できるのか、そう感じたのを覚えています。けやき便り: ラジオ放送

これから一体どうなっていくのか、そんな思いが強かった時、避難所にいる子どもたちに聞いてほしいと放送されたのが「アンパンマンのマーチ」でした。小さなこどもが周りにいない私には、初めて聞く曲。ずっと続いていた何とも重い気持ちが少しほぐれていくのがわかりました。

その後、NHKには、アンパンマンのマーチのリクエストが続々と届けられ、何度も放送されたようです。この曲を聞いた被災地の子どもたちが、立ち上がって曲に合わせてからだを動かしていたとか。一つの曲がたくさんの人のこころをほぐしたのです。YouTube - それいけ!アンパンマン アンパンマンのマーチ

アンパンマンの作者、やなせたかし氏のインタビュー記事を知りました。あの最初にかかった時にアンパンマンのマーチを聞いてこころが動かされたコラムニストの方によるインタビューです。やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

日本は必ず復興できる!このやなせさんのことばはすてきです。そうなんですよね。みんなが「大丈夫!」って声を掛け合っていければ、本当に日本は大丈夫なんですよね!

長くなりますが、「アンパンマンのマーチ」の歌詞をコピーしました。歌詞の意味は全部わからなくても、大声で今この歌を歌っている子どもたちが大きくなる頃、日本はきっとアンパンマンの夢がかなう国になっているはずです。


  アンパンマンのマーチ 作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし

     そうだ うれしいんだ
     生きる よろこび
     たとえ 胸の傷がいたんでも
     なんのために 生まれて
     なにをして 生きるのか
     こたえられない なんて
     そんなのは いやだ!
     今を生きる ことで
     熱い こころ 燃える
     だから 君は いくんだ
     ほほえんで
     そうだ うれしいんだ
     生きる よろこび
     たとえ 胸の傷がいたんでも
     ああ アンパンマン
     やさしい 君は
     いけ! みんなの夢 まもるため
     なにが君の しあわせ
     なにをして よろこぶ
     わからないまま おわる
     そんなのは いやだ!
     忘れないで 夢を
     こぼさないで 涙
     だから 君は とぶんだ
     どこまでも
     そうだ おそれないで
     みんなのために
     愛と 勇気だけが ともだちさ
     ああ アンパンマン
     やさしい 君は
     いけ! みんなの夢 まもるため
     時は はやく すぎる
     光る 星は 消える
     だから 君は いくんだ
     ほほえんで
     そうだ うれしいんだ
     生きる よろこび
     たとえ どんな敵が あいてでも
     ああ アンパンマン
     やさしい 君は
     いけ! みんなの夢 まもるため

2011年5月4日水曜日

海岸道路

Outer Banksを北に走る12号と表示された道が突然なくなります。その先は文字通りの「海岸道路」。Corova Beachというところ。四輪駆動車なら誰でも通行可。速度制限表示は15マイル。野生の馬の保護地へのツアーに出かけました。(走る車から撮した道路標識、クリックしてみてください。)



海岸べりにも野生の馬がやってきて、時々海に入るそうです


まともな道がないその先に突然現れた大きな家・家・・・レンタルハウスでベッドルームが20以上もある大きな建物。ウェディングに利用されることが多く今年はもちろん、来年も春から夏のシーズンは予約満杯とか。



海が荒れたり、高潮だったりするとたどり着けないこんな場所に住んでいる人もいるのです。郵便も配達され、ゴミも回収されているのです。もちろん電気は通っています。一体何をしている人たちでしょうね・・・



人間が世話をしない野生の馬たちですが、人の気配には全く動じません。3,4日前に生まれた子馬も見ることができました。冬毛がまだ残った馬たちが静かに草を食べていました。

抜けるような青空。でも空気が冷たく、四輪駆動車についたオープンの座席で凍えるかと思いました。暑くなったり、急に寒くなったり・・・今回の旅は季節が好き勝手に動いているような、そんな日々を過ごしています。

2011年5月3日火曜日

トップニュース

アメリカ時間5月1日の夜遅く大きなニュースが流れました。(私は寝ていましたが・・・)

2日の朝から、テレビはオサマビンラディンのニュース一色となりました。「やったぜ!」という雰囲気が全米に流れているような気がします。10年たってやっとアメリカが「宿敵」のボスを倒したというところでしょうか。

ノースキャロライナからボルチモアに戻る日でしたから、朝のCNNニュースを見ただけですが、キャスターがそれぞれに興奮しているような気がしました。「アメリカ製の弾丸が彼を倒したのか?」という女性キャスターの質問に、軍事専門家が「その通り」と答えていましたが、これこそ、アメリカが「望んで」いたことなのでしょう。

アメリカを攻撃したグループのボスを倒したという高揚感。偶然アメリカにいる私にとって、とても距離を感じるものです。興奮はそれなりにわかるとしても(これまた偶然に2001年9月11日にこの国にいた私ですが)軍事力で敵を倒そうとすること自体、私にとっては何か落ち着かない気分です。日本の「平和ぼけ」と言われるかもしれませんが、自分にとって不都合なものをどこまでも追いかけて抹消していけばいい・・・というのは人間としてあるべき姿なのか・・・高揚感が高まる中にいて、とても違和感を覚える私です。

2011年5月2日月曜日

12人のディナー


息子のお嫁さんのご両親が2週間、ノースキャロライナ州アウターバンクス のCorollaという街のレンタルホームを借りています。28日木曜日、半日休みを取った息子とお嫁さん、三人でボルチモアから約6時間のドライブで到着しました。海の中に細長く続く全長320キロにもなる砂州のほぼ北の端です。

寝室が5つもある大きな家に30日土曜日は12人が集合しました。お嫁さんの両親、お父さんの弟夫婦、友人夫婦、私たち3人、そして妹と友人2人。世代も違う12人が勢揃いの夕食は何とも賑やかなもの。

アメリカの人たちにとって、おしゃべりは何よりも大切な社交の手段。バケーションであれば、日中はそれぞれが好きなことをして過ごしていても、夕食では、みんな一緒にとにかくわいわいと会話がはずみます。

ついていけないジョークも飛び出しますが、その辺はサラリと流して、わかっているような顔をする・・・それが仲間としてその場にいる秘訣かもしれません。彼らの会話はあちこちに飛び、そしてその内容は多岐にわたります。顔見知りが揃うこともあって、とにかく楽しく賑やかに過ごすのです。

堅苦しい「社交の場」ではないけれど、年代を超えて、自然に会話が弾むのはすてきです。みんながそれぞれに少しずつ気を遣っているからこその「場」が生まれるのだと思います。

すばらしいお天気に恵まれたノースキャロライナ州での週末。詳細レポートは小出しにするとしましょう。

2011年5月1日日曜日

計画避難の飯舘村、住民の困惑と怒り



全村避難勧告が出た福島県飯舘村。渡米前にこのニュースを聞いて、ずっと気になっていました。「原発の恩恵は何も受けていない村の生活がずたずたになってしまう」ことのくやしさを口にする村長。地震や津波とは違う、「人災」の被害者として、それも30キロ以上離れた場所であるにもかかわらず、自分たちの日常をあきらめなくてはならない人たち。村民の方々の気持ちは想像するにあまりあるものだと思います。

地震や津波の報道が日に日に少なくなっていくなかで、先のことが全く見えない状況におかれた飯舘村の現状をしっかり見届けていきたいと思います。

Future Japan from 2011   日本の未来2011: 愛する飯舘村を還せ!!  村民決起集会