2011年3月18日金曜日

声が聞きたい・・・


電話が通じなくなった被災地。安否情報も交錯(こうさく)し、生存者は離れた家族に連絡したい、離れた家族は被災者のことが知りたいと思い続けたことでしょう。

臨時の電話が並んだ机に、被災者の方々がそれぞれの「相手」と涙ながらに話していらっしゃる風景がテレビに出ました。家族に亡くなった方があって、それを涙ながらに伝える人。家族の無事を知らせることができて、改めて涙ぐむ人。周りの人たちの声にかき消されそうになりながら、みなさん、必死で電話に向かって話していらっしゃる様子が印象的でした。

私の娘が「時々」更新してくれる、「ばいりんぶろぐ」(このページの右下、マイブログリストのところでクリックしてください)、3月15日に久しぶりにコメントをアップしています。

彼女も書いていますが、私は、2001年9月11日朝、バーモント州、バーリントンの飛行場から飛び立つ予定でした。理由がはっきりわからないままに、一旦乗り込んでいた飛行機から降り、結局レンタカーで目的地シカゴまで1000キロ以上を移動することになったのは、出発予定時刻から2時間以上たった時。当時はまだ携帯がうまく使えず、とりあえず走り出してから、パーキングアリアでニューヨーク州のアルバニーにいた娘に電話をかけました。

「どこにいるのよ!」・・・

「もしもし」と言いかけた私に悲鳴に近い娘の声が聞こえました。「行方不明」になった私を案じていた娘は、のんびりと「もしもし」と話す私の声を聞き、一気に思いが爆発したのでしょう。私の「行方不明」の時間は4時間足らずだったと思います。

今回の震災でも、「声が聞きたい」と思って、電話をかけ続けた人たちがたくさんあったはず。「声が聞けた」と喜びの涙を流す人たちがいる一方で、二度と声が聞けなくなったことに涙する多くの家族が日本中に生まれてしまったこと。忘れてはいけないと思います。

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