2009年6月18日木曜日

野次・ヤジ

「野次る」とは、辞書に「他人の言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける」とあります。時には発言者に対しての賛同の言葉もあるようですが、往々にして「うるさい」かけ声のようです。

私は日本の国会中継を見るのは嫌です。国の政治に対して関心を持つ必要は重々感じますが、原稿から目を上げない発言者やその発言を聞こうともしないで、ただただヤジを飛ばす議員たち。日本の将来を決定する人たちのこの言動には、いつも失望するだけなのです。

昨日、母の部屋のテレビがNHKになっていたので、偶然党首討論を目にしました。麻生総理大臣と鳩山民主党代表の発言中、拍手はありましたが、ヤジらしきものはほとんどありませんでした。

前回、5月27日の党首討論の風景は、まるで怒鳴り合いの中で、お二人が発言していたようなもの。さすがに議員さんたちが「自制を申し合わせた」そうです。やっと・・・ですね。

国 をリードする国会議員たちが、相手の言うことを聞かないままに大声でヤジる場面を目にする日本の子ども達。人の言うことを聞かなくなっても当然だと思いま す。討論が白熱して、議会で取っ組み合いのケンカ騒ぎにまでなる国もあるのですから、時には、意見が激しく対立して、大声が飛び交(か)うこともあるかも しれません。でもそれが「いつものこと」では困ります。

朝日新聞の記事の中に国会の本会議でヤジっているのは、主に一回生議員が中心だと ありました。「05年総選挙で大量当選した自民党の小泉チルドレンは研修で“相手(野党)が質問した時は一生懸命ヤジってくれ。みんなそれで成長するんだ から”と教えられた」とか。大臣席からヤジを飛ばす人もいるとまで書いてありました。

この文面には、わが目を疑いました。本当のことなのでしょうか?ヤジを飛ばすことで成長するって?どんな風に?

討論は相手の意見をまず聞くところから始まります。自分の意見と違う意見をしっかり聞くことで、自分自身の考えがより明確になり、そこで、初めて「成長する」可能性が出て来るのだと思います。

議論好きな人をうっとうしがる日本の風潮は今後も続くのでしょうか?みんなが同じ意見でなくてはいけないのでは、この世は本当に窮屈(きゅうくつ)です。

みんなが違っているのが当たり前。その違いをどんな風に折り合いをつけるのか、それが「おとな」というものではないでしょうか?

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