2008年9月30日火曜日

毛の色


何年前のことだったでしょうか。ヨーロッパに行ったとき、街角で何ともきれいなグレーのプードルを見かけました。背筋がのびてさっそうと歩く女性の洋服とのコーディネートのすばらしかったこと!それ以来、私のあこがれは「グレーのプードル」でした。

14年間我が家の「外交官」だった先代のプードル、クッキーは真っ白でした。アイスホワイトと言われる本物の白で、最後までつやつやした毛並みを保ちました。クッキーが我が家に来た20年前は、日本では色つきプードルは珍しく、私の希望を叶えることはできませんでした。

さて現在真っ黒の毛色のChuck。毛を剃った顔はちょっとグレーっぽいのです。トリマーさんも、一年以内に毛色が変わってグレーになる可能性があります、と言ってます。Toy Poodle Colors こんなページを見つけたのですが、ここのsilver pupがまさしくChuckの顔なのです・・・ということは、我が家にシルバーのプードルが来たのでしょうか!

                      私の長年の思いが通じたのでしょうか?このまま黒い毛が残ることもあるそうですが、これからしばらく、毛の色がどんなに変わるのかが楽しみになりました。クッキーの時にはなかった楽しみ。さてさてどうなりますやら・・・

2008年9月29日月曜日

障害?障がい?

“障害のある方とない方との交流を深めるため、「障がいのある方の親子のつどい」を今年も開催します。”

先日手元に届いた区民へのお知らせの中にあった文章です。一つの文章の中に「障害」と「障がい」の二つの表記があります。

「障害者」という言葉の中の「害」という文字がいけないという意見を尊重(意識?)して、官公庁の文章に「障がい者」という表記が使われるようになっているようです。ウェブで検索していると、以下のような北海道の文章を見つけました。少々長いのですが、抜粋して転載します。

「障害」のひらがな表記の試行について
1.施行を行う目的
 近年、障害の「害」という漢字の印象の悪さから、ひらがな表記にしている市町村や障害関係の施設、サービス事業者などが増加傾向にあります。「害」の字をひらがなに表記することについては、様々な意見があり、「障害」という表現を変えるべきとの意見もありますが、現在は定着した用語がないのが実情となっています。
 一方で、表記について議論を深めていくことは、ノーマライゼーション社会の実現に向けて、道民の意識醸成にもつながっていくことも期待されます。
 そこで、道としては、「障害」のひらがな表記の取り組みを次のとおり試行的に実施するとともに、様々な機会を通じ、広く道民の皆様方の意見を伺うこととしました。


2.表記方法
 ●「障害」という言葉が単語あるいは熟語として用いられ、前後の文脈から人や人の状況を表す場合はひらがな表記とします。
   障害者→「障がいのある方(人)」、「障がい者」
   身体障害者→「身体障がいのある方(人)」、「身体障がい者」
   知的障害者→「知的障がいのある方(人)」、「知的障がい者」
   精神障害者→「精神障がいのある方(人)」、「精神障がい者」

 ●法令や固有名称などの表記は、従前どおりとします。
   障害者基本法
   身体障害者福祉法
  北海道地方障害者施策推進協議会
  北海道保健福祉部障害者保健福祉課
  障害者110番
  肝機能障害、じん臓機能障害 など
  「高齢者・障害者」という文言などバランスを欠くとき

試行期間は、平成18年2月15日から当分の間とします。

※ 「障害」の表記は、戦前においては、「障碍」と表記されていましたが、昭和22年に公布された当用漢字表に「碍」が無くなり、似た意味の「害」の字を当てたといわれています。

※ 表記を変えている地方自治体の状況(平成17年11月1日現在)
 ● 道内市町村 札幌市をはじめ13市12町
 ● 他都府県  1県(福島県)


二年後の現在、どうなっているのか、それに関しては記述が見あたりませんでしたが、他にも三重県のHPに同様のものを見つけました。

「障害者」という言葉にこだわっているのは、障害者以外の人なのではないかなと思う私です。「私たち」と「彼ら」という感覚でいるのではないかな、そう思ってしまいます。

仲間の中に障害のある人がいる、という感覚で活動していると、「障害者」と書こうが「障がい者」と書こうが、全く関係ありません。障害があるから「できない」ことを健常者がサポートするのは当たり前で、健常者であってもそれぞれが「できないこと」は、「できる人」に支えてもらっているのです。お互いさまの気持ちがあるだけの仲間と一緒にこの10年、障害者スポーツの車いすフェンシングに関わってきました。

言葉にこだわるのではなく、自分の心の中にある「バリア」をみんなが気がつけばいいなと思います。それこそが「障害」なのですから・・・

2008年9月28日日曜日

食欲旺盛


赤ん坊用ドッグフードを48粒
お湯でふやかして日に三回
食事の所要時間は約30秒

食べていませんね
飲んでいますね

これからは1~2粒ずつ増やしていくのです
まるで「ままごと」のようなChuckの食事
48粒を数えている手です

生後60日のChuckと93歳の母
どちらも食欲旺盛
しっかり食べています

2008年9月27日土曜日

New Member














本日登場、我が家のNew Member プードルのチャック(チャッキー)です
生後2ヶ月・体重800グラム
毛の色はブルーとなっていますが、ほぼ真っ黒
写真がうまく撮れず四苦八苦・・・

2008年9月26日金曜日

定点観察 #2


9月
12日












9月16日












9月24日











「すぐき菜」です
京漬け物の「すぐき」になります
上賀茂が主産地ですが、ここ岩倉のあちこちの畑にも・・・

定点観察 #2です

2008年9月25日木曜日

日本の冷蔵庫

新しい冷蔵庫が我が家にやってきてから丸一ヶ月が過ぎました。アメリカでの生活を含め、この25年近くGEの「でっかい」冷蔵庫を使っていた私にとって、庫内が複雑に設計されている冷蔵庫を使うのは、目新しい経験です。

両開きのドアはいらない。野菜室とフリーザーだけが別れている機種がいい・・・と、それだけを基準にして選んだ冷蔵庫ですが、フリーザーの容量が小さいことをのぞけば、とても気に入っています。

省エネルギータイプですから、電気代が少なくなることも楽しみです。あれこれ区切りがついているドアの部分も、どこに何を入れるのかを決めてみると、とても取り出しやすく、奥行きが浅い庫内は、何が入っているのかがわかりやすいと改めて感じます。以前のGEはあまりにも奥行きが深く(80センチはありました)、奥に入れたものはなかなかうまく利用できず、無駄にしてしまうことも多かったように思います。

使いやすさを徹底的に追求した新しい冷蔵庫。ただただ庫内が広かったアメリカ製の冷蔵庫と比べてみると、日々「日本の緻密さ」を感じる近頃の私です。

2008年9月24日水曜日

青空に・・・


抜けるような青空
その青空に誘われて久しぶりに植物園に・・・

涼しくなっても咲き続ける「ソライロアサガオ」
品種名は「ヘブンリーブルー」
10月いっぱい咲き続けるとか

今日の京都新聞夕刊にもこの朝顔の写真が登場
取材の記者さんも青空に惹(ひ)かれたのですね、
きっと・・・

2008年9月23日火曜日

“ほぼ日刊イトイ新聞”のこと

ほぼ日刊イトイ新聞ご存知ですか?

1998年6月6日から、「ほぼ日刊」という名前にかかわらず、毎日更新されている、コピーライターの糸井重里氏のウェブサイトです。丸10年以上毎日書き続ける糸井氏ですが、ウェブサイトそのものは、スタッフとの共同作業で作成されています。

何となくホンワカした記述が多いこと。ちいさな「いいこと」をさりげなく掲載していること。ちょっと立ち寄ってみたくなる・・・そんな雰囲気が気に入っています。

無数にあるウェブサイトの中で、ちょっと気になるページ。ご存知ない方はぜひのぞいてみてください。

2008年9月22日月曜日

ブログ再開


数ヶ月ぶりに「非日常」の三泊四日を過ごしてきました。

生長の家総本山への団体参拝、つまりお山の中での修行です。早朝4時半起床に始まるスケジュールに追われていましたが、すばらしいお天気に恵まれ、気持ちも晴れやかな時間を過ごすことができました。

どんな生活を送っていても、人は時折の休憩・休息が必要です。介護生活には、殊の外、「非日常」がありがたく思えます。母もショートステイの、いつもと違う丁寧な介護を受ける「非日常」でゆったりしていることと思います。     

「献労」という、肉体労働をこなした私の身体はちょっとがたついていますが、自然の中で大きく深呼吸してきた私の心はとてもほっこりしています。

さて、明日の夕方からまた「日常」に戻ります。以前よりちょっぴり優しい心になれていたらな・・・そう思っている私です。

2008年9月17日水曜日

彼岸花

稲を刈ったにおいがまだ残るたんぼ
今年初めて彼岸花を見つけました

別名曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
すっくと伸びた茎に真っ赤な花
父方の祖母が好きだったと聞いたことがあります
写真で見る祖母も背筋がしゃっきり伸びた人です

4ヶ月ぶりに母がショートステイに行ってくれました
私も明日から三泊四日九州です
台風とガッチンコでしょうか・・・

2008年9月16日火曜日

刈り取りも済んで・・・






しばらくぶりに通りかかった「がんばれ」のたんぼ
すっかり稲刈りが済んでいました

朝夕の涼しさもすっかり秋
中秋の名月も過ぎ
食欲の秋本番!

2008年9月15日月曜日

試合二日目

車いすフェンシング競技、男子二日目の種目はエペです。太田雄貴選手が銀メダルを取ったフルーレは、メタルジャケットを突くとポイントになりますが、エペの場合は、上半身はどこを突いてもポイントになります。

久川選手、残念ながら予選通過がなりませんでした。各国の強豪がひしめくグループでした。「残念!」なのですが、「ごくろうさま!」と北京に向けて伝えたいと思います。

1998年以来、車いすフェンシングという障害者スポーツに関わり、それまで全く想像できなかった世界を経験した私です。海外遠征では、開催地名が日本の地図にないような、普通の観光や仕事では絶対に訪れない場所にも出かけて行きました。

競技スポーツの世界を垣間見たことも大きな経験です。身体を動かすことは大好きで、スキーやテニスなど楽しんできた私ですが、競技スポーツの厳しさ、手強(てごわ)さを肌で感じたのはとても新鮮でした。スポーツの素晴らしさを再確認できたのも事実です。

でも何よりもこの10年が私にとってすばらしかったのは、仲間と一緒に活動を続ける中で、海外の多くのフェンサー・役員・関係者と知り合いになれたことです。競技の場では勝敗を争う相手であっても、同じ車いすフェンシングに関わる仲間として、国を超えて仲良くなることができたのです。それは単に語学の力ではありません。言葉にたよらない、もっと強い絆を結ぶことができたのです。

この10年、がんばってくれた選手、そして全員を引っ張ってくれた監督(理事長)、目立たないところでしっかり支えてくれた多くの仲間、みんなに「ありがとう」と言いたい今日の私です。

これで、私たちの「暑い夏」は終了しました。それぞれがこの思い出を持って「次」に向かいます。

2008年9月14日日曜日

試合結果速報

日本時間12時15分:予選のプール戦通過しました。これでベスト16です。

北京滞在中の写真家清水一二さんからの速報です。四半世紀に渡って障害者スポーツを撮り続けているカメラマンです。朝日新聞の紙面によくお名前が出ています。カメラマン仲間としても小松監督と大の仲良し。今日は車いすフェンシング会場で声をからしてくださっているはずです。

日本時間15時15分:トーナメント戦初戦、ハンガリーの選手に15対6で敗退・・・ウーン世界は厳しいです・・・

明日のエペでの再奮起に期待します!

いよいよ試合当日です

北京パラリンピック車いすフェンシング競技フルーレの日です。明日はエペ。この両種目に久川選手出場します。

10日に北京入りしてからのできごとを、今回日本チームの監督・山本憲一氏がブログに詳しく記しています。昨日の車いす検査で相当混乱した様子。同じことを何度も経験した小松監督や私にとって、彼のいらだちや焦りが痛いほどわかります。やまけんの「青二才のくせに!」 ~覇道への軌跡~

彼は、ハンガリーで一人、フェンシング修行をしている若者です。2002年のブダペストで開催されたワールドカップ直前に、NHKラジオの「地球ラジオ」という番組でインタビューを受けていた彼のことを聞いて、NHKから連絡先を教えてもらい、車いすフェンシングの遠征に協力してほしいことを伝えました。

その時以来、ハンガリーでの大会はもちろんですが、ヨーロッパでの大会のアテンド、ハンガリーでの合宿など、車いすフェンシング競技に対しての彼の貢献度は年々増すばかり。殊に、昨年は三回のワールドカップに日本からヨーロッパに一人で「飛んだ」久川選手に全てアテンドしてくれたのです。

彼自身もオリンピックを目指していましたが、残念ながら、その夢は叶いませんでした。今回の日本選手団の一員としてのパラリンピック出場は、私たちの想像以上に感慨深いものであるようです。

本当に色んな出会いがありました。色んな人の力があったからこそ、車いすフェンシングは三回のパラリンピック出場を果たしたのです。

さてさて、日本時間午前10時半から予選が始まります。ドキドキ・・・・

PS:NHKが「車いすフェンシングの放映権が取れない状態です。申し訳ないのですが、とりあえず当日放送のためにスタンバイしてください」という連絡が小松監督の元に届きました。当初、放映の予定はなく、太田雄貴選手の銀メダルで急遽、車いすフェンシングを取り上げることにしたようです。ここにも「太田効果」が・・・

今晩のNHK12チャンネルの放送がどうなりますか。これもドキドキ・・・・

PS2:残念ですが・・・放送なくなりました。「放映権が取れませんでした」とNHKから連絡がありました。(11:00am)「ネクタイしめて、出かけようとしていたところだったのに」と小松監督。全国区になりそこねました。

2008年9月13日土曜日

庭の紫














我が家の庭の紫二つ

紫式部の実が色づいた・・・
調べてみるとこれは「小紫」とか

鳥が運んできたのは「藪蘭」でしょうか
ちょっと違うようにも思うのですが・・・

私の花に関する知恵袋:季節の花 300
見ているだけで楽しくなるページです

2008年9月12日金曜日

秋晴れの日に

9月12日、今朝の新聞の一面にはニューヨークの貿易センター跡地「グラウンド・ゼロ」近くで開かれた9・11追悼式の写真が掲載されています。

2001年9月11日朝8時半、バーモント州のバーリントンからシカゴへのフライトに乗り込み、まさに飛ぼうとしていた私でした。刻々伝えられる機長からのアナウンスは「貿易センタービル」や「ペンタゴン」ということばが出てきて、周りのアメリカ人も何があったのか、全く理解不可能という表情で聞いていました。最後のアナウンスは、「全米の空港が閉鎖され、今日一日はフライトは不可能となったので、飛行機から降りて欲しい」というものでした。何が何だかわからないまま、翌日のフライトに予約変更をし、丸一日の観光をするつもりで、レンタカーを借りました。

結局、そのレンタカーでシカゴまで約1200キロを走りきりました。クライアントと二人、運転を交代しながら、ただひたすらハイウェイを西に向かって走り続けました。

途中のサービスエリアのテレビ画面には、貿易センタービルが崩れ落ちる映像が何度も何度も繰り返し流れていました。「Just like a movie....」とつぶやく人、全く画面に興味を示さない人、トイレに駆け込む人。そこには普段のサービスエリアのにぎわいがありました。

おだやかな、本当にのどかな雰囲気の中西部の広大な大地をドライブする私には、ニューヨークやワシントンで起こったことの重大さを知ることはありませんでした。ラジオから聞こえる内容も、それが本当に意味するものには全く気がつかなかったのです。

あれから7年。今年も9・11の夜にウォールストリート街でコンサートが開かれると朝のニュースで伝えていました。テロの翌年2002年から毎年開催されるこのコンサート。中心になっているのは治子・スミスさんという日本の女性でした。「報復の心ではなく、9・11を通して、一人一人が平和のために今何ができるのかを考えてほしい」と語る治子さん、人のやさしさ、暖かさを心から信じている人なんですね。

毎年澄み渡った秋の空を見ると、あの日のドライブがよみがえります。決して忘れることのできないあの日のことを思い出します。

2008年9月11日木曜日

出発しました

10日午前10時の関空からのフライトでいざ北京パラリンピックへ・・・の久川選手、機体のトラブルで「飛べません」という連絡がありました。結局5時間遅れ、午後3時に無事出発しました。先月末から北京入りしている選手もいる中、14日の試合開始の4日前に現地入りするのは、ワールドカップや世界選手権に参加するのとほぼ同じペースです。

試合前には参加各国の監督が集まるミーティングがあり、ルールなどを再確認したり種々の注意事項が伝達されます。そして、選手が試合に使用する剣やマスク、ユニフォーム、競技用の車いすをチェックする「検査」が行われます。「武器検査」と呼ばれるこの検査、パラリンピックでは他の競技大会よりもチェックが厳しく、この検査に通らないと自分の用具が使えなくなるのですから、選手たちにとって大きな第一関門となるものです。

6日に開幕した北京パラリンピック。NHKの放送や新聞報道で、連日試合結果を見ていますが、日本選手団の成績はもう一つかんばしくないようです。クラス分けの見直しで条件が厳しくなった選手も多いようですが、全体の競技レベルが進歩していることも日本人選手苦戦の理由のようです。

メダル獲得数だけが目標ではありません。参加すること自体が大変な努力の結果であり、すばらしいのです。・・・ですが、やっぱり応援団は欲張りです。

メダル見せてくれたらうれしいな!!!ね、久川君

2008年9月9日火曜日

「すいません」

朝日新聞の朝刊を見て、「わー並んだ!」と思いました。

「相撲協会すいませんでした」
「北の湖理事長すいませんでした」
「間垣親方すいませんでした」
「日本の皆さんすいませんでした」

大麻所持で逮捕された元若ノ鵬の記者会見での発言です。

5,6年前、もらったメールに「すいませんでした」とあって、とてもひっかかった私でしたが、もう完全に「市民権」を得た表現となったようですね。

「済む」→「済み」(動詞の活用形)+否定の「ません」ですから、sumimasen と発音するはずですが、mが二回続くところが段々省略されて suimasenとなってきたようですね。言いやすい音に変化していくのは当然な流れなのでしょう。

私がひっかかることばの横綱格(?)の「着れる」のら抜き表現とは違う、単純な音声変化だとは思うのですが、話しことばでは聞き流せるのに、書きことばでは今も「ちょっと」ひっかかります。まだ流れに乗れていませんね。

日本という「外国」に来て日本語を覚えたロシア出身の元若ノ鵬が「すいません」という音でこの表現を身につけたのは、とても自然なことなのだろうな、そう思いました。日本語を自由にあやつれるまでになりながら、道を誤ってしまった力士のこれからに心が痛みます。

2008年9月8日月曜日

おどけた母

二週間に一度、病院でチェックをしていただく母です。
「はい、いいですね・・・」とお医者さまにいつも言っていただきます。
全く問題なしです。
どこも悪いところはありません。
現在93才です。

今朝、診察を終わってお薬を待っている時、
私が手にしていたスカーフを母の左肩にかけてみました。

「寒くない?」
「ううん・・・」

そう言った母は、ちょっと首をかしげておどけた顔をしました。
スカーフを左肩に斜めにかけて、「ちょっとおしゃれでしょ?」
そんな表情をしたのです。

照れてぺろっと舌を出したり、
気まずくなるとちょっと顔をしかめたり。
感情が何か動きに変わることの多かった母です。

無表情が続く母に、あんな「茶目っ気」が残っているのですね。
いつもはどこに眠っているのでしょうか・・・

2008年9月7日日曜日

秋海棠






庭のすみっこに咲いていました
秋海棠(しゅうかいどう)
晩夏から秋にかけて咲く花

ひっそりと秋の到来を教えてくれているようです
まだまだ日中は暑い京都です

2008年9月6日土曜日

変わるパラリンピック

「もはや障害者のスポーツ大会ではなく、アスリートたちの競技会なのです。オリンピックに何ら劣るものではありません。」

2000年のシドニーパラリンピックの時、IPC (International Paralympic Committee)の会長が会議の席で各国の関係者を前にして強調していたのを覚えています。

それから8年、今年の北京パラリンピックは障害の程度によって細かく分かれていた競技種目の大幅な見直しが行われたと聞きます。車いすフェンシングは大まかに言うと「腹筋力」のある・なしがクラスAとBの違いなのですが、陸上や水泳では、同じ100mでも障害別のクラスが多く、何人もの金メダリストが誕生することになります。

障害の程度は一人一人違うのですから、それを「公平に」クラス分けするのは大変です。どの競技でも、ボーダーライン上の選手にとって、障害が軽いクラスに入るのか、重いクラスに入るのかは成績に直結する問題です。

今回北京で実施される競技数は20。種目数は157。クラス数は472。オリンピックとは全く違うシステムになっていることがおわかりになると思います。(競技内容の説明は日本障害者スポーツ協会のページで・・・パラリンピック実施競技

毎日新聞で変わるパラリンピックという記事を見つけました。三回シリーズでパラリンピックの現状や問題点がまとめてあります。

今晩開会するパラリンピック。現場にいないとかえって気になることがあれこれでてきます。シドニーでもアテネでも頭の中は「車いすフェンシング」のことだけでいっぱいだっだのですが・・・

2008年9月5日金曜日

三度目のパラリンピック

日本車いすフェンシング協会が正式に発足したのは1998年4月。その年から本格的な海外遠征が始まりました。私が遠征にアテンドするようになったのもこの年からです。

今回のパラリンピック車いすフェンシング競技の代表久川豊昌選手と私は「同期の桜」です。二人とも初めての海外遠征が1998年5月の香港でした。この年は、7月にはドイツの世界選手権大会、そして10月には再度香港に久川選手と二人で出かけ、一週間の特別合宿を行いました。

2000年のシドニーパラリンピックに久川選手の出場が決定した時、小松監督を始め、関係者一同が「本当かな??」という受け止めかたでした。海外遠征を始めて2年足らずでパラリンピック出場・・・全く予想していなかったのです。

2004年のアテネパラリンピックは女子の谷萠子(たにともこ)選手と二人を派遣することができました。私自身、チームジャパンのユニフォームを着て、開会式で入場行進をしたのです。スタンドでなく、フィールドに自分自身がいることが信じられない経験でした。

そして今回の北京パラリンピック、久川選手にとって三回目の挑戦です。今までの全てをぶつけてほしい、納得できる試合をしてほしい。10日に北京に向けて出発する「同期の桜」に私はそう願っています。

アサヒ・コムに大きな記事が載りました。ご覧ください。
車いすフェンシング・久川豊昌

2008年9月4日木曜日

報奨金あれこれ

今回の北京パラリンピックでメダルを獲得した選手に初めて報奨金が出るとのこと。
   金メダル:100万円
   銀メダル: 70万円
   銅メダル: 50万円

オリンピックの報奨金とは少々差がありますよね。

各国のオリンピック報奨金の額を調べてみました。(“BLOGCHトピックス”より)

  カナダ  金メダル:2万ドル(約216万円)
        銀メダル:1万5千ドル(約162万円) 
        銅メダル:1万ドル(約108万円)

  ドイツ   金メダル:1.5万ユーロ(約243万円)

  ロシア  金メダル:5万ドル(約540万円) 
        銀メダル:3万ドル(約324万円) 
        銅メダル:2万ドル(約216万円)

  ギリシャ 金メダル:19万ユーロ(約3078万円)  
        銀メダル:13万ユーロ(約2106万円)
        銅メダル: 7万ユーロ(約1134万円)

  タイ    金メダル:1000万バーツ(約3200万円)
        銀メダル: 600万バーツ(約1900万円)
        銅メダル: 400万バーツ(約1300万円)
           過去にメダリストが大金を得て散財。一時苦境に陥った例も
           あることから
報奨金の半額を20年かけて毎月支給するという。

  シンガポール 金メダル:50万ユーロ(約8100万円)
           1960年のローマ大会以来メダルを獲得できていないので
           巨額の報奨金を
支給予定と発表

報奨金以外の特権として、インドでは金メダルを獲得した飛行機嫌いの選手に電車のフリーパス一生分が贈られ、ギリシャは引退後のメダリストに軍職員など公務員の仕事を用意する。地方自治体などから家、車が送られるロシア、韓国の金メダリストは7000万ウォン(約730万円)の一時金か、選手が亡くなるま で年金上限額の100万ウォン(約10万円)を毎月受け取るかを選ぶことができる。


アメリカはどうなのかな・・・中国は・・・と他にも気になる国はありますが、メダル獲得後にスポンサーがつくような国は、報奨金そのものの額はあまり高くないようです。

メダルを取ると人生が変わると言われます。それはどこの国であっても同じなのでしょう。報奨金の額を眺めていると、それぞれのお国柄が透けて見えてくるようです。

2008年9月3日水曜日

言葉のない世界

母が食事のあと、とても妙な顔をしました。
「しんどいの?」と聞くと、口元をもごもごさせるだけ。
口の中に食べたものが残っていて気持ち悪かったのです。

言葉で説明しない母です。
説明できなくなっているようです。
あれほど言葉に「うるさい」母でしたが・・・

人は年月をかけて言葉を学び、使い、そしてそれを忘れていく。
それが自然なのかもしれません。

人と人のつながりは言葉だけじゃないよ。
それを母は教えてくれているのかもしれません。

言葉のない世界、これも良し。

2008年9月2日火曜日

北京パラリンピック本番間近

2004年のアテネパラリンピックの日本選手団は全員羽田からのチャーター便でアテネ入りしました。空港到着後、100台を越す車いすに使用者本人を誘導して機外に出る作業が延々2時間もかかりました。大所帯の移動の大変さを感じたものでした。

6日に開会する北京パラリンピックはお隣さんでの開催・・・そんな雰囲気で、各競技団体が試合日程に応じて自由に北京入りが認められています。車いすフェンシング競技は後半の14・15・16日ですから、久川選手は10日に出発します。

昨日9月1日、日本選手団の入村式がありました。北京に到着済みの選手・役員が出席して、正式に日本パラリンピック選手団が選手村に入りました。

京都での合宿は今日が最終日となりました。高知県在住の久川選手は、明日高知に戻ります。この夏、ずっと久川選手の練習につきあってくれている、香港のFung Ying Kiさんも一緒に高知に移動して、最後の最後まで久川選手の調整の相手をしてくれます。日本での競技人口が少ない車いすフェンシング、元金メダリストの助っ人がどれほどありがたいことか・・・

パラリンピック選手を送り出す仲間全員の暑い(熱い)季節は今しばらく続きそうです。

2008年9月1日月曜日

夏と秋と


夏の花、のうぜんかずらに実がなりました
遅咲きの花もまだ次々に咲いています
夏と秋が同居する季節
9月のスタート