2008年9月5日金曜日

三度目のパラリンピック

日本車いすフェンシング協会が正式に発足したのは1998年4月。その年から本格的な海外遠征が始まりました。私が遠征にアテンドするようになったのもこの年からです。

今回のパラリンピック車いすフェンシング競技の代表久川豊昌選手と私は「同期の桜」です。二人とも初めての海外遠征が1998年5月の香港でした。この年は、7月にはドイツの世界選手権大会、そして10月には再度香港に久川選手と二人で出かけ、一週間の特別合宿を行いました。

2000年のシドニーパラリンピックに久川選手の出場が決定した時、小松監督を始め、関係者一同が「本当かな??」という受け止めかたでした。海外遠征を始めて2年足らずでパラリンピック出場・・・全く予想していなかったのです。

2004年のアテネパラリンピックは女子の谷萠子(たにともこ)選手と二人を派遣することができました。私自身、チームジャパンのユニフォームを着て、開会式で入場行進をしたのです。スタンドでなく、フィールドに自分自身がいることが信じられない経験でした。

そして今回の北京パラリンピック、久川選手にとって三回目の挑戦です。今までの全てをぶつけてほしい、納得できる試合をしてほしい。10日に北京に向けて出発する「同期の桜」に私はそう願っています。

アサヒ・コムに大きな記事が載りました。ご覧ください。
車いすフェンシング・久川豊昌

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