9月12日、今朝の新聞の一面にはニューヨークの貿易センター跡地「グラウンド・ゼロ」近くで開かれた9・11追悼式の写真が掲載されています。
2001年9月11日朝8時半、バーモント州のバーリントンからシカゴへのフライトに乗り込み、まさに飛ぼうとしていた私でした。刻々伝えられる機長からのアナウンスは「貿易センタービル」や「ペンタゴン」ということばが出てきて、周りのアメリカ人も何があったのか、全く理解不可能という表情で聞いていました。最後のアナウンスは、「全米の空港が閉鎖され、今日一日はフライトは不可能となったので、飛行機から降りて欲しい」というものでした。何が何だかわからないまま、翌日のフライトに予約変更をし、丸一日の観光をするつもりで、レンタカーを借りました。
結局、そのレンタカーでシカゴまで約1200キロを走りきりました。クライアントと二人、運転を交代しながら、ただひたすらハイウェイを西に向かって走り続けました。
途中のサービスエリアのテレビ画面には、貿易センタービルが崩れ落ちる映像が何度も何度も繰り返し流れていました。「Just like a movie....」とつぶやく人、全く画面に興味を示さない人、トイレに駆け込む人。そこには普段のサービスエリアのにぎわいがありました。
おだやかな、本当にのどかな雰囲気の中西部の広大な大地をドライブする私には、ニューヨークやワシントンで起こったことの重大さを知ることはありませんでした。ラジオから聞こえる内容も、それが本当に意味するものには全く気がつかなかったのです。
あれから7年。今年も9・11の夜にウォールストリート街でコンサートが開かれると朝のニュースで伝えていました。テロの翌年2002年から毎年開催されるこのコンサート。中心になっているのは治子・スミスさんという日本の女性でした。「報復の心ではなく、9・11を通して、一人一人が平和のために今何ができるのかを考えてほしい」と語る治子さん、人のやさしさ、暖かさを心から信じている人なんですね。
毎年澄み渡った秋の空を見ると、あの日のドライブがよみがえります。決して忘れることのできないあの日のことを思い出します。
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