我が家はこのところ「うるさい日々」が続いています。急にChuckがうるさくなったのではありません。選抜高校野球が始まって以来、ラジオが鳴りっぱなしだからです。
ラジオのスポーツ放送は、動きの全てを解説するわけですから、どうしてもアナウンサーの言葉が多くなります。それもチャンスにヒットが出たりすると、興奮した大声となりますから、一瞬戦況がどうなっているのか、わからないほど。じっと放送に耳を傾けているわけではなく、聞き流している私ですが、どこの学校が勝って、どこが負けたかはちゃんと把握しています。
高校野球はトーナメントですから、負ければおしまい。一つのエラーが負けにつながったり、一本のヒットで勝ちがころがりこんできたり。野球であれば、どんな試合でも同じ・・・と言えばそれまでなのですが、私にとっては高校生独特の必死さが魅力なんですね、きっと。
それに、アナウンサーもそうなのですが、解説の人のコメントが、とにかく「暖かい」のです。選手たちのがんばっているところ、いいところをいつもほめている のです。時々は苦言(くげん)もあるのですが、それも決していじわるなものではありません。 「こういうことを学んでほしい」という先輩の気持ちがあふれています。
ワイワイとうるさい放送もあと少し。
ラジオが鳴りっぱなしの日々が春と夏、年に二回。これも我が家の風物詩(ふうぶつし)・・・
2009年3月31日火曜日
2009年3月30日月曜日
身の納まり
今朝の朝日新聞「天声人語」で「身の納(おさ)まり」 というすてきな言葉を知りました。
随筆家の幸田文(あや)の文章に、「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない」と出入りの畳職人が言った、とあるそうです。
安らかな余生が「何もしない老後」という意味であるなら、ちょっと抵抗がある私ですが、人生の年輪を重ねてきた人が、その人らしく、しゃっきり生きている姿は、若者だけでなく同年齢の人にとっても魅力ある存在だと思います。
しかし天声人語では、今はこの「身の納まり」がつけにくい世の中であると指摘しています。どんなに元気であっても、経済的に安定していても、人は必ず誰かの手を借りる時期がくるはずです。京都新聞の連載「命ときめく日に」の中では、介護をする人のことを「つなぎびと」と呼んでいましたが、私達みんなが、この「つなぎびと」になんらかの形でお世話になる時期があるはずです。
「老後」まっただ中の人たちと同じく、この「つなぎびと」である、家族や介護従事者が現在の制度の中で翻弄(ほんろう)され、もがいているのが現実なのです。先日の群馬県での高齢者向け住宅での火災で、身よりのない方々が亡くなったことも、私達に現実の厳しさを教えているのだと思います。
私達一人一人が自分の老後を考えるとき、他者とのつながりの中で、どのように生きていきたいのか、それをしっかり自分に問う必要があるようです。「老後」という言葉に抵抗している私自身、この「老後」をいかに生きていくか、生きていきたいかを、もっとしっかり考えなくてはいけないと思いました。
天声人語は最後を以下のように結んでいます。
望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳のある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応(こた)えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。
随筆家の幸田文(あや)の文章に、「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない」と出入りの畳職人が言った、とあるそうです。
安らかな余生が「何もしない老後」という意味であるなら、ちょっと抵抗がある私ですが、人生の年輪を重ねてきた人が、その人らしく、しゃっきり生きている姿は、若者だけでなく同年齢の人にとっても魅力ある存在だと思います。
しかし天声人語では、今はこの「身の納まり」がつけにくい世の中であると指摘しています。どんなに元気であっても、経済的に安定していても、人は必ず誰かの手を借りる時期がくるはずです。京都新聞の連載「命ときめく日に」の中では、介護をする人のことを「つなぎびと」と呼んでいましたが、私達みんなが、この「つなぎびと」になんらかの形でお世話になる時期があるはずです。
「老後」まっただ中の人たちと同じく、この「つなぎびと」である、家族や介護従事者が現在の制度の中で翻弄(ほんろう)され、もがいているのが現実なのです。先日の群馬県での高齢者向け住宅での火災で、身よりのない方々が亡くなったことも、私達に現実の厳しさを教えているのだと思います。
私達一人一人が自分の老後を考えるとき、他者とのつながりの中で、どのように生きていきたいのか、それをしっかり自分に問う必要があるようです。「老後」という言葉に抵抗している私自身、この「老後」をいかに生きていくか、生きていきたいかを、もっとしっかり考えなくてはいけないと思いました。
天声人語は最後を以下のように結んでいます。
望むのは贅沢(ぜいたく)ではなく「尊厳のある老後」である。翻訳すれば「身の納まり」という、つつましい言葉にほかならない。それに応(こた)えるきめ細かい助けの網が、この社会にほしい。
2009年3月29日日曜日
2009年3月28日土曜日
息
2月27日の涙に続いて「漢字一文字(ひともじ)タイトルシリーズ」の第二弾。
息をしているから私達は「いきている」
息を整えることは、自分自身を整えること
息という漢字は「自(みずか)らの心」と書く
息を思いっきり吸い込むと身体がリラックスします。意識的であっても、無意識であっても、身体の中に酸素を一杯取り入れることで、私達はスッキリします。
「あくび」「深呼吸」そして「笑い」、この三つは、息を一杯取り入れるための大事な方法です。この三つが「きらい」という人は誰もいません。私達の身体にとって大事なことだから、その大切さをちゃんとわかっているのです。
一杯息を吸って、こころも身体もリラックスして、楽しいことを一杯探して毎日を過ごしていきたいものです。春の明るい太陽の下、身体が喜ぶことをやってみるのはいかがですか?
息をしているから私達は「いきている」
息を整えることは、自分自身を整えること
息という漢字は「自(みずか)らの心」と書く
息を思いっきり吸い込むと身体がリラックスします。意識的であっても、無意識であっても、身体の中に酸素を一杯取り入れることで、私達はスッキリします。
「あくび」「深呼吸」そして「笑い」、この三つは、息を一杯取り入れるための大事な方法です。この三つが「きらい」という人は誰もいません。私達の身体にとって大事なことだから、その大切さをちゃんとわかっているのです。
一杯息を吸って、こころも身体もリラックスして、楽しいことを一杯探して毎日を過ごしていきたいものです。春の明るい太陽の下、身体が喜ぶことをやってみるのはいかがですか?
2009年3月27日金曜日
イチローの壁
WBC:ワールドベースボールクラシック。二連覇しましたね。
最後はイチロー。さすがですね。・・・というより、今回の「大不調」を乗り越えた彼の姿が印象的でした。やはり「絵」になりますね。去年の7月30日、彼の3000本安打の日、記録達成したあとの、照れたような彼の顔を今でも思い出します。イチロー
優 勝のあと、NHKのラジオで「壁を乗り越えたイチローの精神力」について、専門家にコメントを聞いていました。夕食の準備をしていたので、しっかりは聞い ていなかったのですが、どんなに不調が続いていても、最後にあのようなヒットが打てるイチローは、「自分はできる」というイメージを最後まで持ち続けたの だろう、というようなことを言っていました。
「痛覚では感じられない痛みを感じた」と発言したイチローは、大不調が続く中、「折れそうになる心」を抱えながら、必死で自分を保とうとしていたのでしょう。これでもか、これでもか、と打てない打席が続く中での心情はいかばかりか、と思います。
前述の「心理学の専門家」は、「日本社会では、自信を持って発言する人の出鼻(でばな)をくじく傾向がある。たとえそれが、実現不可能な夢を語っているようであっても、もっと私達はその人を励ますようにしなければいけないと思う」というコメントをしていました。
「やれる」「できる」という気持ちがなければ、何事も絶対「できない」のは事実。その確信をどこまで持ち続けられるか、それが問われるのですね。イチローですら、想像できないほど追いつめられた状況で自分と戦い続けたのです。
もうダメかな・・・まだ大丈夫・・・でもやっぱりだめかな・・・もう少しがんばろう・・・
自問自答している人を見たら、「大丈夫、がんばってね」と声をかけたいと思います。もちろん、自分自身にも・・・
最後はイチロー。さすがですね。・・・というより、今回の「大不調」を乗り越えた彼の姿が印象的でした。やはり「絵」になりますね。去年の7月30日、彼の3000本安打の日、記録達成したあとの、照れたような彼の顔を今でも思い出します。イチロー
優 勝のあと、NHKのラジオで「壁を乗り越えたイチローの精神力」について、専門家にコメントを聞いていました。夕食の準備をしていたので、しっかりは聞い ていなかったのですが、どんなに不調が続いていても、最後にあのようなヒットが打てるイチローは、「自分はできる」というイメージを最後まで持ち続けたの だろう、というようなことを言っていました。
「痛覚では感じられない痛みを感じた」と発言したイチローは、大不調が続く中、「折れそうになる心」を抱えながら、必死で自分を保とうとしていたのでしょう。これでもか、これでもか、と打てない打席が続く中での心情はいかばかりか、と思います。
前述の「心理学の専門家」は、「日本社会では、自信を持って発言する人の出鼻(でばな)をくじく傾向がある。たとえそれが、実現不可能な夢を語っているようであっても、もっと私達はその人を励ますようにしなければいけないと思う」というコメントをしていました。
「やれる」「できる」という気持ちがなければ、何事も絶対「できない」のは事実。その確信をどこまで持ち続けられるか、それが問われるのですね。イチローですら、想像できないほど追いつめられた状況で自分と戦い続けたのです。
もうダメかな・・・まだ大丈夫・・・でもやっぱりだめかな・・・もう少しがんばろう・・・
自問自答している人を見たら、「大丈夫、がんばってね」と声をかけたいと思います。もちろん、自分自身にも・・・
2009年3月26日木曜日
2009年3月25日水曜日
ゆっくりね・・・
1月19日、Chuckの早XXで、Chuckがリビングで走り回る時の「おとしもの」について書きました。ケージの中でのウンチとシッコを確認してから「外」に出してはいるのですが、まだ「おとしもの」を見つけることが・・・
先代のクッキーは、自分のトイレがあれば、よそのお家でもどこでも、全く失敗のない犬でした。エサとトイレと一緒に気楽にどこにでも預けられる犬でした。人なつっこさも天下一品でしたから、「預かりたい」希望者は事欠かず・・・
比べてはいけないのは充分わかっていたつもりでしたが、Chuckの「おとしもの」に関しては「いつまで失敗するの!」と少々いらついていました。
久しぶりにトリマーさんと電話でおしゃべりした時、「クッキーを目標にしてはChuckがかわいそうですよ。メスとオスの違いも大きいですからね。」と言われました。そして「長い目で見てくださいね」というアドバイス。
そうなんですよね。わかってはいるのですが、ついつい「またやったな!」と声を荒げてしまうのです。子育てと全く同じ「子犬育て」。あわてないことがまず第一。再度、肝に銘じることにしましょう。
「メスとは違う楽しさがオスにはありますよ。それを楽しんでくださいね。」
動きが速いChuckに負けないように、私もがんばろうっと!
先代のクッキーは、自分のトイレがあれば、よそのお家でもどこでも、全く失敗のない犬でした。エサとトイレと一緒に気楽にどこにでも預けられる犬でした。人なつっこさも天下一品でしたから、「預かりたい」希望者は事欠かず・・・
比べてはいけないのは充分わかっていたつもりでしたが、Chuckの「おとしもの」に関しては「いつまで失敗するの!」と少々いらついていました。
久しぶりにトリマーさんと電話でおしゃべりした時、「クッキーを目標にしてはChuckがかわいそうですよ。メスとオスの違いも大きいですからね。」と言われました。そして「長い目で見てくださいね」というアドバイス。
そうなんですよね。わかってはいるのですが、ついつい「またやったな!」と声を荒げてしまうのです。子育てと全く同じ「子犬育て」。あわてないことがまず第一。再度、肝に銘じることにしましょう。
「メスとは違う楽しさがオスにはありますよ。それを楽しんでくださいね。」
動きが速いChuckに負けないように、私もがんばろうっと!
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