2011年7月26日火曜日

「あやまる」こと

いつの頃からでしょうか。企業や組織の不祥事が起こったあと、記者会見で、幹部たちが一斉に頭を下げている写真が増えてきたのは・・・

大きなミスを起こして、社会的な影響が及ぶとき、当然「謝罪」は必要です。でも、単に頭を下げる写真だけでは、何か「上っ滑り」(うわっすべり)な感じがするのは、私だけでしょうか。

世界の多くの国では、自分のミスを認める前に、まず自分を弁護する理由をあげることが多く、それに比べて、日本人はあっさりと「ごめんなさい」と言う、と以前に聞いたことがありました。「あやまる」ことが簡単に行われている。大きな社会組織であっても、まずあやまってから、というところなのでしょうか。

普段の生活で人間関係を円滑にすすめるためには、「ごめんなさい」はとても大切です。ですが、自分の都合が悪くなった時に、単に「ごめんなさい」と、表面上あやまって逃げてしまっていては、全く謝罪の意味がありません。

このところ、菅首相の「謝罪」が続きます。「首相、公約甘さ陳謝」という新聞の見出しがありました。一国の首相として、「おかしい」と思った時にあやまるのは大切ですが、「その次」はもっと大切なはずです。あやまったあと、そこからどうするのか。どんな解決策を考えているのか、はっきり明示しないといけません。

「潔さ」(いさぎよさ)を良しとする日本人ですが、潔くあやまるなら、それからの対応も含めて、より明白な「潔さ」を示してほしいものです。

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