2010年11月24日水曜日

わが家のもみじ

朝陽を浴びたわが家のもみじ
今年はあまり赤くならず黄金色(こがねいろ)

一枝だけ赤いはっぱがありました。

2010年11月23日火曜日

エアーマットレス


10 日ほど前から、ベッドの上で寝返りがうてなくなった母。先週の木曜日、訪問看護師さんが仙骨のあたりが「褥瘡」(じょくそう・床ずれ)らしき状態になって いるのを発見。さっそくケアマネージャーさんに連絡して、マットレスをエアーマットに変更してもらうお願いをしました。

そして、その日の夕方、さっそくいつもの介護用品業者さんが新しいマットを届けてくれました。

まず、母を寝たままの状態で、マットレスごと床に降ろし、ベッドの上で、エアーマットのセッティング。それが終わると、4人がかりで、シーツごと母をベッドの上にのせました。

小さな山が並んでいるようなエアーマット。ベッドの足元に取り付けたコントローラー(写真)が必要硬さを調節してくれます。山のあちこちが動くので、からだの同じところに力がかからなくなるのです。使い始めて2,3日で、褥瘡部分の黒みが減ってきたのには驚きです。

介護保険が使えるからこそ、体調に合わせたマットレスを気軽に交換して使うことができます。これを購入しようとすると、軽く10万円を越えます。

介護保険の利用料が払えなくて介護が利用できない世帯が多くある、と先日のニュースで言っていました。2年後の介護保険見直しで、保険料が上がることもありそうです。でも、それが介護現場で働く人たちのお給料上昇に直結するのかはあやしいもの。

色んな問題を抱える介護保険。ですが、現在の母の場合は、今必要なものを全て利用できるのですから、何ともありがたい状況です。

自動で高さや角度が変更できるベッド、多量の尿をもらさないおしめなど、今は当たり前のように使っていますが、このような便利なものがなかった時代、寝たきりの人の介護の大変さはいかばかりか、と思います。





2010年11月22日月曜日

「ストーリー」大募集

いつもの散歩道で先日みかけた「しらさぎ」と「ごいさぎ」
三枚目は数日後、同じ川で

みなさん、
この三枚から「ストーリー」を作ってみませんか?
写真使用は順不同です

2010年11月21日日曜日

天声人語 #2

天声人語 2010年11月16日(火)

連勝を続けていた白鵬(はくほう)が九州場所二日目、15日の取り組みで稀勢の里(きせのさと)に破れて、双葉山(ふたばやま)の69連勝に並ぶ夢がついえた「大事件」。翌日16日の朝日新聞の「天声人語」、まずは読んでみてください。

この天声人語、文章の書き方のお手本として、いつも読んでいます。限られた字数の中での、起承転結(きしょうてんけつ)の見事さもあって、どんなにバタバタした朝でも、これだけは読んでいます。

この16日の白鵬の連勝がストップした翌日の文章は、15日の夜にまとめられたはずです。「その時」がいつかくるかもしれないとして、資料を準備していたのでしょうが、著者は朝刊の締め切りに間に合うように書き上げたはずです。

双葉山の負けた日のエピソードに始まって、三年かけて成し遂げた69連勝と、一年でその記録に並ぼうとする連勝中の白鵬の気持ちを書き、負けた後の白鵬へのエールで文章が締めくくられています。「うまい!」と思って、再度音読してしまった私です。

「失意泰然(しついたいぜん)の白星を重ねるなら、ある意味、雲の上の先人を越えることになろう。振り出しに立つ横綱の、きょうの一番に注目する」と結ばれた文章。白鵬はその期待通り、再度白星を並べています。

日本人以上に日本人のこころを理解した横綱と言われるモンゴル出身の白鵬。彼の魅力を改めて教えてくれた天声人語でした。


ちょうど一年前に書いた天声人語のブログです
けやき便り: 天声人語

2010年11月20日土曜日

11月のバラ

もうすぐ霜がやってきます
11月のバラがちょっとこごえながら咲いています





春にいただいた「アンネのバラ」も一つだけ咲いていました
けやき便り: アンネのバラ

2010年11月19日金曜日

Over the Rainbow

雨の気配もないのに、北の空に虹を発見
追いかけていったら、アーチができていました
あの向こうには何があるののでしょうか
天国への入り口でしょうか・・・

2010年11月18日木曜日

多田富雄氏 #2

「寡黙なる巨人」(寡黙:かもく・・口数が少ない)

脳梗塞(のうこうそく)発症後、多田富雄氏が不自由な中でコンピューターを使って書き続けた著作です。突然の脳梗塞、臨死体験、その後のからだのこと、こころのこと、一文字一文字に想いを込めて綴っていかれたものです。

「元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺(ぼうさつ)され、そんなことは忘れていただけだ。発作はその延長線上にあった。

それが死線を越えた今では、生きることに精一杯だ。もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心がある。体は回復しないが、生命は回復しているという思いが私にはある。いや、体だって、生死を彷徨(さまよ)っていたころに比べれば少しはよくなっている。」

歩けない、声が出せない、飲み込めない・・・できないことだらけで死ぬことばかりを考えていた時期があり、それを通り過ぎると・・・

「でもこうして生きながらえると、もう死のことなど思わない。苦しみがすでに日常のものとなっているから、黙ってつき合わざると得ないのだ。時には『ああ、難儀なことよ』と落ち込むことがあるが、そんなことでくよくよしても何の役にもたたないことくらいわかっている。」

冴 (さ)えわたる頭が残り、冷静に自分の今を書きつづった本の前半。後半には折々のエッセイが掲載されています。そこには、頭で考えるだけでなく、感じるこ との大切さ、特に「美」に対する感性の豊かさが記されています。著名な免疫学者としてではなく、能の作者でもあり、美術・音楽全てを人生の友としてきた多 田氏の美意識があふれています。

小さな文庫本の中にこめられた、偉大な人生の先達(せんだつ)のことば。寝る前にゆっくりゆっくり読み進んだ本でした。

2010年4月22日けやき便り: 多田富雄氏