2009年9月7日月曜日

リビングコンサート

休日の夕方、NHKハイビジョンでリビングコンサートを楽しみました。
小澤征爾(おざわせいじ)指揮のサイトウ・キネン・オーケストラ の生演奏でした。
曲目はブラームス交響曲第二番




クレシェンドで最高潮に達した第四楽章。

会場のブラボーの声を聞きながら、小澤氏は次々に団員と握手をしました。
ほぼ全員と握手が終わったあとに、みんな揃って立ち上がって会場に挨拶です。



10分以上鳴りやまない拍手・・・でもアンコールはなし。
和(なご)やかな雰囲気の団員が3度舞台に登場して挨拶。

素晴らしい演奏を団員みんなが満足している表情がすてきでした。

あちこちにピアノのイスがあるのがおもしろいですね。
写真はテレビ画面より。

2009年9月6日日曜日

初めての休日

無事最初の5日間の勤務が終わりました。静かな「初めての休日」です。ラジオからはモーツアルトのピアノソナタが流れています。小さい頃、お稽古で弾いたものばかり。朝のChuckのボール投げも終了。Chuckは一人で庭を散策中。

新しい職場で、完全にゼロからのスタートでした。9月1日が初日。前半の3日は私の入社で退職なさる男性、後半の2日はこれからもご一緒に仕事をする男性、それぞれからの「特訓」を受けました。

入居者一人一人のニーズが全く違うのですから、複雑なパズルを毎日やっているような仕事内容です。外出や外泊で日々食事の数が変更になったりします。外部からの電話もチンプンカンプンのものばかり。「新人」はただただ戸惑うばかり・・・

入居者の名前、ヘルパーさんの名前がすっと口から出るようになったのは、やっと昨日の土曜日のことです。まだまだ先は長い・・・実感です。

朝8時15分、前日からの当直の人から引き継ぎを受けてから、夕方の5時(人によっては7時)に当日の当直の人が来るまで、お昼の休憩も食事時間のみ。オフィス担当の私だけでなく、ヘルパーさんたちも、晩の配膳前に少しお茶とおしゃべりの時間が取れるぐらいで、一日中、目まぐるしく動き回っています。

介護の現場はどこも少ない人手で目一杯働いているのが現状です。「一人が倒れたら回っていかない」。そんなことばも現実味を帯びています。その中で、チームとして、お互いに助け合いながらがんばっているヘルパーさんたち。まだたった5日だけですが、その働きぶりには頭が下がります。

隣の病院にいる母とは、昼の食事の行き帰りに顔を見るぐらい。通りすがりに声をかけると「なんでここにいるの?」との返事。たくさんの人に囲まれた生活再開一ヶ月。随分ことばが多くなったようです。いつものように食欲旺盛。淡々と生活しています。

2009年9月5日土曜日

ぼーる遊び #2

ボールにこんなに近づいているのに、気がつかないChuck
本当に見えていないの????

高速Chuck、速いですよ!

動き回ったのでちょっともよおしてしまいました
   失礼・・・・

吠えることもなく「淡々と」ボールを追いかけるChuck
私の出勤前に最適な、朝の運動

2009年9月4日金曜日

金大中氏

韓国の政治家として波乱の生涯を閉じた金大中(キムデジュン)氏。在日韓国人で現在東京大学教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏の追悼の文章を読みました。

日本語を話す世代の一人として、自分たちが生きている時代に日本との和解を進めることが大切だと言った金大中氏。北朝鮮に向けた「太陽政策」は、日本に対しても向けられていたのです。

投獄・軟禁・国外追放・・・不遇と困難を経験しつくした金大中氏は、「歴史と勝負する」こと、つまり「目の前の利益ではなく、自らが歴史にどう評価されるのか」、それを政治家としての決断の基準に置いて人だったのです。

単 に自国のことだけや北朝鮮との関係を考えるのではなく、東アジア共同体の必要性を説き、安定した平和なアジアを目指していました。真の民主主義を目標とし た金大中氏の死亡を継起(けいき)に、北朝鮮側からのアプローチが出てきたのも、今までの彼の種まきの成果なのでしょう。

不屈の精神の政 治家であるだけでなく、金大中氏は敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、愛妻家としても知られていました。「私は生涯を通じて異性を本当に愛したことが ない人には魅力を感じない」というこのことば。「愛」のすばらしさを知り、大きく広がる「愛」の持つ力をこころから信じていた政治家だったのでは、と思い ます。

国葬では金大中氏の「政敵」であった全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領がVIP席に座り、金大中氏の死を悼(いた)んだ姿があったそうです。

波瀾万丈(はらんばんじょう)の生涯を終えたこの一人の政治家のことをもっと知りたいと思うようになった私です。

2009年9月3日木曜日

二日目終了

9月1日から新しい職場へ。今まで「新しい場面」を年齢相応に(それ以上に)あれこれ経験してきたはずの私。でも今回の初日の疲れ方は尋常(じんじょう)ではありませんでした。

6時前に帰宅して、おなかはぺこぺこだったのですが、食事の用意をすぐする気持ちになれず。買い置きの小さなおまんじゅうを一気に3つ食べていた私です。極度の疲労(肉体的+精神的)を感じると、これほど甘いものが欲しくなるとは思いませんでした。

台 所を片づけるともうトロトロ・・・お風呂には入りましたが、朦朧(もうろう)としてベッドに倒れ込みました。でも・・・11時すぎに目が開いてから、どうして も眠れず。本を読んだり、ラジオのスイッチを入れたり・・・ちょっと歩いてみたり、お香を焚(た)いたり。でもダメでした。

寝不足での二日目。でもこの職場は「夜勤明け」の人との引き継ぎから朝の仕事が始まるのですから、眠いなんてことは言えません。

そして不思議にも、眠気をそれほど感じないままに二日目が終了。自分自身でも信じられないこと。

仕事の慣れは「3日3月3年」とアドバイスしてくれた友人がいます。3日目が終わると、もっと楽になるのでしょうか。今日の夕方が楽しみです。

最初の「就職報告」でした。

2009年9月2日水曜日

夕焼け






夕焼けが大好きな私
階段の壁にも夕焼けの写真をペタペタ

どこにいても夕焼けが気になるのです

なぜでしょうか・・・

一日が終わって、ほっとする、そんな気分なのでしょうか
明日もいい日であれば・・・そう思うからでしょうか
日の出はなかなか見られないから、夕焼けが好きなのでしょうか

「ほぼ日」でも夕焼けシリーズ発見
ほぼ日刊イトイ新聞 - 日本縦断、夕焼けマップ!

2009年9月1日火曜日

ブログの効用

去年の4月、本当に何気なく初めた「けやき便り」。「外」とのつながりが少なく在宅で母を介護した日々、ブログのネタを探しは私自身の世間を見る目を養っ てくれたように思います。短い文章の中に考えをまとめる作業は、いい頭の訓練となりました。そして何よりも、「読んでいるよ」と言って下さる方々との「つ ながる」感覚が私の大きな支えでした。

日本のブロガーの数は、今年の1月末で2695万人だそうです。海外ではブログの広告クリックで生計を立てる人もいます。「仕事」としてブログを書く人もいます。自分の趣味を発信しているうちに、その道のプロになった人もいます。

新 聞で見つけたあるブロガーは74歳の女性。ご主人が亡くなったあと、一人の生活を心配するこども達に、4年前からほぼ毎日夕食の写真とその日にあったこと などを掲載したページを届けているとか。いつでもどこからでも「お母さん」の様子がわかるので、こども達への安心感のプレゼントとなるブログ。アメリカに 住む次男から「日本食をうらやむ書き込み」があったり、ブログを見てくれた人との交流が始まっているとのこと。

そして何よりの効用はご自身の健康管理につながっていることだそうです。毎日、何を食べようか考え、それを写真に撮り、文章を書く。一人暮らしでも、「読者」とのおしゃべりができるのです。

何百人、何千人、何万人・・・の読者はいらないけれど、ブログを通してこころが通いあっているって、すてきなことですね。

今日から生活が「激変」する私です。これからも自然体で、おしゃべりを続けていきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします!


PS: 下書きをしておいた今日の原稿ですが、さすがに初出勤の朝はアップする余裕はありませんでした。「無事」初日が終わって帰宅。Chuckもケージの中でおとなしかったようです。