2011年9月3日土曜日

博士号


「博士号とかけて、足の裏に付いた米粒ととく」
そのココロは・・・
「取らないと気になるが、取っても食えない」

大学院生の間で有名なジョークだというこの記事を切り抜いたのは2009年5月のこと。何となく「気になって」ずっと残してありました。

国の政策で大学院に進学する人が増え、博士の数も大幅に増えたけれど、この記事が書かれた当時の就職率は6割どまり。「ワーキングプア」の博士も珍しくないとも。

先日、この「大学院重点化」についての新聞記事をまた目にしました。1991年から国立大学で実施された改革だったのがわかりました。それ以降、私立大学も大学院の定員増が続いているとのことです。

各種国際機関に多額の資金を拠出している日本は、それぞれの組織(国連や世界銀行など)での職員枠を多く持っていて、就職を希望する学生も少なくない、が、採用条件が修士号取得の者、となっているので、受験できない日本人が多かった。それが上記の改革の理由なのだそうです。

「大学院重点化」の開始以来20年が経過し、大量生産された博士たちは空前の就職難に陥っているとか。大学または企業で終身雇用の職に就ける博士は三分の一、任期付き研究職に就ける博士は三分の一、残り三分の一は「行方不明」という調査報告があるのです。

企業が博士を雇いたがらないのは、博士が過度に「専門家」しているのが理由だそうです。日本の大学受験のシステムでは、学部受験の時から「専門」を明確にしていますから、それを長い場合、九年も続けて勉強した博士たちは、「高年齢」「視野が狭い」「即戦力にはならない」などの理由で、企業に受け入れられにくくなっているのが現実だそうです。

アメリカの教育システムを基準とした、国際機関の採用条件は、大学の学部レベルで「教養課程」(リベラルアーツ)を学ぶことを前提とし、その上の専門知識を、少なくとも修士レベルまで学んでいることを要求しているのです。

根本的な教育システムが違う日本で、大学院だけを「手直し」した結果が、就職できない博士の大量生産となったのです。

教育の大切さを思う時、多くの人の長年の努力が将来に結びつかない現実を知って、唖然となりました。これからの日本を支える人たちが「足の裏に付いた米粒」になってはいけないのです。

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