2010年12月26日日曜日

自宅で看取るということ

私の祖母、母の母は40年前に90歳で亡くなりました。母も長寿の遺伝子をしっかりもらっていたようです。祖母は少しずつ「ぼけ」が進んでいましたが、ゆっくり動いて自分のことはほぼ自分でやっていました。

旅立ちの最後の一ヶ月だけ、寝たきりになりました。いつものお医者さまに往診していただいて、家族そろって介護をしていました。当時の私は少し手を出すだけでしたが・・・

祖母の旅立ちも静かなものでした。その50年も前に亡くなった祖父と同じ日に天国に行きました。とても穏やかな死でした。

「在宅で死を看取るのがこわい、と思う人が多い」とケアマネから聞きました。人は「知らない」ことをこわく思うものですが、私は祖母の死の記憶から、在宅で母を看取ることに対しての恐怖はほとんどありませんでした。

そして、2004年の先代プードル、クッキーの最期も、私にとって大きな経験でした。最後の一ヶ月、えさを口にしなくなり、やせ細っていきました。でも、トイレには自分で行こうと、旅立つ前日まで必死で歩いていました。一緒に寝ていたクッキーのからだが冷たいのを感じたのは、朝のことでした。何事もなく、彼女の旅立ちも静かなものでした。

犬と人間を比べるのはおかしいかもしれません。ただ、年を取り、亡くなるのに、人間も動物である以上、同じなんだという気持ちが強い私です。

自然であればあるほど、その最期は静かです。ここ半年、お薬を全てやめ、口から入る食事と飲み物だけで過ごした母。その生命力が終わる時がきて、静かに天国に召されたのです。

色々な死の形はあると思います。でも看取る人が無用な恐怖を持つことなく、死は全ての人に100%訪れる自然なことだと理解すれば、自宅での看取りに踏み切れる人が増えるのでは、と思います。

一人一人が自分自身のこととして、死を見つめること、「メメントモリ」(死を覚えよ)ということばを改めて思います。

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