2009年12月5日土曜日

千葉敦子

「体調悪化し原稿書けなくなりました。多分また入院です。申しわけありません。」(ニューヨーク時間1987年7月7日午前11時11分発信)

千葉敦子さんの最後の本、『死への準備日記』の最後の文章です。

20年以上前に亡くなったこのフリージャーナリストの本を私は何冊読んだことでしょうか。1985年に亡くなった父の最後の闘病時期、自分の乳ガンを公(おおやけ)にして、闘病そのものを克明に書きつづった彼女の本は、20年以上前の日本では希有(けう)の存在でした。

「社 会派」ジャーナリストの彼女は、豊富な取材経験を通して、辛辣(しんらつ)なことばで世の中をバッサバッサと切り裂くような激しさがありました。日本につ いて書いた本「ちょっとおかしいぞ日本人」は、アメリカから戻った直後の私が感じることを、ズバズバ書いてあって、とても心地よかったのを覚えています。

自 分自身にも厳しい人でした。ガン告知がまだ一般的でなかった当時、自分で納得できる医療を求めて、ガンの再々発後、一人でニューヨークに住まいを移したの です。友人達に支えられ、自分らしさを保ちながらの生活は、当時の「朝日ジャーナル」に連載されていました。その最後の文章が冒頭のものです。

毎朝、花瓶を取り替えて、新しい装いにした花を部屋に欠かさなかった彼女です。最後まで自分に厳しく、そしてやさしく生き抜いた人です。

日本の社会に新しい「死」の概念を提示した人だった、彼女の死を継起(けいき)にして、日本で「死」について語ることがタブーでなくなった、そう言われています。

自分の闘病をブログで公開していた歌手の川村カオリさん。今年の7月に乳ガンで亡くなった彼女のブログへの反応が8千を超えたというという新聞記事を読み、千葉敦子さんの生きた時代から確実に変わってきた日本を感じました。

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