2011年10月21日金曜日

ギリシャの青空

2004年9月17日から28日まで開催されたアテネパラリンピック。日本選手団の通訳として参加しました。「本業」は車いすフェンシングの渉外担当です。試合が全て終わったあと、通訳の仕事の合間にパルテノン神殿に出かけました。

山の上にある神殿。坂道を車いすが上がるのは大変なこと。サポーターも必死に後ろから押しました。断崖絶壁に取り付けられた仮設のエレベーター。車いす一台と介助者一人が乗れるだけの大きさ。ガタガタ揺れながら、城壁を上がりました。

そのパルテノン神殿が望める国会議事堂の前が群衆で埋まっている写真が新聞に掲載されました。「ギリシャ危機」の解決策として計画されている政府の緊縮策に反対する12万人の人々です。膨大な借金が返済できないギリシャを救済するために、EU諸国の努力が続きます。ギリシャに対しての要求が強くなるのは当然のことです。ですが、人民にとっては、暮らしが厳しくなる現状に納得できない、その気持ちも痛いほど理解できます。

100年ぶりのオリンピック開催はギリシャにとって、大きな挑戦だったと思います。人口が一千万と少しの小国ギリシャが201の国や地域が参加する大会を開催するために、多額の国債を発行していきました。2001年以降、EU加盟国として通貨ユーロを使用するようになり、その大きな信用をバックに、ドンドン発行された国債です。

前政権はこの「借金」の総額を隠していたようですが、2009年の政権交代で、それが明るみに出て、一気にギリシャ経済は不安定になりました。いまや、EU存続、そのものをも危なくしかねない「火だね」になっています。

2004年当時、ギリシャの物価は驚くほど高く、オリンピック・パラリンピック目当ての料金であるのは理解できるとしても、街の中で気楽に食事できる場所を探すのが大変でした。新しく作った選手村は、交通の便が悪く、ダウンタウンに出るにはバスや電車を乗り継いで2時間近くかかる場所でした。将来はニュータウンになる、と言われていましたが、あの場所で、はたして現在、人が住んでいるのでしょうか?

外国に移住を考えている若い人が増えていると新聞にありました。富裕層は自分のお金を海外の銀行に移しているとも書いてありました。朝日川柳で見つけた一句:「オリンピア 聖地に雑草 茂る危機」とならないことを祈ります。

ギリシャの青空を思い出します。英語がとっても上手なボランティアたちのことを思い出します。今回の「ギリシャ危機」、目が離せない私です。

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