2010年4月30日金曜日
2010年4月29日木曜日
介護の中で・・・
介護の形はそれぞれ違っていて、同じ人の介護であっても、その時々の状況によって変化する。その当たり前のことを十分にわかっているのに、日々の介護生活 の中で、自分のやっていることに自信が持てなくなる・・・
特に、動きが少なくなった母に対して、だんだん手抜きになる介護に、「これでい いのかしら」と思うことしきり。
プロの看護師さん、ヘルパーさんの対応から、学ぶことは一杯。でもそのままを実行することはなかなか無 理。「プロと家族は違う」。それは頭ではわかっているけれど、できない自分を責めているのも事実。
2007年に在宅看護を始めた時、すで に認知症の母とは「普通の」会話はできませんでした。感情のぶつかり合いは多々あったけれど、あることに対して、お互いにどう思うか、そんな会話は不可能 でした。以前ならすぐにあれこれ疑問をぶつけて会話していた母でしたが・・・
気に入らないことにはただ感情でぶつかってくる母に対して、 娘は抵抗します。言い返すのですが、すれ違いばかりで、これまた空しいことに。
今はそれも全くありません。ただただ、じっと私を見つめる 母です。あまりにも見つめるので、自分の視線を泳がせてしまう私です。不快な表情の理由を尋ねても、返事は全くありません。私の想像力が試されています。
今年の大宅壮一(おおやそういち)ノンフィクション賞を受賞した、川口有美子さんの「逝(い)かない身体 ALS的日常を生きる」。4月27日の京都新聞の「オピニオン」欄に柳田邦男氏がこの本について書かれていました。
この本は、神経の難病であるALS: 筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)のお母様を12年にわたって介護した記録です。そのうちの7 年間は全く本人の意思表示ができない状況(TLS)での介護だったとか。
話すことができなくなったALSの患者さんは、筋肉の反応で、イエ ス・ノーを表したり、50音の一つ一つを示して表現ができるのです。しかし、TLS状態(「閉じこめ症候群」)になると、全身の筋肉が全く動かないため に、本人は耳も聞こえ、目も見え、思考力も働いているけれど、意思表示の手段がなくなってしまう、というのです。
柳田氏は、この本の中 で、著者の川口さんの大きな二つの「気づき」を書いています。長くなりますが、そのまま引用します。
・たとえ沈黙したままの身体であって も、毎日豊かな語りかけをしてきて、介護者の思考を促(うなが)すのだということ。そういう中で、母の身体が「あなたたちと一緒にいたいから生きている」 と伝えるために無限の時間を求めていることに気づいたのだ。新たな身体観だ。
・人間が「生きる意味」は基本的には本人が見いだすべきもの であっても、TLSのような特殊な状況下では、愛する他者によって見いだされ得るものであり、その気づきが介護者に介護の意味を自覚させ、介護の日々を心豊かにさえするのだということ。
あるがままの日常の中で、何を考え、何を学ぶのか。介護の中で考えます。
特に、動きが少なくなった母に対して、だんだん手抜きになる介護に、「これでい いのかしら」と思うことしきり。
プロの看護師さん、ヘルパーさんの対応から、学ぶことは一杯。でもそのままを実行することはなかなか無 理。「プロと家族は違う」。それは頭ではわかっているけれど、できない自分を責めているのも事実。
2007年に在宅看護を始めた時、すで に認知症の母とは「普通の」会話はできませんでした。感情のぶつかり合いは多々あったけれど、あることに対して、お互いにどう思うか、そんな会話は不可能 でした。以前ならすぐにあれこれ疑問をぶつけて会話していた母でしたが・・・
気に入らないことにはただ感情でぶつかってくる母に対して、 娘は抵抗します。言い返すのですが、すれ違いばかりで、これまた空しいことに。
今はそれも全くありません。ただただ、じっと私を見つめる 母です。あまりにも見つめるので、自分の視線を泳がせてしまう私です。不快な表情の理由を尋ねても、返事は全くありません。私の想像力が試されています。
今年の大宅壮一(おおやそういち)ノンフィクション賞を受賞した、川口有美子さんの「逝(い)かない身体 ALS的日常を生きる」。4月27日の京都新聞の「オピニオン」欄に柳田邦男氏がこの本について書かれていました。
この本は、神経の難病であるALS: 筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)のお母様を12年にわたって介護した記録です。そのうちの7 年間は全く本人の意思表示ができない状況(TLS)での介護だったとか。
話すことができなくなったALSの患者さんは、筋肉の反応で、イエ ス・ノーを表したり、50音の一つ一つを示して表現ができるのです。しかし、TLS状態(「閉じこめ症候群」)になると、全身の筋肉が全く動かないため に、本人は耳も聞こえ、目も見え、思考力も働いているけれど、意思表示の手段がなくなってしまう、というのです。
柳田氏は、この本の中 で、著者の川口さんの大きな二つの「気づき」を書いています。長くなりますが、そのまま引用します。
・たとえ沈黙したままの身体であって も、毎日豊かな語りかけをしてきて、介護者の思考を促(うなが)すのだということ。そういう中で、母の身体が「あなたたちと一緒にいたいから生きている」 と伝えるために無限の時間を求めていることに気づいたのだ。新たな身体観だ。
・人間が「生きる意味」は基本的には本人が見いだすべきもの であっても、TLSのような特殊な状況下では、愛する他者によって見いだされ得るものであり、その気づきが介護者に介護の意味を自覚させ、介護の日々を心豊かにさえするのだということ。
あるがままの日常の中で、何を考え、何を学ぶのか。介護の中で考えます。
2010年4月28日水曜日
2010年4月27日火曜日
桜餅
2010年4月26日月曜日
そろりそろり・・・
先週、何となくおかしかったのですが・・・
土曜日あたりから本格的な腰痛再発
「前回よりはまし!」と自分に言い聞かせています
昨日は、月2回身体を「調整」してもらっている日、ラッキー!
運転はもちろんできませんが、ちゃんと送ってもらえました、ラッキー!
今朝は、いつもの「ヘルパーさん」、さっそく登場、ラッキー!
介護は一人ではできません
ネットワークに感謝です
しばらくゆっくりして早く直そうっと!
土曜日あたりから本格的な腰痛再発
「前回よりはまし!」と自分に言い聞かせています
昨日は、月2回身体を「調整」してもらっている日、ラッキー!
運転はもちろんできませんが、ちゃんと送ってもらえました、ラッキー!
今朝は、いつもの「ヘルパーさん」、さっそく登場、ラッキー!
介護は一人ではできません
ネットワークに感謝です
しばらくゆっくりして早く直そうっと!
2010年4月25日日曜日
Take your time.
ごゆっくり・・・という意味の Take your time.
急がなくていいよ、と相手に言えるっていいですね
こちら の気持ちがゆったりしていればこそ
介護の日々、このことばが大事なのは百も承知
こちらのペースでなく、母のペースをまず 考える・・・
これが難しい、本当に・・・
急がなくていいよ、と相手に言えるっていいですね
こちら の気持ちがゆったりしていればこそ
介護の日々、このことばが大事なのは百も承知
こちらのペースでなく、母のペースをまず 考える・・・
これが難しい、本当に・・・
2010年4月24日土曜日
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