2016年3月7日月曜日

初女さんのことば


八十歳をすぎてからは、「死に対してどう思いますか」という質問を
ちょこちょこと受けますが、特別に準備などしていません。

病気になったり、からだが不自由になったりしたときのために、
どうすべきかという仕度もしていません。

というのも、
今刻まれるこの一刻一刻がもう死に近づいているのだから、
今を生きることが、
もう死の準備になっているという気持ちが大きいんですよ。

今を歓びとともに大切に過ごしていくことが
明日になり、また過去にもなる。
それがいちばんストレートな考えではないかと思っています。


2月6日のブログに書いた佐藤初女さんのことば
著書をパラパラとめくっている時に出会いました



2016年3月6日日曜日

志村ふくみ展覧会

何年前だったでしょうか。祇園の小さな美術館、志村ふくみさんの展覧会に行きました。エレベーターを降りた時、正面に展示されていた茜(あかね)の赤い無地の着物に目が釘付けになりました。両側に並んだ他の色の無地の着物を従えたようなその存在に、その場にしばらく立ち尽くしていたことを思い出します。


京都国立近代美術館で開催中の志村ふくみ ―母衣(ぼろ)への回帰―へ行ってきました。

今回も無地の着物が並んでいました。四季に分けられた「小裂帖」(こぎれちょう:織物の残り裂を集めたもの)の小さな布も十分な存在感。年齢を重ねた後の作品のモダンなこと。草木染めの穏やかな色調にこころがなごみます。志村さんに染色を教えた実母小野豊(とよ)さんの着物や、親交を重ねた「民芸」の作家達(黒田辰秋、富本憲吉)の作品もありました。

花が咲くの前に切られた桜の枝は淡いピンクの色を出す、と以前志村さんの本で読んだことがあります。季節を感じながら、草や木の命を色に移し替えていく作業。志村さんの全てが表現されている作品たちに圧倒された展覧会でした。

2016年3月5日土曜日

私の梅




シャッターを押すだけの私の写真
今年の梅も少々・・・植物園で

2016年3月4日金曜日

UNHCR

国連難民高等弁務官事務所UNHCRで働く日本人のドキュメンタリー。シリアからの難民をそれぞれの持ち場で支える日本人スタッフたち。

冬の地中海をトルコから渡ってきた人たちを、ギリシャのレスボス島で迎える女性職員。一人一人に気を配り、「大丈夫ですからね」とことばをかけます。

シリアの爆撃の煙が遠くに見えるヨルダンのキャンプ。たどり着いた人たちを迎える女性職員。どんな時でも笑顔で話しかけることを心がけているとか。

ヨルダンの首都アンマンまでたどり着いても、職につけず、UNHCRの支援金のみで生活している家族。生活の見通しが立たず、戦火の続くシリアに戻るという家族を説得しようとする女性職員。

難民の第三国定住の可能性を探って、各国と連絡を取る女性職員。緊急手術が必要な女の子をデンマークが引き受ける様子も。カナダへの第三国定住が決まった家族。シリアに残った両親に電話でそれを伝える男性は、ただただ涙。新しい人生に踏み出せるシリア難民はヨルダンに逃げた人の中のたった1%。

UNHCRの職員として、難民の命を救うだけでなく、子ども達に教育の機会を与え、将来祖国再建の人材となるようにしたいというコメント。「祖国」という感覚がとても甘い日本人。世界の現場に立つ彼女達は難民の問題を「他人事」ではなく自分のこととして捉え、日々奮闘していました。


2016年3月3日木曜日

春の雪

 3月1日 朝 窓の外を見てびっくり!

きゅ〜んと冷えた朝
雪はサラサラ

ビオラにも白いおふとん

お昼過ぎの比叡山 
雲が忙しく南に流れていきました

2016年3月2日水曜日

哲学の木

北海道、美瑛町にある哲学の木が切り倒されたという新聞記事。

なだらかな丘陵が続く美しい光景で知られる美瑛町。数年前に訪れて、他にはないその風景にただただシャッターを押し続けた私。

・・・ですが、私のような観光客がドンドン増え、外国人も含めて、畑の中に踏み込んでしまう現状に、とうとう「哲学の木」の持ち主は伐採を決めたのだそうです。

その土地にある自然の風景が観光客を引きつけ、観光資源となったとしても、そこに住む人たちに迷惑がかかってしまうのは本末転倒。

ガイドブックを片手に、あちこちの美瑛の「名所」を動き回った私自身、無礼な観光客の一人だったな、と改めて反省。

長年丘の上に枝を広げていた木を切ることにした持ち主の心中を思います。



2016年3月1日火曜日

プロの写真(梅)





久しぶりにプロの写真掲載です

車いすフェンシング監督小松真一氏
「本当は」プロの写真家
このところカメラを手にすることがほとんどなし

主宰する写真サークルの集まりを京都御所の梅林で

穏やかな春の陽気の日曜日
好きな写真が写せて嬉しそうな「監督」でした