2012年7月7日土曜日

アフガン支援

7月8日に東京でアフガニスタン支援の国際会議が開催されるというニュースをラジオで耳にしました。2009年にアフガニスタン復興資金に50億ドル(約4450億円)の拠出を決定している日本が音頭取りをして開かれる会議だそうです。アメリカ軍の撤退のあとの治安確保と復興支援を論じる場です。

ところで、四半世紀にわたってアフガニスタンで、医療支援に始まった援助活動を続けていらっしゃる中村哲医師をご存じでしょうか?その中村医師を支えるペシャワール会のことはご存じですか?

先月、中村医師の講演会を聞き、新しい本を手に入れて、今まで以上に中村医師の活動に感銘を受けた私です。

ソビエトのアフガン侵攻が続いていた1984年に初めて医療団の一員としてアフガニスタンに赴任した中村医師。地道な医療活動が続いていく中、2000年夏以降の異常なな旱魃(かんばつ)と2001年の同時多発テロに発した、アメリカ軍の攻撃。食料支援から井戸掘り支援、そして用水路建設によって難民になった人たちが帰還できる環境を整え、生活の再構築を支えて続けているのです。中村医師の活動はペシャワール会への寄付でまかなわれています。多くの日本人の善意が支えているのです。

用水路建設にかかった費用は約16億円。広大な農地を生み出し、人々の暮しを取り戻した費用です。

現地の人の考え方、やり方を尊重し、決して考え方を押しつけることなく、現地の人が今後も整備できるような形で造成された用水路。柳が植えられ、その根がしっかりと堤を守るまでに成長しています。

中村医師の活動に共鳴したノンフィクション作家の澤地久枝(さわちひさえ)さんが、中村医師のインタビューをまとめられた本の題名は「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る:アフガンとの約束」 。

汚職が蔓延(まんえん)し、支援金によって人々の間に格差が生まれているアフガニスタン。日本として、日本人として、本当の支援は何なのか、中村医師の活動を詳しく学ぶにつけて、深く考えるところです。

2012年7月6日金曜日

半夏生の頃

夏至から数えて11日目からの五日間は半夏生(はんげしょう)
以前はこの時期までに田植えを済ませる習わしだったとか
 ご近所のたんぼ、稲がずいぶんしっかりしてきました



 
ここ20年、ずっとたんぼになっていた場所、今年は雑草が・・・
田植えをする人がどうかなさったのでしょうか・・・
別のたんぼでみつけた羽化途中のとんぼ、二ひきも同時に見つけました!

2012年7月5日木曜日

ヒッグス粒子


「万物の質量の源」とされるヒッグス粒子、ついに発見されたというニュース。「わかりやすくビデオにまとめました」というNHKの昨日の夜9時のニュース・・・でも、よくわかりませんでした・・・

物質の存在の基礎となる、とっても「すごい」発見だそうです。

今朝のラジオの解説では、この発見はすぐに何に役に立つというものではないけれど、このような基礎の基礎の発見は100年後、何かに役に立っているかもしれません、とのこと。

素粒子という微細な存在が大きな、大きな夢をかなえたようです。


2012年7月4日水曜日

無断使用禁止



「無断使用禁止」とは、許可なく使ってはいけませんという意味、ですよね
「許可」を受けている・・・とは思えないのですが
この場所にぴったりだったから、なんですね、きっと
密告ではありませんが、ご近所のホームセンターにて

2012年7月3日火曜日

スタンディングオベーション

「ベルリンフィル 12人のチェリストたち」 開演前、12の椅子が並んでいます。ベルリンフィルのチェロ奏者12人のコンサート。

チェロという楽器を知りつくした作曲家や編曲家による「12人のチェリスト」のための曲の数々。 メンバーは入れ替わりながら、今年結成40周年。最高のテクニックを駆使した演奏は、チェロだけとは思えない豊かな音色、まるでフルオーケストラ。

メロディックな曲から拍子がコロコロ変わる現代曲も。プログラムの後半はタンゴやビートルズなど、ポピュラーな曲の組み合わせ。

舞台右上の好きな席で、演者を間近に見て楽しんだ私。アンコールの二曲目、ピンクパンサーが終わって、席を立ったのですが、ロビーのモニターで、チェリストたちが再度座ったのを見て後ろのドアからあわてて会場に飛び込みました。

正面奥で最後に聞いたのは「荒城の月」。哀愁に満ちたメロディーがホール全体を包みました。 プログラムの曲が終わったところから、拍手は会場全体に響き渡っていましたが、荒城の月のあとは聴衆全員の「スタンディングオベーション」。京都コンサートホールがあんなに沸いたのは初めての経験。体中でチェロを堪能した夜でした。


PS: YouTubeで 「Die 12 Cellisten」を検索してみてください。色んな動画がアップされています。


2012年7月2日月曜日

旅立ち

 アメリカ在住の娘の犬、15歳のシータが旅立ちました
私が始めてシータを見たのは、まだ1歳にもなっていないおちびさんでした
一緒に育った猫のジャックとコロコロじゃれ合っていました

運動能力抜群で、外で走り回るのが大好きだったシータ
良質のドッグフードだけを食べさせていた娘の「健康管理」は万全でした

一週間の最期の看取りの時間を過ごした娘
涙の中、ことばに満足感があふれていました

現在息子の家に住んでいるジャック
シータの旅立ちの時間
いつもと違ってケージの中でじっとしていたとか

シータ、たくさんの楽しい時間、ありがとうね!

2012年7月1日日曜日

独善報告書

「僕たちはやることはやったよ。もちろん甘かったかもしれないけれど。横からちょっかいを出してきたのが、じゃまだったんだ」

東京電力の福島第一原発事故最終報告書が出されたあと、朝日新聞では社説、天声人語、投書など、全てで東京電力という会社の体質を疑う意見が飛び交っていました。「自己弁護」「責任転嫁」というような表現がある中で、「独占が書かせた独善報告書」という川柳がずばりと本質を突いているように思います。

同じ日の紙面にはアメリカの原発監視を行う原子力規制委員会(NRC)の検査官の仕事ぶりが紹介されていました。一つの原子力発電所に原則2人の検査官が駐在し、「いつでも、どこでも、予告なしに作業が見られる」状態にあるのだそうです。一般の従業員では立ち入りできない中央制御室や使用済み燃料プールにも自由に出入りできるとか。

この検査官になるには、まず7週間の訓練を受け、原子炉制御盤シミュレーター操作をマスターして、実際の運転員の作業を完全に理解し、その後の1年の現場訓練を経て受ける試験に合格しなければなりません。

方や、日本の検査官は電力会社の作る検査書類の審査が主な業務なのだそうです。安全を守る基本的考え方が全く違っているのを感じます。

独占企業とそれを許す監視体制、それはとりもなおさず、私達一人一人の気づきのなさの結果だったのだと思います。