2009年12月7日月曜日

お寺のことば #2

去年の12月14日にご紹介したお寺のことば
折に触れてメモしたものが随分たまってきました。
短いことばの中に深い意味を感じるものばかりです。


幸せは私が私のままでいる場所があるということ


人生は失敗八分
成功二分


人は幸せを見るのが下手
人は不幸を見るのが上手


人は幸福には鈍感だが
不幸には敏感である


周囲ばかりを気にしていると
自分を見失う
まず自分の足元を


待つ間の遅さ
過ぎゆく時の速さ
生きる 今


浅い水は音をたてて流れ
深い水は静かに流れる


お役に立たぬ身も
まわりにお礼を言う仕事がある


人間として一番つらいことは
人の善意にそむくことである


仏が見ている
神が見ている

2009年12月6日日曜日

Tokyo Nobody

東京の街に人がいない・・・そんな風景を集めた写真集

TOKYO NOBODY 中野正貴

早朝の撮影ではなく、どんな時間に人通りが少なくなるのか、それを前もってしっかり調査をし、人がいなくなる一瞬をじっと待ち続けて撮影したとのこと。

撮影後、写真を隅から隅までチェックして、人が一人でも写っているとその写真はボツ。窓際に人がいてもダメ。こだわり続けた撮影だったようです。

人が一杯いるのが当たり前の東京。

不思議な空間が生まれています。



中野正貴 MASATAKA NAKANO - アートアンリミテッド -

2009年12月5日土曜日

千葉敦子

「体調悪化し原稿書けなくなりました。多分また入院です。申しわけありません。」(ニューヨーク時間1987年7月7日午前11時11分発信)

千葉敦子さんの最後の本、『死への準備日記』の最後の文章です。

20年以上前に亡くなったこのフリージャーナリストの本を私は何冊読んだことでしょうか。1985年に亡くなった父の最後の闘病時期、自分の乳ガンを公(おおやけ)にして、闘病そのものを克明に書きつづった彼女の本は、20年以上前の日本では希有(けう)の存在でした。

「社 会派」ジャーナリストの彼女は、豊富な取材経験を通して、辛辣(しんらつ)なことばで世の中をバッサバッサと切り裂くような激しさがありました。日本につ いて書いた本「ちょっとおかしいぞ日本人」は、アメリカから戻った直後の私が感じることを、ズバズバ書いてあって、とても心地よかったのを覚えています。

自 分自身にも厳しい人でした。ガン告知がまだ一般的でなかった当時、自分で納得できる医療を求めて、ガンの再々発後、一人でニューヨークに住まいを移したの です。友人達に支えられ、自分らしさを保ちながらの生活は、当時の「朝日ジャーナル」に連載されていました。その最後の文章が冒頭のものです。

毎朝、花瓶を取り替えて、新しい装いにした花を部屋に欠かさなかった彼女です。最後まで自分に厳しく、そしてやさしく生き抜いた人です。

日本の社会に新しい「死」の概念を提示した人だった、彼女の死を継起(けいき)にして、日本で「死」について語ることがタブーでなくなった、そう言われています。

自分の闘病をブログで公開していた歌手の川村カオリさん。今年の7月に乳ガンで亡くなった彼女のブログへの反応が8千を超えたというという新聞記事を読み、千葉敦子さんの生きた時代から確実に変わってきた日本を感じました。

2009年12月4日金曜日

胡蝶蘭

胡蝶蘭3鉢  玄関に並びました
友人のお知り合いのお店への開店祝い
                   ・・・そのおすそ分け

こんなゴージャスな玄関、初めて!
           どこかにおすそ分けしないと・・・


2009年12月3日木曜日

これ、大好き!














リビングに洗濯物発見!

ちょっと遊ばせてね

ホリホリ、カシャカシャ・・・

ずっと置いといてよね!!!

by Chuck

2009年12月2日水曜日

3日、3週間、3ヶ月・・・

9月に現在の仕事をスタートしてから11月末で丸3ヶ月が過ぎました。私の人生にとって、「記念すべき」3ヶ月だったように思います。全くのゼロからのスタート。介護の現場の怒濤の日々に押し流されそうになって、必死で泳いでいたような・・・(泳ぐのは苦手な私ですが)、もがいていた、というのが本当のところです。

新しい仕事を始めて、3日、3週間、3ヶ月が「辞めたくなる節目」だと言われますが、とにかく三つ目の節目はクリアしました。

この3ヶ月、初対面のスタッフ、入居者、それぞれの人との人間関係を作っていくのが最大の仕事だったと思います。そして、それが少しずつですが、自分にとって納得できるものになりつつあるからこそ、3ヶ月の節目が迎えられたようです。

事務所にじっとしていなければならない現在の仕事。それが一番「辛い」と思っていたのですが、12月1日付で、新しいスタッフが病院から移動してくることになりました。これからは、あちこちをウロウロする時間が作れそうです。それがとても楽しみな私です。もっと入居者の方々との時間を作りたい。それが私にとって大きな勉強となるはずです。

「こうなってほしいな・・・」と思っていたことが、想像以上に早く実現しそうです。大きな流れの中でオファーをいただいた今回の仕事。やるべきこともちゃんと与えられています。素直に、あるがままにこれからもやっていきたい。節目を越えた今、改めて思います。

2009年12月1日火曜日

負け越し続き

先日、新聞のスポーツ欄の片隅におもしろい記事を見つけました。

大相撲の番付に名前が載(の)ってから歴代ワーストの38場所連続負け越し中だった力士がやっと勝ち越しを決めたというのです。一年に6場所ですから、38場所というのは、6年を越える年月です。ずっと負け越しですから、当然、番付は一番下の「序の口」です。

力士の名前は森麗(もりうらら)。場所前に、負け続けた競馬のハルウララ に似た「しこ名」に改名。その効果があったのか、やっと九州場所で初めての勝ち越しを決めたというのです。

なんだか冗談のような記事ですが、本人も親方も「まじめ」に考えた改名だったのでしょうね。6年以上、くじけることなく相撲を取り続けたこと、それだけでもすごいと思います。

横綱の白鵬の全勝優勝で終わった九州場所。同じ相撲の世界にも、色々な生き方があるものですね。