2018年2月3日土曜日

BeingとDoing

BeingとDoing、この二つは私にとっての大きな関心事でした。母の介護をしている時、母のそのままのBeingを受け入れなきゃ、と悪戦苦闘していたことを思い出します。古いブログにもその頃の奮闘ぶり(?)を記しています。2009年2月8日

新聞記事でBeingとDoingの新しい定義に出会いました。

人間を表す英語のHuman Being。Human Doingということばも存在するというのです。感情や好き嫌いはBeingの受け持ち。それに対してDoingは行為を表す表現として、行為の結果の人間の実績や肩書き、資格、収入などを表している。

Doingを重視する現代社会は、男性が中心になって作ってきた社会で、あいまいな感情や生理的感覚を軽視する傾向にあり、Beingとしての感受性が豊かな女性にとって馴染みにくいものなのだそうです。

BeingとDoingを「ありのままでいること」と「何かをすること」と単純に考えていた私にとって、社会におけるBeingとDoingの意味を改めて考えさせられた記事でした。




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