2017年2月27日月曜日

銀メダル


車いすフェンシング今年最初の海外遠征、ハンガリーワールドカップ、櫻井杏理選手がエペ個人戦で銀メダルを獲得。日本の車いすフェンシングにとって、1999年にタイのフェスピック(現在のアジアパラ)で谷萠子選手が優勝して以来の快挙となりました。

夜中にふと目が覚めて、ヘッドコーチのLINEでの実況報告におつきあいして、櫻井選手の準優勝をほぼオンタイムで知った私。誰かに報告したいけれど、時間は午前2時過ぎ。ちょっと興奮して寝にくい状態で朝を迎え、東京出張中の監督に報告。JPC(日本パラリンピック委員会)の会合の日に最新の試合結果の報告ができました。

櫻井選手との出会いは、2014年の秋。京都のパタゴニアの店で軽快に車いすを操作しながら働いていた彼女に「何かスポーツしていらっしゃいますか?」と声をかけた私。日本車いすフェンシング協会事務局長としてでなく、ふっと「その気」になって誘った、そんな感じでした。

それからの2年半、全てが順調にいったのではありません。練習相手が少ない日本の車いすフェンシング。練習環境整備もまだまだ、という中で、彼女自身もあれこれ迷う日々が続きました。

選手の数も次第に増え、女子としては唯一海外遠征を行うメンバーとして、男子選手に交じっての練習をこなしていきました。車いすフェンシングの選手として企業に採用されて生活も安定しました。

銀メダルを取った翌朝、私のスマホにメッセージが入りました。「おかげさまでメダルを取ることができました。決勝戦のぼろ負けはショックです。気持ちを切り替えてフルーレを戦います」

銀メダルを取ったことに浮かれるのでなく、敗戦の悔しさを次につなげようとしていた彼女。「世界の車いすフェンサーたちに、オッと言わせる成長を見せつけて欲しい」と言っていた私は、それを達成した彼女におめでとうと感謝のメッセージを返しました。

日本に帰国後、新人フェンサーたちに自分から気楽に声をかけられるようになっている彼女です。一皮向けた・・・のでしょうね、きっと。仲間のことに気を配りながら、自分をより高めていけるアスリートへ。これからもっともっと大きくなってくれることを期待しています。


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