2016年5月8日日曜日

宝子(たからご)

水俣病が公式に確認されたと記されるのは1956年(昭和31年)5月1日。60年前のこと。人生の大きな区切りとなる還暦を迎える年月が過ぎた。多くの患者が亡くなっている中、72歳と68歳の姉夫婦とヘルパーによる介護を受けている62歳の女性。30年ほど前に両親が亡くなってからは笑顔も消え、病状が悪化したという。

「この子は宝子(たからご)ですたい」と水俣病の少女の母親は、「お母さんも大変でしょう」と問われた時に答えたという。自分の体内の水銀を全て吸い取ってくれた大恩人であり、一人の子どもの世話に追われる日々、その子の下に生まれた6人のきょうだいたちには症状が出ず、互いに助け合う優しい子どもに育ってくれたから、というのがその理由。

このエピソードを「折々のことば」で見たあとのこと。この子の父親にマスコミ関係者が「お金が入るから宝子ですか」と尋ねたことを特集記事の中で読んで、胸が締め付けられた私。

不知火(しらぬい)の海に流れた水銀がこの60年にどこまで広がったのか、それは今も解明されていないという。「奇病とされた当初から、水俣病ほど偏見と差別、誹謗(ひぼう)と中傷にまみれてきた公害病もない」という文章。自分の、家族の健康、そして命を奪われたとしても、それ故に世間から排斥されてきた人たちの日々、60年の時間の長さ。

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