2010年10月7日木曜日

No.173

手元に懐かしい父の字で記入された私の「眼球登録票」があります。昭和40年の日付になっていますから、1965年1月に父が申し込んだものです。アイバ ンクが日本で最初に設立されたのが1963年。1964年6月に認可された、このカードの登録病院、京都府立医科大学付属病院の眼球登録票の私の番号が 173番とまだ「若い」のもうなずけます。

私の祖母、母の母が亡くなったのは1969年12月。病院の先生が角膜摘出のためにわが家にいらしたのを覚えています。遺体に一礼なさって、処置が終わるまで、時間はとても短かったという記憶があります。義眼が入りましたから、祖母の顔は何の変化もありませんでした。

90歳の高齢で亡くなった祖母の角膜が、その後二人の方に移植されているはずです。移植によって祖母の角膜は、一人の人間の生きながらえる時間よりもずっと長く活かされたことになります。

臓器移植は、命の最終ラインをどこで引くかという大きな問題があります。私自身、まだまだ臓器移植に対しては納得しきれないものを感じています。ですが、角膜移植は死後の連絡で摘出・移植が可能です。

ずっと以前に住んでいた住所が記された登録票を発見して、改めて登録しなおそうと思いました。でも番号、No.173はこのままであってほしいと思います。

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