2011年12月7日水曜日

12月の南天


お花の手みやげ、一番うれしいプレゼント
いつもの「美山」のお花です

新聞にくるまれた大きな枝ものと南天の陰に
ひっそりとお花が入っていました

こんなに立派な南天を今、出荷してもいいのかしら
お正月用はまだ残っているのでしょうか

いつもながら、
気前のいい「美山のおばさんたち」の姿が目に浮かびます

2011年12月6日火曜日

「ふくしま」からの声

おとといのブログで書いた、12月3日開催の三元中継:Talk In: Fukushimaの再生。

福島県飯舘村(いいたてむら)の菅野宗夫(かんのむねお)さんから、直接お話を伺うことができました。菅野さんと、ふくしま再生の会がつながり、その発起人の一人である田尾陽一さんが、私が関係しているGlobal Voices from Japanの実行委員長であるというご縁から、東京と京都の留学生たちが集まることになったのです。

菅野さんのお話の要点です:

・飯舘村は福島県北部、面積230平方キロ、その75%が森林。太平洋からは30キロ。福島第一原発からは30~50キロの地域。

・村民6300人、1800世帯であったが、避難後は世帯数が約2800となる。菅野さんのお宅も、息子さんの家族(孫2人)と別居になる。

・計画的避難地域になり、あちこちに分散した避難所で住民の3割が生活。借り上げ住宅やアパートで7割が生活。

・3・11当初は、原発の近くの住民が飯舘村に避難してきた。原発事故よる汚染の詳細は何も知らされなかった。

・地震や津波は地球が「生きている」から起こってくること。人は、それに対応する知恵を積み重ねて今後も暮らしていかなければならない。それに対して、原発事故は人間が作り出した科学技術が引き起こしたもの。本来なら、事故が起こったとしても、それをコントロールできる技術がなければ、使ってはいけないものであった。

・国による除染作業がやっとスタートしたところ。今後、この作業の進み具合によって復興への道のりが決まる。

・村民の中には、もう地元には戻れないと考え始めている人も出てきた。まだ「どん底」にも達していないのかもしれない。光は全く見えない。

・しかし、たとえ現在、放射線量が高い状態であっても、まだ村をあきらめたくはない。世界の知恵を全て集めて、村を再生していきたい。

・原発事故は単に、福島だけの問題、日本だけの問題ではない。地球に住む全ての人が共有すべき課題である。今後、決して風化させてはいけない。


菅野さんから現在の深刻な状況を伺うと、村民の方々の絶望感が伝わってくるようでした。そんな中、菅野さんの冷静な見事に整理されたお話は、当時者だからこそ伝えられる力があふれていました。最後に菅野さんがこうおっしゃいました。

「今日はありがとうございました。お話ができて、私のストレスが随分解消されました。また次のTalk Inで、飯舘村がどうなっているのか、私の考えがどう変わっているのかを、お話したいと思います」。

夕方、東京の担当者が菅野さんにお礼の電話をしました。その折のコメントです。

「世界の方々が、福島の問題を自分達の問題として考えてくれてることを実感できて、本当にうれしかった。ぜひ、皆さんに来ていただきたいです」。


離れて住む私たち、これからも飯舘村を、そして多くの大震災の被災地にこころを馳(は)せていかなくてはいけません。


飯舘村に関しての色々なサイト、ぜひご覧ください。

河北新報ニュース 「村へ帰る」信じ除染/農業・菅野宗夫さん=福島県飯舘村

住民と留学生、ネット討論 福島・飯舘と東京、京都結ぶ (河北新報)

土井敏邦Webコラム:日々の雑感 221:飯舘村・NHKドキュメンタリーの底力

「Talk In: Fukushimaの再生」のUSTREAMです。動画サイトがうまく貼り付けられません。このURLを反転、右クリックで表示します。
http ://www.ustream.tv/channel/talk-in-fukushima

2011年12月5日月曜日

2011年12月4日日曜日

三元中継

福島原発事故で全村計画的避難区域となった福島県飯舘村(いいたてむら)。住人の菅野宗夫(かんのむねお)さんのお宅、東京の工学院大学と京都の立命館大学、三カ所をSkype(スカイプ)でつないだ、三元中継を実施。ビデオ会議のように、それぞれの画像を見ながら、お話を聞いたり、発言したりしました。

前日に入念なリハーサルをしたのですが、3日当日、飯舘村では、東京と京都の画像を見ることができませんでした。理由はわかりませんが、雨が強く降っていたのが原因かもしれません。Skypeの画像が止まることがあるので、ネット上で動画生中継ができるUSTREAM(ユーストリーム)でバックアップ。飯舘村からの画像を、東京と京都の会場で無事に見ることができました。

どんなしくみで、何をどうすれば、この三元中継が可能になるのか、私自身は全くお手上げです(Skypeで相手一人なら、どうにか使えますが)。立命館の担当者と、私たちの仲間(二人ともITはしっかりわかる世代です)のサポートで、コンピューター操作もトラブルなく進行しました。

世界中、どこでもこのような中継は可能になった現代です。居ながらにして、情報を共有できます。今回、3月11日以降の飯舘村の出来事を、当事者の菅野さんから、直接お話を伺うことができました。(詳細は後日)。

最初、接続に少々手間取って、3時間以上になった三元中継。飯舘村の司会者が番組を締めくくる挨拶をすると、東京・京都、それぞれの会場から大きな拍手がおこりました。密度の濃い3時間でした。

2011年12月3日土曜日

葉っぱ#4

11月12日
葉っぱ#4が伸びてきました


15日、16日
日に日に大きくなります


19日、20日
#4は成長が早い

29日
すっかり一人前の葉っぱになりました


10月14日にアップしたモンステラの葉っぱ#3
けやき便り: やっと開いた!

#4は約20日で一人前に

最初は葉っぱは2枚だった小さな鉢
頭でっかちなモンテラとなりました
どうやらわが家の台所がお気に入りの様子

2011年12月2日金曜日

2011年12月1日木曜日

のっぴきならない状況

1999年5月、ウィーンに住んでいる高校時代のクラスメートを訪ねました。
地図を見ながら、一人で街を歩いていた時、銀行のウィンドウに見慣れないお札がありました。「ユーロ札」を見た、それが最初でした。

2002年から通貨として流通し始めたユーロ。私が車いすフェンシングや仕事でヨーロッパによく出かけていた頃、1ユーロが150円近くにまで上昇し、「何でも高いヨーロッパ」と強く感じたものでした。ですが、国境を越えても、お金を両替しなくてもいいのですから、旅行者にとって、とても便利だったのも事実です。

ヨーロッパ統合の象徴だったユーロが揺れています。統合そのものもなにやら基盤が危なくなってきています。ギリシャ、イタリア、スペインと財政危機が伝えられているだけでなく、それをサポートする立場のフランスやドイツでも国債が売れなくなったり、格付けが下げられたり、ヨーロッパ全体が不安定になってきています。

ラジオでも経済学者が、今のヨーロッパは「のっぴきならない状況」だと言っているのを聞きました。「一つのヨーロッパ」構想は、「一つの世界」への入り口だったはずです。のっぴきならない状況、つまり「進退きわまった」状況が、何とか上手な解決策に行き着いてほしいものです。素人には難しすぎるテーマですが・・・