2010年3月7日日曜日

女子ラグビー

女子がラグビーをするのですね。偶然こんな記事を見つけました。

ラグビーU23女子代表、司令塔はモデル風20歳

男らしさを象徴するようなスポーツがラグビーだと思っていました。ラグビー大好き人間だった母がこれを知ったら、何と言うのかしら・・・聞いてみたいです。多分「あら、やだ!」と言うはずです。結構、固定観念の強い人ですから。

2016年、ブラジル・リオデジャネイロで開かれるオリンピックで7人制ラグビーが正式種目になるそうですから、世界レベルでは女子ラグビーが当たり前になっているようです。

女子ラグビーフットボール連盟JWRFのホームページを見てみると、トップページには「ラグビーをこよなく愛する団体として、底辺拡大・強化などなど・・・色々な活動をおこなっています」とあります。マイナーだからこその熱気が感じられます。

偶然ですが、昨日の朝日新聞の夕刊にも、日本女子プロ野球リーグが4月からスタートするという写真入りの大きな記事がありました。日本女子プロ野球機構

サッカーのなでしこジャパンも男子をしのぐ活躍ぶり。冬季オリンピックも女子ジャンプが種目に加わるかもしれないとか。

スポーツの世界で、「男子だけのスポーツ」というカテゴリーがなくなるのも案外近いのかもしれませんね。

「女は弱し、されど母は強し」ということばも現代では変更を迫られているようです。「女はどんな場面でも強し」・・・・かな。

2010年3月6日土曜日

西の部屋

西の部屋にババが帰ってきたよ

リビングから玄関に行く、階段2段はもう楽々だよ

ババの部屋に遊びに行きたいんだよ

でも、ババの部屋のドアが閉まっている時はダメなの

きっとババが寝ているんだよ

ババの部屋のドアが開いていると、ボク、すぐに行くよ、西の部屋に

だって、ババに会いたいもんね・・・

2010年3月5日金曜日

褥瘡

褥瘡(じょくそう)という漢字。何度書いてもしっかり覚えられない難しい漢字。床(とこ)ずれのことで、車いすフェンシングの仲間にとって、「天敵」とも言える症状です。

脊髄損傷(せきずいそんしょう)で下半身不随になった人にとって、感覚のないおしりにできた傷から黴菌(ばいきん:これもすごい漢字!)が全身に回ると、命取りにもなりかねません。車いすに座ったままの障害者がスポーツをする時、褥瘡対策は欠かすことができません。気をつけていても、褥瘡が悪化して、手術と なり、半年以上、入院。それもベッドに腹這(はらば)いのまま過ごした車いすフェンシングの仲間が数人います。

床ずれというと、寝たきりの人に起こるもののようですが、帰宅して約一週間の母にも、注意信号が出てしまいました。

水曜日、往診してくださった先生から、「褥瘡予防のマットレスに交換してください」というアドバイスをいただき、さっそく業者の方に連絡。そして、昨日の木曜日には、無事マットレスの交換が終了しました。

ケアマネージャーさんがお留守だったので、私から直接連絡したのですが、あとで電話をくださったケアマネージャーさんが、「早く連絡してくださってよかったです」とおっしゃいました。木曜日の朝、訪問看護師さんも、「褥瘡対策はとにかく早くしないと・・・」とのこと。

褥瘡に対して、頭ではわかっていたはずの私ですが、実際母にその症状が出たのを見ても、それほど深刻に考えていませんでした。でも、周りの方々のお陰で、早急な対応ができました。

年齢の割には、全身状態が良く、肌もつやつやしている母ですが、やはり色んな循環が悪くなっているようです。在宅介護である以上、母の状態をチェックするのは私の役目。こころしないと・・・と思います。

2010年3月4日木曜日

ホワイトソース

グラタンが大好きな母
ホワイトソースを作りました

バターを溶かして、小麦粉を炒めて、ミルクを加えて・・・
いつもの手順です

手がだるくなるほど混ぜ合わせ、しばらく火を通してできあがり
時間にして10分ちょっと
小さく切った具をあれこれを混ぜてオーブンへ

熱々のグラタンを食べる母
ゆっくり時間をかけてペロリ

ちょっと手間がかかるホワイトソース
大事な10分が持てる「今」に感謝

2010年3月3日水曜日

こんな色に??

ねぇ、Chuck
こんなグレーになってくれる???
お鼻の先は薄くなったよね・・・

2010年3月2日火曜日

ショパン

今年はショパン生誕200周年。ショパンがあれこれ取り上げられる年になりますね。

3月1日はショパンの誕生日とか。昨日の午後、何気なくショパンのCDを引っ張り出して、前奏曲を聞いていました。1985年のショパンコンクールで優勝したブーニンのショパンは耳に心地よい演奏です。

・・・そして、夕べ、厳密には今日の早朝。1時に目が開いて、母をチェックしてラジオを入れると、NHKラジオ深夜便からショパンの調べが流れてきたのです。さっさと寝直さないと、と思いつつ、トロトロしながら、結局2時までは聞いてしまいました。

子犬のワルツとワルツ嬰(えい)ハ単調を色んな人の演奏で聞き比べる番組でした。同じ曲を同時に違う演奏で聞くのはあまり経験できないこと。譜面通りにかっちり弾く人(名前はメモできず、寝ぼけた頭では覚えていず・・・)、自由にテンポを変えて弾く人、アドリブまで入った演奏もありました。

私の手元にあるピアノの楽譜で一番ボロボロになっているのが全音の「ショパン ピアノアルバム」です。裏表紙にある定価は何と350円!いかに昔から使っているかがわかります!

ところどころページがはずれてしまっているこの楽譜。初心者の頃から使い続けているこの楽譜。今も一番大事な楽譜です。

2010年3月1日月曜日

JAPAN

2月15日、東京での救出劇。JR高円寺駅で、線路に転落した女性を見て、とっさにホームから飛び降りた男性。線路に横向きに倒れた女性を、電車にひかれないようあおむけに動かし、彼はホーム下へ逃げ込んだ。

電車が迫ってくる恐怖の時に、よくこれだけのことが一瞬にできたものです。このお手柄男性、佐藤弘樹さん(24歳)は元ラガーマン。昨日のラグビー日本選手権の試合前に、自身が現役時代につけていた、フルバック15番の背番号の日本代表ジャージーが贈られたという記事を目にしました。

「まさかの話で夢のよう。秩父宮(ちちぶのみや)ラグビー場に立つことができて感無量でした」と語った佐藤さん。JAPANのユニフォームを手にしての感想です。


私が初めてJAPANがついたユニフォームを着たのは、1998年の車いすフェンシング香港遠征の時。通訳だから・・・と言っても、日本チームの一員ですから、所属が一目でわからなくてはいけません。苦手なジャージ姿に文句を言いつつ、その後も遠征の試合会場では必ずJAPANを着ていました。

アテネのパラリンピックでは、日本選手団のユニフォームを着たのですから、まさしくJAPANだったのです。

JAPANを背負って競技を続けたバンクーバーオリンピックの選手達。今日で全てが終わります。国の名誉をかけて競技するという意識は減ってきているのかもしれませんが、メダルを取った選手達が、必ず国旗を手にして「ウィニングラン」をする風景を見ると、やはりオリンピックは国別の対抗競技会なんだなと思います。

「JAPAN のユニフォームを着ること」の意味。それは代表を目指して努力する選手達だけが知っているはずです。着られる名誉。着られない悔しさ。スポーツの世界の厳しさです。

何気なくJAPAN を着ていた私です。でも競技会場で見る日の丸には、すっと背筋が伸びたものでした。