2015年4月10日金曜日

留学生

1989年から約20年間、アジアからの留学生たちとの活動を続けてました。小さな奨学金財団でしたが、東京と京都で毎年新しい留学生たちとの出会いがありました。

財団創設当時は、中国からはよりすぐりの国費留学生が多く日本に来ていました。中国の将来を担う人材としての派遣でした。中国と韓国からの留学生の応募が多かった時代から、しばらくすると東南アジアの留学生の応募が増えてきました。それぞれの国の発展状況が留学生の変化によって感じられたものでした。財団活動の後期になるとより多くの国籍の留学生との出会いがありました。

先日の朝日新聞の「特派員メモ」に、内戦が続くシリアの女子学生が奨学金をもらって日本留学が決まったことを知らせてきたという記事がありました。ダマスカス大学で日本語を専攻するこの女子学生は、迫撃砲の音が聞こえる中で、熱心に助詞の「が」と「は」の違いなどを質問していたそうです。日本のアニメを好きになって、インターネットで独学し、大学入学時には日常会話には不自由しないレベルになっていたとか。

「毅然(きぜん)として努力を続ければ、何でもできる。私の夢は奨学金を得て、日本で文学博士号を取ること」と語っていた彼女の夢の第一歩が始まります。

こころ引かれた小さな記事でした。

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