2011年3月31日木曜日

もうすぐですよ


もうすぐですよ
待っていてくださいね
つぼみはみんなスタンバイしていますよ
大きな木一杯がピンクに染まりますからね

2011年3月30日水曜日

実況放送


目下開催中の選抜高校野球。アナウンサーの実況が今回から少し変わりました。

「ワンボール、ツーストライク」

以前は、ストライクを先に言っていた日本の野球ですが、世界では(もちろんアメリカではと言う意味ですが)ボールのコールが先だったようです。ここにもグローバリゼーションの影響あり。

それにしても長年言い馴染んだ表現を変えるのは、実況するアナウンサーにとってさぞかし大変だと思います。なめらかにコールする実況は、練習のたまもの。人によって、時々混乱しかけることもありますが・・・

野球の実況中継と言えば、新米アナウンサーは球場で一人で練習するのだそうです。携帯録音機を前にして、一人でぶつぶつ・・・というより結構大きな声で「中継」するとか。

周りの人にうるさがられながら、少しずつ上手になってくると、色んなアドバイスをしてくれる人がいて、勉強になったり、「今日は実況つきで野球が見られた、ありがとう」とお礼を言ってくれる人が出てきたりするそうです。

休みの日に自腹を切って球場に通い詰め、一人前の実況アナウンサーになるための努力が続きます。

何気なく耳にするスポーツの実況放送。しっかり伝えるためには知らないところで大きな努力が隠されているようです。新人さんは最初から「スリーボール、ワンストライク」と練習を続けているのでしょうね。

2011年3月29日火曜日

安全神話

「原発安全神話はいかに作られたか」 今朝の内橋克人さんのビジネス展望のタイトルです。(前回は3月16日のブログに記載)

1982年に「原発への警鐘」という本を出された内橋さんは、その後も日本における原子力発電所の実態を見つめ続けてこられました。

日本では原子力発電所の設置予定地でのヒヤリングを行ってきています。その場面で、「事故になったら一体どうやって避難するのですか」という住民の質問にも、「この場はみなさまのご意見を伺う時ですので、当方の意見を表明することは控えます」という返答をするばかり。

一方、原発を一般に「宣伝」する作戦は壮大な規模で展開されたとのこと。原発反対意見に対する、抗議作戦。小学校から高校まで、環境教育の一環としての原発是認(ぜにん)教育。そして、著名な「文化人」による原発施設訪問記事。いずれも膨大な費用を使って行われたのです。

内橋さんが紹介されたアメリカ、ピッツバーグ大学のThomas F Mancuso 教授。原発で働く人の健康問題をリポートして、反原発運動の象徴的存在になった方(日本語では検索しても何も出てきませんでした。探し方が不十分なのでしょうか・・・)

マンクーゾー教授が取材した内橋さんに言われたことば:
「アメリカに比べて国土が狭く、人口が密集している日本。もし原発が事故を起こしたら、どこに逃げるつもりですか?広島と長崎で二度も悲惨な経験をしているではありませんか。」

静かにそう語られたそうです。

鎌田實医師もご自身のブログの中で、今後のエネルギー政策に関して「発想の変革を」と書かれています。過去と現実をしっかり見つめ、私たち一人一人が自分の課題として考えていかないと、と思います。


2011年3月28日月曜日

選手宣誓文


3月23日、選抜高校野球の開会式を横目で眺めながら、翻訳作業をしていた私。岡山の創志学園の野山慎介主将の選手宣誓を聞いて、思わず「すごい!」と拍手してしまいました。

彼のこの宣誓に全国から大きな反響が寄せられていると、朝日新聞にありました。私のように感激した人が一杯いたのですね。

声を張り上げることなく、よく通る声で全国に発信したこの選手宣誓。全文が掲載されていましたので、打ち込みます。

「私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともにがんばっておられます。人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう、日本。生かされている命に感謝し全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」

開会式当日の試合には負けてしまったけれど、新2年生だけの、創部一年で選抜に出場した創志学園。主将のこの宣誓とともに、多くの人のこころに暖かい風を届けてくれました。

2011年3月27日日曜日

緊急地震速報

ここ1年以上、毎朝8時の少し前、NHKラジオ大阪からの放送で「緊急地震速報」の音が流れていました。この速報を聞いた時、何をすべきか、毎日毎日放送されていました。

このところこの速報を知らせる警告音をたびたび耳にします。地震計が不確かになってしまっている可能性があるので、それほど大きくない地震にも緊急地震速報が出てしまうことはある、と気象庁は説明します。実際、震度4程度の地震にも速報がでています。

でも、もし大きな地震であったら、たとえ数十秒でも前にそれがわかることは意味のあることだと思います。少なくとも「不意打ち」ではなくなります。

ラジオから頻繁に流れるこの緊急地震速報や普通の地震情報。地震発生直後に震源地、津波のあるなし、震度情報など、本当に「直後」に放送されます。当たり前として聞いていますが、その早さはまさしく「神業(かみわざ)」だと思います。

情報の的確な入手と伝達。放送関係者の迅速な対応。全て「すごい!」と感心しています。

2011年3月26日土曜日

赤いもの

うぬ・・あれ何だ・・・

つかまえた!

おいおい・・・きばむいて・・・


あれれ、逃げた・・・

2011年3月25日金曜日

津波てんでんこ


津波で大きな被害の出た岩手県釜石市。この地域で伝わっていることば、「津波てんでんこ」。津波の時は、家に向かうのではなく、てんでんばらばらに、今いる場所に一番近い、安全なところに逃げなさい、という意味だそうです。

地震発生時、午後2時46分、市内の小中学校にいた生徒は全員無事に避難できたそうです。市内の小中学生は合計2924名。そのうち死者・安否不明者は欠席や早退で自宅にいた5人。

1933年の三陸地震や60年のチリ地震津波などで被害を受けた釜石市は、2004年から小中学生に津波の怖さを教える防災教育を続けてきたそうです。

  ・ 揺れたら家に向かわず、とにかく逃げろ。
  ・ 状況を見て自分で判断すること。
  ・ 人を助けること。

この三つを子どもたちに伝え続けたのは、市の防災・危機管理アドバイザーを務める群馬大学大学院教授の片田敏孝さん。震災後釜石市を訪れ、そのあまりにも変わり果てた街の姿に涙する片田さんを、偶然テレビで見ました。避難所で子どもたちの無事な姿を見て、改めて涙ぐむ先生でした。

「子どもの防災意識は高まった。ただ、そこから地域全体に広めていくという道の半ばで大津波に襲われてしまった」と悔しい気持ちを抱く片田先生は、子どもたちに、津波から身を守る知恵と経験を「次」に伝えていってほしいと期待していらっしゃるとのこと。

今回の震災では、若い世代の活躍が報道されます。期待しましょう。次の世代に!



PS:セリーグの開幕が4月12日になりましたね。よかった「当たり前」のことが通って。新井選手会長どの、ごくろうさまでした。

2011年3月24日木曜日

当たり前のこと

プロ野球の開幕を巡っての発言あれこれ。3月23日の新聞から・・・

・蓮舫(れんほう)節電啓発担当相
 「私は新井(あらい)選手会長が言うことに全て賛同です。セ・パの開幕日が違うこと、選手会の思いが受け止められていないこと、東京電力管内のナイターを控えてほしいことということです」

・新井選手会会長
 「選手会の主張は一貫している。12球団で足並みをそろえるべきだ。このままではプロ野球界がダメになる」

・滝鼻卓雄巨人軍オーナー
 「開幕はお上(おかみ:政府)が決めることじゃない。節電に協力しろということでしょう」

・朝日新聞スポーツ担当の西村欣哉(きんや)氏
 「加藤コミッショナーは自らの判断を示そうとしていない。彼はこれまでセの言い分にただ従い、分離開催を容認してきただけだ。(中略) 
セはまずパに足並みをそろえ、4月12日同時開催とし、4月中のナイター開催はしないという指令を出すべきだろう。蓮舫担当相は東京ドームについてデーゲームの開催まで中止するように求めている。被災者感情と電力事情を考えれば、当然の結論だ」


当たり前でしょ!被災地が、関東地域が、日本中が、「どうにかしよう」と努力している今、この時期に・・・

今朝(24日)の新聞にヤクルトの鈴木正球団社長が、セの開幕もパと同じ4月12日にすべき、と発言したとあります。「当たり前」をわかっている方のようですね。

2011年3月23日水曜日

選抜高校野球開幕

開催が危ぶまれた今年の春の選抜高校野球が開幕しました。冒頭は震災被災者の方々への黙祷。関東以北の被災地からの高校を観客は大きな拍手で歓迎し、宮城の東北高校には、一段と大きな拍手が送られました。司会、演奏、合唱、全て高校生が担当し、派手さを押さえた開会式でした。

国歌は女子高校生が歌いました。アメリカではスポーツシーンでの国歌斉唱はアカペラ(無伴奏)で歌われることがほとんど。日本でも多くなりましたね。澄んだソプラノの声がゆったりと流れ、普段の吹奏楽とは一味違うさわやかな「君が代」でした。

岡山、創志学園の野山慎介主将の選手宣誓が終わった時、「すごい!」と思った私です。開会式後にインタビューを受けた彼はとても早口でしたが、宣誓では、ゆっくりはっきりした聞きやすい声で、すばらしい内容の宣誓をやり遂げました。

創部1年目での選抜初出場、2年生だけのチームの主将である彼は、「私たちは16年前、阪神大震災の年に生まれました」と宣誓を始めました。「今野球ができること、生かされていることに感謝して・・・」のことばも胸に響きました。

「被災地のみなさまにこころを寄せた大会として開催を決意した」、という大会会長の挨拶。私たち全てが生かされていることに感謝して、被災地の方々を想い続けていきたいものです。

見つけましたよ

ヤサカタクシーの四つ葉マーク
二回目の遭遇です
証拠写真もしっかり写りました

今回のこの「ラッキー!」は
全て被災地にお届けします

2011年3月22日火曜日

避難所での看護と介護

看護と介護の現場は、病院や施設の中で行われている時も、一般の生活とは違う「非日常」です。病気の治療、認知症への対応など、専門職が専門的に携わっている現場です。

それが避難所に場所を移したとしたら・・・その現場の混乱は容易に想像できます。

大地震の揺れを感じて、認知症のお年寄りたちは、普段よりも神経質になっていらっしゃることでしょう。普通の人よりも感覚が鋭敏になっているの方々です。特別な治療が必要な病人であっても、設備もない、暖房もきかない、そんな避難所でどのようにして看護と介護が行われているのでしょうか。

福島原発事故で避難しなくてはいけなくなったある病院の患者さん146人のうち、搬送途中も含めて避難所で21人が亡くなったというニュースがありました。避難所に到着した時には、患者さんの名前もわからず、引き継ぎも何もなく、担当した医療者はなすすべもなかったとか。

辛いニュースが続きます。現場で必死に看護・介護に携わっている方々自身の健康を案じつつ、一人でも命の火が燃え続けることを、と思います。

2011年3月21日月曜日

自衛隊


「自らを守る」という意味で名付けられている「自衛隊」。自衛隊の存在に関して、今まで多くの議論がなされてきました。戦後軍隊は持たないとした日本でも、自衛隊の存在は諸外国では「軍隊」と見なされてきています。

海外派遣にも「人道目的」という冠(かんむり)をつけないといけない現状。実際には軍隊組織であっても「非戦」を憲法で明記する日本では、あくまで「自衛隊」という名称が必要です。

今回の大災害では、この「自衛隊」の名称が本来の目的で最大限発揮されていると思います。日本の国民を守る、助ける、何にも代え難い大きな活動が展開されています。

現役自衛隊員10万人に加え、予備自衛官(即応予備自衛官)が招集されるとのこと。このシステムが適用されるのが初めてだそうですから、その存在を今回初めて知った人も多いはず。私もその一人です。

被災者の一人である予備自衛官に辞令状(表現は正しいかどうか・・)を持って自衛隊の人がやってきた場面の取材がありました。大きく壊れた日本酒製造の工場の前で、その辞令を直立不動で受け取る若い男性。自衛官の車が立ち去る時には、敬礼をしていました。

「この時のために、僕は自衛官になったのだと思う。もし今回参加しなければ、一生後悔が残ると思う。」

そう言うこの男性の傍(かたわ)らで、「気をつけて行ってほしい、こちらは大丈夫だから」と言う彼のお母さん。生活のほとんど全てを失ったであろう、この男性のこの気持ち。

がれきの前に立つお二人の姿に、胸が熱くなりました。


防衛省・陸上自衛隊|予備自衛官制度

2011年3月20日日曜日

ピアノ協奏曲

今日の「題名のない音楽会」、佐渡裕(さどゆたか)さん指揮で辻井伸行さんがチャイコフスキーピアノ協奏曲第一番を演奏しました。

2009年クライバーンコンクール優勝の折の私のブログです。

けやき便り: 心の目

フルオーケストラとこのチャイコフスキーピアノ協奏曲第一番を演奏するのが小さい時からの夢だったと演奏前に語っていました。体格も立派になり(少々太り気味かな・・・)おとなの雰囲気となった辻井さんの演奏。両手の指が繰り出す力強い音に圧倒されました。

私たちが目で鍵盤を追いながら弾くのとは違い(素人を比較してはいけませんが・・・)彼にとって、音楽そのものが鍵盤の中から浮かび上がってくるように感じました。

辻井さんを小さい時から励まし、支えてきた佐渡さんが、指揮台から辻井さんを見るまなざしが温かく、指揮棒が止まった時にわき上がったブラボーの歓声は、音楽のすばらしさに感嘆した聴衆の声でした。

こころが詰まってしまうような時間が流れています。その中で、音楽の持つ「ちから」を実感しました。

被災者の方々にとって、まだまだ音楽を楽しむような状態ではないことでしょう。でもそれぞれの方にとって、こころが和(なご)む音楽を耳にしていただければ、と願います。

2011年3月19日土曜日

世界で最初の施策

先日もお知らせした川北さんの19日のブログに「世界で最初の施策」ということばがあります。

川北秀人on人・組織・地球

人類史上最大の災害になった今回の大震災では、「前例にありません」の政策は全く役に立たないのです。大胆に、大きな視野での復興計画が必要であることを実感します。

川北さんも「ぼちぼち評論家さんたちには・・・」と書いていらっしゃいます。そうなんですよね。ぼちぼち・・・

避難所ボランティア


自分も被災し、避難所で生活する中学生・高校生、時には小学生が、避難所でボランティアの活動をしていると報道されています。

自分たちのできることとして、掃除や食事の世話、赤ちゃんのミルク作りなど、被災者の生活を支える活動をしているというのです。

学校はしばらく行けないことでしょう。生活が「普通」に戻るのはまだまだ先のことでしょう。

でも、この子どもたち、若者たちはこの生活を通して大きな経験を重ねていくはずです。そしてきっとすてきなおとなになってくれることと思います。

誰だって一人じゃ生きられないものね・・・

2011年3月18日金曜日

車の雪


二日続けて雪景色の朝となりました。車の屋根にも2,3センチ積もっていました。その雪を水で溶かしている人を見かけました。

被災地では車に積もった雪をビニール袋に集めている人がいました。断水が続く中、水の確保です。

車に積もった雪。京都ではただ溶けるだけ。
被災地では、命の水になります・・・

声が聞きたい・・・


電話が通じなくなった被災地。安否情報も交錯(こうさく)し、生存者は離れた家族に連絡したい、離れた家族は被災者のことが知りたいと思い続けたことでしょう。

臨時の電話が並んだ机に、被災者の方々がそれぞれの「相手」と涙ながらに話していらっしゃる風景がテレビに出ました。家族に亡くなった方があって、それを涙ながらに伝える人。家族の無事を知らせることができて、改めて涙ぐむ人。周りの人たちの声にかき消されそうになりながら、みなさん、必死で電話に向かって話していらっしゃる様子が印象的でした。

私の娘が「時々」更新してくれる、「ばいりんぶろぐ」(このページの右下、マイブログリストのところでクリックしてください)、3月15日に久しぶりにコメントをアップしています。

彼女も書いていますが、私は、2001年9月11日朝、バーモント州、バーリントンの飛行場から飛び立つ予定でした。理由がはっきりわからないままに、一旦乗り込んでいた飛行機から降り、結局レンタカーで目的地シカゴまで1000キロ以上を移動することになったのは、出発予定時刻から2時間以上たった時。当時はまだ携帯がうまく使えず、とりあえず走り出してから、パーキングアリアでニューヨーク州のアルバニーにいた娘に電話をかけました。

「どこにいるのよ!」・・・

「もしもし」と言いかけた私に悲鳴に近い娘の声が聞こえました。「行方不明」になった私を案じていた娘は、のんびりと「もしもし」と話す私の声を聞き、一気に思いが爆発したのでしょう。私の「行方不明」の時間は4時間足らずだったと思います。

今回の震災でも、「声が聞きたい」と思って、電話をかけ続けた人たちがたくさんあったはず。「声が聞けた」と喜びの涙を流す人たちがいる一方で、二度と声が聞けなくなったことに涙する多くの家族が日本中に生まれてしまったこと。忘れてはいけないと思います。

2011年3月17日木曜日

分かち合うこと


昨日、天皇陛下が国民に向けたメッセージの中で、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」とおっしゃいました。

痛みを分かち合っていくこと、これが今、日本の全ての人に問われています。

そしてその分かち合いを具体的に提示している文章があります。

川北秀人on人・組織・地球

この川北さんの13日のブログ「総力を挙げて、支え合う3年間を」に、向こう3年間にみなさんにやってほしい3つのお願いが書かれています。

今、この時期だけでなく、本当の意味で被災地が復興するために、3年という期間、「こんな風にして」私たちが分かち合っていこうという提案です。

原発トラブルの先行きが見えない今、私たちみんながパニックになることなく、しっかり深呼吸しながら、やるべきことを考えていきたいものです。


「深く心を痛めています」 天皇陛下のメッセージ全文

ブレーカーを落として、電気を止める時間を作っていらっしゃる天皇陛下です。

今朝は京都もうっすら春の雪。被災地の寒さを思います。

2011年3月16日水曜日

祈りのことば


ずっと前に内橋克人(うちはしかつと)さんのことを書きました。

けやき便り: 内橋克人

月曜日からNHKラジオ定時番組、6時40分からの「ビジネス展望」が再開しました(臨時ニュースや地震情報で途切れることもありますが)、隔週火曜日に登場する内橋さんが昨日、お話になりました。

阪神大震災の折、政府は個人の資産である住宅への補填(ほてん)をしないことを決めたため、16年たった今も二重・三重の住宅ローンを抱えて苦しんでいる人が多いとのことでした。国民をいかに守るか、今こそ政府にその力量が問われているのです。

ご自身の震災体験から、今回の東北関東大震災の被災者の実情は内橋さんには手に取るようにわかっていらっしゃるようでした。そして最後にこうおっしゃいました。

「生きる力をかき立ててくださることを祈っております」

小さくなってしまったであろう「生きる力」の炎。消さないように、消えないように、私たちも被災者のみなさんを支えたいものです。

2011年3月15日火曜日

批判・評論はやめて・・・

福島原発の事故、次から次へと出てくる難しいことばを追いかけながら、何が起こっているのか私はわかっているのかしら、と思います。

鎌田實医師の今朝のこのブログをぜひ読んでみてください。

原発事故15: かまたみのる公式ブログ 八ヶ岳山麓日記

今朝のテレビでもコメンテーターたちは「博識」を披露しながら、意見を述べていました。ですが今は、政府や東京電力などの関係者に対して、あれこれ批判や評論をしている場合ではありません。最悪を回避するために、命の危険を感じながらも、昼夜ぶっ通しで働き続けている人たちのことを思うべきです。

全ての人を守るために働いている人たちのことをこころにとめ、祈っていきましょう。世界中から届く祈りと一緒になって、祈りの輪で原発事故の関係者、そして地震や津波の被災者の方々を包んでいきましょう。

2011年3月14日月曜日

ラジオ放送

今朝6時前にラジオのスイッチを入れました。6時過ぎ、いつもの番組のテーマソングが流れました。放送の内容は震災関係がほとんどですが、いつものキャスターの声が聞こえてきます。

各地から寄せられるメッセージ。仙台の人からも届いています。NHKオンライントップページの「ライブストリーム」を聞いたニュージーランドのクライストチャーチ在住の日本人もメールを送ってきています。

「何かをしたい」という気持ちで投稿する人。被災をしていても、投稿できる環境であることを感謝する人。個人無線のハム仲間が情報収集していることを伝える人、鎌田實医師も被災した方々に「感情をどこかで大きく表現するのが、今は大切ですよ」と語りかけていました。あちこちからの暖かいこころが飛び交っています。

音だけのラジオだからこその落ち着きがあります。流れる音楽は優しい曲やホッとする曲ばかり。

災害への備えとしても大切な携帯ラジオ、ぜひ手に入れて聞いてみてください。

計画停電


今日から東京電力による計画停電が始まるというニュース。朝一番の計画停電は取りやめになったようですが、首都圏では月曜日の朝、電車の運行本数が減り、混乱しているようです。

電気が止まる・・・と聞くと、亡くなった父のことを思い出します。1984年、呼吸困難で入院した父は、人工呼吸器を装着しました。「停電の場合は自家発電がありますから、大丈夫です」とお医者さまの説明を受けました。父の命はその人工呼吸器、それを動かす電気に100%依存していました。

今回も人工呼吸器を使っている人、透析をする人など電気が命綱となっている人たちをどう守るのか、その対策はできるのか、とても気になります。最近は在宅で高度な医療機器を使う人も増えています。老人世帯などで、停電の時に、バッテリー使用に切り替えることができるのか、その指導は誰がどうやってするのか。

昨夜、急に発表された計画停電です。電力供給ができなくなるという最悪の状況を回避するための処置であるのは、十分に理解できますが、万全の対策がなされてから実施してほしいと切に望みます。

13日の朝刊に、仙台市内の病院からのツイッターの書き込みが紹介されていました。

「おねがいします!朝の7時までにA重油をください。全ての人の呼吸器がとまります」

重油は届けられたのでしょうか・・・

2011年3月13日日曜日

原発事故

医師の鎌田實氏がブログで昨日から福島の原発事故を詳しく解説していらっしゃいます。長年にわたるチェルノブイリ原発事故の被害者サポートの経験から、とても詳しい文章です。

今、何がどうなっているのか、テレビや新聞の情報だけではわかりにくいポイントの解説をお読みください。

かまたみのる公式ブログ 八ヶ岳山麓日記

助かった命

「地震の直後、家にいたおやじに電話をしました。大丈夫って言っていたのですが・・・」「父はもうダメです。こんな状況じゃ」

津波で家が跡形(あとかた)もなくなったその場所に立った息子さんのことばです。

助からなかった命が一体どれだけの数になるのでしょうか。

3月11日、地震直後、テレビやラジオのアナウンサーは、「高いところに避難してください。それが無理なら、しっかりしたコンクリートの建物の二階以上に避難してください」と伝え続けていました。

津波に追われながら、やっとの思いで建物に飛び込んだ人もいるはずです。文字通り命からがらであったことと思います。ですが、その人たちが、食料や水もなく孤立しています。小学生や保育園のこどもたちもいるようです。

これだけ被害が広域に渡っていると、実際に救援隊のヘリコプターが到着するには、まだ時間がかかるのかもしれません。夜は氷点下になる東北地方です。

3月11日に助かった命を、みすみす失ってはいけない、遠く離れた場所で時間の経過とともにあせり感じてしまう私です。

2011年3月12日土曜日

みなさまに転送です

手元に届いたメールです。少しでも多くの方の目に触れることができますように・・・

*************

被災されたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々に対し、心よりお悔やみ申し上げます。

観測史上最大規模の地震が発生して一夜が明け、被害の深刻さはその度合いを強めています。

このエリアの広さ、被災者の多さでも最大規模と思われる今回の震災において、これから必要となるのは、災害支援のための資金であり、復興のための資金です。

阪神淡路大震災時、あれほど多くの善意による寄付が集まったにも関わらず、行政の対応では必要な時に必要な資金的支援をすることが難しかったという苦い経験を私たちは知っています。

そこで、CANPANプロジェクトでは「民による民のための災害緊急支援基金」を立ち上げ、本当に必要とされているところへ迅速に支援するための寄付を集めます。

また、同じCANPANネットワークでつながっている被災地で活動される皆さまの情報を集めた情報も提供を開始いたしました。

東北地方太平洋沖地震応援基金は、クレジットカードにて、一口 2000円から募金することが可能です。

今回の地震の被害にあった皆さんを支援し、その復興をするために活用させていただきます。

ご一緒に応援の輪を広げてくださいますようお願いいたします。
(転送等々歓迎です。)

■募金はこちらからお願いいたします■
Canpan ニュース詳細 [■災害支援基金設置のお知らせ■ CANPAN 東北地方太平洋沖地震支援基金]:

皆さまの力をお貸しください。

※頂戴した寄付につきましては、日本財団CANPANプロジェクトホームページ上で逐次、ご報告いたします。

■災害情報および救援等情報を掲載している方々のブログ集について■
CANPANブログを中心として現地災害情報や救援情報を発信されている方々のブログをまとめています。
Canpan ニュース詳細 [CANPANブログで災害情報および救援等情報を掲載している方々のブログ集作成]

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安否確認


昨日、午後3時ごろ、最初の津波の映像を目にしました。仙台の名取川周辺をさかのぼる津波をヘリコプターがとらえていました。道には車が走っていました。津波に飲み込まれる車の姿も・・・

時間とともに想像を絶する被害の様子が報道され続けています。余震や津波は夜が明けても続いています。昨日はなかった日本海側にも津波注意報が出ています。

まだまだ被害情報が入っていない地域もたくさんあるとか。原子力発電所のトラブルも大きくなってきています。

新聞のテレビ欄は白いスペースが続きます。停電している被災地ではテレビからの情報は届いていません。家族の安否がわからない方々もたくさんあるはず。

夕べアメリカの友人からの安否確認メールが届きました。私の返信にすぐに返事が戻り、「よかった・・・」と記されていました。

一人でも多くの方々が「よかった・・・」と思えるように、と祈るだけです。

2011年3月11日金曜日

メイドカフェ

 デイケアに  オプション入れて  メイドカフェ

高齢者のデイケアプログラムは男性向きとは言えません。
歌を歌って、折り紙を折ってでは、ちょっと引けてしまう男性も多いようです。
麻雀や将棋の日を作ったデイケアがあると聞きました。
引きこもりがちになるのは女性より男性の方々。
社交の場としても楽しいデイケアであればいいですね。

だけど、本当にお好みは「メイドカフェ」?
それとも「冥土(めいど)カフェ」?

2011年3月10日木曜日

老眼

「遠近両用めがね、下の部分が見にくくなっていませんか?」

先日の眼科検診でのお医者さまの質問。「いいえ、全く同じです」と私。おととしの10月頃に作っためがねですが、全く問題なく使っています。

「この文字読めますか?」と目薬の小さな容器を私に渡して先生の次の質問。「はい、みんな読めます」という私。「まだ辞書も大丈夫です」

「いいですね・・・」と先生。「このまま老眼があまり進まないで一生いけるかもしれませんね」とのこと。

軽い近眼のまま、この10年近く、ほとんど視力が変わらない私です。運転にはめがねがいりますし、外出の時は遠近両用を使っています。でも普段はほとんど裸眼で大丈夫。何もなしで本が読めるのはとってもありがたいです。

年相応の落ち着きは必要だな、と常々思う私です。相変わらずチョカチョカと動く私です。でも目だけはこのままでいてほしいもの。がんばろうっと!

2011年3月9日水曜日

春の色

生協の店頭販売で元気なルピナスを見つけました
玄関先に春の色がやってきました
Chuckも春をチェック中

2011年3月8日火曜日

はやぶさ永遠なり

去年は6月のはやぶさ帰還から、「はやぶさ」という言葉に敏感になっている私です。先日、車の中で聞いた番組。目的地に到着したあとも、降りずに聞き続けていました。

タイトルは「はやぶさ永遠なり」。はやぶさプロジェクトのマネージャー、川口淳一郎氏の「ナイトエッセイ」の再放送でした。

次から次に生じる不具合にスタッフ全員が知恵をしぼってどのように対応したのか。内容は専門用語もたくさん出てくるので、全部を理解するのは難しかったのですが、どれだけ大変であったかは、十分に伝わってきました。

トラブル解決のために、一か八か(いちかばちか)、初めて試みることもあったようです。色んな工夫を続けた結果、7年以上の宇宙滞在からはやぶさは無事地球に帰還。回収されたカプセルの落下地点は、前もって計算された位置をたった500メートルはずれただけだったそうです。

川口さんは、このプロジェクト全てがいかに「ラッキー」だったかと語りました。ですが、その幸運を実力とする努力が今後も必要だと言います。より高度な技術で、より安定した宇宙探査ができるように、これからが大事だと言います。

はやぶさのプロジェクトが正式に認可されたのは、1996年。去年の「事業仕分け」で予算はほぼゼロになるところでしたが、6月の帰還成功で「次」につながったようです。科学技術の発展には息の長い政策が必要であり、挑戦が続けられる環境が不可欠であると川口さんは強調していました。

今後日本が科学技術の面で世界的レベルを保つためにも、ハイリスク・ハイリターンを覚悟した政策が必要です。今の政府がその重要性をしっかり理解し、長期的にサポートしてほしいものです。



2010年11月30日:けやき便り: 「自由落下法」

2010年6月11日:けやき便り: はやぶさ帰還へ

2011年3月7日月曜日

プロの技



滋賀県高島市の休耕田で作った蕎麦
その蕎麦粉を使ったプロの蕎麦打ちです
蕎麦と小麦粉の中力粉を8:2で混ぜ
加える水もしっかり計量



両手でていねいにもみ合わせ、少しずつまとまってきます



力を込めてこねていると、どんどん丸くなってきました

はい、これでまとまりました!



蕎麦打ちはすぐに伸ばしていいのですね
どんどん丸が大きくなっていきます



丸から四角へ・・・
じっと見つめていたのですが、
いつのまにか、形が変わっていきました
麺棒は両手を左右に広げながら使います
厚さを揃えるのには大切なポイントのようです



麺棒を二本使って、半分ずつをさらに薄くのばします
それをていねいにたたみます

見事に切れていく蕎麦

 ゆでるのは屋外の作業です

鰊(にしん)蕎麦のできあがり

2011年3月6日日曜日

面白い

面白い、おもしろい、ということば、日々何気なく使っていることば。

「面白い」というのは、ゲラゲラ笑えるってことじゃないんです。いままで見えていなかった世界が、雲が切れてスッと見えてくる感じ。今まで気づかなかったものにフッと気がつくことですね。そのとき雲が切れて、向こうから光がさしこんできて、面(おもて)が白くなる。それを昔の人は「面白い」といったんですね。

雑誌「広告批評」元編集長の天野祐吉(あまのゆうきち)氏の文章。

「面白い」文章です。光が差しました。

2011年3月5日土曜日

手書き回帰

二週間ほど前に、オーストラリア在住の友人に新聞の切り抜きを郵便で送りました。「エアーメールの封筒に入った手書きの手紙を受け取るのは何年ぶりのことかしら、うれしかったです」というメールが届きました。切り抜きをスキャンしてメールに添付してもよかったのですが、今回は、「手紙」が出したかった私でした。

「手書き回帰 心休まる」という新聞記事がありました。インターネットの交流サイト(SNS)やツイッターを使う人がどんどん増えている現在、ネットを入り口にして文通に回帰する若者が増えているというのです。

手紙がやりとりできる会費制のコミュニティーができていて、会員は事務局が発行する会報の会員紹介欄から文通相手を選び、事務局に手紙を郵送。個人情報を他の会員に明かさないという規約があり、事務局は毎月2回、会報と一緒に各会員に「手書きの手紙」を郵送するのだそうです。手紙のやりとりは全て匿名です。

瞬時にやりとりできるメールとは違って、時間がかかるのが手紙。手書きも含めて、何か「違う」ことが若い人にも愛好者が増えている理由のようです。

でもこのシステムでは、直接投函するより、ずっと時間がかかります。ポストの中に自分宛の手紙が入っている時の、どきどきする楽しさも、会報と一緒に送られてくるのはちょっと違うような・・・相手の好きそうなカードを選んだり、切手もあれこれ悩んだりするのが楽しいと思うのですが。

昔はやっていたペンパルシステムが現在に復活するとこういう形になるのでしょう、きっと。匿名でのやりとりであっても、「自分のことを気にかけてくれる人がいる」というのがネット交流の最大の魅力のようです。それを楽しむのと同時に、懐かしい人へ出す「普通の」手紙の楽しさも味わってみてほしいものですが・・・

2011年3月4日金曜日

春の雪

白い朝、撮したままをとにかく並べます
今年は我が家とご近所で雪景色を堪能しました




春のひざしですぐに溶けてしまうだろうな・・・




雪帽子をかぶってもスタンバイ完了
どうだんつつじの芽

2011年3月3日木曜日

湖岸の虹

3月2日午後、高島市の琵琶湖岸
しぐれていたと思ったら、アッ虹だ!
木の向こうにアーチ発見

太陽が顔を出すと
向こう岸に雪化粧の伊吹の山々が登場

2011年3月2日水曜日

三兄弟



サンリオのキャラクター、ペックル君。キティちゃんの仲間の一人です。なぜか我が家にはこんな「三兄弟」がいます。今年の冬はとっても寒かったので、お揃いのジャケットを作ってもらいました。

いつもは二階にいるのですが、撮影のためにリビングで並びました。

日本ではあまり見かけないペックル君、特大君と真ん中君はアメリカからやってきました。「いんたーなしょなる」な彼らです。

一体誰の友達???

2011年3月1日火曜日

こころ和む・・・?

昨年の秋、宝ヶ池に通じる道路の補修工事現場に突然、原色の緑色のかえるたちが登場。一瞬目を疑った私です。工事現場用のバリケードの水平の二本の棒を受けるところが「かえる」の形になっていたのです。

晩秋の宝ヶ池付近は紅葉がすてきに始まっていました。そこに不自然な緑のものが道路に沿って現れたのですから、何とも違和感がありました。

ところが・・・朝日新聞がこの装置が「道行く人を和(なご)ませている」という記事を掲載しました。

asahi.com:工事現場にシカ、サル、カエル 心和む動物型バリケード

私が見たかえるの他にも色んな動物のデザインがあり、このバリケードを使うようになってから、「工事による渋滞の苦情が減った」ところもあったのだそうです。「人気」が出たこのバリケード、通常よりもレンタル料金が2~3割高いのに、「全国の土木・建設会社から引っ張りだこ」とか。

デザインや色調は見る人によって快・不快の感じ方が違います。日本的な「わび・さび」の風情(ふぜい)が全国どこにでも採用されるべき・・・とは言いません。ですが、今回のこの「かえる」たちの登場には少々ショックを感じた私でした。

でもこれからあちこちで「動物バリケード」を見慣れてしまうと、それはそれ・・・となってしまうような・・・