2010年3月31日水曜日

要介護4

母の要介護認定の通知が届きました。今回は要介護4になりました。認定の理由の欄には「心身の状況により、重度の介護を要する状態にあると認められるた め」とあります。ほとんど動けなくなった状態です。

認定年月日は平成22年3月24日ですが、認定の有効期間は2月26日からの半年で す。母がわが家に戻った日から起算されています。

二度目の母の在宅介護を考え出した時、介護保険が失効していることが気になっていまし た。入院していた母は介護保険を使っていませんでしたから、昨年の秋に有効期限が切れていたのです。

在宅介護では介護保険がなくては動き がとれません。以前お世話になったケアマネージャーさんに前もって相談しました。「前にも介護認定が出ていますから、帰宅日に申請をしておけば、その日か ら介護保険が使えますよ」という説明に、ホッとした私でした。もしダメなら、認定が出るまでは自費でも・・・と思っていたのです。

福祉用 具レンタル業者の方に2月26日までに、ベッドなど、生活に必要なものを前もって運んでもらいました。母の帰宅後、現在の症状に応じて、マットレスの変更 やトイレのてすりの引きあげなどをしてもらいました。細かいこちらの要望に素早く対応してくださる、以前から仲良しの業者さんです。

訪問 看護師さんたちも顔なじみ。ご近所のお医者様の往診も二週間に一回のペース。週一回の訪問入浴も順調です。先週から、金曜日のお昼に2時間、ヘルパーさん が来てくださることになって、私の自由時間が増えました。

介護保険制度が始まって10年。色々な不備が指摘されるところです。認定やサー ビス提供に必要な書類の煩雑(はんざつ)さは、福祉関係者にとっても頭痛の種。一時、母の介護プランを自分で作っていた私ですから、その大変さはよくわか ります。

幸い、ケアマネージャーさんを中心としたいい人間関係ができている母の介護は、とてもスムースに回っています。制度はお堅くて も、それを運用していく人のやさしさが支えているのが介護保険だと思います。

2010年3月30日火曜日

3月の雪

昨日の夕方、マーケットから出てきたら吹雪でした
タイヤはまだ冬用をはいていますから
「ふれふれ、もっとふれ!」とワクワクした私

今朝の風景 近くの山は真っ白



比叡山も真っ白


 けやきも雪の花をつけています

今年は一度も雪道を走ることはありませんでした
それは次の冬の楽しみとしましょう
私って変でしょうか・・・

PS: 31日が誕生日の息子にプレゼントを送りました。「届いたよ、ありがとう」というメールが昨日来ました。息子からメールがあると、必ず雪になるのです・・・

2010年3月29日月曜日

プロの声

ラジオの道路情報を時々消してしまう私です

べったりした、媚(こ)びるような声

幼いというか、何というか・・・

そ れもていねいに話そうとするからかメリハリがない

ラジオは音だけの世界

声を出すプロはアナウンサーだけにあらず

電 波に声を乗せる人はみんな「プロ」

プロの声の道路情報が聞こえると、車の流れまで目に浮かびます

2010年3月28日日曜日

ことばの迷子

人が何かを考えるのに、ことばは絶対条件です。ことばを使って頭の中で、時にはこころの中で、あれこれ考えているのが私たちです。もしそのことばが見つか らなければ、うまく組み立てられなければ、「私」はどこにいってしまうのでしょう・・・

「ことばの迷子」という表現を朝日新聞で見まし た。「日系の子 ことばの迷子」という見出しでした。

バブル経済末期の1990年、出入国管理法が改正され、日系2世や3世とその家族に 就労制限のない日本滞在が認められ、出稼ぎの南米日系人が急増。2007年末には、外国人登録者数が31万7千人に達しました。ですが、世界同時不況の嵐 が吹き抜けると、その人たちが、真っ先にクビを切られることになったのです。

日本に行けば稼げる・・・という希望を持ってやってきた人た ちの多くが、現在、母国への帰国か、日本に残るかの選択を迫られています。経済的理由から、ブラジル人学校に通えなくなって、日本の学校にも行かないこど もたちが増えているとも聞きます。日本語を十分に理解できない生活の中で、犯罪に手を染めていくこどもたちも出て来ているようです。

日本 語も母語も、いずれも満足に話したり読み書きしたりできない「ダブルリミテッド」の子の問題が各地で浮上している・・・と記事の中にありました。ダブルリ ミテッドとは初めて聞く表現です。バイリンガルの対極をなすことばのようです。

「ヒトの脳をつかさどる中枢は、最初に習得する言語をもと に第二言語を学習していく仕組みになっている。母国語すらおぼつかない段階で他の言語を教えて も、脳が混乱して中途半端になるだけ」(京都大学霊長類研究所の正高信男さん)

英語の早期教育に疑問を呈(てい)する発言ですが、なぜ 「ダブルリミテッド」のこどもたちができてしまうのかを説明している文章だと思います。

母語のポルトガル語を親としっかり話し、そこから 日本の社会に適応するための日本語能力を身につけていく。それができなかった多くのこどもたちは、これからどうやってものを考えていくのでしょうか。

好 景気の折の人手不足に対応するために法改正をしたのは日本の政治家であり、その労働力を利用したのが日本の経済界です。その結果、ダブルリミテッドのこど もたちができてしまったことに対して、誰も責任を負うことはないのでしょうか。人間の存在の根幹となる「思考力」が身についていないこどもたちをたくさん 作り出してしまったというのに。

神奈川県横須賀市に、日本語ができない外国人少年を集めた日本で唯一の少年院があり、そこの「国際科」で は、日本語や日本での生活の知識を教えているそうです。

「私の人生は今始まります」。つたない字で書いた19歳の少年の日記の文章に、小 さな光を見た想いがしました。

2010年3月27日土曜日

3月の氷

3月27日、もうすぐ4月
冷え込んだ朝
庭のスイレンの鉢や防火用水のバケツに氷が・・・



日陰には霜が

桜はもうちょっと待ってね・・・って

2010年3月26日金曜日

辰巳芳子

「人の話を聞くのに、帽子をかぶっていらっしゃるのは失礼よ、帽子をお取りなさい!」

稟(りん)とした声で場内の一人に声をかけた辰巳芳 子(たつみよしこ)さんでした。わが家のご近所、京都精華大学のオープンキャンパスの講演会での一コマです。

食の大切さ、礼儀の大切さ、 丁寧に生きることの大切さ。ゆっくりした口調で話していらっしゃったのが印象的でした。この方は、どんな場合でもご自分のペースを守っていかれるのだろう な、という気がした私でした。

辰巳芳子さんは「いのちのスープ」の提唱者としても有名です。ご自身のお父さまの最晩年、何も召し上がれな くなった時に、吟味(ぎんみ)し尽くした素材で作ったスープを作ってさし上げたのがきっかけとか。じっくり時間をかけて栄養を引き出す工夫がなされた、と ても手の込んだスープで、現在はレシピが100種類を超えているようです。

先日読んだCOMLのニューズレターに、大津市民病院の緩和ケア病棟で、この辰巳さんのスー プをボランティアの方々が作って、患者さんに提供しているという記事がありました。病棟部長の津田医師も、ご自身の手で休日にスープを作っていらっしゃる とか。

やさしさのこもった暖かいスープが、患者さんのからだもこころも温めてくれるのでしょうね。

「食こそが生きる基 本」と言い切る辰巳芳子さん。現在の食生活の乱れを修正するための発言をなさっています。特に日本の将来を担う若い人たちの食生活を正しいものにすること に、こころを砕いていらっしゃるのです。

「これだけはしっかり覚えておいてね」。人生の先輩としてはっきりした口調で若い人に伝える辰巳 芳子さんの姿を想像します。

辰巳芳子オフィシャル サイト*茂仁香

2010年3月25日木曜日

「あのね」 ミニ版

初めてうな重を食べたら、おいしくてビックリ。
「うな重って、うなるほどおいしいから
うな重っていうんだね」

 6歳男


「マ マ、大変大変!」と部屋に駆け込んだら、
「重大事件?」と聞かれたので答えた。
「8か9ぐらいの事件なの」

 6歳女


「お 正月、着物姿の女の人たちが歩いているのを見た。
「おばちゃんたち、七五三だね」

 3歳女

2010年3月24日水曜日

介護と演技

男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の発足一周年記念のシンポジウ ムが先日京都で開催されました。ゲストスピーカーは俳優の長門弘之(ながとひろゆき)さん。昨年10月に亡くなった、奥さんの女優の南田洋子さんの介護経 験者です。

介護体験は、限られた時間に話し尽くせるものではないと思います。大きな経験の中で、際限なくあれこれ考え、悩んだはずです。 その長門さんのことば、「彼女が焼き魚を手づかみで食べた時、ボクも同じように食べた。こちらの価値観を押しつけず彼女の世界を理解することが大切だっ た。」という文章がこころに残りました。

お箸を上手に使う母ですが、時には左手が出て手づかみで食べることがあるのです。どうしもそれを否定してしまう私です。今の母に「行儀 悪い」ということばは通じないのは百も承知なのに・・・

3年前、最初の在宅介護をスタートさせたとき、あれこれ本を読みあさり、インター ネットで資料を探し回りました。私自身、とても不安だったのだと思います。その時に、「介護者は役者であれ」ということばに出会いました。認知症の人の世 界を否定するのではなく、その世界でつき合う、つまり演じることが大切とあったのです。長門さんのことばの、「こちらの価値観を押しつけず」です。そし て、これは最高に難しいことです。

長年、俳優として演じてきた長門さんは、それが身に付いているのでしょう。最愛の奥さんの異様にも思え る姿にも対応できたのでしょう。決して簡単では、なかったはずですが、演じることを知っている人だからこそ、可能だったのかなと思うのです。

小学校の「学芸会」は苦手だった私です。虚構の世界に飛び込むのが下手だったのでしょうか。しっかり年齢だけは重ねているのですから、この世は、自分の 考えている通りにはならないことをもっとしっかりわかっているべきですね。まだまだ学びは続きます。

2010年3月23日火曜日

夕方の散歩

おひさまがもう すぐ沈みます





にぎやかな犬が いっぱいの夕方の公園

2010年3月22日月曜日

「愚の力」

浄土真宗本願寺派第24代門主・大谷光真氏の著書「愚(ぐ)の力」を読みました。

浄土真宗に関しては、全く知識のない私。宗祖の親鸞聖人 (しんらんしょうにん)のことば、「一切衆生」(いっさいしゅじょう)・「専修念仏」(せんじゅねんぶつ)・「現生正定聚」(げんしょうしょうじょう じゅ)など、ひらがなを一生懸命読まないといけないことばが出て来る本です。

ですが、新書版のこの本、ページが黒くないのです。つまり宗 教書や哲学書にありがちな漢字だらけの本ではありません。ウェブで書評を読んでみても、「わかりやすい」と書いている人が多いのです。

私 にとって決して「わかりやすい」本ではありませんでした。ですが、読み終わったあと、もう一度読もう・・・と思いました。何度か読み返すうちに、私なりの 理解ができるようになればいいな、そう感じさせてくれる本です。


先週の日曜日の朝日新聞の書評欄に、今、ベストセラーになってい る五木寛之(いつきひろゆき)氏の「親鸞」が紹介されていました。新聞に連載されていたこの小説、上下巻に分かれる大作で、親鸞の人となりと教えを見事に 融合した作品であるという文章でした。

そして、「拠(よ)りどころを失っている現代の日本人が、どこかで新たな精神的指導者の出現を期待 しているのかもしれない」と結ばれています。

朝刊のこの記事を読んだすぐあとに、母の部屋でNHKBSの週刊ブックレビューで、五木寛之 氏が登場しているのに遭遇したのです。(私の大好きな「シンクロニシティ:意味のある偶然の一致」です)

そこで、五木氏は、「易行」とい うことばを話されました。「いぎょう」と読みます。易行、とは「やさしく行う」という意味。難しいことをやさしく説明することの大切さをおっしゃっていま した。宗教家親鸞の人生を「やさしく」「興味深く」そして「しっかりと」伝えた小説がベストセラーになっているのは当然の結果なのでしょう。


大 谷光真氏の「愚の力」もまさに「易行」の成果だと思います。「いのち」ということばがひらがなで書かれてあるのを見て、何だかホッとした私でした。

2010年3月21日日曜日

春探し

Chuckと散歩、春 を探しました

ちいさな「れんぎょう」(かな?)の植え込み




ちょっと趣(おもむき)の違う「ゆきやなぎ」
白と並べるとほんのりとピンク色





黄色の「冬知らず」
春を知らせるオオイヌノフグリと一緒に咲いて
春の花に

2010年3月20日土曜日

チェアスキー

チェアスキーがどんなものなのか、ご存知ですか?座って滑るスキーで、アウトリガーというストックをつきながら滑ります。

実際のチェアスキーのモデルを一度ご覧ください。チェアスキー-介護・福祉機器販売の有限会社トモ

最新技術を駆使したチェアスキーの「性能」の向上は、そのまま競技技術の向上につながってきているようです。

バンクーバーパラリンピック、日本選手のチェアスキーでのメダル獲得が続いています。選手達自身の努力と技術がうまくかみ合った結果ではないでしょうか。

障害者スポーツの世界では、競技用具の性能によって、「実力」に大きな差がでてくるのが事実です。陸上競技で使われるレーサーと呼ばれる車いすも、年々工夫がこらされ、新しい車いすを手に出来る選手はそれだけでも「有利」になるのです。

競技に用具が必要でない水泳ですら、着用する水着によって成績が変わる時代。競技スポーツが現代の技術革新と歩調を合わせて進歩していることを、パラリンピックの結果報道を見ながら再確認しました。



2010年3月19日金曜日

目分量

目分量とは、計量カップやスプーンを使わなくても、大体の量がわかること、またはそうやって量(はか)った分量のこと。目の感覚で判断すること一般も意味 するようです。

母の朝ご飯の定番メニューはフレンチトースト。厚めのトーストパンを半分にしたのが一日分。そのパンをどうしても「真っ二 つ」(まっぷたつ)にできない私です。ナイフを当てる時には、これでいいと思って切るのですが、ミルクと混ぜた卵液につけてみると、いつもサイズに差があ るのです。

これは「目分量能力」がないからでしょうか。半分の感覚がおかしいのでしょうか。

餃子を包んでいても、同じ大 きさにはなかなか揃いません。大きかったり、小さかったり、バラエティーに富んでしまいます。

サイズを揃えるのがとても上手な人がいます よね。何をやっても、すっきりできる人。以前からあこがれるのですが、この能力は天性のものなのでしょうか。

いまさら、もう無理かと思う のですが、やっぱりトーストを「真っ二つ」に切りたいと思う私です。うまく切れると、「やった!」と思えるのですもの。

2010年3月18日木曜日

ところかわれば・・・

「アメリカのきゅうりはまずいですな。生では食べられなかったです」

25年ぐらい前のこと、シカゴで単身赴任をしていらっしゃった日本人 男性が、我が家に遊びにいらした時のことばです。

「それはズッキーニという野菜です」と言いそびれてしまった私。ズッキーニなんていうも のを知っている日本人はまずいなかったですものね。

そして、その客人は続けました。

「アメリカのマーケットは大きすぎ て、何を買っていいのかわからなくて大変です。でも先週、おいいしい缶詰を見つけたんですよ。犬印の缶詰でした。」

それはドッグフードで すよ・・・とまた言いそびれた私。「おいしかった」を連発するその方をがっかりさせるには、ちょっとね。

ドッグフードを楽しんだ日本人 男性、あれからずっと食べ続けていらっしゃったのかしら、それを思うと、あの時に「真実」を言っておいた方がよかったのでしょうか。

だ だっ 広いスーパーで、何を買えばいいのか、自分なりのペースがつかめるようになったのは、アメリカに行ってから数ヶ月後だったことを思い出します。仲良くなっ たアメリカ人の友人に一緒にスーパーに行ってもらって、あれこれ質問をしたら、彼女曰(いわ)く「何だかわからない商品がこんなに一杯あったのね、知らな かった わ・・・」


生活習慣や食生活の違う人たちが寄り集まってできた国アメリカ。スーパーマーケットの商品の多様性にもそれが 伺えます。

「所変われば品(しな)変わる」

2010年3月17日水曜日

忘れてませんか?

あの・・・ちょっと・・・お忙しそうですが・・・

何かお忘れものはありませんか?

もう9時半を回っているのですが・・・



フフフ・・・わかってるもんね、朝ご飯でしょ?
ちゃんと朝一番にあげたでしょ?
ケージから出たいからって、食べなかったのは誰?

トリマーさんがね、
「食べない時はさっさと引きあげてください
いつでも食べられると思わせるのはいけません」
・・・ってアドバイスしてくれたもん

今朝はヨーグルトを作ったミルクカートンもなめたでしょ?
おまけもついたんだから、しばらくがまんしなさい!

食事は決まった時間に、でしょ!

2010年3月16日火曜日

風邪ひき

まともな風邪をひきました。10数年来、からだを温めることで、体調管理がうまくいっていた私ですが、今回は・・・

2週間ほど前から口内炎ができていました。内蔵が熱を持つ状態です。つまり何か「おかしい」のです。1週間前ぐらいから、冷たい飲み物が欲しくなっていました。夏でも冷えたものはあまり飲まないのに(ビールは別として・・・)。

それと、ここ数週間、腰の妙な痛みで夜がよく眠れなかったのです。ぎっくり腰の時のような「刺すような痛み」ではないのですが、寝返りで目があくのです。

そして、昨日は、完璧な風邪症状。母のところに来てくれた訪問看護師さんが、「完全な涙目ですね。熱があるでしょ。お大事にね」と診断してくれました。体温を測ろうとしたら、ずっと使っていなかったので、電池切れ。実際に体温がわかっても、別にどうってことないや・・・とそのままに。

お茶や紅茶のがぶ飲みです。鼻水が一杯出るので、水分補給を心がけます。母のトイレや食事が終わるたびに、ベッドにバタン。夜の食事を30分早めに食べてもらって、寝る準備も早めにして、「おやすみなさい」。

自分のからだのリズムが狂っているのがよくわかっていましたが、この風邪症状は予想外。気温は高めの今朝もカイロを貼っています。熱っぽさは収まったものの、何だかからだの芯が冷えているのがわかります。

今晩からまた冷えるとか。体調管理が難しいこの時期。みなさまもお気をつけて・・・

2010年3月15日月曜日

外国人介護士

私の2009年9月22日のブログ、外国人介護福 祉士候補生。日本に来て一生懸命日本語を覚え、介護現場で働く人たちのことを書きました。来日3年以内に日本の国家資格である介護福祉士の資格取 得を目指してがんばるインドネシアの男性二人のドキュメンタリーについて書きました。

今年、インドネシアで日本に行く希望者を募(つ の)ったところ、応募者が500人となり、去年の1800人から激減したそうです。すでに日本に来ている人たちからの情報で、受験そのものや待遇の厳しさ を知った人たちが、より条件の良い中東に職を求める傾向が強まっているのだそうです。

特にクエートは、医師や看護・介護のスタッフが英語 でやりとりをしているので、将来、欧米諸国での仕事を目指す人にとっては、うってつけの訓練の場となるので、人気が高まっているとか。

人 手不足の介護現場に、外国人を受け入れる方針を立てたものの、インドネシアやフィリピンからの希望者にとって受験しやすい環境整備はまだまだほど遠く、た だでさえ難しい介護の用語を、現地語や英語に翻訳しての受験すら考えられていないのが現状のようです。

日本の介護現場で将来安定して働い て欲しいのなら、まず受験条件の見直しが必要なはずです。来日3年以内の受験。チャンスは一度きり。試験に合格しなければ帰国。こんなことでは、せっかく 日本を仕事の場として選んでくれた人たちに申し訳ないはずです。

ドキュメンタリーに登場した二人の男性のやさしい表情は、介護現場にはな くてはならないものです。そのやさしさに報いる政策をしっかり作ってほしいものです。

2010年3月14日日曜日

使ってみたいな・・・



ひっ ぱらないでよ・・・







しょう がないな
歩いてあげるよ






「それ、長くなるんだよね・・・」って声をかけてきた男の子
私 が手にしているリードが気になったようです

「やってみる?」
「うん・・・」

Chuckを呼んでリードにつけて、 一緒に歩いてもらいました・・・

リードを延ばしたり、短くしたり、彼は一生懸命

Chuckが家に来る前、このリードで散 歩している犬を見て、「あれおもしろそう・・・」とうらやましかった私

この坊やと同じレベルなんですね

2010年3月13日土曜日

「ごちそうね」

母が帰宅して2週間がたちました。ゆっくりゆっくり・・・

お昼ごはんの時、「ごちそうね」と言った母。ことばはほとんど出なくなっている のに、母が好きそうなものを少しずつ並べただけの普段のごはんを見て、そう言いました。

イスに座って一人で食べてくれる母ですが、心拍数 が下がっているので、30分が限界です。食事のスピードもとてもゆっくりです。病院では、食事の時間に限りがあるので、ここ数ヶ月は「刻み食」を食べてい ました。全てが細かく刻んである食事です。「食べたい」と思う気持ちがある母は、それを気にする風でもなくムシャムシャと食べていました・・・ですが、私 にすれば、ちょっと悲しい風景でした。

大好物のかれいの干物にも果敢(かかん)にトライする母です。口に入った骨も上手に出しています。 嚥下(えんげ)障害もなく、ただただゆっくりゆっくりムシャムシャ食べています。あるがまま・・・


   ごちそうね 昼餉(ひるげ)に はずむ 母の声

2010年3月12日金曜日

20年たっても・・

     「いらっしゃい!」
     「ひさしぶり」
     「元気?」
     「うん、ちっとも変わってないね・・」

数年ぶりに会った「元留学生」との再会の場面です。私が関係するアジアからの留学生の奨学財団一期生です。京大に留学していた彼と最初に会ったのはもう20年以上も前のこと。

色々ありました。お互いに・・・中学生と小学生だったわが家の子ども達も、もうおじさんとおばさんに。彼のお嬢さんも高校2年生に。

京大の博士課程を修了してから、アメリカに留学。一時日本の研究期間で働いたこともある彼は、現在はアメリカ在住で、バイオの分野で立派な仕事をしています。

学生時代にお世話になった先生の退官記念パーティー出席のために、数年ぶりに京都に帰ってきました。もっと早く知らせてくれればいいのに、彼が来ているのがわかったのは前日のこと。昨日夕方、やっと連絡が来て、わが家で一緒に食事を、という計画が成立。

最初に会った日のことも覚えています。彼の下宿、靴が一杯脱ぎ捨ててありました。アメリカ留学中の彼を訪ねた時、生まれて3ヶ月ぐらいのお嬢さんの初めての「寝返り」に立ち会いました。彼の結婚式には、当時シカゴの高校生だったわが家の子ども達も出席しました。もちろん、息子の結婚式にも参加してくれた彼です。

「変わらないね」ということばを掛け合っていても、お互いに20年は年を取りました。でも会えばいつも同じ調子でおしゃべり再開です。

     「じゃあね」
     「元気でね」

私のすてきな「家族」の一人です。

2010年3月11日木曜日

北大路橋

鴨川にかかる北大路橋
修復されてとてもきれいになりました

珍しく歩いて橋を渡りました
北側の歩道から南を向いて一枚


北を向いてもう一枚

春本番はもうすぐの京都です

2010年3月10日水曜日

うそも方便

政治はどうも苦手、と思ってしまう私です。現在の政治家に魅力的な人がいない。そう思うからでしょうか。色んなレベルで、日本の運営を「任せる」人たちに無関心ではいけないのは十分承知ですが、政治家の話すことばに真実を感じられないのです。

核持ち込みに関する日米の密約とやら。外交の世界で「ないはずがない」のに、ずっとそれを否定し続けた政治家。「やっぱりあったようです」と発表して、さて、これからどうするのか、それを明言できない政治家。

自国の利益を守るために、時には「うそ」も必要なのが政治や外交なのかもしれません。正式な外交交渉で、通訳を必ず使うのは、理解のずれを通訳のことばのせいにできるから、ということも聞きました。プロ中のプロが使うことばでも、それぞれの国にとって都合のいいような解釈ができる余裕を残しているのです。


今朝の朝日新聞の「キュー」というコラムに、2008年の年末に東京で開設された「年越し派遣村」の村長さんだった湯浅誠さんのことがありました。昨年秋に、管直人(かんなおと)副総理が、現場で貧窮問題に取り組むNPO事務局長の湯浅さんを、緊急雇用対策本部に招聘(しょうへい)しました。そして・・・

湯浅さんは100日あまりの活動のあと、達成感のないまま辞任します。彼の提案する困窮者対策を、政治家も官僚も地方自治体も聞くには聞くが、本気で取り組もうとはせず、実現するための議論ではなく、できない理由を並び立てるだけ。組織の壁に取り囲まれ、次第に疲弊(ひへい)していく湯浅さん。

「うそと妥協は目的到達の手段と割り切らなければ、政治の世界は生きられないということだろう」とこのコラムの著者、ライターの嶋崎今日子さんが書いています。

うそも方便(ほうべん):うそは罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるということ。

辞書にある解説と全く同じでした。

政治を斜めから見ているような私です。こころに響くことばを届けてくれる政治家はいませんか?

2010年3月9日火曜日

訪問入浴

わが家に戻って初めての母の入浴。訪問入浴を経験しました。ベッドの横に湯船が登場です。看護師さんと男女一人ずつのスタッフが元気よくやってきました。

わが家の水道から水を引っ張って、車の中にある湯沸かし器でお湯を湯船に送ります。長いホースが玄関から入ってきました。好みの入浴剤を入れてくれるのです。今日は緑色。

湯船にはネットのようなものに寝て入ります。頭も洗ってもらえます。ただし・・・母はあれこれ「文句」を・・・相当いやがっていました。上手な応対で若いスタッフは次々に手を動かしていきます。





わが家に到着してから1時間と少しで全てが終わり、部屋を元の通りに戻してスタッフが帰っていきました。手際(てぎわ)の良さとチームワークが求められる仕事です。身体を抱えたりするのですから、力がいりそう。若い人でないと無理だろうな・・・と思いつつ、三人のがんばりに敬意を表した私です。

最後にはChuckも参加して、みなさんに「ありがとう」を言いました。


PS: お昼ごはんの前の母との会話
     ・さっきお風呂に入ってきもちよかったでしょ?
     ・だれが?
     ・ババが・・・
     ・そうなの???

     ・ずいぶん文句を言ってたよ
     ・はずかしかったんじゃない?

久しぶりにしっかりスイッチが入った状態の会話でした。すっきりした顔の母です。しんどかったはずですが、食欲もいつも通り。訪問入浴無事終了。

2010年3月8日月曜日

ながぐつ















三色のながぐつが並んでいました
息子の赤いながぐつを思い出します

いつもはいていました
晴れの日も雨の日も
脱ぐときは右はあっち
左はこっち

大好きでした
一人ではいて、ぬげるから
手抜きの「彼の母」も好きでした

2010年3月7日日曜日

女子ラグビー

女子がラグビーをするのですね。偶然こんな記事を見つけました。

ラグビーU23女子代表、司令塔はモデル風20歳

男らしさを象徴するようなスポーツがラグビーだと思っていました。ラグビー大好き人間だった母がこれを知ったら、何と言うのかしら・・・聞いてみたいです。多分「あら、やだ!」と言うはずです。結構、固定観念の強い人ですから。

2016年、ブラジル・リオデジャネイロで開かれるオリンピックで7人制ラグビーが正式種目になるそうですから、世界レベルでは女子ラグビーが当たり前になっているようです。

女子ラグビーフットボール連盟JWRFのホームページを見てみると、トップページには「ラグビーをこよなく愛する団体として、底辺拡大・強化などなど・・・色々な活動をおこなっています」とあります。マイナーだからこその熱気が感じられます。

偶然ですが、昨日の朝日新聞の夕刊にも、日本女子プロ野球リーグが4月からスタートするという写真入りの大きな記事がありました。日本女子プロ野球機構

サッカーのなでしこジャパンも男子をしのぐ活躍ぶり。冬季オリンピックも女子ジャンプが種目に加わるかもしれないとか。

スポーツの世界で、「男子だけのスポーツ」というカテゴリーがなくなるのも案外近いのかもしれませんね。

「女は弱し、されど母は強し」ということばも現代では変更を迫られているようです。「女はどんな場面でも強し」・・・・かな。

2010年3月6日土曜日

西の部屋

西の部屋にババが帰ってきたよ

リビングから玄関に行く、階段2段はもう楽々だよ

ババの部屋に遊びに行きたいんだよ

でも、ババの部屋のドアが閉まっている時はダメなの

きっとババが寝ているんだよ

ババの部屋のドアが開いていると、ボク、すぐに行くよ、西の部屋に

だって、ババに会いたいもんね・・・

2010年3月5日金曜日

褥瘡

褥瘡(じょくそう)という漢字。何度書いてもしっかり覚えられない難しい漢字。床(とこ)ずれのことで、車いすフェンシングの仲間にとって、「天敵」とも言える症状です。

脊髄損傷(せきずいそんしょう)で下半身不随になった人にとって、感覚のないおしりにできた傷から黴菌(ばいきん:これもすごい漢字!)が全身に回ると、命取りにもなりかねません。車いすに座ったままの障害者がスポーツをする時、褥瘡対策は欠かすことができません。気をつけていても、褥瘡が悪化して、手術と なり、半年以上、入院。それもベッドに腹這(はらば)いのまま過ごした車いすフェンシングの仲間が数人います。

床ずれというと、寝たきりの人に起こるもののようですが、帰宅して約一週間の母にも、注意信号が出てしまいました。

水曜日、往診してくださった先生から、「褥瘡予防のマットレスに交換してください」というアドバイスをいただき、さっそく業者の方に連絡。そして、昨日の木曜日には、無事マットレスの交換が終了しました。

ケアマネージャーさんがお留守だったので、私から直接連絡したのですが、あとで電話をくださったケアマネージャーさんが、「早く連絡してくださってよかったです」とおっしゃいました。木曜日の朝、訪問看護師さんも、「褥瘡対策はとにかく早くしないと・・・」とのこと。

褥瘡に対して、頭ではわかっていたはずの私ですが、実際母にその症状が出たのを見ても、それほど深刻に考えていませんでした。でも、周りの方々のお陰で、早急な対応ができました。

年齢の割には、全身状態が良く、肌もつやつやしている母ですが、やはり色んな循環が悪くなっているようです。在宅介護である以上、母の状態をチェックするのは私の役目。こころしないと・・・と思います。

2010年3月4日木曜日

ホワイトソース

グラタンが大好きな母
ホワイトソースを作りました

バターを溶かして、小麦粉を炒めて、ミルクを加えて・・・
いつもの手順です

手がだるくなるほど混ぜ合わせ、しばらく火を通してできあがり
時間にして10分ちょっと
小さく切った具をあれこれを混ぜてオーブンへ

熱々のグラタンを食べる母
ゆっくり時間をかけてペロリ

ちょっと手間がかかるホワイトソース
大事な10分が持てる「今」に感謝

2010年3月3日水曜日

こんな色に??

ねぇ、Chuck
こんなグレーになってくれる???
お鼻の先は薄くなったよね・・・

2010年3月2日火曜日

ショパン

今年はショパン生誕200周年。ショパンがあれこれ取り上げられる年になりますね。

3月1日はショパンの誕生日とか。昨日の午後、何気なくショパンのCDを引っ張り出して、前奏曲を聞いていました。1985年のショパンコンクールで優勝したブーニンのショパンは耳に心地よい演奏です。

・・・そして、夕べ、厳密には今日の早朝。1時に目が開いて、母をチェックしてラジオを入れると、NHKラジオ深夜便からショパンの調べが流れてきたのです。さっさと寝直さないと、と思いつつ、トロトロしながら、結局2時までは聞いてしまいました。

子犬のワルツとワルツ嬰(えい)ハ単調を色んな人の演奏で聞き比べる番組でした。同じ曲を同時に違う演奏で聞くのはあまり経験できないこと。譜面通りにかっちり弾く人(名前はメモできず、寝ぼけた頭では覚えていず・・・)、自由にテンポを変えて弾く人、アドリブまで入った演奏もありました。

私の手元にあるピアノの楽譜で一番ボロボロになっているのが全音の「ショパン ピアノアルバム」です。裏表紙にある定価は何と350円!いかに昔から使っているかがわかります!

ところどころページがはずれてしまっているこの楽譜。初心者の頃から使い続けているこの楽譜。今も一番大事な楽譜です。

2010年3月1日月曜日

JAPAN

2月15日、東京での救出劇。JR高円寺駅で、線路に転落した女性を見て、とっさにホームから飛び降りた男性。線路に横向きに倒れた女性を、電車にひかれないようあおむけに動かし、彼はホーム下へ逃げ込んだ。

電車が迫ってくる恐怖の時に、よくこれだけのことが一瞬にできたものです。このお手柄男性、佐藤弘樹さん(24歳)は元ラガーマン。昨日のラグビー日本選手権の試合前に、自身が現役時代につけていた、フルバック15番の背番号の日本代表ジャージーが贈られたという記事を目にしました。

「まさかの話で夢のよう。秩父宮(ちちぶのみや)ラグビー場に立つことができて感無量でした」と語った佐藤さん。JAPANのユニフォームを手にしての感想です。


私が初めてJAPANがついたユニフォームを着たのは、1998年の車いすフェンシング香港遠征の時。通訳だから・・・と言っても、日本チームの一員ですから、所属が一目でわからなくてはいけません。苦手なジャージ姿に文句を言いつつ、その後も遠征の試合会場では必ずJAPANを着ていました。

アテネのパラリンピックでは、日本選手団のユニフォームを着たのですから、まさしくJAPANだったのです。

JAPANを背負って競技を続けたバンクーバーオリンピックの選手達。今日で全てが終わります。国の名誉をかけて競技するという意識は減ってきているのかもしれませんが、メダルを取った選手達が、必ず国旗を手にして「ウィニングラン」をする風景を見ると、やはりオリンピックは国別の対抗競技会なんだなと思います。

「JAPAN のユニフォームを着ること」の意味。それは代表を目指して努力する選手達だけが知っているはずです。着られる名誉。着られない悔しさ。スポーツの世界の厳しさです。

何気なくJAPAN を着ていた私です。でも競技会場で見る日の丸には、すっと背筋が伸びたものでした。