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2018年10月23日火曜日

認知症サポーター

認知症サポーター養成講座を受講

講師は福祉施設職員の方
とてもにわかりやすいレクチャー
短いビデオも数本
隣り合った参加者同士の話し合い

参加者は介護職員
介護職就職希望の人
認知症の人の家族
私は「元家族」

偶然お隣になった女性二人は家族の方々
私の経験したことを少しお話する

講習会終了後もお二人の私への質問が続く
日々の暮らしの中での戸惑いや不安

講演の内容も含めてとても心に染みた2時間


講演後、受講者に配られたオレンジリング
認知症サポーターの印
(本当はこのリングが欲しくて受講した私)

Ninchisho Supporterと記されたリング
自分の経験がいかせること
何か探していきたい

2018年8月5日日曜日

介護13年

102歳のお母さんを見送った方の投書
88歳で脳出血を発症したお母さん
1年の入院後、在宅介護を家族が希望
「それなら胃瘻(いろう)を」と医師が処置
家族は胃瘻ということばもよく知らなかったとか

13年間にわたる「注入食の人生」とありました
会話のないままの介護にこれでよかったのか・・
その想いが強くなってきたという

亡くなる一ヶ月前あたりからは身体そのものが
崩れていくような状態に・・・


「母の晩年は、子どもたちのエゴではなかっただろうか
長かった介護にも満足できず、
心は晴れぬままである」

この最後の文章に胸が痛んだ私です
「立派な介護だったはずです
苦しまないでください」
そう声をかけたい気持ちになりました

2018年6月30日土曜日

専門医からのメッセージ

長谷川式認知症スケールを40年以上前に考案した老齢医学の専門医長谷川和夫医師。ご本人が認知症と診断されました。ご自身の認知能力の変化を伝えることで、認知症に対する考え方を変えていきたいと思っていらっしゃるとか。

過去のことを忘れてしまい、現在とのつながりがわからなくなる不安感を抱いているのが認知症の人。

そんな人たちに接するための長谷川医師からの五つのアドバイス。
1)認知症の人と目線を同じにする
2)笑いを忘れずに、微笑みももって接する
3)認知症の人の生活はシンプルに
4)認知症の人に役割を持ってもらう
5)一人一人、かけがえのない存在として認め合う

日常の介護ではなかなかできないこともありますが、このようなアドバイスを知っていることは大切です。笑えないと思っても笑顔を無理にでも作る、そんな心がけで状況が変わってくることも・・・

ラジオの放送ではご本人の声のメッセージもありました。

「私は長谷川和夫といいます。私も認知症と診断されました。大丈夫です。明るい気持ちで、笑いを忘れないでください。自分と家族、知人を大切に、自分の生きていく道を歩んで行ってください」


2017年4月29日土曜日

人をみて・・・

4月26日から京都国立国際会館で開催されている国際アルツハイマー病協会国際会議(認知症国際会議)前回の日本での開催は2004年。今回と同じ京都が会場でした。

京都は1980年に「認知症の人と家族の会」が発足したところです。まだまだ認知症という言葉が一般的ではなく、当初の会の名前は「呆け老人をかかえる家族の会」。呆け老人という言葉を使った潔いネーミングは、今から思えば画期的です。

ここ数日、新聞には認知症やこの会議に関する記事が満載です。母の介護を通して、認知症と向き合った私は、改めて「復習」している気持ちです。

「症状でなく、人をみて」という新聞記事の小見出しに目が止まりました。母との日々が蘇りました。頭ではわかってたのです、でも私の知っている母ではなくなった母に対して、どう対応していけばいいのか、悩み続けました。母に優しくなれない自分が嫌いになりました。

介護の日々をしっかり支えてくれたヘルパーさんの一人が私に言ってくれました。「他人ならできることも、家族では難しいのですよ。私自身も亡くなった祖母にはきつく当たっていました。今、認知症の方々に優しくさせてもらえるのは、私にとってありがたいのです」と。

一人では支えきれなかった介護をプロの力を借りて、無事に乗り越えられた私は幸せでした。かけがえのない経験として母からもらったプレゼントの時間だったと思います。

「症状でなく、人をみて」・・・普段の生活の中の人間関係でも同じこと。学びは続きます。



2017年1月12日木曜日

介護とは

親の介護とは、親を送るということは、
自分の成長の完了じゃないか
伊藤比呂美(詩人)   
「折々のことば」から

介護は親が子供にする最後の子育て
この言葉を実際に介護の日々に感じていた私

親を見送るのが自分の成長の完了だとすると
今の私はもう成長しないのかな

違う場所で成長していけばいいのかな

まだまだわからないこと、興味のあることいっぱいですもん



2016年11月26日土曜日

在留資格

車いすフェンシングのヘッドコーチを香港から迎えた今年、在留資格について色々勉強するチャンスがありました。「外国」で仕事をするのですから、その資格審査が厳しいのは日本だけでなく、世界中同じこと。専門技術を持ったコーチ資格であっても、入国管理局に提出する書類を揃えるのはなかなか大変でした。

外国人の在留資格に「介護」が加わったそうです。人手不足が深刻になっている介護の現状を改善しようとする変更なのでしょう。留学生が日本国内の専門学校で介護福祉士の国家資格を取得すれば日本で働ける、という項目と外国人技能実習制度でも外国人が介護に携われるというのです。

日本で技術を取得するために1993年から始まったこの外国人技能実習制度。実習という名目で安い外国人労働力の確保手段だと言われることも多く、何かと問題が生じているようです。その制度で介護職を認めるというのです。

経済連携協定(EPA)を通じて、日本の介護福祉士の取得を目指している人や既に難関の国家試験に合格して働くアジアの人たちもいる現状で、介護人材確保の「別ルート」ができたということのようです。

資格取得を目指すのではなく、限られた「実習期間」(現在は3年、今後は5年に)で日本語を使って介護をする人材がどれだけ育つのでしょうか。それは日本のお年寄りにとって、そして「実習生」にとって好ましいことなのでしょうか?

人手不足解消、という名目で生まれた新しい在留資格。運用はなかなか難しそうです・・・

2016年11月19日土曜日

認知症保険

今年の春から販売されるようになった「認知症保険」。認知症になって要介護認定を受けるようになれば、お金を受け取るという保険。認知症介護の経済的負担をカバーする、この保険の売れ行きは順調で、発売から7ヶ月で加入者数は10万件を超え、過去の新商品にはない速いペースだそうです。一時金払いと月々に保険金を受け取る方法が選べるとのこと。

母の介護の時には、一割の個人負担が介護保険が利用できましたが、今後、団塊の世代が高齢化する時に、果たして同じように介護保険が使えるのかどうかは全く不透明。将来の安心を求める人が増えているのも当然のことでしょう。でも受取人の指定を含めて、本当に必要になった時にちゃんと保険金がもらえるようにしておかないといけませんね。

「自分だけは元気なままでいられる」というのは勝手な思い込み。将来、どうなるかはわかりません。自分らしく、元気で暮らしていきたいな、とは思いつつ、やっぱり準備がいるのかな・・・

2016年10月20日木曜日

EPAのこと

2008年に経済連携協定(EPA)による看護師・介護福祉士候補者、約200人が初めてインドネシアから日本にやってきて、今年で8年。数々の難関を突破して日本の看護師や介護福祉士の資格を取った人たち。でも試験に合格すると国からの支援がなくなり、日本人と同等の仕事を求められる過酷な環境に耐えかねて帰国する人が増加しているのだそうです。

現在までに4000人近くが来日し600人以上が国家試験に合格。その合格者の3割が帰国してしまっているという数字。このシステムがスタートした頃に母を介護していた私にとって、彼ら、彼女たちの「その後」はとても気になっていました。ブログでも何度か「同じこと」を書いています。

せっかくの制度を十分に活用できていない。応募者の人たちにとっても、日本にとっても・・・なんともったいないこと。長期の、しっかりした政策で支えてほしいのに。なんとかならないのでしょうか。


2013年3月
2011年6月

2016年8月4日木曜日

現役ヘルパーさん

テレビで見たヘルパーさん、おんとし81歳。自分より年下の人の介護も含め、ヘルパーとしての訪問を続ける日々。ご主人を亡くして、ヘルパーの資格を取ったのは73歳。76歳で介護福祉士、80歳でケアマネの資格を取得。

自分自身の加齢による変化を知っているからこそ、お世話するのにも力が入るようです。耳が不自由になった方のために、手話を勉強して、意思疎通ができるように努力する。おつきあいが長かった男性が脳梗塞で、より不自由になり、食事も拒むようになった時にも、その方の性格を知り尽くしたヘルパーさんは決して無理強いはせず、寄り添います。「自尊心の高い方ですから、命令されたりはお辛いと思いますよ」

介護される人の身になって働く、このヘルパーさんも、介護報酬の改定で、今まで通りのお世話ができなくなる現実。手話で話していた方の最後の訪問の時には「また必ず伺いますからね」と伝えていました。

母がお世話になっていた施設にも80歳近い元気なヘルパーさんが、誰よりも入所者にやさしい表情で業務をこなしていました。気持ちに寄り添える能力、それはその人の人柄、そのものなのだと思った私でした。

2016年7月29日金曜日

仕事でなら向き合えるのに・・・

新聞の投書のタイトル。60歳の看護師さんが、90歳に近い実母の変化に自分が対応できないことを記していました。

汚れた紙パンツをはきかえようとしない、お風呂も一緒に入ろうとしない。母親のペースにいらだち、声を荒げてします。

医師である娘から「何を本気で怒っているの。認知症の看護をもう一度勉強したら」と言われてショックを受けたとか。

母の在宅介護の折にわが家に来てくれたヘルパーさんの多くが、「母にはこうはできませんでした」「若かったからか、おばあちゃんにとってもひどく当たっていた私を後悔しています」などと言っていたことを思い出します。

他人だからこそ、客観的になれる、でも肉親にはできない。それはどんな人でも同じだと思います。衰えていく肉親を受け入れられない、なんで、こうなってしまうの・・・と気持ちが揺れるのです。

私自身、決して完璧な介護者ではありませんでした。でも、プロの方々や友人に一杯助けてもらって、自分自身の気持ちの整理をつけながら、介護の日々を送りました。

家族としての人間関係が変化する、それも当然のこととしてあるがままを受け入れられれば。でもそれが一番、難しい。この投稿者の方に「その気持ちは自然なんですよ」って声をかけてあげたくなりました。



2016年7月10日日曜日

にやりほっと

「にやりほっと」とは・・・
介護現場で思わず笑ってしまう、こころがなごむ
そんなお年寄りのことばや振る舞いを書いたもの

「ヒヤリハット」は
事故になりかねない出来事に注意喚起することば
これもとっても大切


現実のお世話が大変な介護の場で
お年寄りとのホッとする一瞬を残していく
プラスの面を共有することで
お世話する対象が一緒にいる人へと変化

ルーティーン作業となりがちな介護で
お年寄りのこころをより感じられる
そんなきっかけとなる「にやりほっと」

日常のどんな場面でもみつけられそう


2016年5月5日木曜日

連休でも

「ゴールデンウィークで子どもたちは休みなのに、私は毎日仕事です。バタバタしていて子どもたちに笑顔で接することが難しい、そんな日々です」と介護の仕事をしているお母さんがラジオに投稿していました。

母を自宅介護している時には、日曜日も祝日もありませんでした。日々、同じことをくり返していくのが介護です。「今日はお休み」はありません。

祝日であっても、ちゃんと定期的に訪問してくださる看護師さんやヘルパーさん、そして入浴介護のスタッフたち。ただただ感謝でした。

介護施設のスタッフも同じです。世の中はゴールデンウィークだ、帰省だ、観光だと浮かれていても、お年寄りの介護は続きますし、送り迎えのワゴンは走っています。

熊本の被災地の介護職員の方々の日々はより厳しいのでしょう。疲れがたまっていても、日々の仕事としてがんばっていらっしゃるのでしょうね。少しでもからだやこころを休める時を確保してください、と願うばかり。



2016年2月8日月曜日

ホームホスピス

ホームホスピスとは普通の家で人を看取る活動。5〜6人のスタッフが5人ほどの入居者の世話をし、最期の看取りをする場所。家族だけでは世話ができなくなっても、家庭的な雰囲気の中で生活ができるのです。

この活動の先駆けとなったのがホームホスピス宮崎。以前、NHKの番組で、そのゆったりした日常を見た私です。最期の時が近づくと家族たちが集まり、見送ることができる環境は、悲しみの中にも穏やかな静けさがありました。

ホームホスピス宮崎を立ち上げた市原美穂さんのことば:死が医療に管理されて、なくしたものがある。死は自然なこと。看取りは物理的な死の確認ではなく、残された人が逝く人の人生を受け止めることだと思う。文化として広めたい。

人の自然な生き様と旅立ち、それを支える暖かいチームの存在に心打たれます。

2015年12月30日水曜日

一人じゃないよ

認知症の母親を介護する娘さん32歳。お母さんの年齢は67歳。「認知症社会」という記事の中。 

若年性認知症が増える中、介護する世代は若い人たちにも広がってきているようです。自分自身の仕事との両立に悩みつつ、情報交換をする場「若年認知症ねりまの会MARINE」(マリネ)。

深刻な話題をユーモアを交えて語り合うという。徘徊は「お散歩」、行方不明は「大冒険」と命名。「集まって、一人じゃないと知ることで安心できる」ということばは実感がこもります。

若い人だけじゃないですね、介護する人が「一人じゃない」と思える場があちこちに増えてほしいものです。

2015年12月24日木曜日

快適な排泄のために

母の介護の日々は「おしも」の世話に明け暮れた、そんな思い出があります。おむつが年々改良され、介護する身には何ともありがたい時代となってはいたのですが、やはり介護の中で大きな負担となる作業でした。母自身も自分の排泄の世話をしてもらうとは、想像もしていなかったのではないか、と思ったこともありました。

高齢のせいだけでなく、病気や事故で自分で排泄ができなくなった人への新しい機器が開発されているのを知りました。超音波によって膀胱の尿量を測定し、それを見て、家族がトイレに連れていくタイミングがわかる、そんな機器なのだそうです。本人の感覚がマヒしている場合、「失敗」することも増えてしまいます。家族にとっても、そして本人自身にとってとても辛いことです。

クモ膜下出欠の後遺症を抱える58歳のご主人を介護する奥さんは「トイレへ行くことは大切で、本人の自信につながる」とコメントしています。不自由になっても、排泄行為がコントロールできることが、個人の尊厳を守っているのだと思います。

技術革新がさらに進んで、今では考えられないものが作り出されるかもしれません。食べて排出する、この人としての自然な行為がよりしっかりサポートされていくといいなと思います。

2015年11月30日月曜日

物忘れが辛い

認知症の人にゆっくり話しかけながら、今どんな気持ちを尋ねると、自身で文章が書ける人があるというのを目にして、ちょっと信じられない気持ちでした。母の最晩年を思い出すからです。

母は自分の記憶力の低下を感じるようになり、それが自分で許せなくなって自分からこころを閉じてしまった、と以前から思っていた私でした。とても明晰で、きっちりしていないと落ち着かない母でした(娘は随分違いますが・・・)

認知症を特集するテレビで、「認知症を肯定する」ことがどれだけ認知症の本人を安心させるか、ということを若年性認知症の41歳の男性が話していました。忘れてしまった、できなくなってしまったことを、周りの人が病気による症状として、それを非難することなく肯定する。そこから笑いも生まれる、というのです。認知症の本人は失敗したことはわかるが、なぜ失敗したのかがわからない。そこがとても不安になるのだそうです。ましてや、それを非難されたのでは、いよいよ追いつめられることになるはずです。

認知症が進み出したとき、母は施設でお世話になっていました。週に2、3回会うだけだった私でしたが、母の変わりぶりに戸惑い、今から思えば、決して良い対応をしていませんでした。母のことばを否定していた私でした。「あんなにしっかりしていた人が」という気持ちと「寂しさ」が入り交じっていたのかもしれません。

「病気として認知症を本人も周りも受け入れること」「認知症の人のこころに寄り添うこと」「できなくなったことにとらわれない」

母に対してはうまくできていなかっただけに、私のこころにズシンと響いてきたことばです。「ごめんなさい」の気持ちも・・・



2015年11月11日水曜日

介護離職

高齢の親の介護で仕事が続けられなくなって職場を離れる。働き盛りの人であっても、介護の現状は「待ったナシ」。本人のキャリアにとっても、会社にとっても、社会にとっても大きな損失として問題視されている「介護離職」。年間約10万人が家族の介護を理由に仕事を辞めている現実。

家庭での介護をするには、介護保険サービスは必須。私も母の在宅介護の折に支えてもらったシステム。その担い手が足りない、充分なサービスが提供されない、そんな状況が現実に。厳しい労働条件に合わない低賃金で職を離れる人が多い介護職。人手不足から丁寧なケアができないから、と悩んで辞める人が出てくる悪循環。

「介護離職ゼロを目指す」と安倍首相のコメントは「介護職員の離職ゼロ」を目指さないとこれからの高齢者介護が成立しないのは明らか。将来、人の手助けが必要になった時に、安心して介護保険で暮らせるのか、明快な解答はなし。

11月11日は介護の日。超高齢化社会となるこれからの日本のみんなが、しっかり考えなきゃならない日。

2015年8月24日月曜日

お風呂

「風呂に入って死んだやつはおるけど、風呂に入らんで死んだやつはおらん」

介護を受けている「お風呂嫌い」の男性のことばだそうです。「折々のことば」で見つけて、プッと吹き出しました。亡くなった母を思い出したからです。

寝たきりになった母は毎週一回、訪問入浴のサービスを受けていました。文字通り、ベッドの横に浴槽がセットされての入浴です。病院に入院しているよりも、在宅の方が入浴可能な場合もありますよ、とスタッフのことば。

車にはぎっしり必要なものが詰まっていて、毎回、それを家の中に運び込み、入浴業務を済ませ、片付ける。何ともハードなお仕事でした。

母は、毎回「文句」を言っていました。様子がわからないままに着ているものを脱がされて「よいしょ」と運ばれるのですから、当然だったかとも思います。でも、そのブツブツが、少しずつ静かになって、気持ちよくなっているのがわかるのです。再度母が騒ぐ(?)のは、髪を洗ってもらう時。これは小さな子どもと同じこと。

亡くなる前の週にも普通に入浴できた母。お風呂を嫌がって介護する人を困らせた上記のご老人も訪問入浴のサービスは受けることができたのかな・・・

2015年8月17日月曜日

高校野球100年目

今年は高校野球の100年目
第一回は1915年のこと・・・
それを目にして気がつきました

母が生きていたら今年で100歳


しゃっきりしていて、持病もない元気な母でした
100歳なんか楽勝だと思っていました

でも認知症が進み、自宅介護が続く中
「母が100歳になると、私はいくつになるのだろう・・・」
そんな想いが頭をよぎった時期もありました

94歳で静かに旅立った母でした
100歳で元気なお年寄りを見ると
母もおしゃれをして、こんな風だったかな
そんなことを思う私です

2014年9月18日木曜日

二つのデューラ

けいちゃんが生まれた時に、出産のお手伝いをしてくれたデューラさんのことを去年の12月27日にブログに書いています。

同じことばのデューラが違う意味で使われているのを知りました。こちらは終末期の人に寄り添う人のことです。人が生の終わりに近づいた時、肉体的、精神的に支え、旅立ちに立ち会うのがデューラ。誕生と死、全く違う二つの場面で、同じ「産婆さん」という名前を持った人たちが仕事をする。少し不思議な感じがしました。

イギリスの緩和ケアのベテラン看護師で、デューラを養成しているハーマイオニー・エリオットさんは「人は生まれる時も死ぬ時も、未知の世界に漕ぎ出して行く。二つのデューラの役割はとても似ている」と説明しています。

誕生の時、未知の世界に漕ぎ出すのは、赤ん坊自身だけではなく、両親も同じこと。多くの不安や戸惑いがあるものです。同様に人が亡くなるとき、家族にとっても、支えとなる存在がいてくれるとしたら、どれだけ心強いことでしょう。

誰にでも訪れる別れの時に、しっかりした知識を持った人がそばにいてくれれば、きっと幸せな旅立ちとなるはずです。日本でも、そんな人たちが出てきてくれるといいなと思います。